第13話 友を探して

 ***


 石の回廊に白昼の日差しが差し込む。冷えた空気はあまりに透明で、陽の温かさは地に吸い込まれてしまっていた。前を歩くアスタルの足音は、苛立ちを表すように激しく床を叩いた。だが、すぐ後ろをついて歩く自分の鼓動がいやに速いのは、その歩みに合わせているから、というわけではないことも理解していた。屋敷の居室に戻り、アスタルは乱暴に扉を閉めた。


「くそったれ」


 会議中に保っていた穏やかな仮面をかなぐり捨て、アスタルは低く唸った。


「なんて無能な、無駄なことを!……とにかく、これで僕の計画の一部は使い物にならなくなった。いや、もっと悪い。向こうは僕が裏切ったとでも勘違いするかもしれない。……何年分後退するか」


 聖戦の決行が十日早まったことで、アスタルが綿密に立てた計画に歪みが生じた。軍部は既に決まったことのように言っていた。しかし、この急な変更が偶然か、それともアスタルを快く思わない者が感づいたのかはわからない。


 アスタルは倒れこむように椅子に座ると、頭を抱えた。


「エイラ、」


「はい」


「今日はもういい。……しばらく一人になりたいんだ」


 一礼をして、部屋を出る。そして、おかしいほどに打ち続ける胸を抑えて壁に手をつく。考える順序が間違っているとはわかっていた。臣下として落ちてはいけないところまで、自分は落ちてしまった。


 わかっていても、ロタを案ずる気持ちがどうしても止められない。


 聖戦は十日早まった。つまり明日の朝には、ロタはダナイの占領地へと発つのだ。傷はもういいのか。男の騎士の中で、無事でいられるのか。そもそも、負けがわかっているような戦いで帰ってこられるのか。


 恐ろしさが腹の底からわき起こり、吐き気となって口元にこみ上げる。暴れる気持を必死に押さえ付けると、エイラは口を引き結び、傾き始めた午後の光の中を駆け出した。


 下級騎士の宿舎は宮殿から少し離れた林にある。木造の粗末な小屋が立ち並ぶそこは、明日の出陣を控えたおびただしい数の下級騎士達で溢れかえっていた。各々装備を磨き、物資を馬車に積み上げる。奥の練兵場からは馬のいななきが冷えた風に乗って聞こえてくる。


 エイラは、黒い外套を身体に巻き付けるようにして騎士の間を縫った。がしゃがしゃとうるさい鎧の音と大きな体躯の隙間を見回し、亜麻色の髪を探す。まともに前を見ずに走ったせいで、何度か鎧にぶつかった。見下され、邪魔だと追い払われる。悔しがる暇はなかった。ただ、その中にいるはずの彼女の姿を見つけたかった。

 騎士の青年に声をかけられたのは、エイラが何度目かに躓いたときだった。


「おい、嬢ちゃん」


 よろめいた身体を足をついて起こし、声の主を探す。周りが忙しげに働く中、その青年は火薬が入っていると思しき樽にのんびりと掛けていた。


「……私のこと?」


「ああそうだ。ここは騎士の宿舎だぜ? なんで嬢ちゃんみたいな可愛い娘が走り回ってるんだい」


「……人を探してるだけよ」


 エイラが睨むと、青年は気だるげに立ち上がり歩み寄ってきた。思わず後ずさる。しかし、背には宿舎の壁が邪魔をして下がれない。青年はニヤリと笑って少しかがみ、視線をエイラの高さに合わせた。


「こちとら聖戦に向かう身だ。生きて帰れるかわからんとなれば、その前に楽しみたいと思う奴らもいるかもしれないだろ?」


 青年の狙いを悟り、エイラは一つため息をついて腰の剣を抜いた。青年が一度瞬く間に喉元につきつける。


「つまらないことを考えるな。生きて帰れる可能性を今ここで消してほしくないなら」


言いながら外套の内側につけた紋章を見せる。青年は観念したように眉を下げ、大げさにため息を付いた。


「おいおい、嬢ちゃん、最上級かよ……」


「私がここにいることを口外せず、協力するというなら先ほどの無礼は不問に付す。いいわね」


 しぶしぶと頷いた青年をもう一度睨み、突きつけていた剣を収める。すると青年はほっとした表情でこちらを見た。


「で、嬢ちゃんのお相手ってのはどんな男だ」


「お前、名は?」


 青年は呆れたように肩をすくめる。


「話聞いてたか? 俺はあんたの探してるやつのこと聞いたんだ」


「私が名を聞いている。答えなさい」


 ますます肩をすくめ、青年は空を見上げてため息を付いた。歩き出したエイラの隣についてくる。


「最上級の騎士ってのがまっさかこんな偉そうだとはな。見た目は可愛いくせして」


「名は」


「……フレック。で、嬢ちゃんは?」


「そうか。私が探しているのは、」


「ほんとに人の話聞かねえな」


「亜麻色の髪の女騎士だ」


 フレックの眉がぴくりと動いた。


「ああ、ロタか」


 その名を聞いた途端、胸が激しく打ち始めた。思わず身を乗り出し、青年の腕を掴みながら問いかける。いつの間に風が雲を運んできたのだろうか、白かった日差しは隠され、代わりに灰色の薄暗さが辺りを照らす。


「知ってるの? ねえ、ロタはどこにいるの、教えて。お願い」


 フレックはエイラの突然の変わりように驚いたのか、目を何度か瞬かせた。彼の手を掴む手に力がこもる。自分の手が震えていることにも、気付いていた。


「……あいつなら、いつの間にかいなくなりやがったぜ。自分の支度は終わったからって」


「それはどこ!?」


 噛み付くように問う。エイラの剣幕に押されて、フレックは一歩後ずさった。


「知るかよ」


 手から力が抜け、フレックの腕を離す。これだけの人の中から、ロタのことを知っている人と出会えたというのに、その人すらロタの居場所を知らない。このままでは、日が暮れる。ロタに会えないまま、皇都騎士団は聖戦へと発ってしまう。悔しさが熱さと一緒に喉元にこみ上げた。その熱が目から零れないよう、必死で押しとどめる。


「……嬢ちゃん、ロタの妹かなんかか? 全然似てねえけど」


 無力感が全身を包み、一歩も動けない。せめて彼女が発つ前に、一度あの目を見たかった。それだけの小さな願いすら叶わないのか。ロタといたときにも感じた透明な悲しさが胸を満たしていく。


「お前はどうしてロタを知ってたの」


「いや、どうしても何も、宿舎の部屋が隣だからな」


 それを聞いて、エイラははっと顔を上げた。女慣れしていそうなフレックの声を思い出して、思わず睨みつける。


「隣……? まさかお前、ロタに何かしていないだろうな」


「は? 何言ってるんだ」


 フレックは訝しげにエイラを見下ろした。


「私に働いた無礼、不問に付すとは言ったが忘れてはいないぞ」


 そうエイラが言うと、ようやくこちらの不安が腑に落ちたというようにフレックは笑い出した。ひとしきり笑ってから、腹からくつくつとこみ上げる名残を押さえつつ、口を開く。


「俺が、ロタに? 何かあるわけもないだろ。あんな女らしさの欠片もない奴、誰が」


そう言ってまた笑い出すフレックを見ていたら、不安は解消されたのにもかかわらず腹が立ってきた。背伸びをして胸ぐらを掴み、下に引き下ろす。


「ロタを笑うな」


「……へえ、下級騎士にずいぶんご執心じゃないか」


 皮肉混じりの声音が、やけに癇に障る。会えないことに、焦る自分がもどかしい。

 自分の無力を知りながら、まだ諦められずにいる。


「大切な友だ。お前などに笑われる筋合いはない」


 フレックは一呼吸の間エイラを見つめて、口調を和らげた。


「……わかった。悪かったよ。あいつは確かに色気は無いが、良い奴だ。……そういえば」


 何かを思い出したように、フレックが瞬く。


「ロタがいつも行ってた『用事』ってあんたのことか。さっきも会えるといいなって言ってたな、確か」


 雲に隠されていた陽が、再び降り注ぎ始める。あと数刻もすれば、白い光は夕方の紅に染まっていくだろう。そのとき、ある考えがすとんと胸に落ちてきた。


「……わかった、ロタの行き先」


「ほんとか!」


 フレックに向かって微笑む。


「うん」


 頷きながら、土を蹴った。もう一度青年の目を見る。


「フレック、ありがとう。お前の無事も祈っている」


 少し呆然としているフレックを置いて、エイラは森へと走りだした。

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