第32話 疑念と思惑③


 ちょっとした公園くらいの広さはあるのだろうかという程の大広間には、サユリと宋、そして太一と氷華、ティルが集まっていた。他の使用人たちは未だに、念入りな掃除や明日の食事の下ごしらえに励んでいる。宋がこほんと咳をした後、真剣な表情で話し合いが始まる。


「まずキタムラ、ミナヅキ、ティル。お前たちはこれから何か有事があった場合、最前線で闘えるだろうと判断したので同席してもらっている。最もミナヅキに関しては不安だが、キタムラがどうしてもと言うからな。だからお前たち三人をこの場に集めた」

「いまいち話が見えないけど、氷華が頼りになる事は俺が保証するよ」

「それで、緊急の話って?」


 氷華が急かすと、ティルは「もしかして、スヴェル様の事とか」とピンッと人差し指を立てながら続ける。その呟きに、宋は静かに「ああ」と頷いていた。


「今日、アンティーム殿の屋敷へ行ってきました」

「まぁ、スヴェル様の! 言っていただければ、わたくしもご一緒しましたのに」

「いえ、今日は個人的に訊きたい事がありまして……サユリ様、これから話す事は全て真実です。落ち着いて聞いてください」


 サユリがふわりと笑う中で、宋は言いにくそうな、悔しさを堪えるような表情を浮かべ、静かに口を開く。


「アンティーム殿は、恐らく明日――サユリ様を陥れる気です」

「え……?」

「アンティーム殿は近隣貴族同様、サユリ様も自分の配下に置く計画を企てています。そこから現国王へ意見し、この国アルモニューズを乗っ取る気でしょう。彼は、グラーヴ帝国の者と繋がりがあるようです」

「!?」


 サユリはガタリと立ち上がり、茫然としていた。本城の外に出た時から、このような裏切りもあるだろうと理解していた。しかし、頭で理解できている筈なのに、感情が追い付かない。知識だけを得るよりも、実際に経験した方が、痛いくらい心に響くと改めて実感した。


「申し訳ございません、サユリ様。このような件は、サユリ様が心を痛められる前に、事前に私たちで解決すべきでした。アンティーム殿を読み切れなかった私の失態です。いかなる処罰もお受けします」


 暫く俯いていたサユリは、ゆっくりと、重い口を開く。


「少し前までのわたくしならば、そんなのは嘘だと言って逃げ出していた事でしょう。でも、今は……少し違います」


 先程の太一との会話を思い出しながら、サユリは「わたくし、宋の言葉を信じます。信じた上で、スヴェル様と直接お話したいんです」と顔を上げた。その目は、まっすぐ未来を見据えている。


「何故この国へ意見したいのか。彼の意志はなく、グラーヴ帝国の思想だけないのか。そこを、自分の目できちんと確かめたいのです。辛い結果になるかもしれないけれど、そうじゃないと、わたくしは納得できないから」


 サユリの言葉を聞き、宋は思わず感涙しそうになった。本城を離れてから少しの間にも、主人はここまで成長していたのかと思うと、感動も大きいか、どこか寂しさもある。しかし、今はそんな事を言っている場合ではない。宋は一瞬で仕事モードに変わり、真面目な顔で「策を考えましょう。アンティーム殿の真実を暴く為に」と切り替えた。



「他を支配し、急激な戦力拡大……戦争への助長……アルモニューズ王国と“トラングル王国”の関係に面白くないグラーヴ帝国との三角関係か……」


 ――戦力拡大……何故そこまで知っている……?


 氷華が思案する横で、太一は「“トラングル王国”じゃなくて“トランキル王国”だろ」と指摘すると、氷華は「あれ、そうだっけ」と首を傾げていた。その会話を聞いて宋は何か思い出したのか、太一と氷華に対して問いかける。


「そういえば、キタムラはミナヅキの実力を高く評価していたが、二人は調査隊のチームを組んでから長い付き合いなのか?」

「うーん、正式なチームを組んだのは結構最近だけど。氷華とは幼馴染だから、付き合いは長いかな」


 するとサユリが「太一さんと氷華さんは同じ学校で勉学を共にしていたらしいですよ。だから、互いの実力は把握している筈。太一さんが言うのならば、氷華さんもお強いのでしょう」と微笑んでいた。その言葉を聞いた氷華は、少し照れたように「それ程でも」と鼻を高くしている。しかし宋は「という事は、剣術の師範が同じ――という訳ですか」と涼しい顔で切り返した。


「いや、師匠はちょっと違うけど」

「寧ろ最近は太一の独学だったよね。あれ、でもカイと特訓してたんだっけ。最近はソラも観察兼回復役で行ってたって聞いたけど」

「独学とは言い難いけど、師匠ではない事は確かだな……氷華は師匠の元で、って感じだったみたいだけど」

「うん。まあ、そこは互いに干渉してなかったもんね」


 太一と氷華の日常に関する何気ない会話を聞き、サユリは「今度は氷華さんの日常の話も聞かせてくださいね!」と興味津々の様子で目を輝かせる。


「……そうか」


 宋の呟きを聞きながら、今まで黙っていたティルは「宋先輩、流石だなぁ」と心の中で笑っていた。



 ◇



「私が考えた作戦はこうです」

「ちょっと待てよ!」


 宋を中心に考えながら、発案された作戦内容を聞き、太一はばんっと机を叩きながら異論を唱えた。サユリも「宋、それでは――」と意義の念を申し立てる。


「その作戦じゃあ、氷華の負担が大きすぎるだろ!」

「ミナヅキも、キタムラ並みに強いならば大丈夫だろう」

「でも――」

「それに、ミナヅキの強さを保証すると言ったのはキタムラ自身だ」


 宋は挑戦的に太一を、続けて氷華を見つめる。

 まるで現状を把握しているように、スヴェルの事を「急激な戦力拡大」と評した事実。常識と言っても過言ではない筈の、国名の誤認。大方、師匠がグラーヴ帝国の関係者またはスヴェル本人なのだろう。そこへ、何も知らない太一を誘導しつつ――この城へ潜入した。

 “氷華をスヴェルのスパイと勘繰った”宋は、多少氷華に危険が及ぶ状況になっても大丈夫だろうと判断していた。本当にスパイならば、適当なところで救援が入る筈。スパイならば安全が保障されるだろうと、宋はカマをかけている。


 自分が疑われている事を理解してか、していないのかは定かではないが――氷華は真剣な表情で「私、やるよ」と太一の異論を切り捨てた。本人から言われてはどうしようもない太一は、苦渋の表情で「じゃあ、せめてティルさんの役を俺の役を交換してくれ」と申し立てる。


「それは駄目だ。この城内だけでも、ミナヅキとティルは最近行動を共にしすぎていると噂になっている。他の使用人たちの目を考えても、この配置が最適だろう」

「くそっ……」


 何かを考えた後、氷華は「いいよ、この案で」と了承の意を静かに唱えた。太一は悔しそうに宋を、そしてティルを睨み付ける。その表情を一瞥しつつ、ティルは「まぁまぁ、僕が居るから氷華ちゃんは大丈夫だって」と楽しそうに口元を吊り上げていた。


「俺もこっち側が終わったらすぐに行く。それまで大丈夫か?」

「大丈夫、危なくなったら裏技使って逃げるから」


 氷華が言う裏技とは、魔術の事だろう。そう判断した太一は、「変な出し惜しみとかするなよ」と忠告すると、氷華の方も「勿論」と得意気に笑みを浮かべていた。氷華は「私、頑張るよ」と、いつものように凛とした表情を見せた後、静かに瞳を閉じ、宋へ話しかける。


「サユリさんの為だもん。頑張るよ」

「危険な橋だがお前なら大丈夫だと思っている。よろしく頼む」


 ――宋さんが、氷華の何を知っている……!


 太一は内心で宋に不満をぶつけながら、渋々作戦を了解したのだった。



 ◇



 作戦会議が終わり、太一も大広間から離れようとすると、サユリが「あの、太一さん」と彼を呼び止めた。申し訳なさそうな表情で「作戦の事、わたくしが宋にもっと強く言えばよかったのですが」と口を開いた。サユリは、氷華の身が危険に曝されるような作戦を、太一が未だに怒っていると考えていたのだろう。だが、実際は少し違っていた。


「ああ、それならもう気にしなくていいよ。あれだけ言っても氷華は聞き入れなかったって事は、たぶん氷華なりの作戦があるんだ。あの場では言えないような」


 氷華の実力を――というか、氷華自身を信頼しているような太一を見て、サユリは「太一さんは、氷華さんの事を……凄く信頼しているんですね」とどこか寂しそうに呟く。サユリの本心を読み取れなかった太一は、得意気な表情で「ああ。氷華は大切な相棒だから」と笑いかけた。


「氷華の代わりが務まる奴なんて、どこにも居ないよ。どこを、どの世界を捜しても、絶対に」



 中庭にあるものを隠した氷華は、夜空に輝く月を見上げながら「さて、明日が正念場だ」とひとり意気込んでいた。真っ暗な闇の中で黄色に浮かぶ月は、氷華にある覚悟を思い出させる。


「正直に言うとね、全部救いたいよ。でも、私の力じゃ全部は救えない。国の問題までは、私が口出しできるものじゃない。どうしようもないって諦めるのは悔しいけど、どうしようもない」


 氷華はぎゅっと胸に手を当てながら「だから、そっちの問題はサユリさんに任せる事にしたんだ。私が救えない事も、サユリさんなら救える。逆に、サユリさんが救えない事は、私が救えるから」と呟く。


「私は、目の前の人を救う事から頑張るって決めた。だから今回は、サユリさんの願い――スヴェルの真意を確かめる為に動くんだ。それが、友人としてのサユリさんを救う事に繋がると思うからね」


 瞳を閉じ、魔力を研ぎ澄ましながら、氷華は祈るように両手を合わせた。月明かりの下で、自分の決意を再確認する。


「でも、欠片の事を忘れた訳じゃないよ」


 瞳を開け、魔力を解放しながら、氷華はふっと微笑みかけた。月に向かって背を向け、決意を胸に歩き出す。


「私の予想だと、それも明日に決着が着く筈だから」

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