2章.戦地回航

23.裏宇宙航法―1『艦橋―1』

 難波副長が艦橋に足を踏み入れたとき、スタッフは既にほぼ全員が着席しているようだった。

 段差の緩やかなステップを数段降りて自分の席につく。

 後方にある出入り口からすると、歩を進めるにつれ、順に低くなってゆく幅広の段がつけられた階段状の部屋である。

 遠くに見える突き当たりの壁は巨大なディスプレイ。床と平行に向こう下がりの傾斜をつけられた天井は立体投影用の表示野となっている。両側の壁面もディスプレイや機械類で埋め尽くされ、およそ潤いなどとは無縁の硬質な佇まいであった。

 難波副長の席は上から二段目。それより下の段のそれぞれ――広々とした踏面には、いずれも床をくり抜くようにして半埋め込み式、ブース状の席が設けられてある。

 要員たちの席である。

 シートベルトを締めると、卓上のカメラアイに瞳を向けて自分のコンソールの使用者資格確認手順――網膜認証の手続きをすませた。

「全員そろっているわね?」

 着席した人間が正当な使用者であることを認識した機械が息を吹き返し、それまで沈黙していたコンソールが色とりどりの光で満たされてゆくなか、そう言った。

「はい。全員着席済み、準備完了しております」

 間髪を入れず留守をあずかっていた稲村船務長から返答がかえってくる。

 艦長、副長が共にであったため、艦内序列の第三位にある者として、の任に就いていたのだ。

 上官の入室に気づいて、難波副長が見つめるディスプレイの中、ピシッと敬礼をおくってきていた。

「よろしい」

 難波副長がふっと少し頬をゆるめて見つめるそのディスプレイの中には他に七人の人間がいた。

 見た目、二十代から四十代前半の女性士官たち――巡洋艦〈あやせ〉のコマンドスタッフたちである。

 全艦に向け、艦長より示された目標を具体的な指示にかえて麾下の部下たちにあたえる幹部たちだ。

 その七人が、稲村船務長と同様、全員が難波副長と向き合うかたちで敬礼をおくってきていた。

 もちろん現実の出来事ではない。

 敬礼自体はともかくとして、ディスプレイ内部に映し出されてあるのは電子的に合成され、構築された仮想空間の光景だ。

 実際には彼女たちは、全員が各自に割り当てられた席に腰をおろし、卓上のディスプレイを見つめているにすぎない。おなじ向きに並べられたコンソールにつき、おなじように卓上のディスプレイを眺めているだけなのだ。

 TV会議のような風景と言えばわかりやすいだろうか。

 そもそも学校の教室にも似たレイアウトで向きを揃えて要員席は配置をされている。

 つまりは、だから、画面に表示されているように車座に互いが向き合えるはずがない。

 既にその時点で映像は現実と食い違っている。

〈戦術支援乗員間意思情報伝達システム〉。

 通称を〈纏輪機でんわき〉と呼ばれる要員間相互連絡用電子装置を間にはさんでいるからそういうことになっていた。

 同じ部屋にいるのにディスプレイ越し、通信機を介在してと、お互い同士の会話になんともまだるっこしいやり方をとらなければ、要員間のコミュニケーションが円滑におこなえないのだ。

 戦闘航宙艦に特有の不規則方向へ向けての大加速――戦闘機動時における加速度変化から乗員を保護すべく対策を講じた結果生じてしまった弊害故のことだった。

 おなじ方向に向きの揃えられた座席レイアウト、要員席に備わる耐Gシート――そうした対策により要員個人の安全は確保できたが、チームとしての連携が取りづらくなってしまったのだ。

 自分の前後に座っている相手との会話が困難なのは当然として、それぞれが腰掛けている要員席――コンソールが、横幅がかるく五メートルを超す巨大なものであるため、隣に配置された人間とも間隔が離れすぎていて声をかわしづらい。

 更には、そのコンソールを使用するのに網膜認証の手間をかけ、シートベルトで身体を固定までしているのだから、気軽に席を立って移動するというわけにもいかない。

 おなじ部屋の中に居はするものの、ことほど左様に要員たちは他と隔てられ、極端な表現をすると物理的に周囲から隔離されていたのである。

 そこで、そうした行動上の不具合をおぎなうための補助として登場したのが〈纏輪機〉というわけだった。

 チームスポーツの試合などでよく見かける円陣ではないが、乗員たちが孤立することのないよう、電子機器を介在させることによって輪状にまとめ、自艦の運用能力を担保するための仕組みである。

 と、まぁ、それはともかく、

「……遅いわね」

 難波副長が入室してから更に数分。

 何も変化のないまま時間だけがち、沈黙がつづく艦橋の中で誰かがそう呟いた。

 ひとりごとだったが、機械の忠実さで〈纏輪機〉が正確に声をひろって全員に届ける。

 それを耳にした艦橋内の誰もが、それぞれ異なるやり方で、同じ感情を表現した。

――ウンザリ、である。

 難波副長をはじめ、現在、艦橋にいる人間は皆、これから幹部たちだけでミーティングをおこなうべく集まっている。それが、たった一人の人間が未着のために開始予定時刻になってもはじめられずにいるのだ。

 たった一人の人間――村雨艦長その人である。

 例によって、と言うか、いつまでたっても姿を見せない。

 五分前行動が当然の宇宙軍にあって……、しかも、ミーティング実施を呼びかけた当人のくせして定刻を過ぎても来ないのだ。

 それで、学校の教室の中、生徒は全員そろっているのに、肝心の教師がいつまでたってもやって来ないみたいな、なんとも手持ち無沙汰な時間を艦橋要員たちはすごしているのだった。

 自分の席に着席した後、ざっと状況を確認してから端然と佇んでいた難波副長の手がスイと動いてコンソールの上を滑った。

 と、自動車のウィンドシールドよろしくコンソール奥側の端から端までいっぱいに立ち上がっているディスプレイ群のひとつに〈あやせ〉の艦内マップが映し出される。

 ピーッと小さくエラー音が鳴った。

 マップの上には『該当ナシ』と文字が表示をされている。

 難波副長の口のへの字の角度が、ややきつくなった。

 どうせ直接呼びかけたところで素直に返事をする筈もないから、機械に村雨艦長の現在位置を探させたのだ。『該当ナシ』というのは、発見できませんでしたという機械からの解答である。しかし、ここまではまだ予想の範疇はんちゅう

 難波副長は、あらためて機械に検索指示を打ち込んだ。

『該当ナシ』のエラー表示がクリアされ、かわりに艦内マップ――いくつもの階層、区画に分割された艦内のあちらこちらに多数の光点が一斉に点った。

〈あやせ〉に乗り組んでいる全乗員の現在位置を示す光点だ。

 何種類かの色に光点が分かれているのは、乗員を何らかので分類しているのだろうか。難波副長がコンソールの上で手を動かすと、光点は絞り込まれるようにしてその数を減らしていった。

 そして……、

 徐々に数を減らしていった光点は、ついには全てが消え去ってしまう。

「え……?」

 思わず、といった感じで難波副長の口から声が漏れた。

 ひとつだけ――絶対にひとつだけは光点が残らないといけないのに全て消えてしまったからである。

 あり得ない結果に難波副長の目が見ひらかれ、唇がぽかんと少しひらいた。

 気を取りなおしたか再び手を動かすと、コンソールの上をすべらせる。

 しかし、結果はおなじ。

 諦めずに繰り返してみてもそれもまた……。

 難波副長の手が悔しさのかたちそのままに、くッと拳に固められた。

(あンのくそロリ婆ぁ……!)

 ぐッと食いしばられる前に口がそんなかたちに動いたようだが定かではない。

……無理もなかった。

 最初におこなった検索は、艦乗員の誰もがおこなう入室時認証行為――各部屋のドア脇に設置されてある掌紋認証パッドのから該当する個人の現在位置を割り出そうとするものだった。

 しかし、これは、たとえば探している人間が長時間にわたって通路をブラブラしていたりするとうまく見つけることができない。

 そこで難波副長は、次にトランスポンダの発信データを利用した。

 艦乗員であれば、誰もが万が一の事態に備え、常時の装着を義務づけられている生体情報発信装置――その機能をつかって村雨艦長の現在位置を追求しようとしたのだ。

 最初からそうしなかったのは、利用するのが個人の生体情報を不断に報せる機械であるため、ややもすると乗員のプライバシーを侵しかねない――兵の士気を損ねる懸念をナシとせずとして、軍が人事規定上、平時におけるらんようを戒めているからだった。

 まぁ、今回ばかりは完全に相手に非があるのだから、そこまで几帳面にしなくても構わなかったろうが、そこはそれ、奔放にすぎる上官に対する意地と、部下にしめしがつかないという懸念が理由である。

 が、

 敵もさる者、引っ掻くもの。遅刻の常習犯であり、規則は破るためにあるとうそぶく傾奇かぶき者な村雨艦長――対策をちゃんと(?)講じていたようなのだ。

 さすが、伊達に横紙破りを旨としてないというか、一癖どころか百癖も千癖もある曲者というべきか、緊急時に備え、自分の現在位置、身体状況を常に明らかにしている筈のトランスポンダ検索をおこなってさえ見つからなかった。

 予想外。――ありえざる結果に、思わず、「え……?」などと目を瞬いてしまって、それから徐々に難波副長は腹が立ってきた。

 艦内各処の監視装置を総動員し、名前やID、役職だけでなく、容姿の映像、録音してある声――思いつく限りの要素、項目を検索条件にぶち込み、〈あやせ〉艦内を隈無くあたった。

 にもかかわらず、手を変え品を返してなお割り出しはうまくいかなかったのだ。

 いずれ何やら得体の知れない裏技でも使っているのだろうが、その手練手管がなにか見当もつかない。

 艦内マップのみの表示にもどった画面を睨み、高圧蒸気にも似た息をシュウと吐き出す。

 腹立たしげに、もう一度息をつくと難波副長はマイクを握った。

 これから幹部たちが顔を揃えて大事なミーティングをやろうというのに、たった一人の遅参のためにはじめられない。スケジュールも押しているのにコンチクショウ……! というワケで、電子的に探しても見つからないなら初心にもどろう。艦内放送で本人を呼び出し……ではなく、行方をくらました相手を狩りの獲物に全乗員にげきをとばそうと決めたのだった。

 狭い艦内でどう逃げ隠れしようと、人海戦術の力業で押し潰してやる!――そう決意したのだ。

 そして、

 みごと獲物をしとめた暁にはどうしてくれよう……。

 怜悧な顔を酷薄そうにゆがめながら、難波副長が声を発しようとした時だった。

「村雨艦長が入室されました」

 機械音声のアナウンスとともに、「やぁ、悪い悪いッ」とカルい口調で言いながら、遅れちゃった~♪ と、その場にいる全員が待ち、難波副長が探していた当の人物が艦橋の中に入ってきたのだった。

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