栗きんとん~乙女の恋は秋に散る
信州の秋は早い。校庭の隅に植えられたもみじの木はもうかなり色づいている。
ちょうど、調理実習室の窓から見えるその木は、夏の間、強い日差しをさえぎり、涼しい木陰を作ってくれた。
加奈子、千紗、そして私の定位置。
3人で、夏の間、サッカー部の練習風景を見ていた。野上君と付き合っている加奈子に付き合って。でも、私はサッカー部の練習を見ては居なかった。
私が見つめていたのは篠井君。
彼だけ。
他の部員と比べて、やや筋肉が足りないのではと思われる細身の長身。
走る。――立ち止まり、ユニフォームの袖で汗をぬぐう。――チームメイトと交わす会話。――横顔。――汗のしずくすら、いとおしいと感じる。
――そんな片思い。
家庭科の教師の声が現実に引き戻す。
「裏ごしが終わったグループから、砂糖を加えて茶巾にしぼってください」
目の前には、ボウルいっぱいの、裏ごしされた栗。
今日は「地域のお菓子」の調理実習だ。信州の名物のひとつである『栗きんとん』。
正月に食べる、栗の甘露煮に芋餡をまぶしたものではない。鬼皮を剥いた栗を茹でて、裏ごしし、砂糖と混ぜ合わせ、茶巾しぼりにして形を整える。それだけの、ごくシンプルな菓子だ。
東京からこちらに引っ越してきた当初は、同じ名前で違う菓子が存在することに素直に驚きを感じた。
こちらに来て、1年弱。なんとか、クラスに居場所を作ることができたのは、加奈子と千紗のおかげだ。2人とも優しいし、この地域の中学校から進学してきた仲のいい子たちの輪に積極的に加えてくれる。この地方独自の習慣や風習について教えてくれたりもする。
私は、彼女たちにいつも気兼ねしながらも、必死に「感じのいい女の子」を演じる。
先ほどとってきて、洗っておいたもみじの葉を皿の上に敷き、出来上がった栗きんとんをそっと載せる。
教師が声をかけてくる。
「あら、素敵ね」
「あの木から、一枚だけ、葉っぱをとっちゃいました。」
ペロリと舌を出し、ことさらに、明るく、茶目っけを出す。
この家庭科の教師は甘い。
同じグループの千紗は、幸せそうに2つの栗きんとんを小さな入れ物に入れている。
調理実習では、よくある風景。彼氏のいる女の子たちは、少し小さめに作って、個数を増やすのだ。それを、後で彼氏と一緒に食べる。
どこの学校でもある、ちょっとした授業の脱線。先生も、見てみぬふりをしてくれる。
私もそうしたかったのに――。
もみじの木が作る木陰で、私達はその日も練習を見ていた。
突然、千紗が言い出した。
「私、篠井君が好き、なんだよね」
頭が真っ白になって、何も言えなくなる。
――なんで? 知ってたんじゃないの? 私の気持ち。私に「いつも篠井君のほう、見てない?」ってこの前言ったよね?
加奈子がいつもの明るさで言う。
「え? そうだったの? 篠井君、彼女とか居ないよね? え、付き合っちゃえばいいじゃん」。
――ダメだよ、そんなの。ダメ、ぜったい。
「2人とも、応援してくれる?」
私は、笑顔を作って頷いてしまった。そんなの、絶対に認めたくないのに。
その後、1週間ほどで、篠井君と千紗は付き合うことになった。加奈子が、半ば強引に2人をくっつけたのだ。
私は、笑顔で言った。
「良かったね」
――ぜんぜん、良くなんかない。
私は、エプロンのポケットから、こっそり紙包みを取り出す。中には、焦げ茶色の粒子の荒い粉末。それをボウルに、1個分残った栗に混ぜ混む。手早く茶巾にしぼる。
千紗が作ったものと同じくらいの大きさの、特別な栗きんとん。
中に入っているのは、数日前に手に入れて、入念に乾かして粉状にした毒キノコ。信州では、少し郊外に出れば、キノコが簡単に手に入る。
後片付けの時間は、みんなバタバタしているから、千紗のものとこっそり摩り替えるのは簡単。
摩り替えるのは、1つだけ。
どっちが食べてもいい。ふたりが付き合い続けさえしなければ。
でも、2人一緒に死ぬのはダメ。もし、彼が食べたら、私も一緒に死んじゃおうか――。
毒キノコがどうして入ったのかと、大人たちは騒ぐのだろうか。
どうでもいい。
私の夏は終わったのだから。
秋の風が校庭のもみじの木の葉を揺らした。
たぶん、目にごみが入ったのだろう。
涙が流れた。
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