Unsheathed・Bias
誇高悠登
第1話 並行世界の〈悪魔〉 (正大 継之介)
高層ビルの屋上。
夜風に吹かれながら俺は地上に視線を落とした。小さな光を灯した車達が、赤、白、黄の光を混濁させ、枝分かれする川のようにゆっくりと流れていく。止まることなく流れていく光を眺めて俺は呟いた。
「この世界が、俺達の知る世界じゃないなんて――いまだに信じられないな」
自動車も信号も全て俺が良く知るものだ。
それなのに――。
俺の声は風に包まれ消えて行く。それは、俺が立つこのビルも、剣山の如く連なる眼下の光景も、全てがお前の知る世界ではないと告げているようだ。
「厳密には、この世界は僕達のよく知る世界だよ――継之介(つぎのすけ)。ただ、分岐点が違うだけでさ」
独り言のつもりだったが、隣に立つ公人(きみと)には聞こえていたのか。片耳に髪を掛けた公人は薄暗い闇の中でも綺麗だった。
公人は男性ではあるが、「綺麗」という言葉が一番似合う幼いころからの親友で、この世界で唯一、俺と同じ世界から来た相棒だ。
公人は、どこか儚げな表情で俺に言う。
「違う世界全てを異世界と区別すればそうなるだろうけど、この世界は、〈並行世界〉や〈パラレルワールド〉と言った方が相応しいと思うよ?」
「……別に結局は違う世界なんだから、異世界でもいいだろうが。俺の読んでた漫画じゃそう言ってたぜ?」
「漫画の情報を鵜呑みするなんて継之介らしいね」
「うるせぇよ!」
言いながら公人の肩を軽く殴った。俺と公人は幼稚園からの幼馴染。こいつが一緒じゃなかったら、〈並行世界〉で、こんな風に笑えなかっただろう。
地球と同じ世界に来て3か月。
だいぶ今の生活にも慣れてきた。
眼下を眺めていた視線を向かいのビルに戻す。灯りが点いた部屋を探すが、どこの部屋も暗い。流石に目立つ行為をとるほど相手も馬鹿じゃないようだ。
「それより――なんで僕たちは屋上にいるんだい?」
向かいのビルを観察する俺に対して、公人が肩を竦めて聞いてきた。
「なんでって、お前が調べてくれたんだろ? あのビルに俺達が狙ってる獲物がいるってよ」
俺達が狙う『獲物』は、この世界で、唯一――地球に存在しなかったモノだ。それが向かいにあるビルにいるという情報は、質問した公人が教えてくれたことだった。
自分が調べてきたことを忘れるなんて、緊張感のない奴だ。
俺は公人の質問に肩を竦めて応じた。
公人は昔から何をしても緊張しない人間だったが〈異世界〉にいる時くらいは気を引き締めて貰いたいぜ。
「確かに僕はそう言ったけど、聞いているのはそういうことじゃない。それくらい継之介にも分かるだろう? 相手があのビルにいるなら、そっちに行かないと意味ないんじゃないかと僕は言いたいんだ。何故、わざわざ違うビルの屋上に……」
夜風に吹かれながら、『獲物』がいるビルを眺めていても、何も始まらないと公人は言いたいらしい。俺達が侵入すべきビルには、一つの灯りも灯ってはいない。
だが、中に人がいることは確認済み。
だからこそ、公人は無駄な行為と分かりながらも、俺に付き合ってくれているのだろう。焦らなくても獲物を捉える自信があるのだ。
そして、それは俺も同じだった。
「いやさ。ほら、折角、〈並行世界〉にいるんだからさ。現実じゃ出来なかったことやってみたいだろ?」
「まあ――確かにそれには同意するよ。で、継之介がやってみたいことってなにさ。どうせロクでもないことだっていうのは分かってるけどさ」
公人が笑いながら言う。
流石は俺の相棒だ。
俺が何をしたいのか分かっている。
「それはなー」
俺は獲物がいるビルと反対に向かってゆっくりと歩く。屋上の淵についた俺は振り返り、公人に歯を見せて笑うと、
「こうするんだよ!」
向かいのビルに全力で走った。
そして、走り幅跳びの要領で俺達が立っていたビルの淵に右足を掛けて跳躍する――。
獲物がいるビルとの道路幅は、歩道も含めると世界記録を倍して届くかどうかの距離だ。少しばかり運動が得意な俺でも絶対に届かない距離だろう。
俺がいた普通の世界なら。
だが、ここは違う。
〈並行世界〉――異世界だ。
「うおおおおお!」
雄叫びを上げた俺は、世界記録以上の距離を跳ぶ。風が俺の背中を押すように強く吹き抜けていく。風によって飛距離を伸ばす俺の前に、目的のビルの一室が迫ってきた。
俺は両手を前で交差して衝撃に備える。
それからすぐに窓ガラスに身体がぶつかり、ガラスの破片が散らばる音と共に俺は着地をした。
「潜入成功だな!」
俺がやりたかったのは、こういう派手な潜入方法だ。日本でやったら、普通に犯罪だし、そもそも届かない。
潜入に成功した俺は、洋画に出てくるヒーローのようにポーズを決めて格好をつけた。そんな俺の左側から、「な、なんなんだ!」と喚く男と、悲鳴を上げる女性がいた。
外から見ていた時は、この部屋から光は漏れていなかったが、それはどうやら、完全遮光タイプのカーテンを降ろしていたからのようだった。
部屋の中は明るく二人の男女を照らしていた。
男の年齢は30代後半だろうが。スーツ姿と精悍な顔付はスーツ会社の広告にでも乗っていそうな容姿だった。もっとも、スーツのズボンを脱ぎ、ピンク色の下着が露わになっていなければの話なんだけどな。
服を身に着けていないのは、男だけではなかった。その隣でデスクを背に寄りかかっている女性もスカートを捲し上げ、下着を曝け出していた。
お子様じゃない俺は、その状況でこの2人がナニをしようとしていたのかは、容易に想像が付く。ま、あんまり、人の行為ってのは想像したくはないんだけどな。
「ラッキー。目的の『獲物』発見! お取り込み中悪いな。俺は人の行為を覗くのも、邪魔するのも趣味じゃないが」
言葉を切って二人の姿をみる。
それでも、今回ばかりは見過ごすわけには行かない。俺は人差し指を男に突きつけた。
「そいつは人間じゃないぜ?」
その言葉と共に俺は指を鳴らす。
真夜中のオフィスに乾いた音が響く。俺が指を鳴らしたのは別に格好を付けるためじゃない。これは攻撃だ。
男の皮を被った〈悪魔〉に対しての攻撃だ。
俺の指音に反応するかのように、男の身体が発火する。
「が、があああ!」
身体を包む炎に声を上げる男。
赤い炎が電灯よりも明るく燃える。煙を上げて燃える炎は、男の皮膚を、肉を、血を焼いていく。
上昇する熱を身近で感じた女性は、一瞬だけ呆然と立ち尽くすが、直ぐに熱さをその身に受けて避難するように距離を取り――俺に対してヒステリックに喚いた。
俺が〈悪魔〉であると。
「その力、まさか、あんた〈悪魔〉なの!? 炎を消して主任を返してよ!」
「俺が〈悪魔〉って――そんなわけないだろ?」
〈悪魔〉
それは、この〈並行世界〉を支配する化物で在りながら、俺と公人が狙う『獲物』だった。〈悪魔〉は俺達の世界で言うとこの物理やら量子なんちゃらを超越した存在らしい。
公人が言うにはな。
例えば指を鳴らしただけで人間を燃やすなんてことも出来る。今まさに、俺がしてみせたようにだ。
……だからこそ、彼女は俺を〈悪魔〉と勘違いしているのだろうが――残念ながら俺は〈悪魔〉じゃない。
そのことを証明しようとする俺よりも早く、公人が割れた窓から入ってきた。
人の二倍ほどの大きさを持つ巨大な
「明石(あかし) 伊織(いおり)。両親がこの会社の重役と仲が良く、コネで入社したお坊ちゃん。仕事はできないが、そのルックスと人を立てる性格から、嫌われてはいない。まさに、世渡り上手と呼ぶにふさわしい」
公人が燃え続けている男――明石(あかし) 伊織(いおり)の情報を、宙に浮いたままの態勢で口にすると、頭上で羽ばたく
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