第275話 諦めた人々

 ――むむぅ、許せん!


 雨妹ユイメイは怒りが腹の底からふつふつと湧き上がるが、しかしその一方で、そんな話は前世でも似たような話を聞いたことを思い出す。

 世界を巻き込んだ戦争が長くなると、色々と物資が足りなくなるもので。

 そうなってきたら、偉い人から兵士に「飯はないが、気合で勝て!」というような無茶なことが言われていたのだとか。

 気合だけで勝てるとしたら、戦争で負ける国なんて出ないだろうに。

 つまり戦争状態を容認するようなお偉いさんは、世界を違えても頭の中身は同じということらしい。

 それに、雨妹は苑州の人びとのことを、なんとなく想像できた気がした。


 ――皆、諦めちゃったんだなぁ。


 苑州の人たちは食料を工夫しないのではない。

 より良いものを食べたい、暮らしを良くしたいなど、「欲を持つこと」を諦めたのだ。

 だから子供たちにも、妙な欲を持たないように教え込む。

 それが生きていく術なのだ。

 そうやって育ったのが、静であろう。

 そんな彼らの生き様を想像すると、雨妹はなんだか悲しくなってきた。


「先の人生を想像してワクワクできないって、すごく寂しいことじゃあないかなぁ」


雨妹はすとんと木箱に座り直すと、しゅんと俯いてぼつりと呟く。

 雨妹自身だって、都暮らしの人から言わせるとかなり過酷な生活だっただろうと思う。

 けれど雨妹は「辺境の里の外はどんな世界が広がっているのだろう」と妄想を広げ、いつかそれをこの目で見に行くのだという希望にあふれていた。

 妄想からのワクワクこそ、幼い雨妹を生かした原動力ともいえる。

 けれどそのワクワクを教えられることなく、物心ついた時から「この先なにもいい事なんてない」と吹き込まれて育つなんて、なんて寂しいことだろうか?

 立彬リビンは雨妹がどのようなことを考えたか想像できたらしく、大きく息を吐く。


「怒ったり落ち込んだり、忙しない奴め。

 だが、そのお前の相手を思う心のほんのひとかけらでも、苑州の州城に連中にあれば、事態は変わるのだろうな」


立彬はそう言うと、竈からまだ温かい湯を持ってきてお茶を淹れ直してくれた。

 雨妹が顔を上げてその温かいお茶を飲むと、悲しい気持ちも幾分か和らぐ気がした。

 そんな雨妹を見て、立彬が話を続ける。


「それに、私もお前の意見には同意する。

 そのようなもの、実につまらん生き方だ」

「……そう思いますか?」


どちらかというとお偉いさん側の思考を持つであろう立彬が同意してくれたのに、雨妹は少々身を乗り出した。


「ああ。

 剣の腕を鍛え、学問に励めば太子殿下のお役に立つのだと、私とて幼い頃よりそのような未来を夢見ればこそ、辛い修練にも耐えられるのだ。

 そのように己を引き上げる夢を見ないで暮らすとは、なんと張り合いのない生き方だろうな」


立彬は東の方の空を眺めながら、そのように語る。


「そうですよね、そうなんですよ!」


雨妹は大きく頷く。

 欲というのは目の前の小さなものから広がり、次に「やりたいことをしたい」とか「行きたい場所へ行きたい」とか、壮大な欲が広がっていくのだ。


「だから、些細な欲ですけど、『もっと美味しいものを食べたい』っていう気持ちって、すごく大事だと思います!」

「まあ、お前の欲はそこに集結するのだろうな」


握りこぶしを突き上げる雨妹に立彬は呆れ顔であるが、「食べたい」という小さな欲は、大きな野望の大事な第一歩なのである。

 「美味しいものを食べる」というささやかな欲であっても、その奥深い世界を苑州の人々は知るべきだ。

 美味しくするためのちょっとの工夫をしないだなんて、食物に対して失礼極まりないのだから。


 ――ますは、静静ジンジンに美味しいものを食べる楽しさを、教えてやらなくっちゃ!


 思えばジンは「都へ行って皇帝に会う」という野望を抱いてここまでやってきて、本人も知らない間にそれを叶えた。

 すなわち静は欲を諦めてしまった苑州の人々の中でも、欲が強い方なのかもしれない。

 ならば、あの静の欲望を強化してやることで、それが苑州の人たちに影響して、皆でもっと欲まみれになってしまえばいいのだ。


「よし、まずは静静を美味しいものにまみれさせてやるんだから!」

「それは、本人に胃袋と相談させてやれ」


雨妹の熱意は、しかし立彬にそう釘をさされたのだった。

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