第168話 思いもよらぬ話
宮妓とは宮城で働く妓女であるが、一般的な妓女とは仕事が違う。
客に求められればどんな奉仕でもしなければならない下級妓女と違い、宮妓は芸を売ること専門なのだ。
もちろん
そんな所へ伝手などなかったので、かなり最初の時点で諦めていたのだそうだ。
そして世間知らずだった当時の徐はそうした情報を持っておらず、普通に下級妓女のことしか頭になかったらしい。
――それにしてもさぁ……。
ここまで聞いた雨妹は、その親切な人物のことが引っかかった。
徐を宮妓にしたのは、皇帝の鶴の一声であったという。
皇帝の愛人説がまことしやかに囁かれても、強引に事を進めたとのことだった。
このことを踏まえて考えると、親切な人物とやらの正体も見えてくるというもの。
まさか噂の琵琶師を一目見たくて、皇帝がいち商人の宴席に潜入したのだろうか?
なんという物見高い人だろう。
――なにしてんのさ、父ぃ!?
雨妹は内心で絶叫しつつ、ちらりと隣を見やると、
あちらも似たようなことを考えたに違いない。
それはともかくとして。
徐としては、あの男の専属妓女になるのと、突然の宮妓の話と、どちらを選ぶべきかは明らか過ぎだ。
というわけで、徐は宮妓になった。
しかし宮妓といえども後宮入りとなると、当然外に出るための条件は他の女たちと一緒である。
そうなると、恋人が帰って来た時に会いに行けないのだ。
しかしその時が来れば尼になることも厭わないつもりだった徐に、その人は言った。
『なに、皇帝陛下は非情なお方ではない。
そなたが待つ男が帰ってきて、お主と添い遂げたいと申し出たのならば、身請けを考えてくださるだろうて。
だから徐よ、お主は皇帝陛下の心を琵琶の音にてお慰めすることと、恋人の無事を祈ることだけを考えていればよい』
そう告げて宮城まで送り届けてくれたその人とは、後宮入りした日から会ってはいないという。
雨妹はとりあえず聞いてみた。
「え~、徐さん。
ちなみに皇帝陛下のお顔をご覧になったことはありますか?」
「あるわけないだろう、アタシたちは御簾越しに拝謁するのがせいぜいさ」
この問いに、徐は訝しそうな顔ながらもキッパリとそう言った。
どうやらあのお人も一応身バレは避けたらしい。
声でバレる可能性もあるが、そもそも皇帝が直に発言することは稀だろう。
大抵お付きの人がいちいち伝言するものである。
皇帝と直に会話する機会のあった雨妹の方がおかしいのだ。
しかし、助けに入るならばもう少し早い段階でできなかったのか?
そうすれば、その恋人とやらも兵士としてはるばる国境まで出稼ぎに行かなくてもよかっただろうに。
――まあ仮にも皇帝陛下だから、好きに出かけることができなかったのかもしれないけどね。
雨妹は内心でそんなことを考える。
話は続き、徐が宮妓になってから時は過ぎ、いつしか十年が経過していたある日。
いつまでも恋人の身を案じていた徐の元に、とある物が届けられる。
それは、恋人の遺髪であった。
待ち続けた徐の元へ帰ってきたのはたったひと房の髪だという事実が、彼女を身も心も打ちのめす。
『もういいんだ、これでアタシはここで待っている意味がなくなった。
アタシはあの人に届けるためだけに、琵琶を弾き続けてきたのに……』
この空の向こうにいる恋人に、きっとこの琵琶の音が届くと信じていたのに、もうどんなに弾いても届かない場所にまで逝かれてしまった。
ならば自分も同じ場所に逝こうとするが、いざ死のうとしたら命を惜しんでしまう自分がいる。
恋人は自分のために戦場に行って死んだのに、自分はなにをしているのかと、情けなくて涙が出た。
そして徐が死なせてくれる場所を求めて日々さすらう内に、あのごみ捨て場で雨妹と出会ったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます