第179話 徐の決意

 一方でシュの方は雨妹ユイメイを見て気が抜けたように肩から力を抜く。


「アンタは、変わった娘だよ」


「そうですか?」


そう言って苦笑する徐に、雨妹は首を捻る。


 ――普通に挨拶をしただけだっていうのに、変わっている呼ばわりとはどういうことなのさ?


 謎に思っている雨妹の頭を、立彬リビンが小突く。


「刑部でそんなに朗らかに挨拶をする奴は、まずいないだろうが」


そして告げられたことに、雨妹は「そうかもしれない」と納得する。

 刑部に収監されている人は基本犯罪者で、犯罪者に愛想を振りまくなんて無駄な行為だということなのだろう。

 甘い顔をして「もしかすると助けてもらえるのかもしれない」という妙な期待を抱かせるのも、確かに気の毒かもしれない。

 徐はそうした刑部の冷たい対応に数日で慣れてしまっているのだろう。


 ――まあでも、私は別に刑部のお役人じゃないし。


 雨妹としてはただ知り合いに会いに来ただけなので、その知り合いに朗らかに挨拶をするのは、特におかしなことではない。

 それに徐は罪を犯したと確定しているわけでもないのだ。


「私はただの掃除係ですので、刑部のやり方なんてものは知りませんってば。

 それよりも徐さん、今日はどういうお話でしたか?」


時間は有限であるので、雨妹は早速目的について切り出す。

 話を振られた徐は、意を決するように大きく深呼吸をしてから、口を開く。


「アンタに言われてからね、アタシはここでずぅっと考えていたんだよ。

 あの方がなにをしてほしかったのかってことを」


「……そうですか、それで答えは出ましたか?」


雨妹はそう言いながら、「そういえば」と思う。


 ―― 徐さんは大店のお嬢様だったんだよね?


 ということは、徐はかつてこのような話し方ではなく、もっと丁寧な言葉遣いをしていたのではないだろうか?

 それに基本的に裕福な出自が多いであろう宮妓の中で、庶民の中でも荒っぽいであろう崩した言葉遣いは悪目立ちをするだろうに。

 これは彼女なりの反抗、もしくは過去との決別の意味があったのかもしれない。

 そんな雨妹の内心をよそに、徐が話を続ける。


「ずうっと昔、まだあの方と会ったばかりの頃だったね。

 アタシたちはちょっとしたことで揉めて、妙な約束をしたのを思い出したんだよ」


兵士であった恋人は、当然命の危険が徐よりも高い仕事である。

 そのことを不安に思い、安全な仕事をしてほしいと願う徐に、恋人は「自分にはこれしかできないから」と述べた。

 それに己は身体が頑丈だから、そう簡単に死にはしないとも。

 それでも「もしも」があると詰る徐に、恋人が言ったのだ。


『では、もし自分が死んでしまったら、葬送のために琵琶を奏でてください。

 あなたの琵琶の音で送られれば、きっと来世で君と再び巡り合える気がするから』


これを聞いて徐は「縁起でもない」と怒り、それに恋人だって来世ではきっと徐よりも器量がよくて愛嬌のいい娘を好くに決まっている、と拗ねた。

 そんな徐に、恋人は「そんなことはない」と告げ、困ったような顔で宥めてくれたものだ。

 その後で仲直りをして、以来この件で口論をしたことがなく、さらに恋人の婿入りを両親が考えていたため兵士を直に辞めてもらえる予定なこともあり、徐はこういう話をしたことをすっかり忘れてしまっていた。


「そうさ、アタシが葬送の琵琶を弾かないと、あの方は冥府に行けずにずぅっと戦場をさまよっているのかもしれない。

 なにせあの方は、この美人と程遠いアタシを『がく仙女』だなんて呼ぶ大馬鹿者だったからねぇ。

 そんな目の悪い人だから、道しるべがないと迷ってたどり着けないに決まっているよ」


徐は泣き笑いのように、そう語るのだった。

 『仙女』とは、優れた女性を例える意味でよく使われるが、その中でも多い使われ方が美人を称えるものである。

 だから賞賛と僻みを兼ねて、嫌味として『仙女』と表することがままあった。

 女同士の微妙なやり合いというやつである。

 しかし、たまに純粋な意味で『仙女』と称える人も出てくるもので、徐の恋人の男はそういう裏表のない人だったのだろう。

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