第30話 疑念と思惑①


「はぁ~……」


 氷華は浮かない顔で溜息を零していた。今日の氷華は使用人らしく、一日中ずっと城の掃除に励んでいる。明日はいよいよ、サユリの誕生パーティーが開催される予定だ。よって、埃一つ見逃さない程、念入りに掃除をしなくてはならない。掃除が嫌いという訳ではないが、特に好きという訳でもなかった氷華は、少し飽きてしまったのか――箒をぶんぶんと振り回していた。


「流石にずーっと掃除だと……ちょっと飽きちゃうなぁ」

「じゃあ氷華ちゃん、気晴らしにデートでも行かない? 今日は宋先輩が居ないし、ちょっとくらい抜け出してもバレないよ」

「却下」

「けちー」

「一応、使用人でしょうが。明日はパーティー本番だし」

「でも大方もう終わってるし、サユリ様も大丈夫って言ってくれてるし、いいじゃん」


 剣のように箒を振り回しながら、纏わり付くティルを振り払おうとする氷華を見ながら、太一は「こら氷華ー。箒振り回してたら余計に埃が舞うだろー」と遠巻きから注意している。


「素振りするなら、そこの石像の剣でやれ」

「わあ、太一くん物騒」


 もうティルの事も掃除してしまおうか何て考えていた氷華は、冗談半分で石像の剣を手にかけ、その様子を見たティルは慌てて彼女を止めていた。そんな二人のやり取りを、少し離れた位置から太一とサユリが眺めている。


「氷華さんにも「掃除なんてしなくても大丈夫」と言いましたのに、なかなか聞いてくれません。使用人ではなく、わたくしの大切な友人なのですから……もっとお話を聞きたいのに……」

「…………」

「あの……た、太一さんも! 掃除は終えて……わたくしと、その……」


 サユリが勇気を出して太一を誘おうとしているにも関わらず、太一はそれに気付く事なく、不機嫌そうな表情でティルを睨み続けていた。サユリは「あの、太一さん?」と声をかけると――その声でようやく気付いたのか、太一ははっと我に返ってサユリの方へと振り向く。もしも今この場所に宋が居たならば、太一の頭には鉄拳が振り下ろされていた事だろう。主人の話を無視してしまうなど、使用人としてはあってはならない失態だ。


「悪い、何か言った?」

「太一さん……わ、わたくしと一緒に、中庭でお茶をしましょう!」

「えっ?」


 そして、勇気を出して強引に太一の腕を引っ張りながら、サユリは中庭へと足を運んだ。



「えっと」


 いざ強引に誘ってみたものの、サユリは困惑していた。太一の気分転換になればと思い、あわよくば太一の話を聞きたいと考えつつ、茶会に連れ出したのだが――太一と二人きりになると、何を離していいのかわからない。宋と二人の時は、特に言葉を詰まらせる事なんてなかった。寧ろ、自然に話題が浮かぶくらいなのに――太一を前にすると、どうしてもいつものように自分の心を曝け出す事を躊躇ってしまう。少し迷っている様子のサユリの心境を察したのか、太一は「ごめん、サユリさんに変な気を遣わせちゃったな」と苦笑いを浮かべていた。


「ち、違うんです! でも、ティルさんと話している時の太一さんは、何だかちょっと……太一さんらしくないと言うか」

「いや、たぶんサユリさんが思ってるのとは逆だよ。あいつと話してると、素を隠し切れなくなるんだ。ムキになっちゃう感じかな。何か、あいつとは反りが合わない気がして」


 氷華を異様に気にかけている雰囲気の執事、ティル。太一は彼と手合わせをした時、何故かその感覚に既視感を覚えていた。その後、真剣に考えてみると――前回の任務で闘ったアキュラス、それに仲間のカイやソラを連想してしまう。何となく、彼等は雰囲気が似ている気がした。アキュラスに近い感覚だけならば敵なのかもしれないと疑うのだが、仲間であるカイやソラにまでとなると――安易な考えなのかもしれない。


 この感覚は一度氷華にも話したのだが、いまいちピンとこないような微妙な反応をしていた。恐らく、氷華は前回の任務でアキュラスと直接会った事がなかったからだろう。


 ――只の執事ってだけなら、別にいいんだけど……いや、あの状況を報告しなきゃいけないって考えると、よくはないけど。


 いまいちティルの真意が掴み切れず、またこの状況をどう対処しようか悩み、太一は盛大な溜息を零した。そのままサユリの向かいに腰かけると、少し項垂れるように「お茶してる間だけ、執事としてじゃなくて友人としての俺でいい?」と問いかける。その言葉に、サユリは嬉しくなって首を縦に振りながら目を輝かせた。更には「是非! わたくし、普段の太一さんのお話が聞きたいです!」と身を乗り出してしまい、ふと我に返ったサユリは「すいません、取り乱してしまいました……」と赤い顔を押さえる。


「でも、凄く興味があるんです。わたくし、城の外には友人が居なかったので……太一さんや氷華さんが教えてくれる話は、どれも新鮮で、心が躍るんです。それに、その……」


 サユリが何か続けようとしたが、「じゃあ、俺たちの普段の生活でも話すか~。あ、その代わりにサユリさんが普段から一生懸命にやってる勉強の事とかも教えてくれよ?」と張り切る太一を前にして、口を閉ざしてしまった。サユリは頷き、太一は楽しそうに語り始める。


「俺たち、普段は学校に行っててさ。氷華も同じ学校なんだけど――」

「わあ、つまり宇宙の事を勉強する専門学校なんですね!」


 ――ヤバイ、その設定忘れてた!


「そ、そこで本物の宇宙人みたいな奴等に出会って――」



 ◇



 宋は単独でスヴェルの屋敷へやってきていた。門番にはアルモニューズ家の執事長と名乗ると、疑う事なくすんなり通行を許可された。顔が割れているからか、少しでも隙を見せれば利用する気か。宋は眉間に皺を寄せながら、煌びやかな屋敷の中へと足を踏み入れた。


「これはこれは、サユリ嬢の有能執事殿ではありませんか」

「急な来訪、申し訳ございません。アンティーム殿」


 ゆったりとした足取りで階段を降りながら、スヴェルはニヤリと嫌味を含んだような笑みを浮かべている。宋が見てきた中では一番高価であろう華やかな衣服を身に纏い、スヴェルの両側には屈強そうなガードマンがずんっと巨木の如く立ち並んでいた。ここまでの財力と武力の急激な増加。恐らく、配下にした近隣貴族からの支援だろう。

 宋は本物の笑顔と見間違える程の渾身の作り笑いで、愛想よく口を開く。


「さて、今回はどのような御用件で? 執事殿がひとりで、とは珍しい」

「主人の代わりに、少々お尋ねしたい事がありまして」

「ほう」


 スヴェルは何か考えがある様子で、近くのソファに腰掛け、足を組みながら見下すようにニヤニヤ笑う。向かいに座るように促されたが、宋はこのような場所にはなるべく長居はしたくなかったので、「お構いなく」と述べ、手短に用件を話し始めた。


「最近、アンティーム殿は強力な軍隊を手に入れた、という噂を耳に挟みまして。アンティーム殿のような聡明なお方が、間違いを起こすような事はないと思いますが――万が一、そのような軍事戦力で乱戦など起こされてしまっては困るのです。そうなってしまえば、せっかくの休戦状態が壊れてしまう」


 アルモニューズ王国は――現状は平和なものの、それは一時のものにすぎなかった。ここ数十年、隣国との関係は緊迫状態が続き、いつ戦争が起こってもおかしくはない状態だ。和平を結ぶにしても、アルモニューズにはこれからの時代を担う王子が居ない。現王も身体が弱く、本城に籠りがちだ。和平を結ぶ際や結んだ後、外交活動が積極的にできるかどうかも不安だった。


 そこで、今後のアルモニューズ王国で期待されているのが、姫であるサユリだ。しかし彼女はまだ政治に関しての実務経験が浅く、外交だって勉学で得た知識しかない。しかも、いざ国を継ぐとなると、サユリは本当の“女王”になる。その覚悟が、サユリにはまだできていない。真面目なサユリは「迷いがある内は、まだ王位を継ぐ訳にはいかない」と言い出し――王都から少し離れた別荘で、気晴らしついでに勉学の日々を送っていたのである。


「この国を治めるアルモニューズ家としては、その真偽をお聞きしたい所存でございます」

「そのような根も葉もない噂が……」


 スヴェルは「ふむ」と唸り、顎に手を当てて何かを考え始め、再び口を開くと――彼は冷淡な表情で宋に言い放つ。


「執事殿が危惧しているような事はありませんよ。だが、軍隊とまではいきませんが、近隣の貴族たちと同盟を結んだ事は確かです。なので、アンティーム家が危ない時には彼等が助けてくれるでしょうなぁ」

「同盟、ですか。アンティーム殿は、ここ数日間だけで数々の近隣貴族と同盟を結んだと耳にしましたが……いかがな手段をお使いに?」

「いや、手段などそのようなものは。少し、彼等と楽しく談話をさせて頂いただけですよ。この国の未来を語り合った結果、素晴らしく意気投合しまして。サユリ嬢とも彼等の意見を踏まえたいものです」


 ――この男……サユリ様を取り込み、国政に意見するつもりか……。


 反撃と言わんばかりにふっと口元を吊り上げ、スヴェルは宋の肩をポンッと叩く。


「ところで、サユリ嬢もここ数日で幾人かの使用人を雇ったとお聞きしましたぞ。一体どのような方法を使って?」


 宋は「何故その情報を、よりにもよってアンティームが知っている?」と疑問に思いつつも、ある程度の嘘を交えながら答える。


「……彼等は、彼等自身から使用人として働きたいと売り込んできました。パーティーを備えている手前、人員は多いに越した事はない。他の使用人たちが指導力を付けるきっかけにもなる。私たちにも利益がありましたので、それを買ったまでですよ」

「自ら選んだのではなく、売り込んできたものを買う……ですか。それならば気を付けた方がいい」

「何故、でしょうか?」

「彼等が、サユリ嬢に取り入る為に潜入した隣国のスパイ――という可能性もあるのでは?」

「!」


 その言葉に、宋はガタリと急に立ち上がり、じっとスヴェルを見つめ直していた。


 ――そんな筈は……ない。


 確かに最初はそれも疑った。だが、宋は長年、サユリ――アルモニューズ王家に仕えてきた身だ。今までサユリたちに取り入ろうとする者たちは何度も見てきた上、それらを対処してきた経験もある。スパイならば、すぐに見抜く自信があった。


 だが、太一と氷華に対する印象は、限りなく白だ。スパイにしては、二人は間抜けすぎる。世界情勢に関して、無知すぎると評してもいいくらいだ。サユリの初めての友人だから、と優遇する訳ではない。これは純粋に、宋が自分の経験から判断していた。


「彼等はこの前落ちたと噂される隕石を調査している身です。スパイ活動を行う理由が見つからない。正体を偽っているとも考えられません」

「何にせよ、気を付けた方がいい」

「……お心遣い、感謝致します。話ついでに……アンティーム殿は件の隕石について御存じありませんか? あの一帯は、こちらの領地とアンティーム殿の領地の境目付近でしたので」

「いや、すまないが力にはなれそうにないな。私も足を運んだが、そのような石はどこにも見当たらなかった」

「そうですか」


 するとスヴェルは立ち上がり、「明日のサユリ嬢の誕生パーティー、楽しみにしているよ」とだけ言い捨てて笑い、くるりと身を翻して応接室を立ち去る。宋もスヴェルの背中へ一礼し、彼を見送りながら「こちらは確実に黒だろうな」と心の中で呟いた。



 ――サユリ様はアンティームを信用している……さて、どこまでお伝えするべきか……キタムラやミナヅキの正体についても一応調べた方がいいか。


 数分後、宋はスヴェルの屋敷を後にしようと玄関に向かっていると、近くから使用人たちの声が聞こえた。足を止め、曲がり角の向こうに居るであろう使用人たちの会話に聞き耳を立てる。休憩中の談話だろうか、彼女たちは特に警戒する様子もなかった。


「ねえ、知ってる? スヴェル様、次はサユリ様のところを狙っているらしいわよ」

「サユリ様ってこの国の姫君じゃない! なになに、政略結婚とかを考えてるとか?」

「たぶん違うけど……否定し切れないわね。またこの前のようにスヴェル様が脅すみたいだって先輩が言ってたわ」

「サユリ様は優しくて素敵な姫君なのに……まさか、そのうちこの国を乗っ取るとか言い出すのかしら? そうだとしたら、私もうスヴェル様には付いていけないわ。サユリ様に相談したら雇ってもらえるかしら……ほら、執事長の方ってイケメンだし、上司にするならああいう人がいいわ」

「そうね、でも真剣に考えた方が身の為かもしれないわ。だって、この前もまた物騒な事おっしゃってたわよ。スヴェル様ってば、この国を潰して自分が――」


 宋はぎりっと歯ぎしりをし、堂々とした振る舞いで「失礼。その話、詳しく訊かせていただけませんか?」と彼女たちの前に踊り出る。先程噂していた本人がいきなり登場し、彼女たちは顔を赤くしながら「え、え……えぇっ!?」と酷く慌てていた。


「この国の未来に関わる可能性もありますので、どうか全て教えていただきたい。その暁には、あなたたちの雇用の件、私の推薦としてサユリ様へ進言しましょう」



 ◇



 太一の普段の日常や、ワールド・トラベラーになってからの闘いの日々、人間関係やらも一通り話し終え、太一はふうっと一息付きながら紅茶を口に含む。勿論、重要な部分は濁して説明したのだが、宇宙人調査隊という設定で少し矛盾が生じていないか心配だ。そんな事を考えて苦笑いを浮かべながら、「ま、俺はこんな感じかな」と締めると、サユリは「とっても面白い話でした。ありがとうございます」と嬉しそうに微笑む。


「あっ、勿論面白いだけじゃないんです。訓練で怪我をした話は、面白いではなくて不安になりましたし……苦手な人の話は、太一さんの心境を考えると胸が苦しくなりますし……」

「ははっ、わかってるよ。サユリさんってほんと真面目だよな」

「……呆れましたか?」

「いいや、全然。いい事だと思うけど」


 するとサユリは照れたように、だけどどこか悩むように「本城に居た時、真面目すぎると言われた事がありました」と呟いた。


「わたくし、自分が納得できない時、納得できるまで突き詰めてしまうんです。わからない問題があったら、わかるまで考え込んで、時間を忘れてしまう。昔からそうなんです。だから、今も――」


 サユリは迷いを振り切るように、真剣な瞳で「少し、わたくしのお話も聞いていただけますか?」と太一に笑いかける。太一は「ああ」と頷き、静かにティーカップを置いた。



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