第20話 柔らかい意志 (春馬 莉子)
黒執から依頼の内容を聞いた私は、今度こそと意気込み廃校舎からやってきた。
時刻は既に月が登りきった頃。
黒執の「善は急げだよ」という言葉に従って、廃校舎から走ってきた訳だが(人が少ない通りでは『高速移動』を使わせて貰った。お陰で経過時間は数分だ)、しかし、よくよく考えれば、あの二人が遅くまで仕事をしているとは限らないじゃないか。
だが――『明神興信事務所』の二階の光は灯されていた。
私がここに来た目的は勿論、明神 公人達に竜の〈悪魔〉が廃校舎に住んでいると伝えるため。同じく〈ポイント〉を集めている〈悪魔〉の情報は、あの二人だって喉から手が出るほど欲しい筈だ。
二人は必ず廃校舎を調査に来る。
黒執の力は知っているからこそ、警戒はするだろうが、二人は私の存在には気付いていない。『高速移動』の速さは、普通の人間には視認できない。
いうなれば、別の時間軸を移動しているのだから。
私と黒執の能力と、生活しなれた廃校舎に罠を仕掛ければ、必ず正大 継之介と明神 公人を倒すことができる。
黒執は力強く言い切った。
「どれだけ、格好つけて屈強に言葉を吐こうとも、陰険であることには変わらないんだけどね」
まあ、ただの高校生でコネも知識もない、スクールカーストで言ったら最下層にいる私達が、『興信事務所』を経営する明神 公人達に勝つ方法など、それくらいか。
姿が知られていないアドバンテージと、待ち伏せをすれば、確実に始末できる。
「でも……。本当にいいのかな?」
あの二人を倒してしまって。
いや、明神 公人や正大 継之介が私達の邪魔になるのも分かる。『興信所』を使っての情報集めや、共に戦う仲間がいるのは、正直羨ましい。
それらを使い〈悪魔〉を詮索されたら、〈ポイント〉は全て奪われてしまう。
けど、それは決して利用価値がないわけじゃない。
二人の周囲にいれば、無条件で〈悪魔〉に辿り着ける。
黒執だって、それが分かってたからこそ、この一か月、手を出さなかったわけだし。
けど、その上で私にこの策を伝えたということは、利益よりも妨害の方が大きいと判断したのだろう。
何を取って何を捨てるのか。
既に黒執の中で答えは決まっているようだ。
損得勘定で人の命を奪おうとする黒執。
一緒にいて頼もしいのだけれど――時々、怖くもなる。
あの鯨みたいな〈悪魔〉を倒した時もそうだ。
私が邪魔をしなければ、黒執は平気で女子高生を殺していた。
今はまだ、私にも助ける余裕はあるし、黒執も「助けられたら助ける」というスタンスは保っている。でも、今後、〈悪魔〉との戦いが激化したら、今回のように上手く救うことができただろうか。
「って、何考えてるの私! 正しいのは黒執でしょ!」
目的のための犠牲はいくらでも払う。
その考えは間違っていないんだ。
それは、〈並行世界〉に来たときに覚悟したことじゃないか。
「正しいのは……黒執」
……頭で理解しても、実行できる度胸は私にはないようだ。
黒執の作戦に従って動いてはいるものの、果たして、それでいいのかと悩んでいた。
――だって、それは、人を殺すという行為なんだから。
〈悪魔〉とは訳が違うよ……。
悩むくらいならば、黒執の策を受けなければいいのだろうが、そこで頷いてしまうのが私の性格だ。
引き受けて逃げ出す最悪な女だ。
ここが〈並行世界〉でなければ、いつものように、この場から逃げ出していただろうが――今は逃げることは許されない。
「莉子。莉子は優しいわね。姉として一緒に暮らせて嬉しいわ」
そう言って、いつも私の頭を撫でてくれた姉が囚われているのだ。
私の手にお姉ちゃんの命が掛かっている。
現実世界から『景品』として連れて来られたお姉ちゃんの命が。
私が助けたいのは――1人だけだ。
私は意を決して建築物の中に入る。
階段を上がり二階にある『明神興信事務所』の前で、一息休んで部屋に入ろうとした時――中から正大 継之介の声が聞こえてきた。
「許せないな。共に過ごした人間を騙していたなんて。こいつにとっては遊びかもしれないが、この写真に写っている友人たちにとっては楽しい時間だったかもしれないのによ」
どうやら、〈悪魔〉になった人間のことについての発言らしい。
明神 公人の言葉で私は直ぐに理解した。
正大 継之介は〈悪魔〉に騙された人のために本気で怒っていた。
「…………しまった」
私の九州のうどんのような柔い意志は、直ぐに「くたっ」と折れてしまった。自分でもびっくりなほどに、ふにゃりと千切れ、熱湯の中を彷徨(さまよ)いながら、細かくちぎれて溶けていく。
こんな時、お姉ちゃんがいたら、「じゃあ、こっちにしようか」と優しく決めてくれたんだろうな。心の中で、お姉ちゃんに聞いてみるが、答えは帰ってこなかった。
本気で怒る正大 継之介の感情に触れた私は、再び扉から手を放した。
私はどうすればいいんだろう。
考えを揺さぶられるのはあんまり好きじゃないんだけど……。
〈並行世界〉の人々も、本気で救おうとしている。
捕らえられた愛すべき人も、全てを対象に守ろうとしているのだ。それは、これまでの戦いを見たうえでも明確だった。
玉の輿を狙って身体を売った女性を助け、人質になった女子高生たちのために自分の命を危険にさらした。
それは――私と黒執とは正反対の考えだった。
「〈景品〉にされた『人間』――愛する人を助けるためなら非情になる」
私と黒執が最初に決めたことだ。
だから、黒執は正しい。
私は大好きな「お姉ちゃん」を助けるため。
黒執は「初恋の人」を助けるため。
私達は、その一人を助けたいがために〈悪魔〉と戦っていた。
そう。
ここは私達の世界じゃない。
〈並行世界〉だ
「私は最初からここにはいない。関係ない。だから、この世界の人々まで救う必要はない」
お姉ちゃんを助けて元の世界に帰るんだ!
伸ばしていた手を下げて、私は自分の顔を叩く。
甘いことは言っちゃだめだ。
お姉ちゃんを助けるために戦わないと。
ハリガネの意思を持たないと。
「もう、二度と迷わんばい!!」
なぜか、九州弁になってしまったけれど、気合を入れて、今度こそ迷わずに手を伸ばす。
すると――自動で扉が開けられた。
『明神興信事務所』の扉は自動ドアじゃない。ドアノブの付いた押戸だ。
それなのに、なんで勝手に開かれたのだろうか?
答えは簡単で中から明神 公人と正大 継之介が出てきた。
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