番外編28 スティールの記憶②


 飛び出してしまったスティールをどうするべきか考えた彼の叔父だったが、使用人の何人かを捜索に向かわせ、自分は一切行動を起こさなかった。自らの甥であっても、彼にとってはそれ以上でもそれ以下でもない。寧ろ――少々厄介にも感じていたのだ。


「見つかった時、泣いて謝れば手元に残してやるか……またあんな態度ならば、兄上と同じように殺すまで……今となっては、この屋敷も町も私のものだからな」


 全ての元凶は、この叔父だった。

 彼は昔から他人の所有物に魅力を感じ、よく他人のものを欲しがる傾向にある。父が乗っていた馬を欲し、母が大事にしていた宝石を欲し、実兄――スティールの父が使っていた万年筆を欲した事もあった。友人の恋人を欲し、人間関係が拗れた事もある。

 それでも彼は何とも思わなかったし、寧ろ年々欲が増すだけだった。それは次第にエスカレートし、遂に彼は実兄の土地や財産、そして家族まで欲してしまったのだ。


 その為に彼は、実兄とその妻の仲を拗らせるように裏で手を回した。結果、屋敷から妻を追い出すことに成功。その際に娘まで追い出す事になってしまったが、息子は残ったので許容範囲だった。続いて実兄に毒を盛り、金で医者を買い、診察結果や死因すらも偽装させた。


「手に入れるまでは燃えるが、こうして手に入ってしまうといまいち物足りないな。子供というものも可愛げのないつまらないガキなだけだ。さて、次は――」

「あなたに次はない」


 この場に居る筈のない、酷く落ち着いた声を聞き、叔父は激しく動揺した。ガタリと椅子が倒れ、驚きのあまり叔父も転げ落ちる。その滑稽な様子を見下しながら、少年は父の部屋に飾られていた細身の剣を手に立ち尽くしていた。


「お、まえ……何故、ここへ……」

「僕は自分の意思で、自分の家へ帰ってきた。何かおかしいですか」


 予想外だった。スティールは感情のまま屋敷を飛び出し、母や妹を捜し歩くだろうと思っていた。やっとの思いで見つけ出した暁に、ここへ戻ってくる。一応、使用人を捜索へ向かわせたが、それは彼の身を案じて捜索している風を装うという建前だ。

 本音は別に帰ってこなくて構わないし、寧ろ帰ってこれないように殺害も計画していた。実兄の息子であるスティールという存在が消えれば――完全に、この町も屋敷も、父が遺した財産全てが彼の元へ入る。


 ところがどうだろう。スティールは何故か屋敷へ戻り、自分の前に佇み、鋭い切っ先を向けている。凄まじい殺気で貫かれ、足を動かす事さえ叶わない。


「ま、待て、落ち着くんだスティールくん……私は……」

「違う」


 脅えの色を隠しきれない叔父は顔面蒼白で訴えるが、スティールは否定の言葉と共に彼の喉元に剣を立てた。ぷつりと皮膚が切れ、喉元からは血が流れる。命の恐怖に支配された叔父は、泣き叫ぶように悲鳴を上げた。


「泣いて謝れば、手元に残してやる……でしたか」

「わ、私が悪かった! 謝るッ! だから落ち着いて――」

「でも、僕はあなたとは違う」

「な――」


 酷く冷酷な瞳だった。一切の曇りのない、迷いのない瞳で――本当に叔父に対して何の感情も抱いていないような、凍えるような眼光だ。


 幸せだった時間を、家族を奪った憎たらしい元凶。その筈なのに、怒りや悲しみは感じない。自らの叔父である筈なのに、情けをかけようとも思えない。


 スティールが今抱いている感情は、何もなかった。憎しみを込めた殺意すら感じない。

 例えば花壇の雑草を撤去する。野菜に悪影響を及ぼす虫を駆除する。それ等に近い感情だった。


 凄まじい恐怖に襲われた叔父は、全身から冷や汗を噴き出す。きっと目の前に居る自分の甥は、何の躊躇いもなく、容赦なく自分を――。


「泣いて謝られても、あなたを許す訳にはいかない」


 叔父が最期に見たのは、今まで手にしたどんな宝石よりも綺麗な、青緑色の瞳だった。


 鮮血を浴びながら、スティールは立ち尽くす。

 青年はひとり、人知れずに罪を背負った。



 ◇



「僕はもう……あの頃には、戻れない……」


 全ての原因を断ち切った――叔父を殺めた細身の剣を握りながら、スティールはひとり彷徨っていた。もうあの屋敷に居る気はない。町へ戻るつもりもない。だからスティールは、再び屋敷を出て行った。残された使用人にも何も告げず、城のように広い屋敷や遺産も手を付けずに。


「ソラシアと母さん……どうか、幸せになって……」


 最初はこの剣も置いていこうと思っていた。でも、手放せなかった。この剣を見れば、叔父を殺めた罪を思い出せる。幸せだった頃の父が、将来は自分に譲ると言ってくれた光景が蘇る。その為に準備していたのか、柄の部分には小さく“親愛なる息子・スティールへ”と彫られていた。


「父さんごめん……ごめん……気付いてあげられなくて……」


 飲まず食わずで何日も歩いた為、もう体力の限界だ。どれだけ歩いたかはわからない。案外、あの町からそう遠くはないのかもしれない。この険しい山岳地帯を越えれば、いよいよ隣国辺りだろうか。だが、もう自分に山を越えられるような体力も気力も残されていない。


「僕も、父さんに……会いに……」


 ぐにゃぐにゃと視界も歪む。岩石が祭壇のように並ぶ広場の前で、スティールはばたりと倒れ込た。遂に意識が朦朧としてくる。


《もしもーし。君そこで死ぬつもり?》


 幻聴まで聞こえ始めた。


《ここで死ぬのはやめて欲しいなー。もうちょっと進んで崖からダイブとかならいいんだけど》


「投身より……このまま、眠るみたいに……死にたい……」


《えっ、もしかして君っておいらの声聞こえてる!?》


 幻聴ではなかった。

 少年のようにハイトーン気味の声によってスティールが再び目を開けるが、既に限界に近い為、その姿をはっきりと捉える事はできない。うっすら感じる事ができたのは、旋風のようなもので自分の髪が靡くような感覚だった。


《わ、遂においらも守護精霊デビューできちゃうチャンスって事? これを逃す手はないよねー》


「守護、精霊……?」


 すると謎の声はスティールの疑問を遮るように《ねえ君。おいらと契約する気ない?》と口を開く。しかし今のスティールにとっては理解できない内容だったし、理解したとしても興味のない内容だった。スティールはもう既に、生きる気力をなくしているのだから。


「どうでも、いい……僕はもう……」


《じゃあ君の事、勝手に見せてもらおうかな。どれどれー》


 スティールは再び瞳を閉じようとするが、謎の声から発せられた《なるほど。君もなかなかヘビーな人生だったねー。叔父に全部壊されて、その叔父を殺しちゃうなんて》という一言に固まった。どうして一瞬で、そこまでわかるのか理解できない。心を読んだのか、記憶を覗いたのか。どちらにしよ、人智を越えた何か――奇跡の業のような力が働いたとしか説明できない。


《おっ、ちょっとおいらの事が気になったね。じゃあもっと興味を惹く事、教えてあげるよ。おいらと契約すれば、君は死んで君は生まれ変わる》


「死んで……生まれ変わる……?」


《そう。君が望むように、綺麗に楽に死ねる。そして二周目の人生が始まるんだ》


 悪魔との契約かもしれない。酷い代償が待っているのかもしれない。でもそれは酷く魅力的で、思わず手を伸ばしてしまいそうな言葉だった。


「……説明、して」


《うーん、説明しても時間の無駄だよー。だって君の場合の代償、記憶だから》


「き、おく……?」


《君に用意された道は二つ。一つはこのまま死ぬ。死んだらそれでおしまい。でも二つ目は、おいらと契約して死ぬ。そのまま新しい人生に突入。どっちにしても死んだら全部忘れちゃう訳だし、おいらは契約がオススメだよー》


「…………」


《じゃあトドメの一撃。もしかしたら二周目では――君の家族と再会できるかもよ》


「ッ!」


《まあ、その時の君は家族の事も覚えてないだろうけどねー。無責任に希望を持たせてあげるなら……肉体は君自身なんだし、頭は覚えてなくても身体や魂は覚えてるかもよ?》


 スティールは最期の力を振り絞り、ゆっくり上体を起こす。既に答えは決まっていた。


「つまり、これは……君からの挑戦だね……記憶を喪っても、僕が僕じゃなくなっても……家族と再会してみせろ、って……」


《別にー。ただ君はまだ若いし、もうちょい生きてみればってだけー。それと、ここで死なれて変に自殺スポットとか噂になったら嫌だしー》


「君の方が余程、子供みたいな声してるのに……変なの」


 謎の声に向かってスティールは告げる。瞳を開けて顔を上げれば、旋風の向こうで楽しそうに笑う少年のような人影が見えた。


「最期に、君の名前を教えて欲しい」


《今の名前は風光。どうせ忘れちゃうし、本当の名前も教えてあげる。おいらは――》


 謎の声の少年――風光の言葉を聞きながら、スティールは穏やかに微笑む。

 今まで支えにしていた、幸せだった頃の記憶。優しい時間。記憶の中の家族に別れを告げるように、スティールは風光に手を差し出した。これから続いている道が真っ暗でも、青緑色の瞳はしっかり前を見据えている。


「僕はスティール・アントラン。いつか、生きてもう一度家族と再会する為――この記憶を君に捧げよう」


 スティールは目も眩むような光に包まれ、徐々に意識を朦朧とさせた。次に目を覚ます時は、恐らく自分のこの意思すら存在しない。本当に、これで最期だろう。今まで関わった人々に別れを告げ、スティールは真っ白に染まる頭の片隅で想う。


「どうか、次の人生でも……僕は……父さんや母さん、ソラシアみたいに……大切な、家族を…………」


 青年はひとり、今までの人生に別れを告げた。

 そして、この世界には新たな風光の精霊が生まれた。


《さようなら、スティール・アントラン。そして誕生日おめでとう、風光の精霊》



 ◇



 その後、スティールは全ての記憶を喪った。家族の顔はおろか、常識や言葉も、自我も。全てを喪ったスティールは、身体だけは大きい赤子同然になってしまった。しかも厄介な事に、風光の精霊としての力も保持している。そこから導き出される結果は、目に見えていた。


 スティールは制御不能の力を暴発させてしまい、周辺の山岳を破壊。言葉の通じない獣のような青年が引き起こす天災と噂され、厄病神と忌み嫌われた。完全に孤立し、自我も喪っているスティールはずっと力を暴走させ続ける。まるで助けを叫ぶように。何かを捜すように。


 そんな日が何日も続いたある日――スティールに応えるように、彼に手を差し伸べる者が居た。彼はスティールを“風光の精霊”としてしか見ていない、愛情どころか情けすらかけない男だが――彼をきっかけに出会った仲間は、新たな人生を歩むスティールにとって家族のように大切な存在になる。


 そしてスティールは再び――。



 ◇



 岩石に背を預けながら眠っているスティールを眺め、風光の守護精霊は《まさか本当に妹と再会するとはねー。しかも妹も精霊になっちゃってるし、本当に奇跡って感じ》と呟く。契約当時は冗談半分で言ったつもりだったが、スティールは本当に唯一になってしまった血の繋がる家族――ソラシアと再会してみせた。しかも再びこの場所に立ち、今は自分が契約した理由について教えて欲しいと願っている。


《今の君は軽々しいけど、ここぞって時には元の真面目さが抜け切れないよねー》


 例え記憶を喪っても、魂は覚えている。あながち冗談ではないのだろう。風光はひとりで納得したように頷きながら、《で、実際問題どうするー?》と澄み切った青空に向かって問いかけた。少し間を置いてから、その呼びかけに応えるように「任せるよ」と背後から声が響く。いつの間にか、橙色の長髪を靡かせる青年が佇んでいた。


《おいらは教えちゃってもいいかなーとは思ってるよ。だってどうせ聞いても思い出せないだろうし。それに、もしも思い出したとしても――もうあの記憶に支えられる事はないと思うからね》


 守護精霊と契約し、精霊と成る――即ち、人間としての死を迎え、精霊として誕生する。その際に契約の代償となるものは、個人によって異なる。

 人間だった頃の大切なもの、願い、生きる糧――それ等を代償に捧げ、精霊として生まれ変わるのだ。


 ある者は、大切な者の痛みを知り、引き受けたいと願った。だから“痛覚”を。

 ある者は、早く大人になる事を願い、大切な者を助けたかった。だから“成長”を。

 そしてスティールは、幸せだった頃の記憶を糧に生きてきた。だから“記憶”を。


 しかし、今のスティールは違う。例え喪った記憶が戻り、人間だった頃の自分を取り戻したところで――スティールはもう、あの記憶に縋って生きる事はないだろう。

 だって彼は――。


「スティールには新しい家族も居るからな」


 彼はもう、新しい家族と共に、新しい幸せを得ているのだから。

 子供のように穏やかな寝顔を見せているスティールの頭を撫で、青年は優しく微笑んだ。


「血が繋がっていても、血が繋がっていなくても。家族は家族だよ」

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