2-4.外科女医 笹山ゆみ Emergency Doctor 救命医

 奥村優華おくむらゆうか彼女は私の3歳下だ。しかし時に彼女の存在は私よりも大きく感じる時がある。

 大学も同じ大学だった。そして私が初期研修を終えた1年後彼女は私のいる病院に研修生として来た。その時までの彼女はどちらかと言えばしおらしい感じの子だったと記憶にある。彼女とは大学時代からの付き合いだ。付き合いと言えば彼奴も彼女、奥村優華とは顔なじみだった。

 私が彼奴の背中を追う様にいつしか優華も、あいつの背中を追う様になっていたとは思ってもいなかった。

 フェローとして彼奴と共にオペに入る事があの時の私の喜びでもあり、最も私としての実践的な鍛錬の時でもあった。

 あいつの手技は的確でしかも早かった。器具出しのオペ看が付いていくのようやくと言った感じだ。しかもちょっと口が悪い。

 あれは、昔からそうだった。真剣になればなるほどあいつの口は乱暴になる。バスケの時もそうだった。でもそんな事は彼奴のその存在感が全て打ち消していた。

「吸引。もっとちゃんと吸引しろ。クーパー、心膜切開完了、ペアン、静脈剥離……笹山グラフト採取できたか?」

「済みません、あと少しです」

「おせーぞ笹山!何時までかかってんだ!代われ」私を押しのけるようにあいつは手際よく「グラフト採取、洗浄。採取部血管縫合ヨンゼロ」針と糸、そして鑷子【ピンセット】。この三セットが彼の手の中で素早く動く。まるで刺繍を行っているかのようなその繊細な手さばき「クーパー」パチンと糸が切られ「縫合終了」

 そして側座に患部に採取したグラフトをまた繋ぎ合わせる。血管同士の縫合は外科医には必ずついてくる作業だ。その縫合が不完全だと当然そこから出血する。血管縫合は細い針を自由に自分の指さきが針の先端であるかのように繰り返し糸を通さなければならない。その血管を縫合する箇所が多ければ多いほど困難を極める。だがあいつはそんな事一切関係ない様に永遠と血管を繋ぎ合わせる。

「よし、血管縫合完了!人工心肺フローダウン。ペアン」

「フローダウン」

 血管からの漏れはなかった。「よし、完了!」あっという間の出来事の様にオペを終わらせる。そして彼奴は絶対に手を抜かない。最後まで必ず自分でやり通す。閉胸、ステープラーで最後まできっちりと自分で行い患者の様子を見ながら「終了」と脱ぎ捨てるように言い放ち、その血まみれのグローブを外す。その時が彼奴にとってこのオペが終わった事を意味する。

 その彼奴に私はもみくちゃにされながら、時には怒鳴られ、時には「どけ」とまで言われながら、必死に彼奴に食らいついていった。

 オペが終われば彼奴は必ず私を屋上に連れ出し手を差し伸べる。

 それはもう何を意味しているのはいつもの事だから解りきっている。私はポケットから煙草を取り出し彼奴の手に渡す。

 そしてそのタバコを加え「ふぅ―」と白い煙を吐きだし、その後必ず私の口にその煙草を押し付けつようにねじ込ませる。そして又もう一本加え火を点ける。

 毎回の事だった。そんな時、彼奴は私にいろんなアドバイスをそれとなく話してくれる。

「笹山、しばらくは鶏肉料理が続きそうだな。それとも豚のハツ料理か? まぁどっちにしてもまだお前の手は固すぎる。もっと柔軟さがなければいけない」

「はぁ―、この前肉屋さんで、ほんとに鶏肉好きなんだねって言われたばかりですよ」

「あははは、そりゃいい。その肉屋、お前はいいお得意さんだ。それがいつまで続くかはお前次第だけどな」

「う――っ。たまにはステーキ食べたい!」

「まだまだ。鳥肉ステーキで我慢しろ」

「……嫌だ!もう鶏肉食べ飽きた」

 頑張れ笹山……ポンんと私の頭に手をあてがい頭をなでてくれた。

 そんな私達の中に優華は飛び込んできたのだ。

 彼女が初期研修を終えた頃にはあの以前のしおらしさは消えていた。

 その代わり、何か一点を見定めて、そしてそれが決まれば無言で体を手を頭を動かすと言った感じに変わっていた。

 優華も彼奴と共にオペに入るようになると、瞬く間に彼奴のその手技を盗み出す様に自分のものにして行った。それは盗みの才能が優れていたと言うほかなかった。

 あっという間に私は追い抜かれてしまった。

「お前、奥村に越されたな」

「い、言わないでよ……かなり気にしてるんだから」

「そうかァ……、俺にはそんな風には見えんけどな」

「じゃぁどう見えてんのよ?」

「な――ンにも見えてない」

「なにそれ?」

 彼奴は笑い飛ばし、私を馬鹿にした様に思えた。ちょうどその頃私は奥村優華も彼奴に特別な想いを寄せているんじゃないかと、疑心暗鬼になっていたのは事実だった。手技の先を越されたことよりも、そっちの方が私にとっては心配であって悔しさが湧き出ていた。

 奥村優華は、彼奴の手技を全て吸い取り、そして彼の心までも吸い取るんじゃないかと、そんな想いばかりが募っていた。

「ねぇ、奥村先生の事あんたどう思ってんの?」

「ん? 気になるか?」


 ……まぁ、ね


「この前俺と付き合うかって言ったら奥村、即決で返して来たよ」

「え!そんな事言ったの? で、なんて言って来たのよ」

「あ、ああ……。そっちの方では先生には全く興味はございませんだってよ。俺、フラれちまったよ」

「はぁ――っ」此奴は何なんだ!奥村先生から手を出されるんじゃないかと心配していたんだけど、こいつから声を上げるとは。それであっさりと興味ございませんと言われてしまった彼奴は何なんだ……それを言うなら私は本当に何なんだろう? 彼奴までも取られるんじゃないかと心配していた自分がいささか馬鹿らしくなった。

 そしてあいつはいつもの様に手を出して私から一本の煙草を奪い、口にくわえ火を点けた。

「奥村のあの手の器用さは生まれ持っての才能だろう。あれは外科医にとって強い武器だ。そして彼女は外科医に必要な貪欲さを持ったんだ。何でも自分の肥やしにしようってな。冷静だよ彼女は、そして何でも自分の物にするためにその努力を惜しまなかった。ただそれだけだと思う」

「ただそれだけって……それじゃ私なんか敵わないじゃない。もう先越されて、このまま私は置いてきぼりにされるんだ」

「多分な……お前の敵う相手じゃない事は確かだ。真正面から体当たりをすればな。しかし彼女には大きな弱点がある」

 弱点? 相手の弱みを訊いてその隙をつく。いささか汚いやり方だが、後輩に追い抜かれた私が彼女と同等、もしくは追い越すのには必要な情報かもしれない。興味は物凄く沸いた。

「弱点って……?」

「教えてほしいか」

「……うん」

「お前だよ、お前が弱点」

「え!、私、どうして?」

「そ、彼女の弱点はお前。初めは奥村も俺の後を必死についてきていた、そして俺から吸い出せる技術を物凄い勢いで吸い出した……と言うよりはまねてそれを実践したんだ。それが自分の技術となって今の彼女の手技は格段と向上した。しかも冷静沈着と来ている。不測の事態が起きても彼女は決して慌てる事は無いだろう。それは医者にとって、特に外科医、執刀医にとっては必要不可欠だ。だがそれが最大の弱点となりうることもある。そう、彼女は自分の……己の型にはまりすぎているんだよ。もしその型が少しでも崩れたら彼女自身も崩れるだろう。だがお前は違う。自分の型など元から無いのも同然だ。それが柔軟さがあるという事ではない。その人の秘めたものだ。どんな時でも前に進もうとする貪欲さと失敗を恐れ、その失敗に向かう勇気を持つて進もうとする気持ちが奥村には欠けている」

「それって弱点と言えるの?私がただ単に無法図な医者である事を言っているだけじゃないの?」

「そ、しゃがんでスカートを広げて煙草を吸う、ヤンキーな女医にあこがれているんだよきっと」

「ばか!」

 彼奴と奥村先生と私とプライベートで3人で話したことは数回しかない。それでも彼奴が言っていた事を理解できていたのような気がする。


「ペアン、大動脈遮断。オペ室準備できている?」

「はい、心臓外科の先生が今待機なさっています」

「分かったわ、このままオペ室に、すぐに人工心肺に切り替えて損傷した大動脈の修復術を行います」

「ちょっと待って、このままじゃ心臓がもたない。輸血全開にして、ペアン、あと輸液チューブの両端に針付けて」

「バイパス?」

「そ、時間稼ぎにしかならないけど、これならある程度血液循環は確保できるでしょ。人工心肺を装着するのに少し時間がかかるからね」

「あなたらしいわね。まんざらため息の日も悪くないんじゃない? 笹山先生」


 そう彼奴が言っていた奥村先生の弱点……彼女は彼奴じゃなくて、この私に興味を持っていた。それがどういうかたちのものかは、彼女自身から聞かされたことは今まで一度もないけど、多分……だと思うのは私の勝手な想像だろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る