番外編15 桜と掌握と新学期


 桜の舞い散る通学路を走り抜けながら、氷華は「新学期か〜」と呟き、ふと視線を上へ向けた。春の木漏れ日が満開に咲いた桜の木々を彩る。片手に携えたアイスキャンディが溶けそうなくらい、暖かな陽気だ。ちなみに氷華にとっては、少し暑いくらいである。


「桜とアイス。風流だなあ」

「急がなくていいのか?」

「あ、そうだった」


 肩付近に乗ったハンカチ――ではなく、ノアから指摘され、氷華は再び走る速度を上げる。新学期になって学年が変わっても、遅刻しそうな事には変わらなかった。



 ◇



 学年の掲示板を見ながら、氷華は「今年は何組かな」と自分の名前を探し始める。すると、隣から「D組。今年もよろしくな」と聞き慣れた声が耳に入った。氷華は「つまり太一とは三年連続か」と感慨深い表情で頷く。代わり映えしないが、氷華的には同じクラスの方が何かと楽なので、特に悪い気はしなかった。


 一方の太一は、未だにクラス名簿を見ながら何かを考え込んでいる。不審に思った氷華は「どうしたの?」と問いかけると、太一は「いや、まあ……面子を見ればわかる」と煮え切らない態度で返した。


「面子って……あっ、ももとゆりも一緒だ! よかった。後は……鉾町くんと市谷くんも居るね」


 太一や氷華と仲がいい友人たちも同じクラスだった事で、氷華は目を輝かせる。しかし、同時に練習はサボりがちだが実力はピカイチの野球部の問題児や、気性は荒いが演奏は繊細な吹奏楽部員、成績は学年首席と噂される生徒――“よくも悪くも問題児”的な生徒が結集していた。しかも留学生枠でカイリたち五人も三年D組になっている。


「何て言うか……凄いね」

「もう噂になってるぜ。魔の三年D組だって」

「もしかして不正とか? ほら、シ――」


 シンとかが、と続けようとしたのだが、偶然通りかかった生活指導の教師が「不正はないぞ」と告げた。そのまま教師は改めてクラス名簿を見て、盛大な溜息を零し、目元に手を押し当てながら「実はな」と口を開く。


「去年、この学園に不幸が起こっただろう? ほら、校舎の一部が損壊した……」

「「!?」」


 突然の教師の発言に、太一と氷華は思わず肩を跳ね上げた。

 太一と氷華たちも深く関わった先の闘いの影響で、陸見学園の校舎は一部が損壊した。約一ヶ月程で授業が再開できるようにはなり、長期休暇の最中に一気に修繕したようで、今は完全に修復している。むしろ、心なしか前より綺麗な校舎になったくらいだ。


「その一件で、理事長がまあ……修繕とかを放棄してな……結論から言うと、逃げました」

「え、じゃあ一体どうやって――」

「ふふふ、ここからは私が説明しよう! 善良なる生徒諸君よ」

「新理事長!」


 突如会話に割ってきた人物は、教師から新たな理事長と呼ばれた男だった。彼は派手な橙色の長髪を靡かせながら、まるでレッドカーペットを歩く役者の如く悠然と歩いてくる。しかし目元は怪しげな仮面で隠されている為、少し怪しげな雰囲気を与えていた――というのが一般的な第一印象だろう。だが、太一と氷華はこの怪しすぎる仮面男と親しい間柄だった。


 ――この人、絶対にシンだよね。


 ――何やってんだよ、シン……。


 二人の遠い目を無視しながら、怪しすぎる仮面男――変装したシンは堂々と続ける。


「運から見放され、理事長からも見放され――路頭に迷う陸見学園の者たちが哀れに思えてな。私が修繕費やら諸々を全面手配し、陸見学園と取引をしたのだよ」


 シンの取引内容は、自分が新たな理事長になる事と、自分が管理している海外の学校から留学生を転入させる事だった。新たな理事長の存在、海外の学校が姉妹校となる事で、将来的にはグローバルな連携も期待できる。陸見学園側にとっては、利益しか生じない取引だ。勿論、陸見学園側は間髪を入れずに取引に応じた。


「シン・イ・ダーイさんは我が校の救世主です」

「救世主だなんて大袈裟な。私はそこまで器の大きい人間ではありませんよ、はははは」


 ――シン・イ・ダーイって何だ……もしかして偽名か!?


 ――シンイダイ……シン偉大……?


 ぺこぺこ頭を下げながら去る生活指導の教師を、シンは満面の笑みで見送る。その様子を呆れたように眺めながら、氷華は「それで、実際のところは?」と尋ねた。


「怪しまれずに校舎を修繕しつつ、精霊の皆を転入させる為には、この方法が最適と判断したからな」

「結局シンが掌握しただけじゃん!?」


 太一が的確なツッコミを入れる横で、氷華も「壊した原因もシンみたいなものだし……」と呟くと、シンはウインクして舌を出しながら「えへ」と微笑む。


「「可愛くないから」」


 二人が同時に口を開くと、氷華のバッグからゴソゴソとノアが飛び出してくる。氷華は誰かに見られていたらどうしようかと焦ったが、ノアの一言でそれ以上に焦る事になるのだった。


「氷華、急がなくていいのか?」

「……あ」

「やべえ、始業式忘れてた!」

「急ぎたまえ、善良なる生徒諸君――いや、救世主諸君よ」


 そんなシンの声を背に、太一と氷華は慌てて走り出す。まるで、始業式をサボってゼンと出会った“あの時”のようだと思いながら、シンは優しく微笑んでいた。



 ◇



「なるほど、だから二人揃って遅刻だった訳か」

「噂になってましたよ。あの問題児は初日から遅刻か、と」

「校舎内には居たんだよ。シンに捕まらなかったら遅刻はしなかった。それに俺たちまで問題児扱いは不服だ」


 太一がぶつぶつ文句をぼやいていると、カイリが納得し、ディアガルドは欠伸をしながら告げた。隣の方ではスティールが何か挑発したのか、騒ぎ立てるアキュラスとそれを宥めようとソラシアが慌てている。クラスが変わっても相変わらずな仲間たちの様子を見ながら、太一は苦笑いを浮かべていた。


「ってか太一、別な方でも噂になってるって噂だぞ……くっ」

「噂になってるって噂……?」


 太一の机をバンッと叩き、悔しそうに目元を押さえる友人――市谷奏は、どこから仕入れた情報かはわからないが、新入生が話していたらしい噂を口にする。内容は、新入生による上級生の人気度ランキングというものだった。


「流石に一位じゃないけど、太一も一桁圏内には入ってるって噂だぞ……くそ〜っ、何でいつも太一ばっかり!」

「別に興味ないけど……まあ、悪い気はしないかな」

「そういうところだぞ」


 ぶつぶつ文句を言う奏に対し、友人の鉾町誠は「お前もそういうところだぞ」とぼそっと呟いていた。それに反論している光景を笑いながら眺めていると、太一の前にスティールが立ち尽くす。彼の表情は、自信に満ち溢れるような笑みを浮かべていて――所謂、ドヤ顔だった。


「その人気度ランキング、一位って誰だと思う?」

「いや、知らないけど。どうせサッカー部のイケメンか、弓道部の殺し屋じゃないのか? それか茶道部の家元」

「陸見学園は随分と個性豊かな人たちが集まって居るようですね」

「あだ名だけどな」


 ちなみに、構える際の鋭い眼光がまるで殺し屋のようで物騒なあだ名が付いた“弓道部の殺し屋”は、実際にこの三年D組に属している。弓矢を手にしていない時の普段の彼は、至って普通の青年だ。しかも本人は、自身に付けられた物騒なあだ名を面白がっている程に心の広さも持ち合わせている。

 ディアガルドの言葉で彼を一瞥した太一は、改めてスティールに向き直った。相変わらずスティールはドヤ顔のままだ。


「人気度ランキングの一位はね……陸見学園の王子様、キラキラ笑顔が眩しい魅惑の留学生」

「……ディアガルドの事か?」

「僕だよッ!」


 太一のボケに対し、スティールは渾身のツッコミで返す。その時のスティールは、普段の王子様オーラとはかけ離れていた。するとソラシアは「ティル兄が一番になったの? 凄いっ、お祝いしなくちゃ!」と目を輝かせている。その様子を見て、太一は何かを思い出したのか――ソラシアに向かって「そう言えばさ」と切り出した。


「スティールって女誑しだろ? それに学内の人気も一位って……兄妹のソラ的にはどう思うんだ?」

「え、何かの一番になる事は凄いと思うし、ソラも嬉しいよ? 女の子好きは、うーん……修羅場ってのにならなきゃいいなとは思うけど」


 ――それに、ソラだって……。


 意外に達観的なソラシアに驚きつつ、太一は「それなら平和だよな……」と頷きながら呟いた。どうやら太一の知っている兄妹は、アントラン兄妹のように平和ではないらしい。

 一方、少し照れたようにカイリを見ているソラシアを眺めながら、ディアガルドはくすりと微笑む。ちなみにカイリは、面倒そうにアキュラスをあしらっている為、ソラシアの視線はおろか、太一たちの会話は耳に入っていない。


「ねえ、ディア。女誑しってどう言う意味?」

「スティールみたいな人の意味です」

「それがわからないから訊いてるんだけど」


 皆でいつものように談話を続けていると、氷華の座席に掛かっているスクールバッグからふわふわとハンカチが飛んでくる。それは太一の机の上にバサリと乗り、太一を見上げていた。


「おい、太一」

「ん? どうしたノア。ってか今の誰にも見られてないよな……?」

「先程から姿が見えないが、氷華はどこに行ったんだ?」


 言われてみれば、先程から氷華の姿がない。氷華と仲がいい友人の岩白ゆりえや清川桃子と話しているのかとも思ったが――二人の側に氷華は居なかったので、どうやら違うらしい。太一は「アイスでも買いに行ったのか?」と首を傾げていると、タイミングよく話題の人物が教室の扉を開ける。しかも、やけに上機嫌な様子だった。


「氷華、アイスでも買ってきたのか?」

「ううん、違うよ。アイスは昼休み」

「氷姉ご機嫌だね。何かいい事でもあった?」

「三年D組になったよって報告してきた」


 まるで花が咲いたような満面の笑みを浮かべる氷華は、少し値の張るアイスを食べている時以外には見る事ができない。氷華の珍しい表情を見ながら、ソラシアはきょとんとした顔で「誰に?」と首を傾げて問いかけた。


「ふふっ、秘密!」


 皆はご機嫌な氷華に疑問を持つが、太一だけは何か心当たりがあるようで――少し顔を蒼くしている。そんな一同の緩んだ心を正すように、数学の教師が「授業始めるぞ、席座れ〜」と教室に足を踏み入れた。教師の言葉を聞きながら、クラスメイトを含めた全員が自分の席へ戻り始める。


 太一は教科書を睨むように見つめ、氷華は先程の会話を思い出しながら頬を緩めてた。ノアはスクールバッグの定位置に戻り、皆はそれぞれの態度で授業を受けている。

 そして、滅多に人が出入りしない理事長室の椅子に座り、皆の様子をシンは楽しそうに眺めていた。


「さて、これから彼等の前に現れるのは、世界を舞い踊る白雪か、未知なる敵との新たなる闘いか――楽しみだな」


 雪のように舞い散る桜の花びらが、窓の外に広がる景色を彩る。

 季節が変わっても、ワールド・トラベラーの日常は変わらない。




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