その9 炎の魔人

 シーグラムは慎重に、下へ降りて行った。地面に降り立っても、何も無く、ネズミ一匹すらいなかった。ここは上とは全く違った。床は無く、土と岩ばかり。壁も岸壁のようになっていた。それに瓦礫も多かった。ルートが向かった方向と同じ方に道が伸びていた。シーグラムはそっちへ歩き出した。


 ルートは、通路を抜けて下へ続く梯子を見つけた。かなりボロボロだが、どうやら鉄でできているらしかった。他はどこも瓦礫や土で埋まってしまい通れなかったので、その下へ向かうことにした。とはいえ、錆だらけの階段を無闇に歩くことはできなかった。彼は、自分の特殊な能力を使った。

 自身の影から出現した紐をスルスルと伸ばし、支柱らしきところへ巻きつけた。そうして、それを命綱として下へ降りた。

 この遺跡は、下降するほどに荒れていた。何かが崩していったかのように。ルートが、今しがた降り立った所も土山と瓦礫の量が多かった。だが、幸い目の前にある細い通路は通ることができそうだった。彼がそこを歩いている時、シーグラムから念話テレパシーによる交信が来た。


「そちらはどうだ?」

「鉄の梯子を見つけた。かなり錆びついてたがな。それ以外は特に何も。そっちは?」

「こちらも、先ほどの大穴からは何も見つけられなかった。それで今、お前と同じ方へ通じる通路を歩いているところだ」

「そうか、ならどっかで合流できるかもな」などと会話していた時、

 ズシン

と、突然振動がきた。ルートは一瞬動きが止まった。何が起こったのかと待ち構えていると、またズシンと振動がきた。シーグラムの足音では無い。ドラゴンよりも大きなものが歩いているかのような音だった。

「どうした?ルート」

「いや、なんかさ、すげー音しなかった?ほら、今も」

「確かに、遠くの方で何か大きな物が落ちたような——」

「てことは、俺の方が近くにいるのか。ちょっと様子を探ってくるぜ」

「死なない程度にな——」


 ルートは細い通路を抜け、別の通路に出た。そこは、人間が余裕を持って往来できるくらいの広さだった。道は曲線状になっていた。彼は、音がした方へ道なりに進んだ。何があるか分からないため、慎重に。


 その内に、ひらけた場所へ出た。そこは、先ほどシーグラムと分かれた場所のように広く、大きな穴が空いていた。ルートは、先ほどの通路からそのまま出てきたのだが、そこには鉄柵のようなものがつけられていた。彼は、その下を覗き込んだ。音がそこからしているような気がしたからだ。


 暗闇の中に、チラと明かりが見えた気がした。それが何なのかはよく分からなかった。だが、ずっと見続けている内に、段々それが大きくなるのが分かった。いや、こちらへ向かっているのだ。こちらへ昇る階段か何かがあるらしかった。

 ルートは、それが何かは正確に分からなかったが、怖気を感じた。これはやばいやつだと。森の大蜘蛛も、とても太刀打ちできるような相手ではなかったが、今、こちらへ向かってきている何かは、それ以上に強大なものだった。彼が身を引こうとした時、その何かと目が合った。炎の塊の中に、二つの眼が浮かび上がった気がしたのだ。

 彼は咄嗟に通路の先へ走った。すると、その何かも気がついたようだ。ルートの走る方向へ、大きな足音がしてきた。まだ、その何かが下の方へいるとはいえ、ルートは言いようのない恐怖を覚えた。

 ルートはとにかく走ったが、大きな足音との間隔は、次第に狭まっているようだった。ルートの走っている道の下は、暗闇が口を開けていた。ここは橋のようだった。ここの部屋は、今まで見てきた部屋のどこよりも広いようだった。

 橋のようになっている所を渡っていた時、後ろのほうで轟音が聞こえた。振り返ったルートの目には、火の粉が飛び、今まで通ってきた道が崩れ落ちてゆくのが見えた。下の方からは、雄叫びなのかは分からなかったが、この空間全体を震わすような到底人間の声とは思えない叫び声が聞こえてきた。そしてまた足元が揺れ、彼の今渡っている橋が崩されようとしていた。彼は走ったが、このままでは崩落に間に合わないと思い、腕を伸ばした。その腕からは、一本の黒い紐が伸びた。紐は壁の出っ張った岩に巻きつき、彼はそれにぶら下がる形となった。

 彼は、その何かを目の当たりにした。それは、まだ百メートルほど下の方にいたのだが、その巨大さはここからでも分かった。それは全身を炎で纏った巨人だった。恐らくシーグラムの十倍はありそうな大きさだった。巨人はその口から炎を吐き出し、再び雄叫びをあげた。そして、ルートのいる方を視認したのだ。ルートは黒い紐を使って壁を登り始めた。幸い、巨人が纏っている炎のお陰で明るく、どこに捕まる場所があるのかが分かりやすかった。それに、壁も真っ平らになっているわけではなく、先ほど掴まった岩のように出っ張っている岩や、足場のようなところもあった。

 巨人は、すぐには登ってこられなかった。彼の体格に見合う足場が無くなってしまったのだ。だが彼の起こす振動は、この遺跡全体を大きく震わせた。ルートはその振動によって、その時掴まっていた岩から手を離してしまったのだ。彼の体は、巨人の方へと向かって落ちていった。巨人がルートを摑まえようと片手を伸ばしていた。灼熱の体に少しでも触れれば一たまりもないだろう。ルートは腕から伸びる紐を、巨人のその手に巻きつけた。突然の拘束に怯んだ巨人は咄嗟に手を引いた。そのお陰でルートは、炎の手に掴まることなく、一瞬、ぶらんとぶらさがる形になり、すぐにまた跳んだ。跳んだ先には瓦礫の山が積み重なっていた。彼はそこに降り立った。そこまではよかったものの、巨人はすぐ目の前だった。ルートは、そのあまりの熱さにくらくらした。もうこれまでかと思ったその時、周りの岩や泥が一斉に宙を飛び、巨人に向かって投げられたのだ。その数は尋常ではない。巨人はその攻撃にバランスを崩し、後ろ向きに倒れたのだった。その倒れた巨人の背後から飛び出たのはシーグラムだった。


「シーグ!」

「今はとにかく逃げるぞ!」シーグラムはルートを掴まえ、上昇した。巨人はすぐには立ち上がれない様子だった。

「はぁ、まじで死ぬかと思った。助かったぜ」

「間に合ってよかった。あんな怪物、私でも手に負えん。とにかく退散だ」

「なんなんだよ、あの化け物」

「あれは恐らくバルログだ」

「バルログ?」

「赤い悪魔やリグレンの炎とも呼ばれる、神話や太古の歴史書に出てくる怪物だ。まさか実在していたとはな」

「バルログって、相当やばい奴なのか?」

「一晩で、五つの国を滅ぼしたとされる。あれ一体でだ」

「他にも複数いるのか?」

「神話の中では、世界に五体存在するとされていた。確か、何体かは倒されたという話しがあったはずだが、創作の域を出ないのでな——」と話していた時、下の方で轟音が響き、火の粉が飛び散った。バルログが復活したのだ。周りの壁が鳴動し、崩れてきたのだ。シーグラムは、なんとかその中で新たな通路を発見し、そこにとびこんだ。通路は、短い廊下のようになっており、そこを抜けると、再びだだっ広い空間にでた。


 バルログは、広間と広間を隔てていた壁を突き破ってきた。あたりに炎を振りまきながら。シーグラムの飛ぶ速さに巨人は追いつけないでいたが、口から凄まじい炎の放出によって攻撃してきた。その炎はシーグラムの尻尾を掠めた。さらに、あたりを炎の拳で滅茶苦茶に叩き、周りの壁などを崩落させてきた。

「くそ!行き止まりだ!」シーグラムは毒づいた。そこは壁と瓦礫があるばかりで、通路も何もなく、上も天井で塞がれていた。そうこうしている合間に、バルログは追いついて来た。そして、強烈な炎を吐いて来たのだ。シーグラムは横に避け、低空飛行でバルログの脇へ回り込んだ。そこへルートが、影の紐でバルログの両足を拘束したのだ。巨人はバランスを崩し、前のめりに倒れこんだ。巨人が前方の壁に倒れこんだお陰で、壁が崩れた。ルートは、まだ拘束を解かず、さらに紐の量を増やして足に巻きつけたため、巨人は暴れ、壁は完全に崩落した。


 壁の向こうは、この遺跡の外に通じていた。シーグラムは、素早く外へ出た。そこは、岸壁に囲まれた場所だった。だが、頭上には青空が広がっていた。彼はそこへ向かって飛んだ。周りの岸壁の幅は次第に広がっていった。ここは山と山の間にできた割れ目だったのだ。シーグラムに抱えられたルートはチラリと下を見た。もうバルログは追ってこないようだと息とついた矢先、瓦礫の山を突き破って、炎の体が現れた。巨人はまだ死んではいなかったのだ。そして、その巨人は、岸壁を登り始めたのだ。


「あいつ、不死身かよ」

「確か、バルログには弱点があったはずなのだが…」

「なんだ?」

「なんだったかなぁ…」

「まさか、忘れたのか?」

「忘れたなぁ」

「ふざけんなよ!このままじゃ、やべぇぞ!」

「そんなに何でもかんでも知ってると思われては困る。かと言って、あやつを野放しにしておくわけにもいかんし——」そんなことを言っている合間に、シーグラムは岸壁の合間を抜けた。そこには雪原が広がっていた。

「そうか、知らぬ間に山頂付近まで来ていたのだな」シーグラムは、ルートを降ろしたながら言った。

「ここで迎え撃つつもりか?」

「それしかないだろう」

「俺はとっても勝てる気なんてしないんだけどな…」

「ここは太陽に近い。私の力でなんとかしよう」


 そのうちに、炎の手が這い上がってきた。その炎の体は周りの雪を溶かし、茶色の地面を顕にした。バルログは足取り重く、こちらに近づいてきた。シーグラムは自らの額の結晶クリスタルに陽光を集め、それを一気に放出した。動きが鈍い巨人には避ける間も無く命中し、その巨大な体躯が沈んだ。だが、巨人はまだしぶとく生きており、必死に起き上がろうとしていた。そして、耳をつんざくような呻き声を上げた。それは、今まで聞いた雄叫びとは違い、苦しみもがくような叫び声だった。すると炎の向こう側で、巨人の体が次第に融解してゆくのが、かすかに見えた。巨人は艱苦の声をあげながらも、まだ起き上がろうと手を伸ばしていた。だが、その手が崩れ落ちた。時間を経るごとに、巨人の体が崩れ落ちてゆくスピードが上がり、巨人は最終的には、起き上がることもままならず、炎のみを残し、完全に消滅した。そして、その炎も次第に消えていった。


「……。何だったんだ?」ルートは、ぽかんとして口を開いていた。隣でシーグラムも呆然としていた。

「お前の攻撃が効いて、ああなったのか?

「そうだ、思い出した!あれは私の攻撃のお陰ではない。バルログの弱点は外気に触れることなのだ」

「え?それが弱点?」

「ああ。確かそうだ」

「そんな致命的な弱点持ってて、よく国をいくつも滅ぼせたな」

「話しの内容は正確には覚えていないのだがな、バルログの攻撃というのは、内部から行われていたようだ。だが、人間たちが外に引きずり出したお陰で、バルログの体は熔け、消滅したと言われている」

「はー、案外脆いもんだねぇ。あんなおっかない化け物だったのに」ルートは、バルログが溶け落ちた所へ近づいた。そこには、溶岩が冷えて固まったような灰色の固形物が溜まっていた。

 しばらく、バルログの残骸を眺めていたルートは、とあることを思い出した。

「あ!そういえば、地下遺跡のもの何にも持ってこなかった」

「というか、それ以前にお宝らしいものはなかっただろう」

「はー、バルログさえいなければ、もう少し探索できて、お宝が見つかったかもしんないのになぁ…」

「だったら、小人村のものでも持って来ればよかったではないか。遺物があれば、大発見だとして取り上げられるぞ」

「……。実は、なんにも持ってこなかった…」

「何だと!」

「いや、こんなことになるなんて思わなかったからさ」

「では村に戻るか?」

「シーグ、どこにあったか分かるのか?」

「………。」シーグラムは、黙ってしまった。

「まさか、お前覚えてないんじゃ——」

「そういうお前はどうなのだ?」

「……、覚えてない」二人は、お互いのバカさ加減にため息をついた。


「はー、こんなに苦労したってのに、報酬は何にもなしか…」

「ま、無駄にはならなかったんじゃないか?歴史の謎を垣間見ることができたし、私はおもしろかったぞ。長い間誰にも知られなかった小人村に、そこにある謎の遺跡と古代の怪物。話しただけでは誰も信じないだろうがな」

「そうだよ、証拠を持って来てこそ、俺たちの努力が報われるってのに——。なあ、シーグ。今度からは、確実に金になりそうな仕事やろうぜ」

「そうだな。ならば、どこへ行く?」

「そうねぇ…。じゃあ海を渡るか。大陸なら、色々おもしろいことあるだろうし」

「ふむ、名案だ。久しく海を出ていないのでな、楽しみだよ——」

 二人は雪原の中で太陽の温かな陽光を浴びながら、次の目的について語り合っていた。

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