第3話 思惑だらけの婚約パーティー

 数日後。私宛に、一通の手紙が届きました。

 差出人の名は、ルーク・ベルモット。あのルーク様からです。

 もしや、遂にあの御方はシャーロットの婚約を解消して、私のものになることを決意して下さったのでは……

 淡い期待を抱きながら、私は封筒の封を切って中に入っていた手紙を取り出します。

 手紙には、何の感情も感じられない事務的な文章で次のように書かれていました。


『来たる翠の月十日に、私ルーク・ベルモットとシャーロット・リーグルの婚約パーティーを執り行うこととなりました。

 御多忙の中恐縮ですが、皆様には是非とも御出席頂きたく存じます。

 最高級のお食事と最高級のお酒を御用意して、ベルモット家並びにリーグル家一同、お待ちしております。』


「…………」


 私は無言のまま手紙をくしゃりと握り潰しました。

 遂に、この日が来ましたか……

 貴族の間では、結婚式を挙げる前に婚約パーティーを開くということは割と普通にあることです。それは知人や友人だけではなく大勢の方をお招きして、家名を広めることを目的としています。

 特にベルモット家は世界規模で名が知られている家柄。そこの御曹司が良い家柄の御令嬢と結婚するともなれば、この上ない宣伝となることでしょう。

 私が視界に入ることすら忌避しているルーク様がわざわざ招待状を下さったのは、おそらく私にルーク様を諦めさせるため。大勢の人の前でシャーロットとの婚約を盛大に祝うことで、この結婚はもはや誰にも取りやめさせることはできないと知らしめるためなのです。

 よくお考えになりましたわね、ルーク様。流石は頭脳明晰と評判の御方です。

 でも……甘いですわよ。ルーク様。この私が、この程度のことで貴方のことを諦めると思うとでも?

 私にとっては、この状況は逆にチャンスです。この婚約パーティーを利用すれば、堂々とベルモット家のお屋敷に入ることができるのですから。彼の婚約者としてシャーロットもそこにはいるはずなので、更に好都合です。

 パーティーの招待客としてベルモット家のお屋敷に入り、そこでルーク様が一人になるのを待って、近付く。そして無理矢理にでも肉体関係を結び、その場面を誰かに目撃させてしまえば私の目的は達成です。

 まあ、本当にまぐわらずとも、裸の私がルーク様のお傍にいるところを目撃されるだけで良いのです。噂を広めるのは私の得意とするところ。誰もが興味を持つようにほんの少しばかり脚色した話を周囲に振り撒いて、その勢いでシャーロットとの婚約話をぶち壊してみせましょう。

 今日は、翠の月の七日。婚約パーティーが開かれる日まで後三日あります。

 楽しみですわね。三日後が。

 その日が……ルーク様がシャーロットとの婚約を破棄して私のものとなる、記念すべき日となるのですから。

 私はふっと笑うと、握り潰した手紙を無造作に傍のゴミ箱へと投げ捨てたのでした。


 その日の空は、見事なまでに雲ひとつなく綺麗に澄み渡っておりました。

 まるで、これから事を起こそうとしている私のことを応援して下さっているようです。

 大通りを走る、一台の大きな馬車。その中で揺られながら窓の外を眺めている私に、横に座っていた父が言葉を掛けてきます。


「エリザベート。今日のパーティーにはわざわざ遠方からいらした名のある貴族の方々も大勢いらっしゃるそうだ。ヴィーヴル家の令嬢として恥ずかしくないように振る舞うんだぞ」


「そのようなこと、わざわざ仰らなくても理解しておりますわよ。お父様」


「彼らと良縁を結ぶことができれば、ヴィーヴル家の名は更に広まり、上手くいけば更なる財を築くための土壌を手にすることができるのだ。何が何でも恥だけはかかぬようにせねばならん。分かったな」


「もちろんですわ」


 父は相変わらず、自分の名を世に広めて財を築くことにしか興味がないようです。

 昔からそうでした。父にとっては、自分が有名になり巨万の富を築くことこそが全て。家族である母や私に、父らしい愛情を向けてくれたことはただの一度もありませんでした。

 母が病で亡くなった時も、父は涙ひとつ流しませんでした。血の気を失ってすっかり真っ白になってしまった母の亡骸を見つめながら、たった一言、こう呟いただけでした。


「これでユオン家との関係も終わりか……惜しい繋がりをなくしてしまったな」


 母は、遠い北方にある常冬の国にある、毛皮を売買する北方一の大店『ユオン商会』の跡取り娘でした。

 父は北方で財を築くための手段を得るために母と結婚し、私を産ませたのです。

 言わば父にとって、母と私はユオン商会を掌握するための道具にしか過ぎませんでした。

 父は、名を売って財を築くためならば、人から恨まれるようなことでも平気でやる方です。そういう人間なのですから、近しい人が一人亡くなったくらいでは悲しむこともありませんよね。

 でも、私はそんな父を不思議と嫌いにはなれませんでした。

 私も、欲しいと思ったものはどんな手を使ってでも手に入れる女です。根本的な部分で、父と私はよく似ているのです。ひょっとしたら似た者同士心の何処かで親近感を抱いているのかもしれませんね。

 ──さあ。父と話しているうちに、馬車は無事ベルモット家のお屋敷に到着したようです。

 門の前で馬車を降りた父と私は、広いお庭をゆっくりと歩いてお屋敷の玄関へと向かいます。

 流石、王家に匹敵する資産を持つと言われているベルモット家のお屋敷ですね。お屋敷の大きさも、お庭も、ヴィーヴル家のそれの何倍もあります。お庭に至っては同じお屋敷が後三軒くらい建ちそうなくらいの広さがあります。こんなに広大な敷地を維持するのですから、きっと雇われている使用人も何百人といるのでしょうね。

 お屋敷の玄関に到着すると、扉が開いて、中からきっちりとした黒の燕尾服を身に着けた初老の男性が出迎えてくれました。


「ようこそお越し下さいました、ヴィーヴル伯爵様。御令嬢エリザベート様」


「本日はこのようなめでたい祝いの席にお招き下さったことを心より感謝致しますぞ」


「滅相もございません。さあ、御主人様が大広間にてお待ちです。御案内致しましょう」


 執事は深々と一礼すると、私たちをパーティー会場である屋敷の大広間へと案内してくれました。

 大広間は、それはもう別世界のように煌びやかでした。

 この日のためにわざわざ新調したのでしょうか、真新しい臙脂色の絨毯が一面に敷かれた広い空間の中に、様々な料理を載せたテーブルが並べられています。中には見たこともない料理も多数あって、一体どのような味がするのだろうと興味を惹かれます。

 ルーク様は……おりました。大勢の方に囲まれて、楽しそうにお話していらっしゃいます。

 彼の隣には、シャーロットもいました。今日の彼女はレースをふんだんに使った純白のドレスを纏っていました。普段は垂らしている髪はアップに結い上げて、白い薔薇のブーケのような髪飾りで飾っています。

 相変わらず美しいですわね、シャーロット。結婚式でもないのにドレスを新しく仕立てるなんて、何処までも結婚に対して余念がありませんこと。

 今は可愛らしいお人形のようにはにかんでいるその顔が悲しみで歪む瞬間を目にするのが実に楽しみですわね。

 とにかく、今は普通の招待客の一人として振る舞いましょう。事を起こす前に余計な人間に目を付けられてしまっては元も子もありませんからね。

 私は人の波を掻き分けて、二人の前へと行きました。

 私の姿を目にしたルーク様の表情が一瞬にして凍り付きました。それは、まるで料理の中に入っていたゴキブリを目の当たりにしたような顔でした。全く、私は何もしておりませんというのに。


「……まさか、本当に来たのか。エリザベート」


「あら、貴方が私を招待して下さったのでしょう? そのようなお顔をなさらなくても良いではありませんか」


 私はスカートの裾をついと持ち上げて、お決まりの挨拶のポーズを取りました。


「そんなに御心配なさらなくても、今日の私はしがないただの招待客。此処では何もしませんわよ。シャーロットにも近付かないことをお約束致しますわ」


 名を呼ばれたシャーロットが、びくっと肩を震わせて慌ててルーク様の腕に縋り付きました。

 安心なさい、そんなに怯えなくても貴女には何もしませんから。直接は。


「楽しいパーティーになると良いですわね」


 それだけ言って、私は二人の傍から離れました。

 それからそ知らぬ顔をして、給仕係からお皿とフォークを受け取り、目についたお料理を頂くことに努めました。

 周囲に、私を気に掛ける者は誰もいません。

 それで良いのです。名前も知らない方たち、思う存分盛り上がって、私という存在をこの場から隠して下さいませ。その方が私にとっては都合が良いですから。

 やがて、皆様の前で厳格そうな壮年の男性が大きな声で挨拶を始めました。

 おそらく、彼がルーク様の父、ベルモット男爵でしょう。初めてお目にかかりましたが、如何にも商売に厳しそうな目をなさった御方です。

 ベルモット男爵が挨拶の言葉を述べている中、ルーク様が静かに動き始めました。

 彼は傍らのシャーロットをその場に残して人に注目されないように身を低くしながら部屋の隅を移動し、大広間の外へと出て行きました。

 せっかくのルーク様が主役のパーティーだというのに、一体何処へと行かれたのでしょう?

 ですが……これでルーク様は一人。

 事を起こすなら、今をおいて他にはありません。

 私は手にしていたお皿をテーブルの上に置いて、こっそりと大広間を抜け出しました。

 皆様はベルモット男爵に注目しているため、誰一人として私がパーティを抜け出したことに気付いておりません。

 さあ……ルーク様は、どちらにいらっしゃるのでしょう?

 私はルーク様の姿を探して、足音をなるべく立てないようにしながらお屋敷の捜索を始めました。

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