ひなかご 6

 アンリエットとロザリーは、姉でも見分けがつかないほどよく似た姉妹だった。が、性格はまったく異なっていた。というよりは、お互いがお互いを補うような性格をしていた。

 アンリエットがなんでも秀でているのにくらべて、ロザリーはどこか抜けたところのある子供だった。二人は仲がよくて、姉のカミーユはよく二人に仲間外れにされたものだった。

 バカンスのときに、はじめてジォン一家がカミーユの家へ遊びにきたことがあった。

 ジォンと叔母のセリーヌ、そしてひとり息子のシリルが夏休みを利用してやってきたのだ。セリーヌは母の妹だが、母にはあまり似ていなかった。赤毛の髪を美しいウエーブにして後ろで束ね、下がりぎみの青い目が、お人好しそうに見えた。セリーヌは病弱で、二度流産したあとにようやくシリルがさずかったため、シリルを目にあまるほど溺愛していた。

 シリルは癇のつよそうな子供だった。枯れ木のように痩せていたせいか、はしばみ色の目がひどく目立った。カミーユの家へ泊まっていたのに、シリルはピエール伯父の長男のマルセルとばかり遊んでいて、カミーユたちには目もくれなかった。

 ある日、友達といっしょに庭のセンダンの木に登っていたカミーユを、妹たちが泣きながら呼び止めた。

「どうしたの、あんたたち」

「お兄ちゃんに叩かれた」

「何もしてないのに叩かれた」

 同時に言葉が発せられたので、カミーユは最初の部分を聞きとることができなかった。二股の幹にかけた足をおろして、カミーユはセンダンの木から飛びおりる。

「苛められたの?」

「シリルがロザリーに言ったの。お前の顔は汚いって」

 ふたりは互いに抱きあいながらしゃくりあげていた。ロザリーの頬にのこる涙のあとを拭いて、カミーユはロザリーの頭をなでた。

 ふたりは自分のそばかすを何よりも嫌っていた。人の顔の欠点をあげつらうなんて最低だ。

「やっつけちゃってよ、お姉ちゃん」

 アンリエットが身をのりだして拳を突きあげた。

「あんなひょろひょろした奴、一発でたおせるよ」

 双子の瞳にせかされて、カミーユは敵討ちをするはめになった。ツゲの木の下をとおって、葡萄畑へむかう近道をゆく。

 葡萄畑にでると、カミーユは背伸びをして動く人影を捜した。自分の背丈よりもほんのすこし高い葡萄の木が、カミーユの視界を阻んでいる。整然とならんだ木のあいだを南のほうへあるいて、シリルを捜す。

 ふいに葡萄の葉が揺れた。驚いて背後をふりかえると、やはり驚いた顔のシリルが葡萄の木の隙間からカミーユを見ていた。

「おどかすなよ」

「べつにおどかしてなんかいないわよ」

「隠れてたんだよ。マルセルかと思ったじゃないか」

「話があるんだけど」

 シリルは無言でカミーユを手招きした。

「騒ぐなよ」

 低い声でカミーユを脅しつける。カミーユは隣の葡萄の木の下にすわると、シリルへむかって囁いた。

「妹を苛めたんだって?」

 声が出せないのであまり迫力が出ない。シリルは表情のない顔で、

「おまえか?」

 いきなり聞かれたので、カミーユは答えをかえせなかった。

「おまえ、あのクソ生意気な妹にくだらないこと教えただろ」

「何よそれ」

「男が女を苛めるのは、そいつのことが好きだからだって」

「そんなこと言ってないわよ!」

「馬鹿、大きな声出すな」

 シリルは軽蔑したようなそぶりで肩をそびやかした。

「お前がそういったって、言ってたぜ。それとも、あの妹は嘘つきか?」

「嘘つきなんかじゃないわよ」

 律儀に小声でカミーユがこたえる。が、心のなかには不穏なわだかまりが生じていた。妹を嘘つきよばわりされたことへの憤りと、シリルが意外と冷淡なことへの怒り。カミーユは怒鳴りつけたい衝動をおさえて、シリルへ膝をついてすり寄った。

「とにかく、あの子たちを苛めないで。わかった?」

「俺から手を出したわけじゃねえよ。あいつらが生意気だから悪いんだ」

「気にいらないから苛めるの? ガキね」

「お前みたいにいい子ぶったガキじゃないからな」

「どうしていちいち突っかかるのよ」

 シリルは肩をいからせたカミーユを見て、目をしばたたかせた。

「なんだ、ただのガキじゃん」

「なんだとは何よ」

「お前ってとりすましてて、嫌な奴だと思ってたけど、意外と怒りっぽいんだな」

 シリルがさめた面持ちで言葉を重ねる。

「田舎者だから?」 

 カミーユは衝動的に立ちあがっていた。

「悪かったわね田舎者で!」

「あ、カミーユ?」

 十メートルほど離れたところに立っていたマルセルが不思議そうにたずねた。それを無視してカミーユがプラタナスの並木道のほうへ走りだす。

 あとを振りかえらなかったので、シリルの怒った顔は見えなかった。自分がマルセルに見つかったせいで、シリルの居場所もばれただろう。いい気味だと思いながら、カミーユはユゼスの市街地のほうへ走っていった。

 石畳の街道へはいると、馬車やろばの荷車がいそがしく往来していた。今日は市が立つ日だった。

 噴水が中心にある広場には、沢山の店がならんでいた。そして、広場の周囲をめぐる漆喰のアーケードのなかでも、市の野菜や果物を売る店が広げられている。

「お母さん見なかった?」

 オリーブ売りのフィルにきくと、フィルはすこし考えるそぶりをしたあとで、「まだ見てないねえ」といった。フィルに礼を言うと、カミーユは市を一周しようと思って歩きだした。

 市にはさまざまな日用品や野菜、魚などが売られていた。木箱に山積みになったかぼちゃやピーマン、早生のトマトが彩りをそえ、丸い羊や山羊のチーズの店がトマトの隣に並んでいる。干した香草をならべた店でラヴェンダーやバラのオイルを眺めていると、カミーユの肩に突然手が置かれた。

「おじさん」

「買い物かい?」

 ジォンはどことなく上機嫌だった。カミーユのとなりに並んで立つと、四角いブロックの石鹸に手をのばした。

「懐かしいなあこれ」

「おじさんはお買い物?」

「いや。友達の家に呼ばれた帰り」

 微妙に匂うアルコールの香が、カミーユの鼻についた。酔っているのか、とジォンの顔を覗きこんだが、ジォンのようすはふだんとまったく変わらなかった。

「何か買ってあげようか」

「いいわ」

 ジォンの目を見てカミーユはさきほどの怒りを思いだした。邪険に断るカミーユに、ジォンは猫のように目を細めて笑う。

「機嫌が悪いんだね」

「シリルと喧嘩したの」

「勝った?」

「息子が? それとも私が?」

「もちろん君さ」

 カミーユはジォンを無視して先を歩いていく。五メートルほど歩いてもついてくる気配がないので、カミーユは不審げに後ろを振りかえった。もとの位置にジォンはいまだに立っている。

 ジォンが無言で首を右にかたむけた。

「負けたのよ!」

 いきなりわめいたので、あたりの人々がいっせいにカミーユを注目した。顔を赤らめるカミーユを、ジォンは楽しげに笑いながら市のそとへ連れだした。

「残念会でもするか」

「シリルの勝利パーティーでもすればいいじゃない」

「君は怒ると可愛いね」

 顔を半分手で隠しながら、ジォンはいまだに笑みをうかべている。

「君はもしかしてすごく怒りっぽいんじゃないのかい?」

「冗談いわないで」

 シリルと同じせりふに反射的にこたえてから、カミーユは真顔にもどって黙りこんだ。

「そんな……だって私はアンリエットよりもおばさんよりも怒る回数すくないし」

「回数の問題じゃないと思うけど」

「だってずっと家では我慢してるし」

「どうして我慢するの?」

「みんな引かないんだもの」

「僕のまえで怒るのは、僕が引いてくれる人だから?」

 ジォンの目はなにを考えているのか伺わせない色をしている。

「わかんない……」

 ぽつりとカミーユがいった。ジォンは、うつむいているカミーユの手をとると、広場のほうへ歩いていった。

 ジォンはカミーユをアーケードの並びにあるカフェへ連れていった。建物のなかへ入ると、ふたりは窓際のテーブルについて内儀が注文を取りに来るのを待った。

「パスティスと、なにか甘いものを」

「レモンのフランと、サクランボのパイがあるよ」

「何がいい?」

 ジォンにきかれて、サクランボのパイを頼んだ。

 薄暗いカフェの内部では、村の男たちが酒を飲みながら世間話に興じていた。話のきっかけが掴めなくて、カミーユはアーケードの柱に黒く縁取られた市の景色をぼんやりと眺めていた。

「うちの子供が失礼なことをしたのかい」

 カミーユがサクランボのパイを一口食べてから、ジォンは唐突にきいた。

「大人みたいな言い方ね」

「その言い方は傷つくね」

 言葉とは裏腹に、ジォンはどことなく楽しそうな表情をしていた。

「男の子なんてみんなあんなものだわ。自分の気にいらないことがあると文句をいったり叩いたり。子供なんだわ」

「君は自分を大人だと思ってる?」

「そんなつもりはないけど、でも、あの子たちとは違うと思う」

「どうして?」

「長女だもの」

 ものうげにカミーユは呟いた。双子の妹の顔が思いうかんで消える。

「うちの子は末っ子だからなあ」

 薄い黄色のパスティスを飲み干して、感慨深そうにジォンがいった。

「ひとりっ子じゃなかったの?」

「上に死んだ子供が二人、いる」

 カミーユはふと動作を止めた。ジォンをうかがうと、ジォンは焦点の合わぬ目で外の喧騒を眺めていた。

「ごめんなさい。知らなかった」

「謝ることはないよ。珍しいことではないだろう?」

「でも、悲しいことには慣れないわ」

 ジォンはどことなく含みのある沈黙でカミーユに答えた。居心地のわるい雰囲気を感じて、カミーユが身じろぎする。

「君は、ときどき僕よりも年上の女性みたいなことを言うね」

 不快そうにジォンはいった。

「猫よりも不可解だ。ひどく、そう……」

 急にジォンが頭を抱えたので、カミーユは息をひそめてジォンを見守った。

 カミーユは急かされるようにパイを一口ずつ切り、口にいれた。最後のひとかけらが口に消えようとしたときに、ジォンは顔を上げた。

「すまない。急に、頭痛がした」

「お酒の飲みすぎ?」

「そうだね」

 ジォンはおどけた仕種で肩をすくめた。呼吸が楽になったような錯覚にとらわれて、カミーユはひとつ大きな深呼吸をした。

「おじさん」

 カミーユは以前にコレットから聞いた話を思いだしていた。

「おじさんはどうして肉を食べないの?」

「嫌いだからさ」

 至極あっさりとジォンがこたえた。

「豚の肉が嫌い?」

「誰がそんなことを言った?」

「コレットおばさん」

 ジォンはくぐもった唸り声をあげて宙を見上げた。

「いやな婆さんだな。かなわないよ」

 空のグラスを揺らしながら、子供のようにジォンは足で床をたたいた。

「僕が子供のときの話。子供のころに僕が世話をしていた豚が、殺されたのさ」

「ソーセージになった?」

「ああ。塩漬け肉とパテとソーセージになった。ベベって名前をつけて、子豚のころからずっと飼ってたのに」

「だって食べるために飼ってたんでしょ?」

 たいてい冬のはじめに豚の屠殺はおこなわれる。首をおさえられて、軋るように叫んで暴れる豚を見ているのはたしかに気の毒だが、だからといって一切肉が食べられなくなるほど同情するわけでもない。カミーユは首をかしげてジォンを見つめた。

「子供だったんだよ。ベベだけは肉にならない。そう思っていた」

「友達だったのね」

「そうだね。でも僕は、ベベが殺されるのを、止められなかった」

 ジォンの語り口は静かだった。

「誰かのベベを食べているのかもしれないと思うと駄目なんだ」

 ジォンはカミーユと目を合わせると、ふと顔を伏せた。カミーユはそんなふうに動物をかわいそうだと思ったことはなかった。世話をした鶏やアヒルは、家族で食べるものだとわかっていた。ジォンのように、動物を友達だと思ったことはなかった。

「飛行士の本を読んだの」

 カミーユは本で読んだ話をした。

「仕事で若い飛行士がアフリカに行くの。そこはサハラ砂漠の近くで、住んでいる人はその人だけで、寂しくて奥さんに毎日手紙を書くの」

 ジォンはパスティスを飲み干すと、目を閉じて笑みをうかべ、首をかたむけた。

「飛行士はトランプで手品をするのが好きだったけど、手品を見てくれる人が誰もいないの。でも、砂漠のちいさな白いきつねが時々飛行士の家の近くにくるようになったの。砂漠で飛行士はきつねにトランプの手品を見せてあげるの。きつねはおとなしく座ってトランプを見てたって、奥さんに手紙を書いた」

 カミーユはふと口をつぐんだ。この話のつづきを言ってはいけないような気がした。

(その手紙は奥さんには届かなかった。奥さんは飛行士が近くにいない寂しさに負けて、家を出ていったきり帰らなかった)

「飛行士にはきっと優しい人が多いのよ」

 ジォンは目をひらいて首筋を撫でた。顔を赤くするジォンを見て、照れているのだとカミーユはおかしくなった。

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