3-4

さて、威勢よくとはいかずのらりくらりと啖呵をきったものの話すと言ってもどうしたら良いのか?と僕が考えていると、遊坐ちゃんはお構い無しに僕の家から帰って行ってしまったのである。「宜しくお願いします。」と言ったのはその為なのか。珍しいから明日は槍でも降るんじゃないかと思ったが、なんてことは無い。どうやら僕に"全て丸投げする"と言った意味のお願いしますだった様だ。天來、お前って凄く信頼されているんだな。僕はそれこそ遊坐ちゃんで無くとも苦虫を噛み潰した様な気持ちだった。

ここまで丸投げにされても困る。いや本当に困る。心の底から困る。どうして一体全体なぜ、こうなってしまったのか。僕の頭の中は疑問符で一杯だ。


「さて、話でもするかのう?」


目の前には七尾のお稲荷様。


「これこれ、黙っておっては話が進まぬだろう?」


僕としても予想外でかなり困惑している。遊坐ちゃんが帰ったのだからお稲荷様も必然、一緒に帰るものだとばかり思っていたのだ。それこそ一心同体と言わんばかりにくっついていたのだから、誰もが一緒に帰るものだろうと思う。そして二人揃って帰った後で、僕はゆっくり祖父の遺した書物でも漁りながら算段をねろうと思っていたのに。これではぶっつけ本番、行き当たりばったりの当たって砕けろだ。


「お~い?お前様~?聞こえておるのだろう?」


仕方が無い。砕けない程度に当たるしか無いか。


「すいません、聞こえてます。」

「おっ、やっと口を開いたか。」


お稲荷様はコロコロと笑いながら口元を手で隠す。遊坐ちゃんが居た時はじっくり見れなかったけれど、改めて良く顔を見ると鼻筋はスッと通り、切れ長の目には赤く引かれたラインが良く似合う。妖艶さと淫靡を兼ね備えた正統派美人である。重めかしくも豪華な着物の上からでも分かる女性らしいその体つきがその妖艶さに拍車をかけ、お稲荷様でなければ僕のストライクゾーンを軽く抉っていただろう。抉りまくっていた。


「遊坐ちゃんと一緒には帰らないんですか?」


僕は微笑むお稲荷様に向かって静かに聞いた。何が失礼に当たるか分からないので、内心はハラハラドキドキものだ。竜西先輩と違って、今目の前に存在しているのは紛うことなき現象である。竜とはまた違った緊張感が僕を包み込む。


「そんなに緊迫されては、妾も話しにくくてかなわんのう。」

「お稲荷様と話すのは初めてなもので。」

「ほぅ…中々に多様な修羅場を潜ってきたと見えたが…そうかそうか狐は初めてとな?」

「はい。貴方の様な位の高い狐は初めてですね。」


僕がお稲荷様と話すのが初めてだと知って、彼女はなぜか少し嬉しそうだった。


「お前様は見る目があるのう。否、視る目…かのう?この尾が視えているとは。」

「視力には自信があるもので。」


フワフワと揺れる尾を見ていると、気持ち良さそうで触れてみたくなる。それはそれは素晴らしい手触りなんだろうな、と勝手に想像してみた。


「お前様程に視える者と言うのも珍しい。多少、幽霊や俗物が視えたとて、妾やその尾の数まで視える輩は数える程に居るまいよ。」


「せいぜい妾を狐として視るのが精一杯、と言った所かのう。」


お稲荷様は両手で手遊びする様に狐を作り、コンコン!と鳴き声を付け足した。その仕草は僕の緊張を解すための冗談かの様にも思えた。


「それで、そのお稲荷様は───

「待て待てお前様。折角なのだから妾の名を聞いておけ。いつまでもお稲荷様お稲荷様と呼ばれていては心持ちが落ち着かぬわ。」

「それは…すみません。気付かなくて。」

「まぁよい。妾も名乗る事など数百年無かったでのう。今の内に一度名乗っておかねば自分の名を忘れてしまうやも知れぬ。」


お稲荷様はまたもコロコロと笑いながら僕を試すようにちらりと見る。彼女は特に自分の名前に対して執着が無いみたいだ。本来なら僕に限らず人間に対して名乗るなど、プライドの高い狐なら許さないだろう。位が高い分、寛容なのか。名前を知られても別段問題ない程その力が強いのか。


「妾の名を聞くだけでそんなに畏まられてものう…反応に困る所だが。案ずるな、只の名であろう?」


どうやら後者のようだ。名を知られても特に困る事など無いと言いたげな表情から、僕はそう悟った。


「それじゃあ…聞いておきます。」


僕は伺うように彼女を見る。ふわりと少し座り直しながらお稲荷様は、そうするが良いと微笑んだ。


「改めてのう…お前様よ。妾の名は狐津木月きつつぎつき。気軽に"こんちゃん"とでも呼ぶが良いぞ。」

「え?」

「名を聞いておいて、え?とはどういう事かのう。」

僕の間の抜けた相槌に、彼女は少し眉を顰めた。狐津木月と言う名前にこんちゃん要素が一つも無かったのにも驚いたし、何よりその名前がそもそも意外だったのだ。僕的にはもっと仰々しい名前を想像していたのだけれど、まさかそんな人名の様な名前だとは思いもしなかった。有り体に言えば拍子抜けである。

まぁ確かに名前を聞いておいて、こんな事を考えている僕は失礼そのものなのだろうけれど。


「意外…といった顔かのう?」

「えぇ、その通りです。」

「名など何でも良いでは無いか。呼びやすい、覚えやすい、忘れない、それが大事であろう?」


まぁ確かにこの見た目でこんちゃんなら、一生僕の脳内からは消えそうに無い。


「それでお前様よ。妾の自己紹介も済んだところで、本題と行こうかのう?」


本題。名前に関しての衝撃で一瞬忘れてはいたが、彼女も僕もその本題の為にここにいるんだった。何も彼女が名前を名乗る為、雑談をする為にここに残った訳では無い。


「狐津木さんを見込んで、単刀直入にお伺います。」

「こんちゃん。」

「……こんちゃんを見込んで、単刀直入にお伺います。」

「うむ。何でも申せ。」


この数分で、僕は彼女とまともに話せるようになって来ていた。初めは確かに緊迫した雰囲気があり、恐れ多くて緊張していた。然し彼女の柔和な対応と話しやすい人柄に、僕はいつの間にか普段通り穏やかな心境で話せる様になっていたのだ。


「何故、こんちゃんが遊坐ちゃんに憑いているのか…それは何となく分かります。でも…未だにその傍を離れないのは何故です?」


こんちゃんは「うーむ…」と首を傾げる。


「そうじゃのう……心配だから、かのう。」

「心配?」


言葉を選ぶように絞り出した答えは、意外と言えば意外。お稲荷様として普通と言えば普通。そんな答えだった。


「まぁ始めはお前様の思う通り、妾の稲荷像を主様が直してくれたのがきっかけじゃのう。」


「妾の稲荷像、とは言っても正確には違うのじゃが…まぁ二百年も住んでおれば、もう妾の稲荷像と言っても過言ではあるまい?」


一体何年生きているんだ、と聞きたくなる発言だったけれどそれは今は置いておこう。女性に年齢を聞くのはジェントルマンじゃあ無いと竜西先輩も言っていた事だし。とりあえずこんちゃんはその稲荷像のある小祠の神様では無いと言う事か…。だから遊坐ちゃんに憑いて回っていても問題無かったんだな。


「始めは直して貰ったお礼にと、主様の元へと出向いた…。」

「だがのう…」


「戻れなくなった。」


一瞬僕は、迷子?と思わなくも無かったが、こんちゃんの表情からそんな簡単な話では無いと悟った。二百年もその辺りに住んでいて、今更迷子になるなんて事も有り得ないだろう。


「心配で、ですか?」

「そうじゃのう。主様は妾から見て…とても不安定じゃ。」

「遊坐ちゃんが不安定?」


あの口を開けば超絶毒舌娘が?


「脆い、儚い、とはまた違うが…危うい、際どいと言った方が正しいかのう?」

「確かに。僕の中では要注意危険人物ですからね。」

「お前様はかなり主様に敵対されておるからのう。」


そう言ってコロコロと笑いながら僕の軽口を受け流す様は流石だ。


「まず主様は寝床を決めておらぬ。いや、拙宅は一様あるのじゃが…月の殆どはそこへ帰らず、公園や路上脇で過ごしておる。たまに学校の部室?とやらで寝泊まりしておるのも見るのう。」

「それって…」

「現代で言う、家出少女とやらなのかのう。」

「どうして遊坐ちゃんはそんな暮らしを?」

「さぁのう…そればかりは妾でも分からぬ。とくに親に折檻されておる所など見た事も無いしのう…。」


家出と言われればまず家庭環境を疑うのがセオリーだが、こんちゃんの話を聞けばそれ程までに劣悪な家庭環境では無さそうに思える。


「然し…主様からは、危機感や懸念、危惧や自愛を一切感じないのじゃ。年端も行かぬ娘が、何をどう経験すればあそこまで自分を顧みずに生きられるのか…妾の方が気掛かりになってしまってのう。」


「七百年生きておるが、あの様に空っぽの娘を見たのは初めてじゃ。」


「危なっかしくて見ておれぬ。」


こんちゃんは口を尖らせてはいたものの、それでも遊坐ちゃんの事を思いながらかそう付け足した。


「だから一週間前から世話を焼いてるんですね。」

「まぁ、のう。ちとやり過ぎたかのう?」


やり過ぎたとは言うものの、全く反省はしていない顔だった。狐のテヘペロ何て、一体どこに受容があるんだか。


「本人に気付かれちゃってますしね…と言うか、こんちゃんは彼女の毒舌に関しては何も思わないんですか?」


あれだけ邪魔者扱いされていて、実際の所心境はどんな感じなのか知りたい。僕でさえまだ小憎たらしいと思うのに。あ、本音が。


「毒舌?いやいやお前様よ。あんな小娘の吐く毒なんぞ、妾は痛くも痒くもないのう。」


七百年は伊達じゃないな。さらりと小娘って言っていたけれど。


「それは痛くも痒くもないんじゃがのう…妾の姿が主様に視えないと言うのは……少しばかり痛い、かのう。」


僕の家に来てから絶やした事の無かった笑顔に、小さな影が差す。こんちゃんは短く溜息を吐きながら、さっきまで遊坐ちゃんが使っていたカップにそっと触れた。僕はこんちゃんの気持ちを分かってはあげられないが、本来両者は交わらない存在である。僕の祖父である天井宗と四龍である竜西九が結果的にそうであった様に、こんちゃんと遊坐ちゃんも交わらない存在。交わってはいけない存在である。


「分かっておるよ、お前様。」


僕の考えを察してか、こんちゃんは小さく笑い声を洩らしながら顔を上げた。


「妾も無駄に七百年生きている訳では無いからのう。そんな事は、分かっておるよ。只のう、そんな永遠とも言える時を生きてきた妾を…初めて視るのが主様でなくて少し残念に思っただけじゃ。……いやっ、お前様が悪いと言うわけではないぞ!妾はお前様とこうやって話せて愉快であるし、満足しておるからの!」


そう言って少し慌てるこんちゃんに、僕はついつい笑ってしまった。

僕には、天來にも、勿論の事遊坐ちゃんにも、叶わない事が沢山ある。努力して報われない事も、頑張っても成し得ないことも、気付いても手遅れだった事も、沢山あるけれど。

こんちゃんや竜西先輩の様な存在だからこそ、叶わない事だってあるのだ。彼女達にとって、僕達の当たり前は当たり前では無く、掛け替えのないものなのだろう。目の前の者に手が届かない苦しみや、声を届けられないもどかしさ、気持ちを伝えられない葛藤を嫌という程味わって来たに違いない。


それでも彼女達は、いつも笑うのだ。


巡り会えて良かったと。

出逢えて良かったと。


こんな僕に隔てなく、いつも笑うのだ。

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