第3話【貴族街】
転生した世界でも、基本となる暦は、太陽暦が使われていた。
月、曜日の呼び方は、前世界と少々、異なっており、世界を構築している【十二精霊】と【世界樹】の守護を担う【七龍】から名付けられていた。
簡単に説明すると、転生前の世界での一月が夢の月と呼ばれて、そこから始まり、氷、水、月、光、土、雷、火、風、樹、星、闇の月で終わる。前世での星座に近い感覚って言った方が分かりやすい。そして曜日の始まり日曜日が神龍となり、月曜日を影龍、次に炎龍、瑞龍、霊龍、皇龍、冥龍、と言う風な感じで名付けていた。
青空が夕焼け色に染まり始めた頃。
私は、店を閉める為の準備を進めていた。
今日は、早期閉店しないといけない。
何故なら、週一回の皇龍が眠りに就く夕暮れ時は、御用聞きで、お得意様の御宅へ伺う日の為。
この御用聞きが、もの凄く面倒臭いのだ。
エルムス外地の住民は、殆んどの方が、自ら足を運んで、此方へ来店してくれるのですけど、内地の住民、特に貴族となると、そうも言っていられない。
此方から、貴族の方々に、お伺いを立てないといけないんですよ。
色々と上から目線で物言う人が、多くてイラっとする事もありますけど、やはり、そこはお得意様、我慢しないといけない。
面倒臭さいことこの上ないが、これも魔女修行の一環らしい。
まぁ、でも、だいたいの内地の住民は、使用人を雇用している方々が多いから、その方達が私の応対をしてくれますけども。
最後のお客様をお見送りしたら、私は早々に店を閉めた。
私は、急ぎ身支度を終わらすと、時間も余りない為、内地へは【
「オルグ、少し急ぎますから、早く箒に乗って下さい」
「キョウダイ、そんな急がなくても客は逃げないだろに」
「それくらいわかってますよ。急いでるのは、此方の諸事情です。早くしないと置いてきますよ」
「おう、冷てぇこと、言うなよ」
オルグはヤレヤレと言った感じで、何時もの定位置、箒の柄先に座る。
それを確認すれば、私は道服の裾を捲り【
徐々に、高度を上げて行き、建物上空に差し掛かり、夕空が見えて来た……瞬間、橙色に輝く太陽が目に飛び込んでくる。
「うっ…………」
眩しさの余りに、私は手を翳し夕日から顔を背けた。
光に視界を奪われた為、しばらく【
「くお、キョウダイよ。目なんか瞑ってないで、早く目を開けてみろよ」
少し興奮気味にオルグが言ってきた。
段々と目が慣れて来たので、目を開くと……そこには、落日する太陽に夕闇の迫る街並みが、眼下に広がって幽玄で情緒ある世界を創り出していた。
「ほおお……これは凄いです……心、癒されますねぇ」
カメラが有れば、写真に収めたいくらい素晴らしい景色です。
今日の嫌な出来事が帳消しになっちゃいますよ。
「はぁ、このまま感慨に浸ってたい所ですが、早く用事を済まさないといけませんからね」
「キョウダイよ。プライベートは不真面目なのに、仕事は真面目に熟すよな」
「はっ、何ですかソレ。オルグ、主人に対して失礼過ぎますよ」
「ニッヒヒ、だったら少しは主人らしくしてくれよなキョウダイ」
「言ってくれますね。後で覚えておいて下さい」
「無駄口叩く暇なんてあるのかよ。キョウダイ」
「ちっ、ほんと口の減らない使い魔ですよ。振り落とされないようにしっかり掴まってて下さいね」
ただ、気の向くまま空中で漂っていた【
貴族街を囲う防壁は、都市を守る城壁ほど、高くは無い。
その代わり、都市城壁よりも、装飾が施され豪華さを優先している。
貴族達の見栄なのか知らないけれど、もっと違う所に、金、掛けろよと、外地の住人が愚痴を言っているのを良く耳にした。
貴族街に入る城門前へ降りたった。
城門へ行く前に、私は風で少し乱れた服装を整えてやる。
オルグも毛繕いし、身嗜みを整えていた。
「おいら、内地が嫌いなんだよな。ここの人間達は、何故かしらんけど、同じ人間を蔑む傾向にあるから、好きになれんのよ」
「オルグの気持ち、わからないでもありませんけど、今は我慢して下さいね」
「わかってるさ。主人が我慢しているのに、使い魔である、おいらが好き勝手出来ないだろ」
オルグが言いた事は、よくわかっている。まぁ、外地と違って、内地は行儀や礼儀に煩い人が多く、粗を見つけてはネチネチと、嫌味言われるから、それに心無い差別的な言葉を掛けてくる人達も多々いる為だ。
「さっ、嫌な事はさっさと済ませて、早く館へ帰りましょう」
「あいよ……」
私の背後を付いて歩くオルグは嫌々ながらも、返事を返してくれた。
ほんとに心の底から嫌なんですね。かく言う私も余り、この御用聞きは気乗りしないのですけどね。
城門前に、騎士の姿が見受けられる。
内地の防壁城門には、衛兵ではなく、騎士が守衛の任に就く。
「今晩は、いつもお勤めご苦労様です」
長身で
「お? やぁ、ダリエラ嬢、今日は御用聞きかい?」
私の姿に気付いた騎士は、ニッコリと微笑み、手を振り上げて此方へ歩み寄って来た。
「はい、今日は皇龍の日ですので、マディソンさんは、もうすぐ、お仕事終わりですか?」
「終わりだったら良かったけど、今日は当直なんだよね」
残念そうに、肩を落とす騎士マディソン。
「あっ、ごめんなさい。余計な事を……」
「顔を挙げなよダリエラ嬢、俺は何とも思ってないからさ」
謝る私はマディソンさんの言葉で顔を挙げた。
ニカッと爽やかフェイスで鳶色の髪を掻き上げるマディソンさん。
「あっ! ちょっと待って下さいね」
私は革鞄を開き、中から薄紙に包まれた薬を取り出して、マディソンさんへ手渡した。
「なんだい? これは」
手に取った薬袋を眺めるマディソンさん。
「当直とお聞きしましたので、疲れたなと思いましたら、この薬を服用して下さい。とても良く効く滋養強壮剤です」
「高価な薬ではないのかい。ダリエラ嬢……」
不安気に碧い瞳を揺らすマディソンさん。
「いえ、至らない私からの責めてものお礼です」
私は小首を傾げて、マディソンさんに微笑んであげると、曇らせた顔が晴れ渡って行く。
「ありがとう! なら遠慮なく使わせてもらうよ」
男ってのは、やっぱり単純ですね。
可愛いもんです。
「それでは御用聞きがありますので、これで失礼します。マディソンさんも、お仕事頑張って下さい」
「ああ、ダリエラ嬢も頑張りなよ」
小気味よく手を振るマディソンさんに、深々と頭を下げて、御用聞きの為、貴族街へと歩き始める。
城門から少し離れると、声が聞こえて来た。
「よう! マディソン、見回り終わったぜ ん? 誰か来てたのか?」
「ああっ、お疲れロニー。さっきまで、ダリエラ嬢が居たけど」
「なにぃ! 何処だ、もういないのか?」
「あそこに、見えるのがダリエラ嬢だ」
「おおっ! マジか、俺はネコちゃんの大ファンなんだよ! うーん、イイねぇ! まだ少し幼さが残るけど、いいカラダしてるんだよな。後、二年くらいしたら、いい女になるぜ。そしたら、男共が放って置かなくなるぞ」
ううっ、全部、聴こえてるんですけど……。
「おい、ロニー不謹慎だぞ! ダリエラ嬢に失礼だろ」
「何、寝言ほざいてんだ、マディソン! いい女なんだから、いい女と言って何が悪い。マディソン、そんなヌルい事言ってたら、何処ぞの男にネコちゃん。かっ攫われるぞ」
もの凄く力説されてますね。誉められているのは嬉しいですけど、素直に喜べないのは、何故ですかね……。
私が誰かに、攫われるって……あり得ないでしょ。
ああっ、ダメ、ダメ、悪い癖が出始めてます。
聞き耳立てるのは、良く無いですね。
「ニッヒヒ、雄って奴はどんな種族だろうと、考えること変わらないねぇ。で、キョウダイはどうなんだい? あんな笑顔向けてたんだし、満更でもないんだろ?」
城門から遠ざかる最中、オルグが何を勘違いしたのか、含笑い浮かべながら、見当違いなものを言ってくる。
「……はぁ……」
そういえば、オルグも雄でしたね。
「な、何だよ。そのため息は?」
「いえ、何でもありませんよ」
「いや、いや、その態度、おかしいぞ? なんか諦めてると言うか、悟ってると言うか」
「オルグ、しつこい男って嫌われますよ」
「うっ……」
私の言葉に押し黙るオルグ。
この身体に転生して、わかったことがある。そう男って奴はすっごく単純な愛すべきバカ野郎共ってこと。
ふぅ、これで残るは、後、一件。
私は御用聞きで、取っていたメモに目を通した。
うーん、店にある在庫では、頼まれた商品を補う事が出来ませんね。
館から商品の補充をしないとダメか……と言う事は、館へ帰宅する前に傭兵ギルドで、運送の手配しておかないといけませんね。
良かった早めに店を出て正解でした。
私は、これからの
ん? 誰でしょう?
普通の人なら、日が沈み切った薄暗い街中で、気付く事の方が難しいのに、獣人である私にとっては朝飯前です。
獣人で特に
暗闇の中でも、昼間とまでは言わないけど、それに近い視界で辺りを見る事が出来ます。
此方の世界は、科学の力、文明の力である電気がありません。
電気と言う便利な光源がない。
松明や蝋燭は、光源としては頼りなさがあります。
そういう時、この能力、
視界に入った人影を何の気も無しに、目で追うと、見えて来たのは、今朝、都市城門でいざこざを起こしていた少年の姿。
「おっ、あいつはキョウダイを手玉に取ったガキじゃねぇのさ」
オルグもその姿に気が付いたようだ。
「そうですね。こんな時間までどうしたのでしょう?」
私の側を通ったけど、少年は全く此方に気付いていない。
当然と言えば、当然何ですけど、少し寂しい気もします。
何処かのお屋敷から急ぎ出て、貴族街の城門入口へ走り去って行く。
少年の後ろ姿を見送り、何故か気になって少年が出て来た屋敷へ視線を送った。
「ここは確か、最近、巷で噂になっている錬金術士の御宅ですね」
「ああ、なんか。どんな病気でも、たちどころに治る薬を作り出したとかって聞いたぜ」
「あくまで噂ですから、全部鵜呑みにするのは危険ですよ。人間とは、例外なく大言壮語しちゃう生き物ですから、私的に眉唾ものかな」
錬金術士の持つ知識がどれ程のモノかわからないけど、こと薬に関しては、魔女の身に出る者はいないと言わしめる位の膨大な知識を有していた。
私も魔女の端くれを担っているからこそ、魔女と言う人種の凄さがわかる。
少年と錬金術士か……あっ、いけない。仕事の最中に、余計な事を考える癖も、何とかしないと。
それよりも、最後の一件、早く終わらせて帰りましょ。
厳かな雰囲気を醸し出す邸宅に到着した。
いつ見ても、凄いお屋敷です。
私は重厚な木製扉の前に立ち、職人技とも言える馬と馬蹄を型取り作製された真鍮のドアノッカーを二、三度、コツコツと叩いた。
暫らく待つと、扉に付けられた小窓が開かれる。
小窓へ視線を向けると目鼻立ちがくっきり整った色白の顔が見えた。
私は帽子を脱いで、小窓に向って軽く会釈する。
「あら、ダリエラちゃん ちょっと待っててね」
耳心地よい女性の声が、私の名を呼ぶ。
「はい、わかりました」
ギギギ、と重苦しい音を立て、扉が開かれる。
「いらっしゃい、ダリエラちゃん。それとオルグちゃんも」
「今晩はお久しぶりです。ドロテアさん、御用聞きに伺いました」
「おっす。久しぶりだね。ドロテア」
私に続き、オルグも人語を使い挨拶する。
小窓から顔を覗かせていた女性が優しく微笑み、出迎えてくれた。
柔らかな色っぽい金色の瞳に真っ白な髪。折り目正しい貞淑そうなメイドさん。
「うんうん、相変わらず可愛らしいわね お姉さんは嬉しいわ」
「あっ、ありがとうございます……」
色々と掴みどころのない人で、何となく頭が上がらないんですよね。
「さぁ、中へお入りなさいな。大旦那さまが待っていますよ」
「はい、お邪魔致します」
ドロテアさんに促され、玄関扉をくぐると赤
エントランス中央部に、常人では判りかねる……簡単に言うと、珍妙な調度品の数々が、対で並べられている。
今から私が会う当屋敷の主、名前をヨアヒム・ヴァン・ボフミールと言う。
爵位称号は、子爵の位を持つ。
元リヴァリス王国、銀嶺騎士団、団長を務め、現在は隠居して、エルムス城塞都市に身を置いている。
店のお得意様であり、我が師、シェーンダリアと古くから親交を持つ人物。
私の前を軽やかに歩くドロテアさん。美しい白髪をフリルの付いたメイド帽に収めて、そこから覗かせる悩ましいうなじがチラリ、チラリと見え隠れする。
うわぁ、一応は同性ですけど、ドキドキですね。
私が女として生きていく上で、お手本としている女性の一人。
その中でも、色気の塊みたいな方です。
ドロテアさんに比べたら、私などまだまだお子様です。
燭台の投げかける灯りが廊下を照らす中、ドロテアさんに連れられ歩いていたら。
「ダリエラちゃん、浮かない顔して、どうしたの?」
私の方へ振り向いたドロテアさんが、不意に聞いてきた。
「い、いえ……そんな事ないですよ」
なるべく、平静を装って、返事しようとしましたが、余計にぎこちなくなってしまった。
理由を申しますと、私はボフミール子爵が、凄く苦手なんです。
好き、嫌いではなく、只々、苦手なだけ。
人柄、性格も、とても素晴らしい方ですが……私に対する、思いや行動が過ぎると言うか、色々と大変な方です。
「そんなに構えなくても、大丈夫よ。大旦那さまが何かしたら、私がとっち目て上げます」
って何時も言ってくれますが、そんな姿見たことないですよ。ドロテアさん……。
「はい、ありがとうございます……」
「魔女ともあろも者が、情けねぇな。しっかりしろよ、キョウダイ」
ボフミール子爵が在する部屋の前でオルグに励まされる。
ほんと、何とも情けない。使い魔に心配を掛ける魔女なんて……しっかりしろっ、ダリエラ!
私は、心の中で、気合いを入れ直す。
けど、人一人に会うだけで、何やってんだろうとも、思ったりしてます。
ドアノブを廻し扉が開かれると、ドロテアさんは、私を部屋へ招き入れる。
「さぁ、どうぞ」
「はい、失礼致します」
入る前に深く一礼してから、私は室内へと足を踏み入れた。
此方は、ボフミール子爵がプライベートで使用する私室。
目前には、上等な机と黒い革張りの椅子が置かれ、その奥に大きな窓が見えた。
開かれた窓口から、涼しげな風が入ってくる。
そして、窓越しで夜空を見上げ、佇む初老が一人。この方がボフミール子爵。
ゴシックな貴族服を纏う逞しい体つき。暗褐色の髪をオールバックに固めて、鋭くつり上がった翠瞳をギラつかせた、まだまだ若い者には、負けぬと言った野性味溢れる男性。
ダリオと違い、洗練さを兼ね備えてる。
「大旦那さま、ダリエラちゃんを連れて来ましたよ」
「おお、ダリエラ、待ちくたびれたぞ」
ドロテアさんの言葉に反応し、此方へと振り向いたボフミール子爵。先程まで鋭く険しかったボフミール子爵の顔が、私の顔を見るなり、だらしなく綻ばせ笑う。
「すみません、遅くなりました」
「何、お前を責めてる訳では無い。ジジィの戯言だと思って流せば良い」
「ありがとうございます。ボフミール様」
「まだ、そんな他人行儀な呼び方をする。ワシの事は、オジサマと呼びなさいと何度言わすのだ」
慈愛と憂いに満ちた表情で私を見み、諭してくるボフミール子爵。
私が右も左も分からない小娘なら、そう呼べるかもしれませんが、流石に無理な事を言われる。そんなのは、恥ずいし嫌過ぎます。
「ごめんなさい。ボフミール様、今はまだ……」
「おう、そうか、そうか。ワシが悪かったから、その様な暗い顔してくれるな」
ふぅ、何とか助かった。余り長居はしたくない、さっさと仕事を済ませなければ。
「あの、ボフミール様、御用聞きに伺ったので、何か入り用な物があれば、仰って下さい」
「そうであったな。ドロテア、必要な物を書き出してダリエラに渡しなさい。それから、茶菓子の用意も」
「はい、畏まりました。大旦那さま。ダリエラちゃん、少し待って頂戴ね。あ、オルグちゃん、丁度いいお肉が手に入ったから、味見してみる?」
「へっ?! いいのか! するする、しちゃいますよ」
ドロテアさんにまんまと乗せられたオルグ。それを見ながら私へと微笑んで見せるドロテアさんは部屋を出て行く。その後を軽やかなステップを踏むように付いて行くオルグ。
嗚呼、待ってドロテアさん、オルグ。ボフミール子爵と二人にされるのは困ります。
私の願い届かず、無情にも扉が閉まってしまう。
「ダリエラ、そんな所で突っ立ってないで、此処へ座りなさい」
革張りの椅子に深々と腰掛けるボフミール子爵は、隣りの空いた
はぁ、座らない訳にも、いきませんし、仕方ありませんね。
私は遠慮がちに姿勢を正して、浅く椅子へ腰掛けた。
すると、ボフミール子爵の腕が、私の腰に巻き付けられる。
いやらしい感じではなく、娘や孫を抱きしめる感じなんですかね。
ボフミール子爵は、私の事を気持ち悪いくらい猫可愛がりしてまして、理由はわかりませんけど。
「さて、この間は何処まで、話をしたかのう……」
「はい、前回は【世界樹】の麓にある
これから私にお話になられるは、若き日のボフミール子爵が、世界を旅した冒険譚。
ふぅ、覚悟きめないとダメかな。これで、暫らくは、足止めされてしまいますね。
これさえなければ、素晴らしい方です。
ホントに…………。
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