第164話 見本はある意味貴重です

「なによそれ、私を誰だと思っているの……!?」


宮妓は喚き散らすが、あのやせ細った身体で抵抗などろくにできるはずもなく、そのまま連れられて部屋の外へ出されていく。


「私にこんなことをして、許されないわよ!」


宮妓のそんな叫びが廊下に響く。

 宮妓が連れて行かれて声が遠ざかっていくと、男は廊下に顔を出して外にいる誰かと小声で会話をしている。

 雨妹ユイメイはその様子を横目に、「プハァ~」と深呼吸を繰り返す。

 なんとなく呼吸も抑え気味にしていたので、気が付くと息苦しかったのだ。


「なるほど、アレがケシ汁の中毒症状か」


立彬リビンも多少は緊張していたのか、首をグルグルと動かしながらそう言った。


「お前が説明が難しそうであったのが今なら理解できる。

 これは実際に見ないとわからんな」


そして立彬がいっそ感心するようにそう告げてくる。

 これに雨妹も頷く。


「そうなんです、アレばっかりは実際に見てもらうのが一番なんです。

 言葉だとどうしても軽く聞こえてしまうみたいで、説明が難しいんですよねぇ」


前世でも言葉だといまいち響かないせいで薬物禁止の啓蒙活動で苦労していると、警察の人がぼやいていたものだ。

 かといって動画にすると「大げさに演技しているんだろう」と疑われてしまうらしい。

 人に伝えると言う行為は難しいのである。

 雨妹がそんなことを考えている傍らで、立彬が難しい顔をしていた。


「だが、あんなのが宮城中で湧いたならば大事ではないか。

 これは騒動が後宮内だけでは収まらんかもしれぬ」


 この立彬の懸念はもっともだ。


 ――確かに、物が煙草だけにうっかり吸っちゃいがちだもんね。


 あの臭いが障害となるだろうが、逆に「珍しい煙草」という呼びかけで珍しいもの好きが寄ってくるのかもしれない。


ヤンおばさんも、どうやって宮女を調べるかが悩ましそうでしたよ?」


「そうであろうな、全く頭の痛いことだ」


雨妹の言葉に、立彬はそう言ってこめかみをグリグリしている。彼も太子宮で調べる方法を案じているのだろう。


「でも私としては、この件のせいで薬としてのケシ汁の使用が禁止されたりしないか心配です。

 あれは優秀な痛み止めの薬ですから」


「なるほど、では兵士はその薬をよく使っているかもしれんな」


雨妹が懸念を口にすると、立彬もそう言って眉をひそめる。

 するとそこで、廊下との会話が終わったらしい男がこちらに戻ってきて、雨妹をひたりと見つめた。


徐子シュ・ジが目覚めたようだ」


そう話す男に、雨妹は若干脱力気味だった全身に力を入れ直す。


 ――そうだ、私がここに来た目的は徐さんなんだよ。


 決して、あの中毒患者を観察するためではない。


「ではこれから、お前には予定通り立ち会ってもらう」


「はい!」


男にそう告げられ、雨妹は片手を上げて返事をした。

 ということで、早速徐のいる所へ移動となり、雨妹は男の後について行く。

 しかし、一つ気になることがある。


「立彬様、帰らないんですか?」


そう、何故か立彬が雨妹の隣を歩いているのだ。

 どうやら一緒に行くつもりらしい。

 問われた立彬が、雨妹をジロリと見てくる。


「お前、一人で帰れるのか?

 ここの連中は元の場所まで案内などという親切はしないぞ?」


こう言われた雨妹はハッとした顔になった。

 ここまでただ男に連れられて来ただけなので、どうやって帰れば宮女の宿舎の辺りに着くのか、さっぱりわからない。

 一人で放り出されてしまうと、完全に迷子になってしまう。

 そんなわけで。


「……お願いです、一緒に帰ってください」


雨妹はそう言って立彬に素直に頭を下げたのだった。

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