第五章 首都への道で
俺は風のように荒野を走り抜け、高く跳躍してその一撃を躱した。
鋼鉄でできたやや黒み掛かった巨大な拳が、轟音と砂塵を巻き上げて、地面に深くめり込む。
空中で身を翻した俺は、攻撃者から距離を取る形で着地した。花弁のように広がっていた萌葱色のマントが、少し遅れてまとまる。
視線の先には、体長十メートルはあろうかという、巨大な人型の物体が屹立している。
鋼鉄の装甲を四肢にまとい、淡く明滅する双眸のような機関を頭部に備えた、破壊の化身。
あれこそが、『魔術兵器・ゴーレム』だ。
今から四時間ほど前、一日宿泊した『ディケット』の街を後にした俺達は、つい数十分前に、荒野のど真ん中で『ゴーレム』に遭遇してしまったのだ。
鋼鉄の殺戮者たる彼らは、人間を発見すると見境なく攻撃してくる。
『敵である人間を殺せ』
例えその相手が、製作者と同じ魔術師だったとしても。
それにしても、こんな時にまで『ゴーレム』に遭遇しちまうなんて、我ながら何とも運がない事だ。
僅かに嘆息し掛けた俺は、突然何かが弾け飛ぶような轟音を耳にし、周囲を見回した。
音の発生源は視界の左側、二十メートル以上離れた位置からだった。地面があちこち隆起して高低差が生まれた地形故に、見通しは利かない。が、轟音が次々と発生している理由はわかっている。
あちら側では今、ジンとリネの二人が、別の『ゴーレム』と戦っているのだ。戦況を窺い知る事はできないが、恐らく問題はないだろう。
何せあちらには、あのジン・ハートラーがついているのだから。
「――!」
やや気を逸らし掛けていた俺は、不穏な気配を察知してその場から飛び退いた。
直後、飛来した巨大な鉄の塊が、いとも容易く岩盤を粉砕した。『ゴーレム』の右拳が、容赦なく叩き付けられたのだ。
土煙と岩の破片が飛び散る中、俺は冷静に後退を図る。
地面にめり込んでいた巨大な右拳を引き抜き、こちらの位置を再確認した『ゴーレム』は、拳を振り上げつつ、尚も接近してくる。
後退から一転。俺は右前方に向かって疾走を開始した。と同時に、右手に炎を集束させ始める。
再び飛来する圧砕の一撃。
しかし、俺は当然、その軌道を読んでいた。
方向転換のため、両脚に力を込めて、地面を滑るかのように急停止する。そしてすぐさま、身を投げ出すように左前方へと飛び込む。
その直後。標的を見失った殺戮の拳が、乾いた地面に激突し、轟音を響かせた。
破壊によって生じた衝撃波と砂塵を物ともせず、俺は前進する勢いを殺さぬまま、『ゴーレム』の足下へと疾走し続ける。
右手に集束させた炎はすでに、紅いロングソードに姿を変えている。
炎剣――『
『ゴーレム』の背後へ回り込みつつ、即座に向き直り、構えを取って立ち止まる。
瞬間、俺が斬り付けた部分から真っ赤な炎が燃え上がり、激しい爆発を起こした。今の衝撃で僅かにだが、『ゴーレム』の身体が振動しているのがわかる。
だが、たった一撃だけでは、巨人の身体が揺らぐ事はない。
爆煙が消え去った後、露わになった『ゴーレム』の右脚は、装甲の一部が少し抉れただけで、完全に破壊するには至っていなかった。
「くそっ、古びてるくせに相当な強度だな……。何百年も経ってんのに脆くなってないって、どういう素材でできてんだよ」
誰にともなく愚痴を零しながら、俺は右手の『
炎剣が放つ爆発の威力では、あの鉄の塊を破壊するのは難しい。ならば、別の手段を使うまでだ。
即座に思考を切り替え、俺は両腕を大きく広げ、水平になるように構えた。
すると俺を取り囲むように、激しく燃え盛る炎の渦が発生し、二メートルほど離れた頭上に向かって集束し始める。
虚空に浮かぶ炎の球体は、まるで夜空に浮かぶ満月のようだ。
「今度はとびっきりのヤツを喰らわせてやるぜ!」
こちらへ向き直った『ゴーレム』に、俺は強烈な笑みを混ぜて告げた。
危険を察知したかのように、『ゴーレム』はその巨大な鉄拳を浴びせるため、地響きを立てながら向かってくる。
しかしやはり、動作の完了は俺の方が早かった。
破壊の力が濃密なまでに凝縮された炎の球体の下で、俺は敵を見据えつつ、大声で咆える。
「『
口上を合図に、炎の球体は轟音を上げて弾け飛ぶと、無数の火球へと姿を変えた。そして夜空を駆ける流星群のように、次々と『ゴーレム』の許へと飛来する。
鋼鉄の身体に降り注いだ無数の火球は連鎖的に爆発を起こし、強固なはずの装甲を、まるで砂糖菓子のようにいとも容易く吹き飛ばしていく。
火球の流星群が消え去った後、残ったのは大部分の装甲を消失した、『ゴーレム』の骨組みのような身体だった。
ここまで追い詰めれば、後は一撃で事足りる。
俺は高く跳躍すると同時に、右手に炎を集束させ、再び『
炎剣を上段に高く構え、落下の速度を乗せた斬撃を放つ。
「うおおおおぉぉぉっ!」
骨組み状態となった『ゴーレム』の頭上から、股の間まで真っ直ぐに線を引く。
俺が地面に着地すると同時に、発生した爆炎が巨人の骨組みを左右に分断した。
崩れ落ちてくる無数の瓦礫が、激しい轟音と共に砂塵を舞い上げる。
俺は短く息を吐いて立ち上がり、右手の炎剣を消滅させた。そして、眼の前に転がる敵の残骸に、焦点を合わせる。
すると、その中のある一点が、淡い光を発していた。歩み寄り、邪魔な残骸を退けると、そこには綺麗な瑠璃色に染まった、正方形型の石があった。
掌に収まる大きさのそれを、俺は慎重に拾い上げ、改めて観察してみる。
この石こそが、『ゴーレム』を動かす源となっていた『導力石』だ。こんな小さな物が、十メートルもある巨大な鉄の塊を動かしているのだから、何とも凄まじい力を持った石だと言える。
『ゴーレム』を破壊して活動が止まった『導力石』は、暴走の危険性がないため、素手で触っても問題はない。これを『ギルド』に持っていけば、討伐の証として扱われ、引き換えとして褒賞金を受け取れるという訳だ。
ちなみに『導力石』の引き換えは、正規のギルドメンバーでなくても行う事ができる。故に俺を含め、資金稼ぎのために『ゴーレム』討伐を行う者は多い。
尤も俺の場合、例のギルドメンバーとの衝突以降、やや敬遠しがちになってはいたが。ま、背に腹は変えられないって所だ。
適当に考えつつ、腰に下げてある革製の道具袋に、石を押し込んだ直後だった。何かが崩れるような轟音が、再び俺の耳に響いてきた。
音源の証として、少々離れた位置で、随分と高く砂塵が巻き上がるのが眼に留まる。あの方向は間違いなく、ジンとリネがいるはずの場所だ。
……まさか、苦戦してたりなんかしないよな? ジンが、高が『ゴーレム』一体に遅れを取るとは思えないが、今回は足手まといになりそうな同伴者が一人いる。絶対に大丈夫だと楽観視するには、些か材料が心許ない。
最悪の事態を想定しつつ、俺は疾走を開始する。
視線の先では、陽射しを遮るかのような砂塵が、未だに舞い続けていた。
◆ ◆ ◆
「――こっちも今片付いた所だ。悪いな、心配させてしまったか?」
俺が二人の許へ到着した時には、すでに『ゴーレム』は微動だにしない残骸と化し、辺りには静けさが戻っていた。剣を鞘に収め、瓦礫の中から『導力石』を探していたらしいジンは、駆け付けた俺を見て、労うかのように微笑んだ。
どうやら結果的に、俺の不安は杞憂に終わったらしい。ま、無用な心配だったって事か。
「えっ? あたし達の事、心配して来てくれたの?」
すると、ジンの傍らにいたリネが、やけに嬉しそうな顔をして俺に視線を投げてきた。
……確かにその通りだけど、こいつにそれを悟られるのは、何か癪だな。
「いちいち反応してんじゃねぇよ。誰がお前の事まで気に掛けるかってんだ」
段々固定化されてきたやり取りを、俺が平常通り披露してやると、リネも例の如く、白い頬を膨らませるという、わかりやすい不満の表し方で応じてきた。相変わらず、子供らしさ全開である。
二体の『ゴーレム』を問題なく撃破し、俺達は再び、『首都』を目指して歩き始める。
天上に昇り続ける太陽が、間もなく正午を告げようとしていた。
なぜ俺の予感は、いつも悪い方ばかりが当たってしまうのだろう。
乾いて荒れ果てた地面を踏み締めながら、ぼんやり考え込むと、昨日の宿での出来事が、次々と脳裏に蘇る。
師匠が……ミレーナが、テロリストと通じている。現政権の顛覆を狙う一派と、関わりを持っている。
久しぶりに会った友人は、俺の代わりに師匠の行方の手掛かりを掴んでくれていた。
ただしそれは、最悪な情報と共に。
「……どういう事だよ、それ」
「どうもこうもない。今伝えた通り、テロリストと思しき人物と接触しているミレーナ・イアルフスの姿が目撃された、という事実があるだけだ」
「……嘘だ、そんなの。出鱈目に決まってる」
弱々しく否定の言葉を返すと、ジンは真剣な表情を浮かべたまま、どこまでも冷静な口調で続ける。
「目下の所、彼女は行方不明であり、『倒王戦争』以後の行動はほとんど把握されていない。そんな人物が思わぬ所で、思わぬ形で目撃されたんだ。無関係だと断じる方が難しいだろう」
「じゃあ、何か? 軍や『ギルド』の連中は、ミレーナが事件の首謀者だって言うのかよ?」
「今回の一件に、『魔術師』が絡んでいるのではないかという意見は、前々から挙がっていた。その矢先にこの目撃証言だ。仮にお前が第三者だったら、どう感じる?」
鋭い眼差しと共に指摘され、俺には反論する言葉が見つからなかった。
確かにジンの言う通り、仮に俺が第三者だった場合、きっと何の疑いもなく、『魔術師』と目撃証言を繋ぎ合わせるだろう。そうしない方がおかしいと、鼻で笑ってしまう事だってあるかも知れない。
だがそれでも、俺は鵜呑みになんてしたくない。できる訳がない。
あのミレーナが、現政権の顛覆を狙う首謀者だなんて……。
「……目撃証言があったっていう街はどこなんだ」
現実に打ちのめされ、しばらく黙る事しかできなかった俺は、絞り出すように言葉を紡いだ。
「聞いてどうするつもりだ?」
対してジンは、あくまでも冷静さを崩さない。落ち着いた口調で切り返しつつ、その碧眼で俺を見つめ返してくる。
「決まってんだろ! 俺が師匠を捜し出して、直接問い質してやるんだよ!」
「行っても無駄だ。街の中も周辺地域も、『ギルド』の人間が隈なく捜し回った。それでも手掛かり一つ見つかっていない。お前一人が加わった所で、都合良く見つかる訳がないだろう」
「……ッ!! くっそぉッ!!」
ガンッと、固く握り締めた両手で、金属製のテーブルを勢い良く叩き付ける。
どうにもならない怒りが、憤りが、胸の内から湧き上がってくる。煮え滾るような熱い感情の波を、上手く抑えつける事ができない。
「お前も疑ってるのか? ミレーナが首謀者だって……」
自分の拳に視線を落とし、気付けば俺は、責めるような口調でジンにそう問い掛けていた。
耳を塞ぎたくなるような答えが返ってくる事は、わかりきっている。だがそれでも、聞かずにはいられなかった。
重苦しい沈黙がしばらく続いてから、ジンが口を開く気配があった。
「俺はお前と違って、『英雄』達の事を詳しく知っている訳じゃない。話した事もなければ、会った事すらない。どんなに偉大な功績があろうと、俺にとってはただの赤の他人だ」
「……」
「だがそれでも、お前の敬愛する師匠がそんな人間ではない事くらい、俺にも信じる事はできるさ」
「!」
予想を裏切る言葉を耳にし、俺は反射的に顔を上げ、ジンに視線を投げた。
目が合うと、彼はいつの間にか浮かべていた柔らかい表情のまま、俺を宥めるかのように続ける。
「大体彼女は、『反旗軍』の中核メンバーとして、前テルノアリス王と戦った人間だ。そんな人間が、今更反対の陣営の者と通じる必要があるとは思えない。何か裏があると考えるのが妥当だろう」
「ジン、お前……」
「だからもう一度尋ねる。今回の一件を解決するため、俺と共に『首都』へ赴く気概はあるか?」
二つの碧眼が、こちらを真摯に見つめている。一瞬でも逸らす事が憚れるような、強い光が宿った瞳だった。
「……そんなもん、改めて尋ねられるまでもねぇ」
大切な友人からの言葉が、より一層俺の決意を固くする。
師匠に掛けられた濡れ衣を晴らす。そのためなら、できる事は何だってやってやる。
彼女に命を救われた、たった一人の弟子として。
「協力するに決まってんだろ!」
「――あっ! ねぇねぇ二人共! 川があるよ!」
一体どれくらい、思考の渦に囚われていただろう。不意に聞こえてきたリネの嬉しそうな声が、俺を現実へと引き戻した。
前方を指差す彼女の言葉通り、二十メートルほど先に、あまり幅の広くない川が流れている。川縁から対岸までの距離は、十五メートルくらいだろうか。
陽光を美しく反射させる水面に誘われたのか、リネは一人で川縁を目指して、楽しそうに駆けていく。
「もうすぐ昼時だな。休憩も兼ねて、昼食を取らないか?」
太陽が高く昇った青空を見上げ、ジンは眩しそうに目を細めながら言う。
対して俺は、前方を一瞥してから浅く溜め息を吐いた。その理由は、清らかな水と戯れている誰かさんの姿を捉えてしまったからである。
「わざわざ確認しなくていいぜ。約一名、すでにそのつもりみたいだから」
辟易している俺の言葉をどう受け取ったのか、ジンはどこか可笑しそうに、フッと軽く笑ってみせる。
そんな訳で、俺達は川縁に腰を下ろして、昼食を取る事になった。
◆ ◆ ◆
昨日の一件以後、俺達は各々で旅の準備などを済ませて、宿で一夜を過ごした。
そして今日。陽が昇り始めた頃に『ディケット』を出て、北東の方角にある『首都・テルノアリス』を目指して、ここまで歩いてきたのだ。
本来なら、『ディケット』から『首都』行きの列車が出ているはずなのだが、例の事件の影響で、鉄道は運休を余儀なくされている。その辺りはジンの談だと、連続でテロが起きる事を警戒しての措置なのではないか、という事だった。
列車が使えない以上、残された移動手段は徒歩か馬車に限られてくる。が、幸いジンが持っていた地図によれば、『首都』へは『ディケット』からなら充分歩いていける距離らしい。
俺達は相談の末、徒歩を選ぶ事にした。旅の資金を節約する、という理由からだったが、『首都』までの距離と、さっきの『ゴーレム』のような危険に遭遇する事を踏まえると、決して楽な道のりではない。
色々と面倒な旅になりそうだ、とぼんやり考えていた時だった。
「それにしても凄いよねぇ、二人とも」
色とりどりの野菜が入ったサンドイッチを両手で持ちながら、リネは感心したように俺とジンの顔を交互に見てきた。
「……何の話だ?」
俺も自分の分のサンドイッチを頬張りながら、とりあえず返事を返す。
するとリネは、その綺麗な小さい口でサンドイッチの端を
「だって、物凄く戦い慣れてるんだもん。ジンはあたしが手伝わなくても『ゴーレム』を倒せただろうし、それこそディーンは、一人で簡単に倒しちゃうし。だから凄いなぁと思って」
「当たり前だろ。俺はともかく、ジンは全ギルドメンバーの中で、五本の指に入るぐらい強いって言われてる人間なんだぜ? あんな『ゴーレム』ぐらい、お前が手伝う必要なんてないんだよ」
「あーっ、酷い! 何でディーンって、そういう冷たい言い方しかできないの?」
「事実を言ったまでだろ」
俺が冷たく突き放すと、リネはまたもや不満そうに、頬をプクッと膨らませる。……だから子供かっての。
するとそんな会話の端から、ジンは何かに気付いたように食事する手を止め、俺の方に視線を向ける。
「そういえばディーン。お前結局、『
水筒の水を飲もうとしていた俺は、ジンの質問で思わず動きを止めた。なぜなら、的確過ぎるほどに痛い所を突かれたからだ。
「それは……」
俺は言葉に詰まり、口を噤んでしまう。
ジンが口にしたその『魔法』を、俺はまだ一度も使いこなせた事がない。
『
そんな彼女から、技術を享受してもらったものの、修業を始めた十歳の頃から、彼女がいなくなるまでの五年の間、結局一度もその能力を扱う事はできなかった。
そして更に一年経った今でも、俺はまだ成功した試しがない。
「どう鍛錬しても全然上手くいかなくてさ……。我ながら、自分の未熟さが情けなくなるよ」
わざと自虐的な言葉を吐いて、俺は水筒の冷たい水で喉を潤した。
そうだ。俺はまだまだ未熟者で……、そして甘ったれなままだ。
ミレーナがいなくなってからというもの、俺は何か、自分の居場所と呼べるものが、忽然と消えてしまったような感覚に陥っている。この一年の間に、陰鬱な感情を抱くには充分過ぎるほど、俺の心は渇き切っているように思う。
「その『
俺の葛藤を知るはずもないリネは、無邪気にそんな事を口にする。
とてもじゃないが、説明する気になれない俺は、例の如く無言を貫いた。その場に少しの間沈黙が流れるが、俺は全く気にしない。
すると、そんな俺の態度を見兼ねたのか、代わりにジンが口を開いた。
「俺も話に聞いただけで詳しくは知らないが、炎の従属能力の事らしい。自然現象の炎であろうと、相手の『魔法』による炎であろうと、一度発動すれば、全てを意のままに操る事が出来るそうだ。つまり、炎を操る敵との戦いでは、ほぼ無敵と言ってもいい程の能力なんだろうな」
「……まぁ、大体そんな感じだ」
懇切丁寧なジンの説明の後に、俺は気のない言葉を付け足した。
水筒の水をもう一口飲み下しつつ、気付かれないようにリネの様子を窺ってみる。すると彼女は、ジンの説明に頷きながらも、どこか不満そうな表情を浮かべていた。恐らくその理由は、俺が自分の口で説明しなかったからだろう。
……まぁ、自分の態度が良くない事ぐらい、誰に言われるまでもなく理解してる。だけど俺は今、不満そうなリネの相手をする気になれない。
説明し難い感情が胸の辺りに溜まって、酷く気分が悪い。別段、ジンを責めようとも思ってはいないが、できれば『
「もう食い終わっただろ? ならさっさと行こうぜ」
俺は顔をしかめたまま立ち上がって、二人の準備を待たずに、背を向けて歩き出した。
酷く、一人になりたい気分だった。
◆ ◆ ◆
「……何か余計な事、聞いちゃったのかな?」
乾いた地面と砂塵が支配する荒野を、どれくらい歩いた頃だろう。やや俯いて小さく呟いたリネは、ほんの少しだけ後悔していた。さっきの内容には、あまり触れるべきではなかったのだろうか、と。
すると傍らを歩いていた銀髪の少年が、リネの言葉に反応し、声を掛けてくる。
「キミが気にする必要はない。あいつの心情に気付かず、話題を振ったのが不味かった。責められるべきなのは、俺の方だ」
「そんな、ジンは悪くないよ。悪いのは――」
「もう止そう。過ぎた事を言っていても仕方がない。ディーンには後で俺が謝っておくから、キミは今まで通り、普通に接してやってくれ。その方が、あいつも気兼ねする必要がなくなるだろうから」
「……うん」
優しげな表情で告げるジンから視線を外し、リネは一人離れて歩くディーンの背中を、そっと見つめてみた。
本人にそんなつもりはないのだろうが、彼の背中は何となく、話し掛けるなと告げているかのような、冷たい気配を発している。
(何かディーンって、あたしに対して冷たいよなぁ。受け答えは素っ気ないし、それに……)
彼にはまだ、何か隠している事があるのではないか。
『ディケット』の『ギルド』や宿でも、ディーンはジンと内密な話をしていた節がある。だがそれを二人に問い詰めた所で、恐らく簡単には教えてくれないだろう。
尤も、相手に隠し事をしているのは、こちらも同じな訳だが。
(そりゃあ、最初はうるさく付き纏ってたあたしが悪いんだろうけど……。でもそれにしたって、もう少し愛想良くしてくれたっていいのに)
その点、隣を歩いている銀髪の少年とは大違いだ。
昨日の話し合いの後、ジンとは少しだけ、二人だけで話す機会があった。その時、敬語で話していたリネに対して、彼は優しく微笑みながら、「敬語じゃなくていい」と言ってくれたのだ。
以来少しずつではあるものの、ジンとも敬語を混じえる事なく話せるようになっている。
ジン・ハートラーという少年は、本当に優しい人物である。
一人で前を歩くあの無愛想さんとは、本当に大違いだ。
◆ ◆ ◆
その後、特に何もないまま歩き続け、陽が完全に沈み切った頃。俺達は荒野の真ん中で、古びた遺跡のような建造物を見つけ、そこを今晩の野営地に決めた。
遺跡自体の広さは、小さな村一つ分くらいだろうか。敷地の所々が緑に覆われているものの、建造物などの劣化は激しく、永い年月の間に瓦礫と化した彫像や石像が、あちらこちらに散乱している。
「――昼間はすまなかったな」
リネに荷物番を任せ、月明かりを頼りに焚き火の火種になる物を探していた俺は、不意に横から聞こえた声に振り向いた。
すぐ傍にいるジンは、同じ作業を行いながら、こっちを見ずに続ける。
「お前の心情を考えずに、余計な話題を振ってしまった。俺の無神経さが招いた事だ。すまない」
「いや、別に……」
気にしてない、と素直に口にはできなかった。『深紅魔法』の事に関して、俺に劣等感があるのは確かだし、責めるつもりはないとはいえ、ジンの言動に不満を持っていたのも確かだ。
しかしだからと言って、友人であるジンとの間に、暗い雰囲気を作るのは憚られる。まだこれから先があるというのに、妙なわだかまりを抱えたまま、旅を続けたくはない。
なので俺は、鬱屈した気分を振り払うために、敢えて明るく振る舞う事にした。
「まぁ、俺が未熟なのは間違いないからな。今更気にしたって始まらねぇし、俺が努力すればいいだけの話だ。だから謝る必要なんてねぇよ」
そう言って俺は、快活にニッと笑ってみせる。
するとジンは、一瞬少し驚いたような顔を見せたが、最後にはフッと優しく微笑んでくれた。
と、その数秒後だった。不意にジンが訝しげな顔をして、何かに視線を送っている。
あまりにも突然だったため、その視線が俺以外の何かに向けられていると気付くのに、少々時間を掛けてしまった。
「どうしたんだ?」
問い掛けつつ、ジンと同じ方向に視線を向けてみる。そして俺も、すぐさま不思議に思った。
俺達からだいぶ離れた遺跡の端の方に、松明の明かりのような物が揺らめいているのが見える。あんな所に光源を設置した覚えはないし、第一あそこは、俺達が入ってきた方向とは正反対の位置だ。
つまり今この近くに、別の人間がいるという事になる。
瞬間、奇妙な感覚に突き動かされた俺は、咄嗟に物陰に身を隠した。ふと隣を見ると、ジンも同じように物陰に身を潜めている。だいぶ距離があるため、向こうの誰かに気付かれる事はないだろうが、それでもなぜか、身体が反応してしまった。
この感覚はきっと、警戒心に一番近い。
「こんな所で野宿する物好きが、他にもいるとはね。……どう思う?」
軽口を挟んでから尋ねると、ジンは若干眉根を寄せ、難しい顔を浮かべる。
「単なる旅人か、或いはそれ以外の何かか。いずれにしろ、正体を確かめたいなら、もっと光源に近付く必要があるだろう」
「だな。それじゃあ、いっちょ偵察と行きますか」
有害か無害かを、接近した上で判断する。意見が一致するのは、ものの数秒の事だった。
互いに軽く頷き合い、まるで物陰から獲物を狙う獣のように、俺達は闇に紛れながら、前進を開始した。
遠くに見える松明の明かりを頼りに、俺達は静かに、だがそれでいて素早く、闇の中を駆け抜ける。
そして、崩れた遺跡の壁に立て掛けられている光源から、五メートルほどの距離を取って、俺達は立ち止まった。丁度すぐ近くに、古びて倒壊した石の柱が転がっていたので、即座にその陰に飛び込む。
「……これ以上は近付かない方が賢明だな。ディーン、辺りに人はいるか?」
「いや、今の所――」
言葉の途中で、俺は人の気配を感じて黙り込む。
するとその直後、暗がりから光源に向かって歩み寄ってきたのは、黒い長髪を生やした三十代中頃の男だった。
俺と同じように、砂埃を防ぐための茶色いマントを着ているが、大きい荷物のような物は見当たらない。旅人にしては、少し軽装過ぎるように思う。
静かに観察を続けていると、男は不意にズボンのポケットを探り、何かを取り出した。遠目だとわかりにくいが、どうやら懐中時計のようだ。
時間を気にしているという事は……。
「誰かと待ち合わせしてるのか?」
こんな時間に、こんな場所で。
普通に考えれば、この二つを選んでいる時点で、人目を避けようとしているのは間違いないだろう。しかしだとすれば、これからここで、一体何が行われるというのか。
何となく不吉な予感して、隣の相棒に声を掛ける。
「なぁ、ジン。もしかしてあの男……」
「ああ。お前が退治したテロリストと、同じ一味の人間かも知れないな」
探るような目付きで長髪の男を見つめているジンも、やはり同じ事を考えていたらしい。
噂の真偽を王族と話し合うために、『首都』へ向かう途中で、遭遇してしまった怪しげな人物。
偶然か、或いは運命か。いずれにしろ、相手の正体を掴むためには、行動を起こすしかない。
「よし! ならとっ捕まえて色々と白状させるか」
言うが早いか、意気揚々と飛び出そうとした俺の肩を、しかしジンが強く掴んで引き戻す。
「待てディーン!」
「うわったっ……!?」
いきなりジンに制止され、ややよろめいてしまったが、何とか体勢を立て直して、もう一度物陰に身を隠した。
心臓の鼓動が、嫌な悲鳴を上げている。
「脅かすなよジン! 一体どうしたって――」
抗議しようとした俺に対して、ジンは右手の人差し指を立て、口許に当てた。静かにしろ、という事らしい。
その直後、何か硬く重い物が地面を叩いているような音が、視界の利かない暗がりの方から聞こえてきた。その律動は規則正しく響きながら、徐々に音量を上げていく。
これ、もしかして馬の足音か?
推測を立てるのと同時に、響いていた音が聞こえなくなる。恐らくは、暗がりのどこかで馬が止まったのだろう。すると今度は、ガシャという、鎧を纏った者が歩く時のような、重たい足音が聞こえ始めた。
やがて暗がりから、フード付きの黒いマントをまとった何者かが、ゆっくりと姿を現した。深く被られているフードが邪魔で、人相も性別もハッキリしない。
その人物は、長髪の男の許まで歩いていくと、辺りを見回すような仕草を見せた。
「心配すんな、俺の他には誰もいねぇ。そういう約束だっただろ?」
謎の人物に向けて、長髪の男は軽い調子で言う。
値踏みするかのような沈黙を数秒続けた後、謎の人物は黒いマントの中から、ゆっくりと右手を差し出した。よく見るとその右手は、青紫の鎧をまとっている。
鎧を着てるって事は、正規軍の人間か……?
確かに、『首都』に控える軍人なら、鎧を装着する機会も多い。だが、それだけで相手の正体を決め付けるのは早計だ。
声に出さず、心の中で呟いていると、長髪の男が苦笑のような声を漏らす。
「せっかちな奴だな。ちゃんと注文を受けたモンは持ってきた。そう焦んなよ」
そう言って長髪の男は、マントの内側から何かを取り出し、謎の人物に手渡した。
両者の間で受け渡されたのは、白い布に覆われた何か。掌から少しはみ出しそうな大きさの物体という事以外、どんな形のどんな物なのかは判別できない。
「さてと。じゃあ約束通り、報酬を貰おうか」
長髪の男は愉快そうに、ニヤリとした笑みを浮かべた。
謎の人物は、マントの中に受け取った物品を仕舞うと、無言のまま軽く頷く。
その瞬間だった。
長髪の男の身体から勢い良く、液体のような物が噴き出したのは。
「えっ――?」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
まるで全身の骨を抜き取られたかのように、力無く地面に倒れ込む長髪の男と、やや前傾姿勢で傍らに立つ黒いマントの人物。よく見るとその右手には、何かがこびり付いたロングソードが握られている。
その光景を目の当たりにし、ようやく俺の頭が理解した。
噴き出したのは長髪の男の鮮血で、黒いマントの人物が、男を斬り付けたのだと。
しばらく呆然としていた俺は、謎の人物が剣に付いた血を払い、その場から立ち去ろうとしているのを見て、やっと我に返る。
「貴様! そこで何をしている!」
ほんの僅かな差で大声を上げ、先に飛び出したのはジンだった。倒れている長髪の男の傍らへ駆け付け、脈を計って生死を確かめている。
後に続いた俺は、ジンと謎の人物の間に割り込む形で立ち止まった。
すると目の前の人物は、俺とジンを見て意外そうな声を出す。
「ほう……、こんな所に旅人がいるとはな。全く、予定通りには行かないものだ」
フードの奥から聞こえてきたのは、男の声だった。顔はまだ見えないが、ここまで近付いてみると、背格好や体型でも男だとわかる。
俺より少し高い身長。乱入者が現れたにも関わらず、大して驚いた様子もない落ち着いた声。その冷静な態度から察するに、恐らく俺とはだいぶ歳が離れているはずだ。
「あんた……、一体何者だ?」
まずは探りを入れようと考えた俺は、慎重にそう切り出した。
すると男は、落ち着き払った声で静かに返答する。
「この大陸に変革を齎す者だよ、少年」
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