雛鳥日和
ラスカル
憧れたのは空の世界!
憧れや夢、目標、あるいは趣味や部活など、人は自分が熱中できるものを持っているからこそ、自分の為あるいは誰かの為に努力することができる。
しかしそういう特別な何かは誰でも見つけることができるものではなく、なにも見つからないままに漠然も年月を重ねていく人生だって珍しくない。それを踏まえると、夢や目標を見つけることができるのは一つの才能と言えるのかもしれない。
だからこそ、きっかけなんて人それぞれ、なんでもいいのだ。たまたま目について、誰かに薦められて、テレビやなにかに影響されて…どんな理由でもいい。入り口がどうであれ、とにかく夢を持っているだけでもその人の人生はとても豊かなものとなるはずだ。
その少女が空に憧れを抱いたのは、高校受験の準備が始まる中学3年の春のことだった。春休みの間に見ていたドラマに影響されたというだけの、かなり単純なきっかけだったが、それまで部活動のテニス以外になにも興味を示さなかった彼女にとって、それが生まれて初めて描いた具体的な夢だった。
とにかく飛行機に関わる仕事がしたい。思い立ったらすぐ行動するのが彼女の性格で、中学3年最初の進路相談で突然「航空高校に行きたい」と語ったら親に頭をひっぱたかれた。
半年ほどもめにもめた末、取り敢えず高校だけは普通の学校にしてくれと頼まれ、渋々最寄りの進学校に通うこととなった。きっと高校の3年間の間で娘の夢も変わるだろうというのが両親の目論みだったのだが、結局彼女の夢が変わることはなかった。入学当初から航空大学校に進みたいと言い出し、それにむけて3年間勉強も続けた。幸い頭の出来はよく、成績のことで悩むことは一切なかった。こうなってくると両親としても彼女の夢を応援せざるを得ず、このまま彼女は航空大学校に進み、将来JALかどこかに就職するのだろうと誰もが思っていた。
そんな高校3年のある日のこと、少女は学校の帰り道でふと自分の遥か上空を飛ぶ一機の飛行機に気が付いた。よく見かけるジェット旅客機ではなく、よく見ないと見失ってしまいそうな程小さいプロペラ機。きっと今までもずっと彼女の頭上を飛んでいたのだろうが、旅客機ばかりに目がいって気付かなかった。
「空撮? それとも練習機かなぁ?」
街中で一人空を見上げて呟く。誰もが地面を見ながら歩いている中、きっと彼女の姿はひどく目立ったに違いない。だから彼もそんな彼女のことを見つけることができたのだ。
「T-7初等練習機だな」
一人の男性が少女に声をかける。
「へぇ、やっぱ練習機なんですか」
特に驚いた様子もなく、空を見上げながら少女は返す。
「ここは訓練空域だからな、平日なら毎日飛んでいるはずだ。音が小さくてなかなか気付かないかもしれないけど」
「詳しいんですね。マニアですか?」
いやいや、と男性は笑って否定した。
「俺は自衛官だよ。あれも自衛隊の航空機だから、たまたま知っていただけさ」
「じえーたい…」
ようやく少女は視線を落とし、突然自分に話してかけてきた男性に顔を向けた。小柄な自分とは違い、高身長でがたいの良い、いかにも自衛官といった風な男性だった。
「空港自衛隊、とかでしたっけ?」
「あっはっは! 違う違う。航空自衛隊だよ。こ・う・く・う」
よく笑う人だなぁ、と少女はつられて表情を緩ませた。
「事務所が近いから、もし良かったら話を聞いてみないか? あまり時間をとらせるつもりはないけど」
「なんか、ナンパしてるみたいですよ?」
「そう思ってくれても構わんよ。もっとも、君みたいな未成年に手を出したら処分喰らっちまうから、ナンパしたくてもできないけどな」
「あはは! それはそれで大変な身分ですねー。つまり私がここで警察に電話したら捕まっちゃうかもしれないわけで」
「勘弁してほしいなぁ。全く、仕事がしづらい世の中になったもんだよ」
(ああ、あくまで仕事なんだ)
個人的な親切とかで声をかけてくれたのかと思っていたところなので、少女は少し残念そうだった。だがそれだけ下心もなにもないということ。変に警戒する必要もないということで、話くらいは聞いてみようかなとは思った。
「いいですよ。学校帰りで、なにも予定はないですし」
「おっ、ノリがいいねぇ。積極的な奴は自衛隊も大歓迎だ。地本の事務所はすぐそこのビルだ。案内するよ」
地本…自衛隊地方協力本部の略称で、一般人が自衛隊にアクセスするための窓口だ。自衛隊は常に基地の中で活動しているというわけではなく、こうした基地外の街中にも出張所を持っている。自衛隊に対して堅苦しいイメージを持っていた少女だったが、あまりに彼の物腰が柔らかくて少し拍子抜けしてしまった。
「そういや名前を聞いてなかったな。俺は航空自衛隊、山口地方協力本部所属の南郷2曹だ。君は?」
所属や階級を言われてもあまりピンとこないが、きっとこれが自衛隊風の自己紹介なのだろう。そんな非日常な感じが、少女にとっては少し魅力的だった。
「高校3年生の
もともと自衛隊には全く興味のない月音だったが、南郷2曹の話を聞けば聞くほど、その世界の持つ魅力に取りつかれていった。特に航空自衛隊の航空学生制度については、高校卒業後最も早くパイロットになれる制度ということで、その道に憧れていた月音にとっては夢のような話だった。
結局、話を聞くだけという予定だったところをパンフレットや受験申込書まで貰って帰ることとなった。本当に入隊するかどうかは別として、取り敢えず受験だけしてみればいい。幸い航空学生の入隊試験は毎年秋頃に実施されている為、大学受験の時期とは被らない。
彼女の両親としては、ある日突然娘が自衛隊の入隊試験を受けたいと言ってきたものだから当然の如く猛反対だったが、大学受験の滑り止めと練習ということでなんとか納得してくれた。
入隊試験は全部で3次試験まであり、1次が学力と簡単な航空適性試験、2次が身体検査と面接、3次が実技試験ということで、実際に航空機を操縦する試験が実施された。多くの受験生が振り落とされる中、月音は順調にそれをくぐり抜けていき、そして年が明けての1月中頃、見事合格を手にすることができた。
もうこの頃にはほとんど入隊を決意していた月音だったが、やはり家族はなかなか賛成してくれない。
そんな時活躍してくれたのが地本の南郷2曹だった。彼は月音に初めて話した時と同じように、彼女の両親に対して自衛隊の職務について説明し、これから月音がどんな人生を歩んでいくのか、それがどれだけ尊く幸運なものかを言葉巧みに語った。
俗に
半ば強引ではあったが、最終的に月音の家族は娘が自衛隊に入隊することを了承してくれた。もともと月音の進路については本人の意思を尊重するつもりではあったが、自衛隊と聞くとどうしても危険なイメージが拭い切れず、そこだけ非常に不安だったようだ。しかし今やその不安も南郷2曹の説明によっていくらか和らぎ、おかげで月音はなにも後ろめたい思いをすることなく入隊することができた。
山口県防府市、航空自衛隊防府北基地。第12飛行教育団が所在するこの基地は、全国から航空学生に受かった者たちが集う、いわば航空学生にとっての故郷のような場所だ。
約50倍の倍率をくぐり抜け、今年71期生として航空学生となる若者は63名。一体どんな人たちが集まってくるのか、着隊する前から月音は非常に楽しみだった。
入隊式が行われるのは4月1日だったが、それまで自衛隊の生活に慣れる練習をする為にも、式の1週間前には部隊に着隊するよう指示された。南郷2曹は最後まで月音の面倒を見てくれて、部隊まで車で送ってくれたのも彼だった。
「これから2年間、きっとかなり厳しい2年間だろうけど挫けずに頑張れよ。先輩からのエールだ」
防府北基地に到着し、去り際に南郷2曹が言う。
「先輩?」
「言ってなかったっけか? 俺は元航学、途中でP免(パイロット罷免)になった58期生だよ」
「き、聞いてないです!」
へらへらと笑う南郷に、なぜそんな大切なことを教えてくれなかったのかと月音は怒る。が、よくよく考えてみればこれも彼なりの配慮だったのかもしれない。もし彼が航学出身者だと初めから知っていたなら、自分の広報官は他とは違うなどと小さな慢心が生まれていたかもしれない。それが些細なミスを生み、試験を落としてしまう可能性だってあった。彼は最後まで月音のことを想い、広報官というよりかは先輩としての役割を果たしたのだ。
「今度、またお会いすることがあればその時は…」
「おう、ゆっくり話でもしよう。その時まで音をあげるんじゃないぞ?」
南郷はそれだけ言い残すと軽く手を振って車を走らせた。もうこここら先は月音一人である。なにも知らない自衛隊の世界で、知り合いもいなければ場所もわからない。まるでオープンワールド系のゲーム世界に突然放り込まれたかのような感覚だ。しかし月音はその現状に怯えるどころか、むしろこれからどんなものに出会えるのかワクワクしていた。
航学群庁舎の入り口に立ち、高く掲げられた群旗を見上げる。風にあおられバタバタと音をたてるそれが、まるで自分を鼓舞しているかのように見えて、月音はますます鼻息を荒くした。
「ねえ、そこのあんた」
声をかけられて目線を落とすと、一人の女性隊員が玄関先に立って月音を見ていた。なにやら作業中だったようで、奥では他にも何人かの隊員が机を運んだりと忙しそうに動いている。
「ひょっとして入隊予定者?」
「そうです!」
ぱっと笑顔になり、声をかけてきた女性隊員に駆け寄る月音。
「菊池月音です! 宜しくお願いします!」
「もしかしてと思ったけど、やっぱりかぁ。まだ受付の準備が終わってないんだけど…」
女性は困ったように庁舎の中に目を向けた。先程から隊員たちが作業をしていたのは受付の準備をする為だったようで、どうやら月音は着隊するのが早すぎたようだった。
「いいよ若宮。そいつ、ちょうどお前の対番だろ? 区隊長のところに挨拶しに行けよ」
一人の隊員が女性の視線に気付き、作業は中断していいから月音を案内してやれと指示する。
「すいません。ありがとうございます」
若宮と呼ばれた女性は月音の荷物をひとつ持つと「行こうか」と言って歩き出した。対番という単語がいまいち分からなかったが、自分の世話係をしてくれるのが彼女らしいということは月音もすぐに分かった。
区隊長への挨拶の後、庁舎から少し離れたところに建つ「
一通り説明が終わり、二人は再び居室へ向かう。学生が暮らす居室には一部屋に四人が入り、若宮たち先任期が二人と月音たち後任期が二人という割合だ。ということは月音の他にももう一人、彼女の同級生となる子がこれからやってくるはずだった。一体どんな人が自分のパートナーになるのか、月音のワクワクは相変わらず止まることを知らなかった。
「あら、巴が帰ってきてる」
月音たちが部屋に戻ると、先程はいなかった女性学生と、その対番であろう少女がいた。一人は若宮の同期である
「えっと、巴の対番ね?」
「
「若宮よ。あとこっちが私の対番で、あなたの同期ね」
紹介され、若宮の背中から月音はひょっこりと顔出す。いよいよ同期、それも同じ区隊で同じ部屋となる、いわばパートナーとのご対面。印象良くしなくてはと月音は気合いを入れた。
(わっ…なんか…)
ぱっと少女と目が合う。綺麗だな、というのが月音の抱いた彼女の印象だった。わりと童顔の自分とは違う、少し大人びて整った顔に、低めの位置でまとめられた落ち着きのあるサイドポニー。特にパーマとかはかけているわけではなく、流れるようにさらさらした綺麗な黒髪。同性でなければ一目惚れしてしまいそうな、そんな少女だった。
が、なにか足りない。オドオドと怯えているわけではないが、自分に自信を持てていないような、強い目をしているのに芯がないと言ったような…大切ななにかが欠けているといった感じ。
こんな目をした人を月音は知っていた。力は持っているのに、その使い方が分からない人。頭は回りすぎて、思い切りが足りなくて踏みとどまってしまう人。きっと彼女もそんな人間の一人なんだろう。
「日和ちゃんっていうんだね! 私は
「う、うん」
こういう人は、少し引っ張ってあげると見違える程魅力的になる。やや突っ走り気味な自分にはちょうどいいパートナーじゃないかと、月音は日和の手をとって跳び跳ねた。
これが月音と日和の出会いで、腐れ縁の始まり。これから彼女たちは長い長い自衛隊生活を何年も付き合っていくこととなるのだが、この時の二人はそんなこと知るよしもなかった。
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