第77話 契約と自由の喪失


 ――MONDAY 17:30



「ははっ、新作のゲーム買っちゃったぜ」


 衝動的な買い物だったが、新しいゲームソフトを手に入れた事でカイリは意気揚々としていた。もうすぐ太一やアキュラスが戻る時刻だと思い、急ぎ足で駅前を歩き出す。そのまま大通りを抜け――あと数分後には北村家に着く、という時にカイリは陸見公園前で足を止めた。


 公園には、場の雰囲気に全く似合わない体格のいい男子生徒が、小さな子供たちを威圧的に見下している。威風堂々と長ランを靡かせているその姿は正しく――カイリたちのクラスに転校してきた四人組の一人、小野北司と名乗る男だった。狼のような獰猛さを秘めたような司の眼光に子供たちは脅え、ガタガタと震えて動けずに居る。


「ここに変な奴が居なかったか?」

「へ、へんな、やつ?」

「兄ちゃんのこと、じゃなくて?」

「あぁ?」

「ひぃっ、ごめんなさい!」


 ――いい歳してガキ虐めかよ、あの転校生。


「変な奴だよ、こう……あー、あれだ」

「あ、あれじゃあ、わからないよぉ……」

「食パンの耳みてぇな色の髪した、アホ毛の――」

「もしかして……ひょーかお姉さん?」

「髪がぴょんって跳ねてる、アイスの人?」


 その言葉に、カイリは動かし始めた足を再び止める事になった。


 ――あいつ、氷華に用が?


 探りを入れるように聞き耳を立てながら、カイリは足音を立てないようにそっと公園の中に足を踏み入れる。


「そうだ、その氷華って女。あの女がここで変な事してなかったか?」

「へん? ひょーかお姉さんはいつもへんだよ」

「うん、面白いよな!」

「チッ……やっぱりガキ相手じゃ駄目か」


 司は溜息を零し、そのまま自分が背負っていた大きな何かに手をかけた。そこから取り出されたのは銀色に輝く巨大な斧で、司は一切の容赦もなく、それを子供たちへ向けている。その異常すぎる光景を見て、カイリは思わず絶句した。


「あの女が“ここで何かした気配がする”って言われて調べてみれば……只の気の所為だったのかよ」

「お、おにいちゃ、それ――」

「う、あ――」

「まあ、てめぇらガキにはこれと言った恨みはないが……奴を誘き出す餌にでもなってもらうか。とりあえず何人かはきてもらうぜ」


 そして司は無情にも、勢いよく巨大な斧を振り翳す。


 ――――シュッ!



「何だ、てめぇ」


 ガシャンと地面に食い込んだ斧を乱暴に引き抜き、司は鋭い眼光で目の前の人物を睨み付けた。斧の餌食になる寸前だった子供たちは、飛び込んできたカイリに抱えられて九死に一生を得ている。


「はあ、こういう役は太一の十八番だってのに――」


 カイリは両脇に抱える子供たちをそっと下ろし、そのまま一言。


「えっと太一風に言うと――世界のヒーロー、カイっちゃん、見参! って感じか? ……うわ、やっぱ柄じゃないわ」

「ありが、と、水色の、カイっちゃおに、ちゃ……!」

「ありが……うわぁぁぁああん!」

「あー、泣くな泣くな。いいか、もう今日は帰れ。なるべく急いでな」


 そのままカイリはくるっと振り返り、敵でも見るような冷めた目で司を睨み付ける。ニヤリと挑戦的な笑みを浮かべながら、司はその長身でカイリを見下していた。


「てめぇ……確か今日のクラスに居た奴だな」

「そういうお前は今日からきた新入りだろ? いい歳して弱い者虐めなんてみっともないぜ」

「あー? うるせぇよ」


 司はポケットから手鏡を取り出して「髪が乱れちまった」と手櫛で髪を一心不乱にセットし直す。子供に容赦なく刃物を向ける残忍な行動を取ると思えば、何故か突然髪を弄り始め――掴みどころのないマイペースっぷりを見て、調子を狂わせたカイリは静かに溜息を吐いた。


「やっぱこんな奴、相手にする方がアホらし……帰って太一たちとゲームでもするか」


 呆れたカイリは司に背を向けて歩き出したが、刹那――司は背負っていた斧に手をかけてカイリとの間合いを一瞬で縮める。カイリ目掛けて勢いよく斧を振るうと、びゅんっとその場の空気が裂けた。背を向けながらも隠し切れない殺気を感じ取っていたカイリは、難なく鋭い一撃をかわしてみせる。


「不意打ちとは案外卑怯なんだなお前」

「最強の褒め言葉だな」


 カイリの挑発を気にせず、その後も司は力任せの激しい攻撃の手を止める事はなかった。カイリは終始軽くあしらいながらも、相手の様子を探っている。実力的にはカイリの方が勝っていたのだが、彼は勝負を決めようとはせずに何かをじっと考え込んでいた。


 ――こいつ、氷華がここで何かしたとか言ってたよな……何者だ?


 そう、この陸見公園は以前――ゼンとアクが対立していた激闘時、氷華がアクによって腹部を貫かれて瀕死の重傷を負い、彼女の体内に保管されていた神力石の欠片を取り出されたという――仲間内にとってはあまりいい思い出がしない場所だ。衝撃的な現場を偶然目撃してしまった陸見学園の女子生徒に関しては、その後シンが記憶を消したらしいので、それ以外は仲間内にしか知らない事実の筈だ。

 それなのに、司はまるでその真相を探っているような発言をしていた。


 ――この新入り……本当に只の人間か?


「ちょこまか逃げてんじゃねぇ!」

「いや、そんな物騒な物振り回されたら逃げるだろ普通」

「最強の俺に大人しく斬られろ! とりあえず死ね!」

「うわー……なんか面倒なタイプの奴だなこいつ」

「男なら真正面からぶつかれ!」

「お前それ、数分前の自分に言ってみろ!」


 カイリは呆れながら司の猛攻をかわし続け、「さて、どうるすか」と今後の策を練る。


 ――能力を使ってさっさと倒すか? いや、確かにこいつは怪しいが……万が一、一般人って可能性もあるんだよな……だとしたら下手に俺の能力を知られる訳にもいかないし。


「ってか、こんな場所で斧を振り回してる時点で只の人間じゃないか……」

「ああ?」

「確か、銃口法違反って奴だ」


 カイリは銃口法と言っているが、正しくは銃刀法違反である。

 この場に太一が居れば的確なツッコミが期待できたが、残念ながら太一は部活が終わって着替えている頃だろう。更に相手の司は、ツッコミを入れる以前にカイリの間違いを修正できる頭脳を持ち合わせてはいなかった。


「ったく、ちょこまか逃げてんじゃ――ねえ!」

「なっ!?」


 司が柄の底にあるボタンを押しながら勢いよく斧を振ると、即座に斧の刀身がぐるぐると旋回しながらカイリ目掛けて飛んで行く。予想もしなかった遠距離からの攻撃にカイリは反射的に水の防御壁を作って防ぎ――バシャッと勢いよく水の壁に斧が激突した。それによって斧の加速は急速に弱まり、ガタンと地に落ちる。同時に水の防御壁も音を立てて崩れ落ちた。


 ――危なかった……。


 しかしその一瞬の隙が、カイリを窮地へと追い込む事になってしまう。


「やはり、君が“スイ”だね」

「!?」


 水が崩れ落ちた先、カイリの視界に飛び込んできたのは――今まで闘っていた司ではなく、黒いフードで身を包んだ謎の第三者だった。突然現れた敵か味方もわからない第三者を見て、カイリは咄嗟に間合いを置こうと飛び退けるが、その先では司が待ち構える。彼は体格差と怪力を利用してカイリの身体をがっちり封じてしまった。身動きが取れないカイリは悔しそうに司を睨み付け、自分の能力の一つである精霊魔法を使って脱出を試みようと口を開くのだが――。


「『水天よ。我が――』」

「精霊魔法を使われては厄介だ。手早く済ませよう」


 ――こいつ今、俺のこれを精霊魔法って……!?


 次の瞬間、カイリは黒いフードを被った男の視線に射抜かれたような錯覚に陥る。彼の怪しく輝く紅の瞳から目が逸らせなくなり、何故か言葉も出なくなってしまった。


「さあ、僕を見て」

「――ッ!?」

「君、本当は“その病気を治したいんじゃないかい”?」

「!」


 カイリの頭の中で、自分が水天の守護精霊と契約した時の記憶が鮮やかに蘇る。



 ◇



《死期が近いのか。哀れな人間》


「!?」


 自分以外には誰も居ない筈の空間に聞き慣れない声が響き、カイリはハッと瞼を上げる。それと同時に口内に込み上げてくる鉄の味。それをガハッと吐き出し、ゲホゲホと苦しそうに咳を繰り返した。


「誰も、居ない筈なのに……あの声は」


 呼吸が落ち着いてからカイリは「いよいよ幻聴まで聞こえてきたか」と考えたのだが、再び聞こえる謎の声に考えを改める。


《へえ、俺の声を聞き取れる人間がまだこの世界に居たとはな》


「誰だ……」


《面白い。俺の元までこられた暁には何でも教えてやるよ》


 その言葉を聞いた瞬間――カイリは水の中でまどろむ感覚に陥った。身体が浮き、視界がぼやけ、まるで巨大な水槽の中に沈んでいく感覚。次第に息ができずに溺れた感覚へと変わったが、何故か一瞬で再び呼吸が楽になる。

 そこで正常に息ができる事を確認し、カイリはある異変に気が付いた。何故か前よりも呼吸が楽になっている事に。そして、ゆっくりだが――手足が自分の意思で動かせる。


 もしかしたら気付かぬ内に自分は死んでいて、今は死後の状態なのかもしれない。

 だからこうして再び手足の自由が戻ったのかもしれない。

 それでも、今は――。


「よく、わかんないけど……」


 カイリは自力で起き上がると、気道の閉塞を防ぐマスクを乱暴に外し、身体に繋がれていた管をぶちぶちと力任せに取り外す。

 絶望に満ちていたカイリの目が、僅かにだが輝いていた。


「どうせ死ぬなら……こうして、また……動けるなら……!」


 小さな窓を見つめる。いつも変わり映えしない景色を広げていた窓だ。変わり映えしない、小さな世界でも――その中に一歩踏み入れれば、そこはいつもとは違う景色の筈だ。違う世界が広がる筈だ。

 勢いよくガラリと窓を開け、カイリは静かに足をかける。


「外の世界を、見てみたい!」


 こうしてカイリは小さな世界を抜け出した。



 カイリはゆっくりとだが、一歩一歩足を動かす。自らの足で、自分の意思で、一歩ずつ。宛てもないまま、不気味な夜の森を彷徨っていた。

 生まれてから一度も病院の外を歩いた事がないカイリにとって、周りのもの全てが新鮮だった。絵や写真で見る楽しげなものとは違う、少し恐ろしいくらいの現実を前にしても、カイリは星のように目を輝かせる。


「夢、みたいだ。本当にこうやって外の世界が見れるなんて」


 宛てもなくカイリが彷徨い歩き、無意識で行き着いた先は――大きな湖だった。


「もしかして、これが」


 カイリは恐る恐る水面に顔を近付けと――今までに見た事がない、まるで別人のように生き生きとした自分が映っていた。そのまま水面の自分が「これが、海?」と問いかける。


《いいや、これは海じゃねえ》


 カイリの疑問に答えたのは、先程病室で聞いた謎の声だった。水面に映っている自分の顔がゆらゆらと揺れ、地響きと共にざばぁっと巨大な水飛沫が上がる。


「なっ――何だこれ」


《これは湖だ。海は湖と比べ物にならない程、遥かに広大だ》


 巨大な水飛沫は次第に形を成していき、水でできた龍のようなものへと変化した。目の前の奇跡的な光景に、カイリは呆然とそれを見上げて言葉を失う。


《俺の名は水天。水天を司りし守護精霊だ》


「せい、れい?」


 本の中でしか聞かなかった言葉にカイリは首を傾げていた。そんなカイリをじっと見つめながら、水天はカイリに自分の正体について淡々と説明し始める。


 全ての生き物は属性と呼ばれるものに属され、自分はその属性の中の一つ――水天を守護する精霊だという事。

 カイリは水天、水の属性を色濃く受け継いでいる事。

 普通の人間には聞く事ができない筈の水天の声を、カイリだけは聞く事ができた事。

 精霊の声が聞けるという事は――契約に値する人間を意味する事。


「つまり、俺はあんたと契約できるって事?」


《ああ、お前が望むなら》


 水天はそのまま《正直、俺もお前と同じ考えなんだよ》と続けた。遠い昔を懐かしむような表情で、水天は《俺も、ここから出て……久々に外の世界を見たい》と本音を漏らす。


「契約したら見れるのか?」


《ああ。契約――即ちお前自身が精霊となれば、俺はお前の中で生き、お前は俺の水天の力を使える事になる》


 その言葉にカイリの心は動かされる。今まで疑問だった「俺の身体の自由も、もしかして水天の力?」と尋ねると、水天は《そうだ。俺と契約すりゃ、今みてえに自らの意思で自由に動けるだろうな》と述べた。


《だが、契約を結ぶには……代償がある》


「代償って?」


《お前の場合――》


 水天はカイリにバシャリと水をかけ、呪文のように何かを呟く。そのまま静かに《お前の代償は……その病気と一生向き合い続ける事だ》と宣告した。その言葉に、カイリは思わず声を荒げる。


「なっ……それってどういう事だよ! 身体は自由になるんじゃないのか!?」


 突然大きな声を上げた事で、再び息苦しい発作が起こった。口内に込み上げてくる不快な鉄の味。ゲホッと勢いよく吐き出せば、湖のほんの一部が赤く染まっていた。水の中に広がる赤と自分の蒼い顔を見て、やはり自分は一生この苦しみから逃げられないのかと痛感する。


 自由や愛情を失う原因となった、この忌まわしい病気からは、どう足掻いても逃げられない。


《心配すんな、身体の自由は保障される。まあ、要はその発作だ》


「……この苦しみと一生向き合い続けろっていうの?」


《ああ、そうだ。その苦しみの度、お前は嫌でもあの虚無のような日々を思い出す。“自由”を手に入れるが、“自由”を失って囚われ続けるだろうな》


 水天は空中に跳び上がり、勢いよく湖の水を噴き上がらせた。月光に照らされた水飛沫がキラキラと輝き、幻想的な風景の中――カイリはギリッと歯を噛みながら、俯く。


 ――これから一生、精神的な自由は奪われるが、身体的な自由を手に入れるのか。


《さあ、どうする?》


 ――暗い病室で、全ての自由を奪われ、何もできないまま死ぬか。


《俺と契約を結ぶか、否か》


「俺は……」


《選択しな。カイリ・アクワレル!》


 ――俺はッ!


「生きたい! この広い世界を見たいんだ! 生きる為なら、自由なんてくれてやるッ!」



 ◇



「僕ならば君の願いを叶えられる」


 ――こいつ……何者、だ……ッ!


 まるで暗示のように、甘い毒のように――黒いフードを被った男の言葉だけが脳内を支配していき、カイリの意識は徐々に薄れて始めていた。心の隙間に入り込み、土足で踏み荒らされていくような感覚にカイリは苦しそうに顔を歪める。黒いフードを被った男の目と言葉が、じわじわと精神を蝕んでいった。


「君は、本当は“それ”を治したいはずだ。その重すぎる過去を、重すぎる病魔を。水のように洗い流したい」

「やめ、ろ」

「今の君は過去を思い出すだけで発作が出る。いつまでも過去に囚われたままだ。本当の自由の為に、君はこの忌々しい呪いを洗い流したい筈だよ。僕なら君の願いを叶えられる。ほら、本当の心を解き放って、本当の君を願うんだ」

「お、れ……はッ!」


 ――生きる為に……これを背負って行くと決めたんだッ!


「さあ、君の願いを僕が叶えてあげるよ!」


 黒いフードを被った男は、カイリの額にすっと手を触れ、念じるように何かを呟く。その瞬間、カイリの意識は徐々に消え、完全に深い闇へと沈んでしまった。


 ――俺、は……お、れの、願いは……。



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