第277話 太子は心配する

立勇リーヨンが去った後の室内では。


「息子を深く追求せず、よろしかったのですか?」


秀玲シォウリンが立勇の足音が聞こえなくなってから、明賢メイシェンにそう声をかけた。

 これに明賢は苦笑する。


「おそらくは、新入りを危険な存在だと感じなかったのではないかな?

 急いて排除に動くようなことはしなくてもいいと、そう判断したのだろう」

「まあ、そうなのでしょうけれど……」


明賢がそう言ってみせた一方で、秀玲は不服そうだ。

 息子が主の望む回答を持ってこなかったことが、納得できないのだろう。


「ああいう顔をしている立勇は、そうそう口を割らないよ」


明賢とて、あの乳兄弟であり幼馴染である男の性格くらいわかっているつもりだ。

 そもそも明賢は、今回あの新入りについての情報が、簡単に手に入るとは思っていない。


「これも父上からの試練だろうね。

 『情報をなんでも安易に与えてもらえると思うな』と言われているんだろう」


明賢がそう述べると、これを聞いて秀玲は表情を引き締めた。

 今回の季節外れの新入りについて、不思議と明賢の元へ情報が上がるのが遅かった。

 皇帝、志偉シエイの側近である秀玲の夫、解威ジェ・ウェイとも、情報のやり取りが難しくなっていて、明らかになにかを隠されているという気配がするそうだ。

 その理由に、明賢はおぼろげながら想像がつく。


 ――おそらくはその娘、何家の者なのだろう。


 明賢の母の生家である青州伊家には、何家への恨みを捨てきれない者が多い。

 その恨みをつついて内乱へと雪崩れさせないためにも、こちらへの情報開示に慎重になるのは、仕方のないことだろう。

 そうした秘匿された情報を集めるためには、影たちの存在が重要になる。

 これが志偉の影たちであれば、腕っぷしはもちろん、情報を集める腕も優れている。

 しかしあの影たちは、志偉が育て上げた、志偉のためにしか動かない組織だ。

 明賢が父の跡を継いで即位する時には、彼らはおそらく明賢の傍にはいない。

 なので、明賢は彼らと同等の影を育て上げないといけないのだ。

 そんな明賢の影たちを動かして情報を集めたところ、あの新入りの娘を引き入れたのは李将軍だということは掴んだ。

 そして新入りの存在が確認される直前、李将軍は雨妹のお供で宮城の外へ出かけている。

 おそらくは雨妹の外出にかこつけての、城下の視察が目的だったのだろうけれども。

 普通に考えて、その視察でなにかあったと見るべきだろう。

 それに、李将軍は戻る際に「貴人のお忍び」を同行させていたという。

 一緒に出かけていた雨妹であれば、これについても詳しく知っていることだろうが、今回立勇はその話をしなかったようだ。


 ――立勇は敢えて情報を集めてこなかったので、答えられる情報がなかったのかもしれない。


 明賢は立勇のあのあからさまな誤魔化しを、そのように判断する。

 きっと立勇は雨妹へ根掘り葉掘りと聞き込むことは双方のためにならないと、そう感じたのだろう。

 ああいう思いやりこそが、幼馴染という気軽さ以上に立勇を重用する理由でもある。

 己の利を優先するあまりに、それが原因で他人との関係を壊してしまっては、先々良い事にはならないのだから。

 これがどんな状況でも冷徹に利を追及する人物だとしたら、明賢としては仕事を頼むだけならば便利だろうが、常に側に置こうと思わない。

 そうした者は利がなくなればあっさりと裏切るからだ。

 けれど、ああした立勇の優しさが、志偉が立勇の存在に八つ当たりをされる理由だろうけれども。

 志偉にとって立勇は、雨妹という愛娘にたかる現在最もうっとうしい羽虫に違いない。

 なにしろ雨妹は宮女であって、公主ではない。

 ゆえに身分差というものへの障壁が他の公主よりも低く、立勇は十分に釣り合うのだ。

 いや、むしろ宮女と太子付きの近衛では逆の身分差があるのだが、それでも過去に例がある範囲内だ。


「やれやれ、難儀なことだよ」

「……?」


明賢が思わず漏らした呟きに、秀玲は「なんの話だろうか?」と不思議そうにするのだった。


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