その1 竜の夢

「マリアの光?なんだそりゃあ?」


 人気の無い高原で、一人の男と一頭の竜が座り込んでいた。よれよれの薄汚れたコートを着ているが、それとは対照的に銀色の髪が眩しい男がルート。黄金の鱗に覆われた立派な体躯の持ち主が

シーグラムという。彼の額では、いびつなくぼみができている白色の結晶クリスタルが輝いていた。


「リメア出身の画家、アンリ・ニューマンの新作だ。今は海を渡って、ランフスで公開されているらしいぞ」

「よくもまあ、お前はそんな情報を仕入れてくるよな」

「お前さんが昨日読んでいた新聞に書いてあったぞ。ほれ」シーグラムは、彼にとっては小さなカバンの中から、大きな爪を使って、器用に新聞を取り出した。

「ほら、このページだ」ルートはシーグラムから該当のページを教えられ、問題の記事を見つけた。

「ニューマンの新作、デュポン美術館へ」ルートは記事を読み上げた。「現在、リメア国立美術館に所蔵・展示されている、アンリ・ニューマンの最新作「マリアの光」が○月×日より、リュパ市デュポン現代美術館にて特別展示されることになった。現代美術界において、毎回物議を醸す作品を発表しているニューマン氏の最新作は、リュパ市民の感性を大いに刺激することだろう。——、ふーん。先週からもう公開されてんのか」彼が読んでいた新聞は少々古いものだった。

「で、シーグ。お前はこれを見たいと——」

「そうだ、大いに興味がある」

「でもこれ、変な絵だぜ。ほら、この写真よく見てみろよ」ルートは新聞に載っている白黒の写真を指した。そこには、灰色一色しか無い大きなカンバスが展示されている様子が映し出されていた。記事によると、この「マリアの光」という作品は、朱色一色しか塗られていないらしい。さらに、作者から白い綺麗な壁に展示することを指示されているらしい。

「だから気になるのだ。赤の世界で塗り固められた世界、白と赤の対比、それらがどのようなものか体験したいのだ」


 このドラゴンは、なぜか人間の芸術を好む。芸術だけではなく、文芸、工芸、学問などにも興味を持ち、多くの人間と交流を持った。戯曲家、音楽家、美術家、彫刻家、哲学者、などなど。もちろん、文化人以外の友人も多かったが、数え上げたらきりがない。彼は、そのような友人たちから多くの贈り物を貰った。本に楽譜スコア、絵だ。他にも、自身で集めてきた物もたくさんあるのだが、それらは今、遠く離れた隠れ家に大切に保管されている。

 そんな好奇心旺盛で勉強熱心な彼は、いつもルートが読んでいる新聞や雑誌で、現在の社会の情報を集めているのだ。


「こんなのがいいなんて、やっぱり俺には芸術は分かんねえなぁ。それで、お前はこれを盗み出して、一目見たいと——」

「私が見るにはそうするしか無いだろう。この身では美術館に入れん」

「はー…。あのなぁシーグ。この絵、どう見てもデカイだろ。こんなの盗み出せるかよ。お前の個人的興味のために骨を折るなんて、俺はゴメンだぜ。第一こんな仕事、一文にもなりゃしねぇ」

「ほぉ、やりたくないと言うか」

「やりたくないね」

「この間、誤って川に転落して溺れかけたところを私に助けられたのはどこのどいつかな」ルートは顔をゆがめた。

「ギャング団の仕事に横槍を入れて殺されそうになったところを切り抜けられたのは誰のお陰かな」ルートの顔はどんどん苦虫を噛み潰したような顔になっていった。

「他にもあるぞ。古美術商の振りをして資産家を騙そうとした時…」

「だぁー!!分かった分かった!やってやるよ。協力すりゃいいんだろ」

「ふふふ、持つべきものは友だなぁ」シーグラムは嬉しそうに笑った。

「借りを返すだけだからな」相棒とは対照的に、ルートは悔しそうに言い返した。


「それで、これからリュパに向かうわけだけども、あの辺りにお前が隠れられそうな場所なんてあったかなぁ」

「都市部はそれほど広くないし、郊外には緑が多い。丁度いい場所を見つけておくさ」

「オーケー。それじゃ、後で合流な」

 二人は、別行動で目的の場所へ向かうことにした。


 彼らは今、ランフス公国という、人口約一千万人の小さな国にいた。最も広大な大陸エウローサヴァ大陸の西側、エウロー地域の西端に位置する国だ。規模は小さいが国の歴史は長く、建国から千百年ほどが経つ。また、この地には二万年前から人間が住まっていた、ということが近年の研究で明らかになった。このランフスの最大の特色は、世界屈指の芸術の都だということだ。世界中の名だたる美術品、工芸品を多数所蔵し、そして建物自体も歴史的建造物だという美術館が国内にいくつもある。また、国が芸術振興事業を率先して行なっているため、美術や音楽を学んでいる学生や、今現在活躍している芸術家たちが集まっており、芸術界を盛り上げているのだ。


 その首都であるリュパ市は、国の中で一番大きい街だ。先ほど会話にあがっていたデュポン現代美術館もこの街にある。この美術館は五年前にできたばかりで歴史はまだ浅いが、莫大な資産を持つジョルジュ・デュポン氏が、その資材を投じて建設しただけあり、国内で三番目に大きい美術館となった。所蔵数もかなりのもので、現時点では国内トップの数字を誇る。というのも、有名な画家の作品はもちろん、無名の若手芸術家の作品まで集めて展示しているからだ。デュポン氏がこの美術館を建設した一番の目的は、若手の作品発表の場を広げるためだ。中々、作品発表の機会を得にくい若手の育成に多大な貢献をした、ということで、氏には国から勲章が与えられたこともある。


 今回の目的地であるリュパ市に向かうのに、それほど時間はかからなかった。ルート達はランフスの南端にある田舎村に滞在していたからだ。そこから北に向かう汽車を乗り継ぎ、半日ほどの距離である。


 ルートがリュパの中央駅に着いたのは夜八時をまわった頃だった。シーグラムの翼の方が汽車よりも早いため、彼はもちろんすでに到着していただろうが、隠れ家を見つけたという連絡は無かった。ともかく、明日は早速美術館に赴き、盗みの算段をするつもりでいた。ひとまず今夜の宿を探すことにした。

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