派遣メシ友
白野よつは
■第1話 1-1
ああもう。これで今月、何度目だよ……。
桜吹雪が舞い散る中、顔を俯け猫背で歩きながら、
ぼさぼさの髪の毛をわしわし掻きつつ、陽史はたまらずチッと舌打ちする。
「いいな、お前らは。ただ回ってればいいんだから。ちくしょう、俺も桜になりてえ……」
二ヵ月ほどの長い春休みもそろそろ終わりを迎える三月下旬。陽史が昼日中から閑散としている大学構内をふらついているのには、のっぴきならない事情があった。
今月に入って始めたバイトは全部で四つ。居酒屋に本屋に、宅配便の仕分けに映画館のフロアバイト。比較的軽作業と言って差し支えないのは、本屋と映画館フロアだろうか。しかしそのどれもが一ヵ月も持たず、早い話が文無しに近い状態だったのだ。
先月のバイト代も雀の涙程度だったし……。まあ、簡単に辞める俺が悪いんだけど。
陽史は昔から、根性なしのところがある。
逆上がりができないことをからかわれ、悔しくて練習するものの、手の皮が剥けてしまうと燃え上がっていた悔しさも負けん気も途端に萎んでしまい、できなくてもいいやと諦めてしまう。漫画家に憧れて絵を描いても一ページ目の一コマも描けずに断念。読んだ小説が面白くて小説家になりたいと思っても、短編すら書けずに同じく断念。
これではいけないと思い、根性を鍛え直すために中学では野球部、高校でも野球を続けようとしたが、中学時代にはあまり感じなかった上下関係や練習の厳しさ、先輩には必ず大声で「押忍!」と挨拶しなければならない、なんていう細かな変なルールがどうも体に馴染まず退部するなど、ヘタレたエピソードなら数多く持っている。
それでも何人か付き合った彼女はいた。けれど、しばらくすると「陽史には自分の考えがないの⁉」と最後は決まってキレられフラれてしまう。最初の頃はあんなに「陽史は女子に合わせてくれるいい彼氏だよー!」とベタ褒めしていたというのに。
私にばっかり考えさせていないで、たまには自分でデートプランを立てたらどうだ、ということだったのだろうか。でも、最初に向こうが言ったんじゃないか。今日は美味しいハンバーガーを食べに行こうと誘ったら、「えー、私、そろそろ秋物の服が見たいと思ってたんだよねー」って。自分の考えを言ったら女子はすぐこれである。だったら自分はどうするべきだったのか――考えたが、陽史は未だにその答えにたどり着けていない。
それはともかく。
今月のバイト代も目に見えている状態では、四月からの生活もままならないことだけは確かだ。新しくバイトを探さなければ食費だって賄えないし、学食の日替わりA定食360円(安いくせに絶品)すら、食べられなくなってしまうかもしれない。
大学進学を機に一人暮らしを始めて二年。親からは毎月、決まった額の仕送りをもらってはいるが、正直、家賃光熱費を払えば二万程度しか残らないので厳しいのだ。
今日、陽史が大学に出向いているのは、そういう事情だった。生憎と言うべきか、幸いと言うべきか。なにしろ時間だけはたっぷりあるので、構内のアルバイト掲示板で自分にもできそうなバイトはないか探そうと思ってのことである。
「って言っても、なかなかなあ……」
就職課が入っている棟の外の掲示板に貼られているアルバイト求人を一つ一つ確かめていきながら、陽史はううむ、と顎を撫でつつ首をかしげるばかりだった。
ガラスケースの中に行儀よく陳列された高級貴金属よろしく魅力的な求人は、企業からのものや就職課の職員が企業開拓して得たものばかりなので、信頼性もあり高時給ではある。しかし、ちょっと嫌なことや辛いことがあるとすぐに辞めてしまいがちな陽史にはどれも敷居が高いように感じられ、なかなか食指が動かないのが現状だった。
「あーあ、どっかに楽で割のいいバイトはないもんかねー」
ついには本音がダダ漏れる。んなもん、あるわけないのはわかっているけれど。
――と。
「ん?」
陽史の目は、掲示板の左端、ガラスの上に無造作に貼られた一枚の紙に止まった。つむじ風が起きるようなやや強めの春風に紙の四辺が煽られ、ビタビタ音を立てる。
「《派遣メシ友募集》? なんだこれ?」
近づき、A4のコピー用紙に書かれたそれをまじまじ見てみると、そこには聞いたこともない文言が並んでいた。筆ペンでデカデカと書いた、お世辞にも味があるとか上手いとか言えない汚いその文字の下には、条件として【成人済み】とある。
あとは【文字通りの〝美味しい〟バイトです】という一言コメントのみ。話を聞きたくば【詳しくは文芸学科別棟の住人まで】だそうで、この時点ですでに怪しさ満点である。
第一、掲示板のガラスに直接貼られている時点で正規の募集じゃないことは明らかだった。しかも〝文芸学科別棟の住人〟って……。ますます怪しい匂いしかしてこない。
通常、バイト情報は、就職課の職員がその都度掲示板を貼り替え常に最新のものに更新している。職員が見つけたら速攻で剥されごみ箱行きだろうに、〝別棟の住人〟とやらは一体何を考えているのだろうか。掲示板の賑わいか、単なるいたずらか。とにかく、胡散臭くてたまらないそれからいったん目を離すと、陽史は再び正規のバイト情報の中から自分に合いそうなものを探すため、ガラスの中の募集要項と向き合うことにした。
「おぶっ⁉」
しかし直後、ひときわ強く吹いた風に貼り紙が飛ばされ、陽史の顔面に張り付いた。耳の間近でビタビタはためくそれを引き剥がすと、陽史は肩で大きく安堵のため息をつく。
死ぬかと思った……。
いや、紙が顔に張り付いたくらいで死にはしないが、焦りはする。もし誰かに一人で焦りまくっている様を見られでもしたら、不運ってやつをちょっと呪うかもしれない。
とはいえ。
「なんなんだよ、ったくもー……」
陽史は手の中に収まった紙を見つめ、途方に暮れた。【文字通りの〝美味しい〟バイトです】のコメントには心惹かれるものがないわけではないが、なにしろ《派遣メシ友》なんて聞いたこともないし、にべもなく一番怪しいのは〝別棟の住人〟とかいう人物だ。
下手くそな字を見るに男子学生が書いたものなのだろうが、名前がないのでどんな人物なのか判然としない。そこがまず、ひとまず話だけでもと思う心に二の足を踏ませる。
もし仮に強面で腕っぷしの強そうな男が募集していたのなら、昔から根性なしの陽史には、たとえ自分には合わないと思ったところできちんと断れる気もしないのだ。
でも手書きだし、こういうのはなかなか捨てにくいよなあ……。それにぶっちゃけ〝メシ〟で〝美味しい〟+バイト代も貰えるなら願ったり叶ったりなんじゃないか? 食費も浮くし、入ったバイト代でちょっとした贅沢ができるかもしれないし。
陽史はしばし下手くそな字で書かれた紙と見つめ合いながら、怪しいと思いつつも徐々に《派遣メシ友》とやらに惹かれていく(釣られるとも言う)自分を自覚していく。
「――よし!」
やがてたっぷり五分は考えてから、陽史はぽんと自分の膝を打った。
とりあえず話だけでも聞きに行ってみるか。もし断りきれずに始めることになったとしても、合わないと思ったらいつものようにすぐに辞めればいいだけなんだから。
持ち前の根性なしが、このときばかりは陽史の背中を押してくれたような気がした。
そうして陽史は、足を一路、文芸学科別棟へ向かわせることにした。
このキャンパスには、広い敷地内に学部棟が三つある。その中の一つが芸術学部棟で、文芸学科は映像や写真、映画に美術、音楽や演劇などに分かれている学科の一つだ。
陽史はひとまず、そこのデザイン学科に籍を置いている。高校で野球部を辞めたあとに入ったのがいわゆる〝パソコン部〟というやつで、そこで陽史はパソコンを使って人物や建物、背景などのデザインをすることにハマっていったのだ。「俺は将来、これで食っていくんだ」と言えるほどの情熱があるわけではないが、ゆくゆくはどこかのデザイン事務所に拾ってもらえたらいいなという他力本願なことは常に思っている。
進路を決める際、専門学校も視野に入れていたが、親に「せっかく大学に入れる頭を持ってるんだから、大学は卒業しておいたほうがいいんじゃないか」と言われ、それもそうだと思い直した結果、今の体たらくな陽史が出来上がってしまったというわけである。
「……ここ、だよな?」
しばらく歩くと、大きな芸術学部棟の裏手側に、貼り紙の通り《文芸学科別棟》とプレートの掛かった建物が見えてきた。小ぢんまりしたそれは、陽史の目にはどうにもプレハブ小屋のようにしか見えないが、別棟と言うからには別棟なのだろう。あらゆるサークルが雑多に詰め込まれ、常日頃から物に溢れて雑然としている小汚いサークル棟からも追い出されてしまったような印象を受けるのは、きっと陽史の気のせいに違いない。
自分も出入りしているのに、学部棟の裏手にこんなものがあったなんて知らなかった。
ともかく、陽史は持ち前の根性なしを頼りにプレハブ小屋のドアを叩く。
「ごめんくださーい、貼り紙を見て来たんですけどー」
話を聞くだけ。合わなかったら辞めればいい。そんな軽い気持ちで中に声をかける。
と。
「待ってたぞ同志! 貼り紙ということは《派遣メシ友》の件だろう? ったく、何度貼ってもいつの間にかなくなってるから困っていたんだ。もう少ししたらまた貼りに行こうかと思って準備していたところだったんだが……それを持ってるってことは、お前も相当
ドアがバインとしなりながら開いたかと思えば、中から出てきたのは学生にしてはだいぶ歳が行っているように見受けられる男だった。声も上げられずに目を瞠る陽史の顔面近くで興奮に頬を上気させながら一息で言い切ったその男に、陽史は圧倒される。
っていうか、何度貼ってもいつの間にかなくなってるってことは、その都度誰かが剥しているからなんじゃないだろうか。――例えば就職課の職員とか。
陽史はたまたま風に煽られ剥がれるところを目の前で見たわけだが、そういえばここ一週間ほどは春の好天に恵まれ、風も爽やかで花見にはもってこいの陽気だった。
厄介な人に捕まってしまったかもしれない。陽史は早々に自分の浅はかさを思い知る。
しかしながら、陽史には「すいません間違えましたー」と踵を返す勇気もない。「とりあえず入ってくれ!」と至近距離なのにやたらと声を張る男に抱えるようにして背中を押されつつ、陽史は招き入れられるままにプレハブ小屋の中へと足を踏み入れた。
「すまんな! 今、座れるところを用意する!」
「は、はあ……。あ、いや、お構いなく……」
「そういうわけにはいかないだろう! おもてなしだ、お・も・て・な・し!」
「……」
こういうときに使う言葉だっけ? いや違うな、絶対に。
というわけで、中は明らかに濃密な生活感で溢れ返っていた。敷きっぱなしの煎餅布団に、ロープに吊るされた服やパンツ。そのうち雪崩が起こること必至の、何個も積み上げられたカップ麺の空き容器に、飲み散らかされたままのペットボトルや紙パック……。なんならちょっと、ごみと男臭が混じり合った匂いもするかもしれない。
まさかここに住んでいるんじゃ……?
ごみの山をあっちへこっちへ移動させるだけで、その実、一つも片付いていないながらも、なんとか座れるスペースを作ろうとしている男に不信感しか湧かない陽史だ。
「……て、手伝いましょうか?」
たまらず申し出ると、男は振り向きざまにニッと笑った。
「ん? いや、もう終わるし大丈夫だ!」
いやいやいやいや、全然終わってないから! むしろ散らかってるから‼
どうやら本当に厄介な人に捕まってしまったらしい。陽史は再び途方に暮れる。
しかし陽史の根性なしは、こういうときには発揮されない。もし顔を覚えられて構内を探し回られでもしたら。そう思うと恐ろしさしかないし、この人ならやり兼ねないと思わせる何かが、片付けと称した散らかしを続ける男の背中から感じるような気がする。
結局陽史には、それからしばらく、玄関と思しき靴が脱ぎ散らかされたままのドア付近で所在なさげに突っ立ったまま終わらない片付けを待つしかなく――。
「じゃあ、改めて。まずは自己紹介といこうか!」
煎餅布団の上で向かい合った男に「……はい」と力なく首肯したのだった。
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