第17話 ルーツ

 父と母は、かけ落ち同然の結婚をしたらしい。そのためか親戚とも疎遠で、両親が事故で亡くなったとき、最初に駆けつけてくれたのは、血縁の誰でもなく博士だった。


「我が輩はドクター・ボルシェヴィキ。キミの父上の同僚だ」


 会った日に博士の口から聞いたのは、その言葉だけ。お悔やみも慰めもなし。自分の研究以外の事は、挨拶すらろくにできない人だと気付いたのは、ずっと後の事だった。


 死にそうなほどガリガリで、目は落ちくぼみ、頭は前からはげ上がって、残った髪もボサボサ。こんな人について行ったら改造でもされるんじゃないかと思ったけど、十歳の私を引き取ってくれる人は他に誰も居なかったのだ。今にして思えば、児童福祉センターやら何やら、手続きだけでも大変だったろうに、よく引き取れたものだ。でもそのときの私は、そんなこと考えもしなかった。


 結局改造はされずに、博士は私を同居人として家に置いてくれた。甘やかすでもなく、邪険にするでもなく、ただ空気のような同居人として私と一緒に暮らしてくれた。でも学校の勉強を教わるときだけは、別人のように厳しかった。暴力こそ振るわないが、決して妥協してくれない。


「授業のカリキュラムは、すべて誰かが考えついたものだ。その誰かに考えつくレベルの事が、キミに理解できない訳がない」


 そう繰り返し、どんな問題も理解できるまで取り組まされた。徹夜した事も一度ではない。しかしその甲斐あって、学校の成績は優秀で、二年飛び級して奨学生として大学に入る事ができた。そして大学も二年で全単位を取り、晴れて私は博士の勤める、軍の次元物理研究所の門を叩いたのだ。


 もしかしたら嫌がるかなと思ったので、採用面接の当日まで黙っておくつもりだったのだけれど、応募書類を提出した翌日、「面接は良い。今日から来たまえ」と朝食のときに言われた。そして半年の訓練を終えて、実験用潜宙艦『オクタゴン』のクルーとして無事デビューしたのだ。その初航海で、この有様である。


 ◆ ◆ ◆



「この状況で、よく物思いにふけられると言えるね」


 緑色のこびとの声が脳内に響く。しかし、いかに優秀な統合インターフェースとは言え、ナギサの漠然とした思考までは読み取れない。


 目の前では、岸和田城主中村一氏と卜半斎がにらみ合っている。その間を取り持つように座る与力の河毛源次郎が、汗をかきながら何やら一氏に説明している。雪姫を本願寺で預かるかどうかで揉めているのだ。


「お姫さまの件は礼を言う。だけど今、私にできる事はないよ。今日の晩ご飯に何が出るのか、心配するくらいでせいぜいだ」


 ナギサはピクシーにつぶやいた。緑色のこびとは楽しげに踊る。


「おやおや、早くも順応しているのか。住めば都というヤツだと言えるね」


「冗談。できれば今すぐオクタゴンに戻りたい。もう爆発寸前だよ」


「そうかい? 未知の世界に放り出された者としては、キミは考え得る限り、かなり恵まれた環境に居ると言えるのだけれど」


「トイレ」


「トイレ?」


 ピクシーは首を傾げた。


「何で洋式じゃないんだ。何で水洗じゃないんだ。何で温水便座がついてないんだ」


「……まあそれは、時代を考えると仕方ない。紙で拭けるだけ、まだマシと思うべきだと言えるね」


「墨でいっぱい文字の書かれた紙な。おかげで下着が真っ黒になったよ」


「でも農民は、まだワラ縄で拭いてると言えるね」


「それは言うな。死にたくなる」


 一氏が突然奇声を上げて立ち上がった。何やら卜半斎を怒鳴りつけている。河毛と佐藤の二人の与力が必死でなだめているが、その怒りは収まりそうにない。一氏はナギサを振り返ると、火の出るような視線でにらみつけた。


 孫一郎がナギサをかばうように片膝を立てる。この小さな侍は、普段は頼りないのに、ここぞというときの度胸は凄いな。ナギサが感心していると、そこに女房連中を引き連れ、きらびやかな着物を纏った女性が――凄い気が強そうだな、とナギサは思った――広間に入ってきた。どうやら一氏の奥方のようだ。奥方は一氏の耳元で何やらささやく。すると一氏はふて腐れたような顔で、座り込んでしまった。奥方は膝をつき、卜半斎に頭を下げた。


「あ、勝負あったな」


「そのようだと言えるね」


 ピクシーの声が聞こえた訳でもないのだろうが、孫一郎もホッと息をついた。こうして雪姫は、しばらく貝塚本願寺で暮らす事になったのである。




 ◆ ◆ ◆


 孫一郎の祖父は、請われて美濃国みののくにせきより会津に移った代々の刀工である。孫一郎は会津古川三代目の跡取りであった。しかし祖父も父も、孫一郎を甘やかしてはくれなかった。幼い頃より毎日つちを振り、さらに刀の扱いを知らずして刀は打てぬと言う理屈で、師匠について剣術の修行をさせられた。


 だが鎚の振り方も、刀の振り方も、どちらも一向に満足してもらえず、周囲の同い年は皆十五で元服するのに、孫一郎だけは十六になっても元服を許されなかった。


 そしてある朝、父に呼ばれた孫一郎は、こう告げられたのだ。


「一年間諸国を旅してまいれ」


 これを好意的にとらえるのなら、一年の時間をやるから人間的に成長しろ、という事である。しかし悪く受け止めるのなら、野垂れ死にしてこいという意味にも取れる。何せ世は戦国時代、いかに街道筋に旅籠はあるとは言え、夜盗山賊の類いも居り、諸国を巡る一人旅など危険極まりないものであったからだ。


 だが孫一郎は、父の言葉を笑顔で受けた。


「はい、では今より支度致します」


「ちょ、ちょっと待て」


 そのあまりの即答ぶりは、慌てた父親が思わず引き留めるほどだった。


「孫一郎、本当に良いのだな」


「はい、一年間修行と思って頑張って参ります。行ってみたい所もございますし」


 それは父にとっては意外な答。


「ほう、何処に行ってみたい」


「和泉国に行ってみとうございます」


 古川家の当主は会津に移る前、関にいた頃より代々『兼定』を名乗っているのだが、関兼定の二代目が当時の朝廷より『和泉守いずみのかみ』の名を受領しているのだ。それにあやかりたい、というほど積極的ではなかったものの、死ぬまでに一度は和泉国を見てみたいと孫一郎は常々思っていた。その絶好の機会が訪れたのである。断る理由はなかった。


 そして三日後の朝早く、孫一郎は旅に出た。会津から街道を越後に抜け、そこから海沿いに南下して京、大坂、和泉へと至る経路をたどる旅程。寂しさも悲壮感もない、意気揚々とした旅立ちであった。だから心配した父親が密かに守人をつけた事など、まったく気付いてはいなかった。

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