第70話 救世主は何を救う


 アクは鮮血を吐き出しながら、力なくその場に崩れ落ちた。傷を回復しようにも、何故か身体は全く動かない。いつしかアクの身体はピキピキと凍り始め、自由が奪われていたからだった。アクは太一を睨み付け、その後同じ形相で氷華を睨み付ける。


「あの半身が、知る魔術は……俺も、理解している」


 しかし、アクは何の抵抗もできずに氷華の魔術を直撃した。それは、抵抗する術がわからなかったという理由が正しい。彼は、氷華が発動した最後の魔術を“知らなかった”のだ。しかし、それは同時にゼンも知らない魔術という事を意味する。


「……その魔術……どこで、覚えた……異世界の……術師か……?」

「あっ、あれはね――」


 氷華はニッと得意そうに笑いながら、倒れているアクを見下した。腹の傷の借りは返したと言わんばかりの、満足気な表情で。


「あの魔術は、私が創った!」


 あの状況で一か八かの賭けに出る氷華の度胸も大きいが、何よりも彼女は自分の魔力を信じていた。自分ならばできる、絶対に成功すると強く想う事で――それは本当に真実へと変わった。まるで、この真実の塔自体が彼女を祝福したかのようだ。


「…………」


 アクは悔しそうに目を細め、己の過失を呪った。


 ――この女、やはり消しておくべきだった。それに……。


 太一がぶんっと刀を振った瞬間、刀身に纏っていた氷がパリンと砕け散る。真剣な表情で自分を見つめている太一を、アクは息も絶え絶えに見上げた。


「貴様の、その剣……」

「さっきの刀は氷華のお陰だけど、技術は独学。ゼンから教えてもらった訳じゃない。いろんな世界で、いろいろ闘って、自分なりの流派」


 そして太一は「北村流? ……何かしっくりこないな……ワールド・トラベラー流、みたいな?」と首を傾げて呟きながら、氷華と共にゼンの元へと駆け寄る。


「ほら、ゼン。後はお前が神になるだけだ」


 ゼンは手にした神力石をぎゅっと握りながら、一歩ずつアクへと近付いた。アクはガハッと苦しそうに血を吐きながら、氷の剣に貫かれた自身の左胸と、動かない身体を恨めしく思いながら――観念したように目を閉じる。もう抵抗する術も、抵抗する気もなかった。


「……さっさとしろ」

「なあ……アク」


 そのままゼンは足を止め、膝を付き――アクを宥めるように、穏やかな声色で口を開く。


「私とお前のどちらかが勝るなんて、やっぱりおかしいと思うんだ……一緒に、平等に、神になろう」


 その言葉に、アクは勿論――その場に居る全員が驚いて目を見開かせていた。各々が反論しようと口を開くが、それは真っ先に怒鳴り散らしたアク自身によって遮られる。


「ふざけんじゃねえ! そんな事ができるかッ!」

「私はお前であり、お前は私である。だからこそ、もうお前とは闘いたくない。もう不毛な争いは止めよう」

「貴様は善の象徴だからそんな事が言えるんだッ! 貴様の正義を俺にまで押し付けるんじゃねえッ!」


 アクは激しい憎悪を込めて呪いのように呟いた。その声は怒りによって酷く震えている。


「人間共、他の神共も、全員――お前の中に俺を閉じ込めた! 俺の存在は目触りだろうからな……だから、俺はッ! 俺を生み出した、人間共がのうのうと生きるこの世界を壊して、他の神共も壊して……ッ!」

「確かに、神連合ならば再びお前を閉じ込めるだろうな。だが私は、こうしてお前と離れた事でいろいろ考えた。神とは何か、善悪とは何か。最終的に、お前を閉じ込めず、共に生きたいという結論に辿り着いた」


 陽光を纏いながら優しく微笑むゼンに、アクは理解に苦しむように顔を歪める。アクにとっては、ゼンの思想等、全てが眩しすぎて理解する事ができなかった。


 ――何で、こいつは……こんなに、甘い……!


「そんなのは本当の神じゃねえ! 完全な悪、完全な善……そのどちらかが本当の神だ! それこそが、完璧な存在であり神だろうがッ!」

「私は、本当の神とは……善悪も両方兼ね備えた、不完全な存在こそが本当の神だと思っている」

「「!」」


 その言葉の真意を、全員は考えた。


 ――不完全で……悪も、善も兼ね備えた……。


 それはまるで、人間そのもののようだ。

 ゼンは静かに後ろを振り向き、自分たちを見守っている太一と氷華に問いかける。


「お前たちはどう思う? ワールド・トラベラー」


 太一は真剣に考えた後に「あ、そっか」と清々しい笑みで口を開いた。


「ゼンは、“全てを救おうとしてるんだな”。この世界も、そしてアクも」


 その指摘にアクは唖然としながらゼンを見上げる。ゼンは「流石だな、救世主」と呟きながら目を閉じると、太一が「俺は」と自分の意思を述べた。


「ゼンの為に救世主を目指して闘っていた。だけど、その最中――お前を含め、沢山傷付けた。その時点で、俺たちはもう善人じゃないんだ。あいつが言った通りだよ」


 目を閉じれば、あの時の言葉が今でも鮮明に思い浮かぶ。あの時はわかり合えず、救えなかった彼を脳裏で浮かべたまま――太一は「だから、俺たちだって、善悪を合わせ持つ、不完全な存在だ」と続けた。


「それに、この世界自体が不完全で成り立ってるみたいなもんだろ。俺たちだってそうだし、犯罪者を裁く事とかだってそうだ。善にも悪にも、両方に捉えられる。個人によって、その視点によって変わるものだ。だから、どちらが正しいかなんてわからないし、答えも見つからない。決めつける必要もない」


 ――「この行動は、太一くんなりの正義だったのかもしれない。でも――」


 昔、ある人物が教えてくれた言葉を思い返しながら、太一は顔を上げる。


「そうやって俺たちは悩んで、迷って、苦しみながら……前に進み続ける。善人のように何かを救いながら、悪人のように闘い続ける。俺たちがそうやって生きる事で、善悪を抱えながらでも大丈夫だって事を証明するから。もしそれで、神連合ってのから文句言われたら、俺がそいつ等と闘ってやる」


 人間を代表し、先導するような風貌で、太一は語った。墨色に輝く瞳が、アクの深紅色の瞳をまっすぐ捉える。続けてゼンへ一瞥し、再びアクを見て、太一は得意気に笑いかけた。


「だから、俺はいいと思うよ。不完全な神サマで。寧ろそっちの方が、俺たちの上に立つ者として相応しい。まあ、目に余るような悪事を働こうとしたら――また俺たちが止めるけどな」


 強い信念を抱え、自分の意見を堂々と言い切った太一は、まるで英雄のような威厳を放っている。隣に居るだけで、光の世界へと導いてくれるような――そんな雰囲気だ。


 そんな太一の横から、今まで黙っていた氷華が「私は――」と真剣な表情で歩き出す。アクの前にしゃがみ込み、手を翳すと、彼女は傷を癒す魔術を施し始めていた。


「貴様、何を……!?」

「前にゼンから、“創造主が人間を信じ切れず、ひとりで背負い込んでしまった”と聞いた。でもそれは同時に、私たち人間があなたひとりに背負わせてしまった罪でもある。だから今度は、私も一緒に、善も悪も、罪も罰も背負うから。もう一度、ゼンと一緒にこの世界を見守って欲しい」


 傷を治した氷華は立ち上がると、アクは眉を顰めながら「敵にも情けをかける――それが貴様の正義か」と問いかける。氷華は少し考えた後に、「ちょっと違うよ」と否定した。


「これは正義っていうか、私の生き様みたいなものかな。全てを救う救世主になる為に、まずは目の前で困ってる人の手を掴む事から始めるって決めてるの」


 どこか遠くを見つめて想いを馳せた後、氷華は瞳を閉じる。いつも完璧で、救いどころか――誰にも助けすら求めない。そんな、最も頼りにされたい存在が脳裏に浮かんだ。


「あなたは悪意の象徴だからとか――そういうプライドが働いて、救いを求めちゃいけないとか思ってるのかもしれないけど――私たちには関係ないよ。手を伸ばせないなら、無理矢理掴むから」


 太一が氷華の隣に立つと、ニカッと笑いながら「って訳だ。俺たちだったら救う方を選ぶのに賛成だぜ」とゼンに告げる。氷華も「だって、ワールド・トラベラーですから!」と優しく微笑んでいた。


 二人の言葉を噛み締めるように聞いていたゼンは後押しされ、アクも言葉をなくして俯いている。


「さて、ワールド・トラベラーもそう言ってくれた訳だ。私は勝手にお前を“救う”ぞ。文句があるならば、神になってから聞いてやる」

「……チッ」


 舌打ちをして不満気な表情を見せているが――アクはそれ以上、何も抵抗しなかった。



 ◇



 神力石を中心にするように、巨大な魔法陣が形成された。その右にはゼン、その左にはアクが佇んでいる。二人が共に生き、本当の神となる瞬間がきたのだ。それは同時に、二人との別れを意味する。


「ぜぇんん……」

「ソラ……」


 ソラはゼンに駆け寄り、ぎゅっと強く抱き付いた。ゼンは彼女の親代わりというべき存在でもあったので、やはり居なくなってしまうとなると、胸が張り裂けそうな程の寂しさを覚えた。嗚咽混じりで、ソラは彼に対しての感謝を述べる。


「……ぜぇん……今ま、でっ……ありが……とぉ……」

「ソラ、そんなに泣くな……私は神の中で生きる。死ぬ訳ではないんだぞ」

「わかって、る……けどぉっ! やっぱ、り……寂しいよぉ……」


 数分後にソラが名残惜しそうに離れると、次はカイがゼンの前まで歩き――じっと彼の紺碧の瞳を見つめていた。暫く黙っていたカイだったが、やっと重い口を開き、恐る恐る声を発する。それは、酷く震えている事が理解できた。


「俺、その……ゼンと一緒に、世界の為に……生きてて……それなりに、楽しかったから……」

「カイ、私もだよ」


 カイとソラの頭を、我が子を愛でるように優しく撫でながらゼンは微笑む。いつもと変わらないゼンの笑みを見て、だけどこれからはその笑みが見れなくなると思うと――カイとソラは涙を浮かべていた。


「二人共、今までよく頑張ったな……私を信じてくれて、ありがとう」


 その言葉に、今まで必死に耐えていたカイの瞳からもつうっと一筋の涙が零れ落ちる。ソラも再び声を上げながらわんわんと泣き出していた。



 ◇



「マスター、改めて言います。今までありがとうございました」

「僕が人並みに生きていられるのはアキュラスとディアのお陰だけど……僕がここで生きていられるのはあなたが拾ってくれたお陰です」

「……元気で」

「…………」


 ディアガルド、スティール、アキュラスが続けて感謝の意を述べるが――アクは沈黙を貫いたままだった。といっても、アクからの返事を特に期待していなかった三人は、その場から離れようとくるっと背を向けるのだが――瞬間、アクは短く言い捨てた。


「……貴様たちはもう自由だ」


 後に続く言葉は何なのだろうか。だから好きに生きろ。だから自分の前から立ち去れ。はたまた別の言葉なのか。口を閉ざしてしまったアクの真意はわからない。それでも、短く冷たい一言だけでも――三人の心を軽くさせるにはそれだけで充分だった。



 ◇



 入れ替わるように、太一と氷華が静かにアクに近付く。太一は頭の後ろで手を組みながら、特に警戒はしていない様子で気さくに話していた。


「全く、俺たちの世界を脅かせやがって。もうこんな真似するなよ?」


 それを茶化すように、氷華は笑いかける。


「またこんな事された時は……私たちワールド・トラベラーが黙ってないけどね!」


 何も喋らないアクには初めから期待していなかった様子で、二人はそれだけ言ってその場を離れようとするが、今まで閉口していたアクの言葉に、二人は足を止める。


「貴様等は、己の正義の為に闘っているとは思えない。何の為に闘っている」


 その問いを聞いて、太一と氷華の脳内には同じ言葉が思い浮かんでいた。それを代弁するように、太一が口を開く。


「昔、ある人に教えてもらったんだ。正義なんて言葉は、自分の言動を正当化する為の言い訳にすぎないって」

「だから私たちは、自分自身で“正義の味方”とか“正義のヒーロー”なんてものではないと思ってるよ。最終的に全てを救える救世主になれればいいと思ってる、困ってる人に手を差し伸べるコンビ……みたいな?」

「何の為に闘ってるかってのは、今まではゼンの為だったけど。今はそうだな……敢えて言うなら自分の為だよ。“救いたいから救う”、それじゃ駄目か?」

「私も似た感じ。“護りたいから護る”、とか」


 何かを救ったり助けたりする事に、深い理由なんていらないだろう。救いたいから救う。護りたいから護る。それで充分だ。太一と氷華がそんな会話をしながら笑い合っていると、アクは呆れたように瞳を閉じ、そのまま静かに問いかけた。


「貴様等――名前は?」


 その言葉に、太一と氷華はニヤリと挑戦的に笑う。


「ワールド・トラベラー、北村太一」

「同じくワールド・トラベラー、水無月氷華」


 そしてアクは一言だけ呟いた。


「その甘ったるい考えが一体どこまで通用するのか――これから見定めてやる」


 ――只の人間風情が、神をも救う救世主となる……か。



 ◇



 太一たちがアクと話している間、ノアは一歩引いた立場でゼンへ向かって語りかける。


「まあ、僕はお前とそこまで接点はなかった訳だが」

「ノア……ノアも色々ありがとうな」

「僕は氷華を助けただけだ。あいつが世界を救うと言うから、協力したにすぎない」

「しかし、私の事も助けてくれた事には変わりはないよ。ありがとう」


 ゼンからの感謝の言葉に照れたのか、ノアはそれ以上何も言わずに背を向けてしまった。しかし彼の耳は林檎のように真っ赤で、ゼンは「素直じゃないな」と思いながらも「耳が赤いぞー」と茶化す。するとノアの身体はピカッと光り出し、ハンカチ状態になりながらふわふわと離れてしまった。


「本当、素直じゃないな……」


 そう言いながらゼンが苦笑いを浮かべ、何か閃いたようにパチンと指を鳴らすと、ハンカチ状態のノアの身体が一瞬だけ白い光を放つ。それは、ゼンが異世界で生きる彼へのささやかな謝礼だった。


 ――これで、いつでも好きな時に元の身体へ戻る事ができる、それを保つ事も可能だろう。


「この世界の為に闘ってくれてありがとう、異世界の戦士よ」



 ◇



 最後に、太一と氷華がゼンの前に立った。


「ゼン、今までありがとな」

「私たちをワールド・トラベラーにしてくれて、ありがとう」

「お前たち……」


 ゼンはじっと自分を見つめる太一と氷華に、照れたように頬を緩めながらへにゃりと笑いかける。二人の頭をガシガシと少し乱暴に撫でながら、いつも通りの優しい声色で口を開いた。


「本当にありがとう、太一、氷華。本当に、ありがとう……ワールド・トラベラー」

「俺、ゼンと出会えて、こうして世界を救えて――ほんとよかった。ゼンに出会えてなかったら、このまま何も知らない内に世界が滅んでいたかもしれないし」

「ゼンたちと一緒に闘えてよかった。ゼンたちと一緒に過ごせて楽しかった。それと、私が死にかけた時……あんなに怒ってくれてありがとう」


 ひたすら感謝を述べる太一と氷華を包み込むように、ゼンは両手で二人の身体を優しく抱き寄せる。本当にこれで最後なのかと思うと、自然と涙が溢れた。太一と氷華はその涙を隠すように、黙って俯いている。


「私も、太一と氷華に出会えて、本当によかった。お前たち二人がワールド・トラベラーで、本当によかった。今ならはっきり言える。お前たち二人は、私にとっての――この世界にとっての、救世主だよ」


 太一と氷華の身体をゆっくり離し、涙を流しながらゼンは笑っていた。彼の言葉を胸に刻みながら、太一と氷華は瞳から涙を弾かせ、精一杯の笑顔で顔を上げる。


「今までお疲れ様。任務完了だ、ワールド・トラベラー」

「「……はい!」」



 ◇



 遂に別れの時がやってきた。ゼンとアクの身体は神力石と共に光り出し、徐々に消え始めていく。


 カイは涙を拭い、ソラは未だにボロボロと涙を流していた。そんなソラの頭を撫でながらスティールも辛そうに俯き、アキュラスはじっと二人の姿を焼き付けるように見つめ、ディアガルドも目細めながら優しく微笑む。ハンカチ状態のノアは定位置になった氷華の肩にぱさりと乗り、太一と氷華は静かに涙を流しながら消えゆく二人を黙って見守っている。


「さらばだ、精霊たち、異世界の戦士……そして、救世主(ワールド・トラベラー)」

「…………」


 そして、ゼンとアクは陽光と冥闇を纏いながら、完全に消えてしまった。



 こうして、ワールド・トラベラーは救世主となり、彼等の“世界を救う旅”は静かに幕を閉じる。


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