第138話 近況の話
前世で長い間看護師なんてやっていると、助けたのにお礼どころか罵倒されるだなんてことは頻繁にあったものである。
なのでお礼という見返りを期待して仕事をすることを、早々に切り捨てたものだ。
「相手から感謝されるかどうか」なんてことは付属品のようなものであって、もしこれが親切をしたいのではなくて、「ありがとう」が聞きたいのだという人がいるのなら、その人は「ありがとうを言い合う会」でも立ち上げておけばいいのである。
「……それだけ考えているならばよい。
それにしても、その達観している所が年寄り臭いぞ」
「立彬様、そこは余計な一言です」
お年頃の乙女に向かって、年寄り臭いは厳禁である。
そんなことはさておき。
「私は徐さんが琵琶を弾きたくないにせよ、それは風湿病を治してから考えるべきだと思います。
病は時に、精神状態を誘導してしまいますから」
雨妹はこう告げた。
人は病気で不自由をしていると、その不自由を受け入れるために心がそういう風に防御をすることがある。
それは決して悪いことではない。人間が健やかに生きるために、身体と心がそう出来ているのだから。
しかし、不健康な状態で物事を考えると、どうしても捨て鉢になってしまうのも事実である。
風湿病は不治の病ではなく、症状が重くて完治まで行かない患者であっても、日常生活にさほど不自由しない程度まで軽くすることは可能なのだから、重要な考え事は少しでも健康を取り戻してからにした方がいいと思うのだ。
「まあ、その話もわからんでもないか」
雨妹の意見に、立彬も思い当る節があるのか否定をしない。
「私のお節介で結果誰かが幸せになれば、私が満足するのであって、途中経過での感謝の度合いとかは別にいいのです」
そう言った雨妹は、「けど」とも続ける。
「徐さんが治った暁にはお礼だと言って、一曲私のために琵琶を弾いてくれたら最高に嬉しいです!」
握りこぶしを作ってそう言い切った雨妹に、立彬が呆れたため息を漏らして告げる。
「雨妹よ、自己満足で済ますのではないのか?」
「お礼を妄想するのは、私の自由じゃないですか!」
雨妹は立彬に言い返す。
そう、看護する際の心構えと、「そうだったら嬉しいな」という妄想は別なのである。
こんな風にして、雨妹が立彬から欲しい情報を貰えたところで。
雨妹は自分ばかりが得るものがあったので、物事は平等にやろうということで、立彬の方の近況も尋ねてみた。
「そう言えば立彬様の方は、なにか変わったこととか困ったことはありました?」
「……とってつけたように言う奴め、まあいい。
変わった話ならあるぞ、
思ったよりも大事な近況が出てきた。
「記憶喪失ですか?」
「そうだ。
その者はかなり遠くから旅をしてきた風なのに、己が誰なのか、何故都まで来たのかわからないそうだ」
雨妹の確認に、立彬が頷いて説明してくれた。
「はぁ~、都みたいに広いと、そんな人もいるんですねぇ」
「都に様々な連中が集まっているのは確かだが、そうした者はむしろ戦場の近くで多いものだ……と聞くぞ?」
驚く雨妹に、立彬がそう修正してくる。最後に自身の立場を思い出して、若干修正したが。
――あ~はいはい、兵士さんから聞いたっていう感じね。
どこで誰が聞いているのかわからないので、ほぼ身の上がばれている雨妹相手であっても言葉に気を付けるつもりのようだ。
実に真面目な男である。
「その男の身柄を医者に預けようかと思ったら、『身体は健康なので診る場所がない』とかで、明様に連れ帰るようにと言われたらしい。
それでその男は明様の屋敷に居候中だという話だ」
「はぁ、明様って案外お人好しなのですね」
立彬の説明に、雨妹は感心する。それは話のタネに、楊が許せば一度明の屋敷を訪ねてみたいものだ。
もちろん雨妹としては記憶喪失者への心配はあるが、それと同じくらいに好奇心が疼く。
――だって、テレビドラマの始まりのような話じゃんか!
華流ドラマオタクの血が騒ぐのであった。
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