第208話 戦の気配
「そうなると、此度の騒ぎに苑州が絡んでいることになるぞ。
しかも国境の戦の最前線であるはずの場に子どもがいるとは。
はて、これはどうしたことか」
右丞相が他の面々の意見を代表するように述べると、御簾の向こうから声がした。
「そのようなこと、悩むこともない。
そこは戦場ではなかったということよ」
それはそうだろう、苑州は長い間隣国との紛争で困窮しており、それを支援するために宮城からも大金を出しているのだから。
長年のこの認識が、そもそも間違っていたということになる。
「東国はつい数年前に首領が変わった。
それにより、方針を変えたのだろう」
志偉の言葉に、ざわつきがさらに強くなる。
「苑州を取り込む工作がかなり前から既に行われていたと、陛下は仰っておられるのですか?」
右丞相はそう言って驚いてみせるが、彼はこの流れは既に志偉と打ち合わせ済みだろう、と立勇は考える。
他の者に対して志偉との会話を演じてみせているのだ。
「そう考えるのが自然だろう。
ふん、苑州は長き戦に耐え切れなくなったのならば、そう申せばいくらでも代わりを寄越してやるものを。
子どもを大公に据えるとふざけたことを言ったきり音沙汰がないが、どのような事情か知る者はおるか?」
「
志偉の問いに応じる右丞相に指名された男が、前へ進み出て李将軍の隣に立った。
この解威は志偉の側近で、中書省に二名いる中書令として右丞相を補佐している男だ。
右丞相が中書令と兼任しているので、つまり解は右丞相の同僚になる。
そして
威が口を開く。
「我が妻が実家に問い合わせましたところ、つい先日早馬にて書面が戻ってまいりました」
威の妻の実家、つまり秀玲の実家である
秀玲は伊家の娘の後宮入りに同行したのだが、解に見染められて一旦は後宮を去り、夫妻には男子が生まれた。
それが立勇だ。
立勇が名乗る王という姓は、母方の一族に属しているという証である。
何一族は歳の合う女がおらず、皇帝にも太子にも妃嬪に何家の娘はいない。
その上苑州は険しい山脈がぐるりと囲んでいるので余所との往来が困難で、だからこそ宮城にも苑州の情報が極めて入りにくいのである。
唯一道がまともに通じているのが青州で、ゆえに苑州の情報は青州から辿ることが常であった。
ところがこの青州というのが、苑州との仲が非常に悪い。
なにしろ青州の伊家は苑州の
同じ国という枠に収まったものの、いまだに仇敵とみなしており、互いの領地の境は国境よりも厳重なのである。
その青州でも、苑州は隣国との衝突で困窮していると考えていたという。
それが秀玲が実家に情報を求めたことで、改めて調べることになったそうだ。
「今回問題になっているケシ汁というものは、大量のケシの花を栽培する必要があるとか。
しかし領地のほとんどが山地である苑州に、そのような広大な花畑を作れるような農地はないはずとのことでした」
「そうだろうな、だから宮城から大量の食糧支援をしておるのだ。
この金も馬鹿にならん」
威の説明に、右丞相が渋い顔で頷く。
威が言葉を続ける。
「そうです、青州とて同様に援助しておりました。
そして青州にもケシの花畑などないし、ケシ汁なんぞというものも作り方すら知らなかったと、書面には書いてあります」
苑州へ直接出入りが容易な青州とて、土地条件が苑州よりも比較的ましなだけであり、肥沃な平地が多いわけではない。
なので花なんていう食べられないものに農地を割くほど、農地に余裕があるわけではないのだ。
何家から離反した伊家が山のふもと側に陣取ってそのまま領地にしてしまったので、苑州は出口を塞がれてしまった形となり、孤立した土地のように思われているが、それは都から見た場合でのこと。
「苑州は東国側だと、行き来が楽にできるのです」
この威の話を聞いた一同が、シンと静まり返る。
――東国でケシの花は栽培可能だったか。
それを加工したケシ汁は大金で売れる。
寒冷な土地が多く農地の実りが少ない東国では、ケシを金になる花だと考えたことだろう。
その販路として崔国を選んだことは、つまり東国からの先制攻撃に等しい。
立勇のようにここまでの考えに至らない者は、おそらくはこの場にいないだろう。
「そうなると、苑州は既に東国の手に堕ちていると見た方がよいですかな」
李将軍が思案気な顔で話すのに、志偉が告げる。
「苑州を攻めるは容易ではない。
策を練らねば、蹴散らされるのはこちらになるぞ」
この志偉の言葉は、戦で国中を駆け回った猛者としての重みがある。
崔国に、戦乱の空気が入り込もうとしていた。
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