14.巡洋艦〈あやせ〉―5『艦内通路』

「やっと終わったわねぇ」

 ようやく艦長室から退出できた深雪が、思わず、ふぅと通路でおおきく息をすると、数歩彼女の前を行く後藤中尉が、その音に反応したかのようにクルリと振り返った。

 クスクス笑いながら声をかけてくる。

 その様子からして、どうやら村雨艦長のあのは、今回に限ったことではないらしかった。

 深雪が追いついてくるのを待ち、肩を並べると再び歩きはじめる。

「副長が艦長室にいらっしゃったのは予想外だったけど、そのぶん早めには終わったかな。とにかく艦長のおはなしは、やたらと長くかかるから、ある意味、体力勝負なのよね」

 いや、気力かな? と言って、またクスクスと笑う。

「でもまあ、とはいえ、軽佻浮薄かんちょう重厚謹厳ふくちょうのどちらが良いかと訊かれたら、それはやっぱり微妙よね。私だって、どちらか選べと言われたら、判断に困って迷うだろうし……」と小首をかしげ、

「いずれにしても、くたびれたでしょう?」

 目にいたずらな光を浮かべて、そう訊いた。

「い、いえ、そんなことは……」

 あいまいな笑顔をうかべて深雪はこたえる。

 ……確かに疲れた。

 精神的に疲れ果てていた。

 村雨艦長は、イメージにあるエラい人の類型にはまるで当てはまらなくて、自分のとぼしい人生経験程度では、とてもではないが対応できなかったし、

 エラい人のイメージをそのまま具体化してみました、な難波副長は、これまで感じたこともないレベルのプレッシャーをたっぷり味わわせてくれた。

 これから始まる生活の中で、自分は一番の下っ端で、向こうは言葉通りに雲の上の人。

 できれば私的な会話など、する機会がこれきり無ければ良いな。――出会って早々そう思ってしまう程には苦手に感じてしまっている。

 そうでなければ自分は心身ともに消耗してしまう。参ってしまうに違いない。――そんな予感を深雪はおぼえていたのだった。

 もちろん、そうした内心をそのまま表に出すことなどできよう筈もない。

 いくら優しそうで親しみやすそうだとはいえ、その人柄についてはまだ何も知らないも同然の人物。くわえて、今後、自分の直接の上官となるのが、いま目の前にいる後藤中尉、その人なのだ。

 うっかり、らぬ言質げんちを取られたりはしないよう、……さりとて悪印象をもたれたりもしないよう、あたらずさわらず、無難な言葉と態度で誤魔化しておく他、深雪の取り得る選択肢などありえなかった。

 なにより今の深雪には、それよりもっと気になって仕方のないことが、頭の中を占領している。

 できるだけ早め――可能であれば今すぐにでも、そのことを訊ね、確認しておくべきだろうと考えている事柄だ。

 他でもない。

 つい今しがた言葉をかわした相手、目にした光景の異常さに関する疑問である。

 自分よりどう見てもの、しかし、周囲からはその役職を認められているらしき上官――『子供艦長』。

 虚構フィクション、それも子供向けの幼児番組か何かであればともかく、そんな現実リアル社会このよで実際、存在可能であるのか?――それ、だった。

 艦長室に入って約一時間内外――見聞きしていた限りにおいて、相手が年齢みためにそぐわず達者なことは了解できた。

 言葉づかいが、おばちゃんまるだしなのはともかくとして、口にする内容は、きちんと理性と知性に裏付けられたものであり、その肩書きにふさわしい……、

 …………、

 …………、

 とりあえず、自分よりはよほど大人だと思わせられるものだった。

 一種の『天才』なのかも知れない。

 が、

 しかし、それを考慮にいれてもなお、軍艦の、それも艦長職に、年端もいかない子供を任じてみたりするものなのか……?

 実社会に出るどころか、まだエレメンタリースクールに通っている方が似合いの子供に、人を殺し、あるいは逆に殺されてしまう役割や立場を強要できるものなのか……?

――艦長室より退出してこの方、後藤中尉の後をついていきながら、深雪がずっと頭を悩ませていたのは、そのこと、であった。

 もちろん、あれこれ頭をひねってみても、今、ここで答の出せようはずもない。

 多分にそれは、これから始まる日々の生活のなかでこそ、真相は徐々にわかってくるものであるのだろう。――わかっている。

 それでも考えずにはいられなかったのだ。

 好奇の念はもちろんあるが、何より、艦長とは一つのフネを預かる最高責任者――そのフネの命運、ひいては、自分の命を託す人間だからであった。

 大人がすべからく有能で、外見うつわにふさわしい内容のうりょくをもっているとは、さすがに深雪も思わない。

 思いはしないが、やはり、つい今しがた見た村雨艦長の姿に、不安がわきあがってくるのをどうしようも出来ずにいたのだった。

 だから、

「あ、あのぅ、艦長って……」

 そんな思い胸の中に渦巻いていたから、後藤中尉が話しかけてきたのに対し、つい、そう言葉をこぼしてしまった。

「ん? 艦長が、どうかした?」

「あ、や、い、いえ……、その……」

「んん?」

 ほとんど反射的――質問をするにも、どういう言いまわしをするかなど、考えたうえでの発言ではなかったため、言葉に詰まって言いよどむ。

 今更ながら、文章をあれこれ練ってみるのだが、頭の中をさらってみても、うまい言葉が出てこない。訊きたいことが、喉のあたりでつかえるようで、後に言葉をつづけられずに、時間ばかりが過ぎてしまって、ますます焦る。

 どう質問をすれば適切なのか、上官を怒らせたりせずに済むのか、わからない。

 うっかり迂闊うかつな言葉を口ばしったりすれば、フネに乗り組んで早々、取り返しの付かないことになるかもしれない……。

「大丈夫よ」

 そんな深雪の様子を見ていた後藤中尉は、目許をふっと優しくすると、やわらかな口調で請け合った。

「そんなに心配しなくったって大丈夫。あのね、口調や態度はああだったけど、少なくとも艦長は見た目通りの年齢ではないわ。いくらなんでも子供に戦闘航宙艦の指揮がまかせられる筈がない。

「村雨艦長はね――〈再生人リピーター〉なの」

 一緒に通路を歩きながら、そう言った。

「りぴーたー……ですか?」

 聞き慣れない単語に深雪は首をかしげる。

 学校で習ったことはなく、友人や親、巷の噂でも、およそ耳にしたことはない。

 後藤中尉はうなずいた。

「そう。〈リピーター〉。

「〈複製人クローン〉のことは、あなたも知っているでしょう? 〈リピーター〉は、そのバリエーション、と言うか、上位互換になるのかな?――とにかく、そんな感じの存在なのよ」と、自分の中で適切な言葉を検索しながら深雪に説明してくれる。

「それはまた貴族階級のひとつでもあるわ。

「〈兵民〉と言ってね――宇宙軍において、佐官以上の高級将官は、軍人としての功績が大なるを認められ、かつ、本人の希望があった場合に限り、今上陛下直々に爵位を授けられ、貴族に列せられるといった制度があるのよ」

 一代貴族として叙爵されるわけねと言って説明をつづける。

「晴れて〈兵民〉となった高級将官は、人格というか、記憶を含めたの採取・保存をおこなうの。

「なんでも数年に一回の割合で採取と記録を繰り返し、データを更新していくそうなんだけど、まぁ、いずれにしてもそうやって〈兵民〉の個性と言うか人格は、バックアップをされ続けるというわけね。

「軍人として優秀、有能だなんて評価は実績がすべて。肉体的なものと違って、親が優れていたから子供がそうとは限らない。もっと言うなら、成長過程が違った場合、たとえDNA型が同一の〈クローン〉でも、優秀な軍人として完成するとは限らない。何故ならそうした実績は、あくまで個人のパーソナリティーに由来し、達成された結果なのだから。

「だから、真に優秀な人材というのは宝石よりも貴重で希少。たった一度の人生きりで使い捨てるのはもったいない。

「つまりは、いかにがかかろうと、〈クローン〉のようなリニューアルモデルではなく、マスターコピーである〈リピーター〉を組織は必要とするということに繋がるわけよ」

 そう言って、

「〈兵民〉に叙されてある当該の将官が死亡した場合は、ただちに身体を再生し、そのクローンボディに生前採取しておいた人格データを転送する。――そうして生まれた人間を〈リピーター〉と呼んでいるわけ」

 深雪にとっては初耳な事実を教えてくれた。

 目をまるくしている深雪の前で、後藤中尉は説明をつづける。

「というわけで、艦長の正確な名前は村雨杏

「オリジナルボディからすると、つごう二回の再生処理を経験されていることになるわね。

「……まぁ、いまの身体については、再生時に何らかのトラブルがあったということなんでしょう。〈リピーター〉は、通常、大人の身体で再生されるはずだから」

「は、はあ……」

 なんだか呆然となってしまうはなしであった。

 大倭皇国連邦が、元首に女皇を戴く君主国家である以上、貴族がいるのはある意味当然であったし、それについては深雪も何も思うところなど無い。

 現に深雪の故郷、〈幌筵〉星系も、選挙によって選出された議員たちによって統治される民主制政治を標榜する地ではあったが、その頂点には累代戴く君主――貴族がいる。

 まあ、〈幌筵〉星系の場合、あまりの田舎ぶりに領主の貴族自身が辟易しているとの噂がもっぱらで、

 だから、君臨すれども統治せずとばかりに、所領には議会との連絡要員としての代官を置き、自分はほとんど皇都ちかくの星系に居留。領地にはほとんど寄りつかないでいたから、その領民である深雪たちが領主の存在を意識にのぼらせることはほとんど無い。

 が、しかし、

 そうした余談はさておくとしても、〈兵民〉なる階級が貴族の中に存在していること――その事実を深雪は初めて知った。

 そして、その〈兵民〉に任ぜられる人間のも。

「深雪ちゃんも、大手柄をたてて出世して、でもって宇宙軍に永久服役したなら、〈リピーター〉になれるかもよ?」

 説明をそう締めくくり、後藤中尉は、「どう? 頑張ってみる?」と言って、またクスクス笑った。

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