第49話 いつか会える

***


 夢か現か、定かではなかった。朝日の中、再会を口にした彼女の、ぞっとするような美しさが目蓋の裏に張り付いたままだった。


 いつか教典を読み聞かせてもらったとき、死後の世界を知った。この世界で罪と苦しみにまみれた人間でも、祈りを絶やさなければ神は気付いてくれる。その美しい世界へ連れて行ってくれるのだと。


 先に行って、祈っていよう。そして待つのだ。エイラがいつか老いて、ずっと後になってその世界へやってくるのを。


「だから、また逢えます」


 重い身体を起こし、そっと祈る。今日の午後の祈りの鐘。その直後に第一陣が城壁を攻める。


 イグとロタのいる本隊は城門が陥ちたのを見計らって内部の皇帝私兵を減らす。イグは、アスタルから情報を得ているようだったから、最後は彼の指示に従えばいい。もちろん、その瞬間まで自分が生き残っているかは神のみぞ知ることである。


 綿の下着を着る。そこに、柔らかくなるまで着慣れた上着を重ね、皮の腰当てをつけていく。喉も守り、さらに肩と胴に防具を付ける。鉄の防具の多くは、傭兵時代に仲間から譲り受けたものだ。下級騎士にしてはなかなかの装備だろう。幾度も人の血を浴びた鎧を次々に取り付けていく。最後に、剣を下げる。少し怖くなって柄に触れると、指に馴染んだ皮の感触がした。心が凪ぐ。


 外に出ると、爽やかな風が、短すぎる夏の終わりを告げていた。揺れた髪が頬に触れる。


 アスタルの助力というものは本当に恐ろしい。これほどまでに下級騎士たちがざわめいているのに、上層の者へは何も伝わっていないようだ。これほど早く全ての手筈が整ったのも、アスタルの力によるところが大きいだろう。立ち並ぶ粗末な宿舎の隙間から漂う戦闘の前の興奮した空気の匂いに、背筋がぞくりとざわめく。


「ロタ!」


 声のした方を振り返ると、イグが騎士の合間を縫って駆けてきた。通り過ぎるイグを、周りの下級騎士が熱のこもった眼差しで見つめている。いつの間にか、彼は下級騎士たちの中で大きな存在になっていた。熱と希望が、人の形をとっているようにも思える。イグはすでに、イグ自身のための存在ではなくなっていた。反乱の首謀者ともなれば当たり前なのかもしれないが、なぜか空恐ろしい。今、彼の表情に危ういところは少しもなかった。自信に満ち溢れた、真っ直ぐな瞳。それもまた、かえって恐ろしい気がするのは、きっと自分が弱いからなのだろう。彼は、凛々しい眉に明るい驚きを滲ませ、ロタを眺めた。


「やっぱり、お前は戦いの装いも綺麗だ」


 ロタと同じように、しかし、より堅固に鎧をまとったイグの姿は、はじめて会った時と違わず、優しい青年のままだった。


「そうかな」


 自分には、汚れた鎧をまとった自分は、みすぼらしい下級騎士にしか見えない。うつむくロタの顔をくいと指で掴むと、イグは突然ロタの唇を塞いだ。思わず身体を固くする。一瞬、目が眩む。


「な、何を」


 慌てて周りを見回すと、他の騎士たちが驚いたようにこちらを見ていた。かっと顔が熱くなる。イグは、周りを気にした様子も見せず、ロタの髪を指で梳く。黒髪の下に強く光る黒い瞳が、ロタを捕らえて離さない。


「お前がいれば、俺は強くいられる」


「……イグ、君は」


「一緒に戦ってくれて、ありがとう」


 ゆっくりと、笑みを作る。イグが望むなら、こうするしかないのだ。祈りの鐘まで、あと僅かだ。

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