第34話
しばらくして馬車の中から助け出された子爵令嬢は、見た目から考えて年の頃はシルヴィアやルシアとそれほど変わらないように見える金髪の少女であった。
着ていた衣服はさすがに色々と問題が生じて着続けることができなかったのか、人目からその姿を隠してくれていた馬車の中で脱ぎ捨てられていたようで、シルヴィア達の手を借りて出て来た時には全裸の上に全身を隠す布をかけられただけというかなり悲惨な格好になっている。
体の汚れの方は、騎士達や斥候達がどこからか持ってきた水や布で拭われており、馬車の近くでは斥候達が焚き火を焚いてお湯を沸かし、おそらく相当衰弱もしているであろう子爵令嬢のために白湯の用意などがされていた。
「ご苦労さん。問題ねぇか?」
馬車の中から連れ出した少女を、騎士達に任せて戻ってきたシルヴィアに、レインが労いの言葉をかけるとシルヴィアは顔に柔らかな笑みを浮かべた。
「そうですね。衰弱はありますが、体の方に問題はないようです」
「そりゃ何よりだが、シルヴィアは?」
「私ですか? 特に問題ないですよ?」
同性のそれなりに衝撃的な姿を目の当たりにした上に、臭いや汚れの酷い馬車の中にいたシルヴィアを気遣ってのレインの言葉であったのだが、シルヴィアはそれより先に子爵令嬢のことを気にしているのだと思ったらしい。
だがその気遣いが自分に向いていたのだと知ると、嬉しそうな顔になる。
「クラース。あんたはあぁいう気遣いをボクに向けてくれたりしないのかな?」
「いや、お前見るからに平気そーだし」
そんなレインとシルヴィアの姿を指さしながらのルシアの問いかけに、答えるクラースの声は非常に簡単で素っ気のないものであった。
確かにルシアはやや疲れのようなものが見えなくもないシルヴィアに比べると、元気そのものといった雰囲気を漂わせてはいたのだが、あまりにあっさりとクラースにそう断言されればいい気はしない。
むっとした表情から繰り出される側頭部を狙ったルシアの上段蹴りを、体を逸らすことで軽々と回避してみせたクラースはなおも攻撃を続けようと身構えるルシアへ掌を向けて制した。
「協力に感謝したいのだが、話はできるだろうか」
いきなり蹴りを放ったルシアに驚いているのか、騎士の一人がおずおずといった感じでクラースに会話の許可を求めてきたのである。
「構わねーが、何か面倒事かい?」
感謝の言葉だけでは終わりそうにないらしいことを、騎士の言葉の中からなんとなく感じ取って尋ねるクラースに、騎士は小さく頷く。
用件を話してみろとばかりに視線で促すクラースへ、騎士は一つ咳払いをした後で持ってきた話を切り出した。
「まず子爵ご令嬢に関する助力に感謝したい。これについては諸々の問題が片付いた後に、必ずや謝礼を約束しよう」
諸々の問題といわれてクラースの顔が渋くなる。
いちおう神官のシルヴィアが口添えしたということで、クラース達が今回の子爵令嬢誘拐に係わっていなさそうだということは、騎士達にも理解してもらえているのだが、完全に無罪放免となるまでにはあちこちに事情の説明をしたり、承認をもらったりしなければならないはずで、それにかかる手間の多さがクラースをうんざりとさせた。
「その上で、こちらから頼みたいことがあるのだ。受けてもらえるならばお前達が抱える問題のかなりの部分が軽減されると思うのだが」
「タダ働きは御免だぜ」
いくら手間がかかるのが嫌だとはいっても、無料でいいように使われるというのは我慢がならないクラースである。
もっともかかる手間の量によっては、ここで無料で使われた方がまだマシになる可能性もないわけではないのだが、釘だけは刺しておかなければ何を言われるか分かったものではない。
その辺りのことは騎士も分かっているようで、クラースの言葉に首を縦に振った。
「もっともだ。満足いく額かは分からないが、追加の謝礼も約束する」
「そりゃ悪くねー話だ。何をして欲しいってーんだ?」
多少なりとも謝礼が出るのであれば、それはきちんとした仕事である。
仕事を遂行した場合、さらに面倒事まで減るのであればクラース達にとってはいいこと尽くめであり、断る理由は激減するのだがそれも騎士がこれから何を言いだすのかによるところが大きい。
「実は……あまり恰好のいい話ではないのだが。子爵ご令嬢を誘拐した奴らを追うために編成された我々ではあるのだが、帰りの道中に不安があるのだ」
騎士の言葉にレインとクラースは意外そうな顔になる。
騎士達は貴族に仕えるものであり、その辺にいくらでもいるゴロツキ達とは異なり正式に訓練され、戦力として働けるだけの能力を持っているはずなのだ。
当然、七人も騎士がいれば小規模な盗賊に襲われたとしても一方的にこれを蹴散らせるだけの力があるはずであり、そこに別部隊である斥候達まで加わるとなれば、子爵令嬢を護衛しながら移動するという難点はあるものの、道中が不安であるというような言葉は出てこないはずであった。
しかも騎士達は正規の兵士であり、レイン達のような冒険者相手にそのような弱音を吐くようなことは普通に考えればまずないことである。
いったいどういうことなのかと不思議に思うレインとクラースに加えてルシアもまた不思議そうな顔をしていたのだが、一人シルヴィアだけがなぜか納得顔で何度も頷いていた。
「おかしくねーか?」
「俺もおかしいんじゃねぇかと」
「ボクも理解できないよ」
「私はその……実情は別として騎士様の不安は妥当なものではないかと」
シルヴィアはルシアの斥候としての実力を知っている。
さらに先程レインやクラースが騎士相手に戦うところも目にしていた。
それらの情報から導き出される答えは、冒険者相手にかなりの不覚を取った騎士や斥候達が実は自分達の戦闘能力はたいしたことがないのではないか、という疑念に囚われてしまったのではないか、ということである。
実際にはレイン達やルシアの能力が、駆け出しの冒険者という称号にしては異常に高いだけどいうことであるのだが、騎士達からしてみれば自分達よりも少数の冒険者相手に歯が立たなかったという事実だけが残されており、帰途にレイン達のような存在が立ち塞がれば、子爵令嬢を領地内まで護衛することができなくなるといった不安に駆られているわけであった。
「そうなりますと騎士様のご依頼というものは……」
「我々と同行し、ご令嬢を護衛して欲しいのだ。無論、その分の依頼料は十分に出すとは言えないが、出ることは私が約束するし。この依頼を引き受けてもらえればお前達に我が主への害意がなかったことの証明にもなると思うのだが、どうか」
騎士の申し出は、なるほどと納得してしまうようなものであった。
今回救出した令嬢の親である子爵も、事情を知らない冒険者が巻き込まれていたというだけの情報ではそれをどう理解するのか分からないが、その冒険者が令嬢の護衛を引き受け、領地内まで無事に護衛したのであれば子爵の心象もいくらかよいものになるかもしれない。
「悪い話ってわけじゃねーよな?」
「そういうわけでもねぇとは思うが……」
ぼそぼそと小声で言葉を交わしたクラースとレインは、そんな二人の様子をどこか心配そうに見ている騎士の方を同時に見ると、クラースが代表してなのか口を開く。
「ちっと待ってくれ。意見をまとめっから」
「う、うむ」
やや横柄なのではないかと思われるクラースの言葉に気を悪くすることなく騎士は頷き、それを確認してからクラースはシルヴィアとルシアの二人も近くへと手招いた。
「俺は受けても構わねーと思うんだが」
「俺も同意見じゃあるんだが……騎士が俺達に助力を願う理由てのが気になる」
「だよねぇ。七人も騎士がいるんだし、誘拐犯はここでほぼ殲滅したんだし。不安に思うような理由が特にないんだよねぇ」
「あー……えーと……」
この四人の中において、騎士が帰り道を不安に思う理由に思い当たっているのはシルヴィアだけであった。
だからこそ騎士の申し出に不審さを拭い去れないレイン達なのだが、その様子を窺いながらシルヴィアはどうしたものかと考える。
流れに任せてしまえば、なんとなくではあるのだがクラースは話を断わるのではないか、とシルヴィアには思えた。
確かに話としては悪くない話ではあるのだが、それだけに理由が分からないという点から騎士の話は疑わしいものとなってしまっており、素直に引き受けられるような状況ではないからである。
だが、シルヴィアとしてはあの衰弱してしまった子爵令嬢を、親元へと無事に帰してあげたいという気持ちがあった。
これはシルヴィア自身の性格からくる考えでもあるのだが、神官としても困窮する者を見捨ててはおけないという気持ちもある。
「レインさん、どうにか騎士様の申し出を受けてもらうわけにはいきませんか?」
策を弄するということも考えてはみたのだが、シルヴィアからすればレインもクラースもそういうことには慣れていそうな元傭兵であり、ルシアに関してはそこそこの期間の付き合いから、自分が騙せるような相手ではないことは分かりきっていた。
ならばここは率直に自分の希望を伝え、お願いしてみるしかないのではないか、という結論に至ったシルヴィアはなんとなくではあるのだが自分の意を最も汲み取ってくれそうな相手としてレインを選択する。
「騎士様の部隊は追跡を任務とされていたせいで、男性ばかりとお見受けします。そこのあの衰弱してしまったお嬢様をたった一人にしてしまうのは同性として見過ごすわけにはいかないのです」
「まぁそりゃな……道中、女手がある方が何かと助かりゃするんだろうが」
「神官としても、困っている方を助けないというのは神のご意思に反することになると思うのです」
「言いてぇことは分かるんだがなぁ」
正直なことを言えばレインは受けても受けなくともどっちでもいい、というように考えていた。
依頼料を貰え、子爵からの疑惑も薄れるのであれば騎士の依頼を受けても利点はあるだろうし、それを不審なものとして依頼を受けなくとも、探られて痛い腹があるわけではないからだ。
だが、面と向ってシルヴィアにそのように訴えられれば、そっけなく依頼を引き受けないとはなかなか言い出しづらく、ちらとクラースの方を見てみれば、そこにはクラースとルシアが並んでにやにやと笑いながらレインとシルヴィアのやりとりを見守る姿があった。
「何見てやがる」
「いやいや、それでどう答えるつもりだってーんだレイン?」
「ボクも、レインの答えにはすっごく興味があるなぁ」
笑顔の二人にレインは苦虫を噛み潰したような顔を向ける。
二人の表情からはレインがなんと答えようとも、茶化そうという気持ちがダダ漏れになっており、それならばいっそはっきりと答えてしまえとレインは腹を決めると、自分の答えを待っているシルヴィアに告げた。
「分かった。兄貴とルシアがどう答えるか知らねぇが、俺は引き受けよう」
「レインさん! ありがとうございます!」
望む答えが得られて嬉しそうにシルヴィアはレインの右手を握る。
義手ではない方の手を握られて、驚くやら慌てるやらのレインを放置してルシアとクラースは結論が出るのを待っている騎士へと向き直った。
「騎士さん、そういうわけなんで」
「冒険者四人分の護衛料。いくらくれるつもりかしらねーが、ちっとは弾んでくれることを期待してるぜ」
「お? おう、分かった。できる限りのことはさせてもらおう」
話の流れはどうであれ、どうやら四人揃って自分の依頼を引き受けてくれることになったらしいことを知り、騎士は内心安堵に胸を撫で下ろしながら外見上はできるだけ余裕たっぷりに頷いてみせるのであった。
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