ひなかご 2

 ジォンに最初に出会ったのは、カミーユが七才のときのことだった。

 聖体拝領の日の朝、カミーユは鏡のまえに立つと、薄いオーガンジーの布で花びらのように覆われている自分のすがたを見て、不機嫌そうにつぶやいた。

「いやだな」

 白いドレスにたいする憧れや晴れがましさは、二人の祖母のせいですっかり消えてしまっていた。父方の祖母のコレットと母方の祖母のライサのことである。

 カミーユはこれまでに何度もドレスを着せられて二人のまえに立ち、袖の膨らみが足りない、襟にもオーガンジーを被せろ、リボンを大きくしないほうが上品だ、などという二人の注文につきあわされたのだ。敬虔な気持ちや晴れがましさよりも、この騒ぎが今日で終わることがうれしかった。

 教会にでかける道行は、二人のお婆さんの凱旋行進のようだった。

「ポールの子供は駄目だね。リボンに背負われてあるいてる」

 コレットは、曲った身体をつえで支えながら、皺くちゃな顔に笑みをうかべていた。

「引立て役が大勢いるから、私の若いころにそっくり。ほら、みんなカミーユのほうを見てるわよ」

 ライサのダミ声をきいて、カミーユは多分二人があまりにもうるさいからだろう、と思った。

 若いころのライサは非常に美しかったらしく、年をとった今でも派手好きである。ライサは、母もカミーユも自分の血を引いたのだといつも自慢していた。コレットは黒のドレスを着ているが、ライサは紫色のドレスにカナリヤの羽根のような黄色のショールを身にまとっている。

 カミーユは知りあいの目線が嫌でたまらなかった。前だけを向いて教会の暗い身楼へ入る。信徒席は半分以上埋まっていて、すすけた背中にまぎれて白い星のように着飾った子供たちが座っていた。

 儀式がはじまるまで、カミーユは気が休まらなかった。双子の妹をかかえて信徒席に座っている両親のよこで、お婆さんたちはうちの子がいちばん美しい、と大声でカミーユを褒めそやすのだ。まわりの目が怖い。顔がヴェールで隠れていてよかった、とカミーユは思った。

 神父があらわれると、ようやく教会がしずまりかえった。カミーユはようやくホッとした。

 儀式は厳粛におこなわれた。神父の説教のあとで、神の肉をしめすパンが、神父の手づから信者の口へ与えられる。人生のなかでも大きな意義をもつ初聖体なのに、自分にはどうしてこんなにいやなことがが多いのだろう、とカミーユは祭壇を見あげながらため息をついた。

 儀式が終わると、父は入口の聖水盤のとなりにたっていた男に声をかけた。

「ジォン!」

 ジォンと呼ばれた青年は、大仰なしぐさで両腕をひろげながら父のほうへ駆けよった。

「ジォン、遅かったな」

「仕事があってね」

 ジォンの言葉には微妙な訛りがあった。

 焦茶色の短髪に、はしばみ色の目のジォンは、父よりも長身でがっしりとしていた。が、物腰はおだやかで、おとなしい馬のようだった。

 この人、話しているときは目がなくなるんだ、とカミーユは思った。けっして小さくはない目が、笑みで糸のように細くなっている。

「お父さん!」

 母が夫を連れもどすと、父の腕に泣きそうな顔をしているロザリーを押しこんだ。

「アンリエットが頭が痛いっていったら、ロザリーまで痛がるのよ」

 だるそうなロザリーをみて、アランはただちに娘を抱えあげた。

「医者へ連れていこう。ジォン、悪いがこの子を見ていてもらえないか」

「わかった。急いで行ってこいよ」

 両親が子供をひとりずつ抱いて教会をでていくさまを、カミーユはジォンとならんで見送っていた。なにもこんな日に倒れなくてもいいのに。双子の面倒を見るには四本の腕が要る。その腕が自分に回ってくることは、いまはほとんどないというのに。

 二人のお婆さんは外で村の人々と話している。得体の知れない青年から注意深く距離をとって、カミーユはジォンの横顔をさぐるように見ていた。

「あなたは誰?」

「猫の帽子屋」

 カミーユはジォンから遠ざかった。

「本当はジプシーで歌を歌ってる。ヨーロッパじゅう回ってね」

 子供だと思って馬鹿にしている。

「嘘でしょ?」

 不服そうに腕組みをしている少女を相手にジォンは自分をもて余しているようだった。

 じつは緊張しているのだ、とジォンは白状した。カミーユのような小さな女の子と話したことがないから、とジォンは苦笑する。

「普通に話せばいいじゃない」

「ごめん。そうするよ」

 すなおに謝られてカミーユは驚いた。家の人々は、子供だからといってカミーユの生意気な口を封じるか、屁理屈をつけてごまかしてしまうのに。

「あなたは誰?」

「名前はジォン・ファルジュ。君のセリーヌ叔母さんが、僕の妻だ」

 ジォンはカミーユのヴェールを開いて挨拶のキスをした。剃りあげられた髭が、棘のように感じられた。

「髭が痛い」

「ごめん」

 カミーユは、先刻から自分が叔父に文句ばかりいっていることに気づいた。機嫌を損ねていないかとジォンを伺うと、ジォンはじっとカミーユの目を覗きこんでいた。

「サファイアみたいだ」

「サファイア?」

「君の目と同じ色の宝石だよ。大人になったら恋人にねだってごらん」

 恋人という言葉は、空想のなかで食べる異国のお菓子のようだった。いつか自分のまえに現れる人のことを想像すると、カミーユの心はふんわりと暖かくなった。

 教会の外がにわかに騒がしくなった。喧嘩をしているらしく、周囲の話し声にまぎれてライサが怒鳴りちらす声がカミーユの耳に届いた。

「うちのおばさんだ」

「君のお婆さんだろう?」

「お婆さんっていうと怒るの」

「気持ちだけは若いんだね」

 言い方がおかしかったので、カミーユはくすりと笑った。ジォンも共犯者の笑みをうかべている。カミーユはジォンに好感を持った。ジォンの袖を手にとると、カミーユはかれの耳元に口をよせて囁いた。

「先に帰ろう」

「お父さんが待ってろって言ったよ」

「いつ帰ってくるかわからないし、それに、おばさんたちに見せ物にされるのはいやなの」

 ジォンは困惑するように顔を天井のほうへ向けていたが、

「お願い」

 カミーユの真剣なまなざしに負けて、少女の小さな手をとった。こわれものを扱うようなしぐさだった。

 二人は教会を出ていった。

 教会のそとでは、三人の婆さんと花屋のジョセフが何事か言い争っていいた。それを避けるように迂回して、二人は教会の前の広場を横切っていった。

「その角を右」

 カミーユが小さく呟いてジォンを導いた。ジォンは少女の歩調にあわせてゆっくりと歩きながら、広場に面する家々に懐かしげな視線をそそいでいる。

 角を曲がって狭い路地へ出た。古い煉瓦の建物に囲まれた路地が、トンネルのように延々とつづく。しばらく歩いて、ジォンはようやく口をひらいた。

「この町はまったく変わらないね」

「ここに住んでいたの?」

「結婚してしばらくはね。子供のころはアルザスにいたから、ここは暖かくて暮らしやすかった」

「どこ?」

「ドイツの国境の近く」

 ジォンの言葉が訛っているのは、ここで育ったからではないらしい。

「今はどこに住んでいるの?」

「ニームにいるけど、またすぐに引っ越すだろうね」

「どうして?」

「そういう仕事だからさ」

 家へかえる道すがら、カミーユはジォンの仕事を聞きだそうとしたが、ジォンはなぜかそのことを教えてはくれなかった。

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