さよなら、かみさま【絶望ラブコメ異世界トリップ】

一之瀬ゆん

第一章 不器用なエゴは舌先で弄ぶ -日常編-

第一話 さよなら三角、またきて死角

 ざわり。

 意識が突き放される感覚を覚え、何事かと騒ぎ立てる脳が、ざわざわと未来を予感するように暗闇にもぐった。

 追いつかない思考は強制ログアウト。どきどきと高鳴る心臓は、もちろん恋をしているからではない。

 落ちつきのない心臓を野放しにしてまぶたを開ければ、ふと見えた先に、アップでオッサンのだらしない満面の笑みが映った。


 え? ……え? えっ!?

 なにこれきもい!!


 目ん玉が飛び出すのではないかと思うほど目をかっぴらき、眼の前にいるオッサンを凝視する。

 にたぁ、という、だらしない笑顔でこちらをのぞいてくるオッサンの顔がやけにでかくて、「一匹残らず駆逐してやらぁ!」という気になってしまったのは仕方ない。

 ほら、時代に左右されやすいんだよ、最近の若者ってのはね。


 状況を確認するため、あたりを見渡す。

 が、仰向けの状態だからか、それとも顔面いっぱいに広がるこの気色悪いオッサンのせいなのか、状況把握には至らなかった。


 いや、このオッサン、気持ち悪い風貌ふうぼうというわけではない。

 どちらかと言えば、渋くてかっこいい部類に入る顔立ちだ。

 それでも、ゆるみきった顔でちょっと鼻息が荒くてフンフンしているところを見ると、……なんだかやっぱり気持ち悪い。


 そうこうしていると、オッサンが何かを発そうと口を開く。

 なんだ、なにを言われる――緊張からひたいに冷や汗が浮かぶのを感じながら、口が動く様を見届けるしかなかった。


「セラたーん、パパでちゅよー」


 なにこれどうしよう。


 ダラダラにゆるみきった顔で、不審人物に赤ちゃんプレイを強要されております、どうも、セラたんことひいらぎ せら、キャピキャピの16歳です。

 最近流行りのバブみ、とやらをわたしに感じてくれたのかもしれんが、こちらただの欠点王と名高い女子高生だよ。


 ……いや待て。

 オッサンの口調から察するに、まさかとは思うが、わたしが赤ちゃんなのでは……?


 が、ここでひとつの間違い探しだ。


 金色の短い髪の毛、あお、アゴには剃り切れなかったヒゲの跡。くしゃりと目元にシワを寄せている目の前の男は、紛れもなくわたしの父親――ではない。

 金髪碧眼って、どこの外国人だよ。

 わたしは生粋きっすいの日本人であるし、茶色がかった髪色ではあるが、一般的なジャパニーズの容姿をしていると自負している。

 大和撫子やまとなでしこってやつだよね。いや、大和撫子にはほど遠いって言われるけど!


 それにしても、だ。

 この男がどういった理由で何を目的にして、わたしの父親とやらを名乗ったのかは分からない。

 ついでに言えば、わたしがそれを求めていると知っていての行為なら、胸糞むなくそ悪いことこの上ない。

 それでも、この男が自分の父親ではない、という明らかな事実が、わたしの口を開かせる。


 言わせてもらおう。


「あうあああ、うう、んきゃっ!」


 なにいまの。

 ……えっ、なにいまの!?


 自分が発したはずの声が、不可解ふかかいな音の羅列られつを作り上げた。


 一応、言いたかった言葉をここに挙げるならば、「テメェはわたしの父親じゃねぇ!」である。が、聞いてのとおり、そんなものは出なかった。


「うんうん、パパだよーっ」


 喜んでいる目の前の男を呆然ぼうぜんと眺める。

 いや、あのね、このよく分からないプレイ(?)を快感に思う性癖は、わたしにはないからね。


 冷や汗が出るのを感じながら、言葉がダメなら手を出そうというモットーにのっとり、男をぶん殴るために手を上げた。


 が。


「あう……?」


 あれ、なんだ。このもみじのような手は。


 新たな問題が立ちはだかり、わたしのライフポイントはそろそろマイナスである。

 泣きたい気持ちを抑えながら、自分のきぬのように透き通った肌を眺めた。


 おお、赤ちゃんのような肌だ。

 ……赤ちゃんの肌だと?


「おおおおおおっ、セラァァァァアアアっ」


 わたしが手を伸ばしたのは、自分を求めてのことだと勘違いしたらしい。オッサンは目に涙を浮かべて、感動をあらわにしている。

 ぷるぷると喜びに震えているところを見ると、キショクわるいとしか言えないんですけども。


 なんだ、なにが起こっている。


「ううあ、ぶう、あう」

「うん、パパもセラたん好きだよーう」


 この現象はいったい何だ。


「あうっ、ううう、きゃう」

「僕のこと分かるのかな! うう、僕感動だよーぅ!」


 だあぁっ、私の頬をぐにゅぐにゅすんじゃなぁぁああああい!


「きゃあうあああああああああああああああっ」

「僕も嬉しいよおおおおおおおおおおおおおっ」


 通じなかった。


 さて、どうしようか。

 不安と恐怖を胸に、わたしはようやく自身の状況について考え始めた。

 どういうわけか、今のわたしはいわゆる“赤ん坊”らしい。そして、目の前の不気味な外人系オッサンは、その“父親”だという。

 ついでに言うと、わたしが赤ん坊だから、バブバブしているのはわたしで、わたしが赤ちゃんプレイを欲していることになるのかもしれない! 無意識に、欲していたのかもしれない!


 ……なぜだ!!!!


 いや、ここで原因や理由を追及ついきゅうしても、答えは分からないだろう。考え続けて分かるような問題ではない。

 だいたい、わたしのオツムでわかる気がしなかった。欠点王なめんな。


 よし、状況把握とあらば、せっかくなのだ。自分語りなんぞを始めよう。


 ひいらぎ せら。

 女子高生という最高のステータスを持ち、日々勉学に励もうと思いながらも撃沈している、ごく普通の16歳。

 欠点の数は負けません、運動なんて苦手です、それでも頑張って生きています――そんな華の女子高生だ。


 が、どうやらわたしは現在、”セラ”という名の赤ん坊であるらしい。この男を父親に持つ、赤ん坊。

 ああ、非現実的すぎる。どこのファンタジー小説だとツッコミを入れたくなる。

 のに、それがどうにもできないのは、それほどまでに現実的な感覚が、わたしを取り巻いているから。


 バカだと思うだろう。事実、わたしはバカだ。

 けど、それだけでは切り捨てられないほど、世界こいつはリアリティを持っている。


 困ったことに、夢とはちがう明らかな現実の感覚が、わたしを取り巻いているのだ。


 ちなみに目の前の男は「あ、もしかしてオムツかな」と言いながらわたしの服を脱がしにかかっている。

 股を大げさに広げ、元々わたしが装着していたらしいオムツに手をかける父(仮)。

 そして、すべてを取り外した彼はわたしの脚をM字開脚に……って、何の羞恥プレイだよ!?


「んぎゃあああああああああああっ」


 やめろ、という拒絶の意志をこれ以上ないほどに込めて叫んだ。やればできるじゃないか、せら。

 ついでに、わたしの気持ちを最大限に理解している目から、大量の涙があふれ出す。


「ごめんね、ずっとそのままで気持ち悪かったよねぇぇええっ、パパを嫌わないでぇぇええ!」


 父(仮)も泣き始めた。


 なにこれ、どうにもならねぇぇぇぇええっ!


 絶望感を顔にたずさえながら、男がわたしの頭を撫でるのを必死にこらえる。

 どうしてこんなことになったんだ。いらつきと、先の分からない恐怖は、圧倒的な力で迫ってくる。


「あれ、別におしめじゃないのかぁ」


 そう言って目に見えるほど落ちこんだ父(仮)は、わたしの頭をやさしく撫で続けながら目を細めた。


 ふと、その表情にドキリとする。

 べつに、それは恐怖でも苛つきでもなんでもなくて。

 あれだけ絶望を覚えていたはずなのに、とたんに時が止まってしまったかのように、わたしを無が取りまいた。


 だって、なんてやさしいのだろう。

 その眼差しが「愛しているよ」と語っている――ささやいている。

 その瞳に詰まった言いようのない温かさに、いやおうでも気付かされる。


 ああ、愛されている、と。


「なぁ、セラ」


 ゆるゆるだった顔は、少し引き締まって。それでもやさしい顔つきでいるから、無性に甘えたくなる。

 彼のくちびるが震えて発されたその名は、まるで今、この場で絶大な意味を持ち合わせたかのように輝いている気がした。

 ――わたしではない、“セラ”に向けられたものなのだろうけど。


 それでも、ちいさく、それでいて確かな重みを持ったその声色は、どことなく真剣に感じられるから、導かれるようにその大空のような目を見た。

 青く澄んだその目に、吸い込まれていく。


「ごめんね」


 つむがれた言葉に、疑問符を飛ばす。

 なにがごめんね、なんだろうか。きっと目の前の彼は、そんなわたしの疑問のココロを知っているのだろう。

 だけど、独り言だと切り捨てられない、叫びでもあるかのような声を聞いたら、絶対に彼から目を逸らしてはいけないと思ってしまった。


「ごめん、セラ」


 彼は再度、“わたし”に謝罪をする。

 ハの字に下げられた彼の眉は、情けないほどのかなしみを背負っている気がした。


 だから、何の謝罪なの。

 「うー、あうう」言葉にならない音を出して、彼に問いかける。

 そんなわたしの声に彼はさびしそうに笑って、やっぱりお決まりの言葉をつむぐのだ。

 ごめんね、と。


 静かに告げられたそれは、突き刺すような胸の痛みとともに、わたしの意識を奪った。

 とたんに黒く染め上げられた世界は、何の意味も持たないとでもいうようにわたしを責め立てる。


 ゆるやかな曲線を描いてかすみゆく彼の姿に、一筋の涙を流していた。

 一瞬、見えた姿が“あのひと”に重なった、なんて。

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