第124話 無力なる男
しばし沈黙が流れたが、
「いや、それだとまるで、
彼女は決してそのような、酷い女では……」
なんとか母を悪く思われまいと言い繕おうとしている明だが、上手く言葉にできていない。
そんな明へ、
明の嘆きはあくまで母、慧に向けられたもので、彼女が産んだ赤ん坊のことはスポッと抜け落ちていた。
恋をする相手はあくまで一人の女性である慧で、母親である慧ではなかったということだろうか?
――全く、誰も彼も、恋愛脳か!?
「恋こそ全て、恋こそ人生」というのは、娯楽として読む物語としてはいい話となるだろう。
そして母も、この明も、そんな恋愛物語の中で生きてしまっていた。
しかし惚れた腫れただけで人が誰かと一生を添い遂げることは難しいのだと、雨妹は大往生した前世でよぉ~く分かっている。
雨妹に言わせれば、母と明は己の憐れに酔いしれて現実を見ることができなかった、可哀想な人たちだ。
「その女性は、もっと生きていれば可愛い盛りの我が子を愛でてデレデレになれたのにと、あの世で精一杯悔しがっていればいいんですよ!
でないと、懸命に生きている人たちに失礼です!」
雨妹が心の底からそう告げるのに、明はなにか言いたいようだったが、結局言えないままに黙る。
――そうでないと、私の中の「雨妹」が可哀想だ。
「雨妹」は皇帝に、父に、お互いに生きていたから会えた。
けれど死んでしまった母とは永遠に会えない。
それは母も同じことで、子の成長を永遠に見ることは敵わない。
その自ら捨てた幸せは、一体どれほどの価値があったことだろうか?
世の中、幸せと不幸せは釣り合うようにできているもの。
それをトントンに持っていくためには、最後まで懸命に人生を全うしなければならない。
そうした者だけが、真の幸せを知るのだ。
しかし母はそれをせず、もう幸せは過ぎたと決めつけた。
母がそんな性格だとわかっていたから、追っ手のようなものもなかったのだろう。
本気で狙われたのであれば、辺境へたどり着けたはずもない。
おそらくは都を出てすぐ、それこそ明と合流する前に、命を落としていたことだろう。
それに対して、と雨妹は皇帝についてを思い返す。
これまでの数少ない遭遇の中で、雨妹を見たあの人の口から「慧」の名が出たことはない。
雨妹が髪を隠していたこともあったのだろうが、雨妹の存在は、あの人の中で最初からあくまで「雨妹」であった。
数多の子がいる皇帝という身の上なのに、はるか遠い辺境に行ってしまった我が子をずっと忘れないでいてくれたのである。
――うん、父がマシな男に見えてきたかも。
皇帝の評価がちょっぴり上がった雨妹であった。
一方、雨妹から言い負かされた明は、打ちひしがれていた。
「ああ、そなたは慧ではなかった。
慧はそのようなことを言わなんだ。
ただひたすらにか弱く、優しく、だからこそ守ってやらねばと……」
そんな嘆きのような愚痴のような話を聞いていれば、明はどうやら甘やかし体質であるようだと判明する。
そして母は甘やかされ体質で、それが上手く噛み合ったのかもしれない。
「私は慧に、生きる意味を与えてやれなかったのだな。なんという無力な男であろうか」
明はそう言って肩を落とす。
守り守られという関係性では、母は明との過酷な辺境への旅路の中であっても、一人で立つという強さが身に付かなかったのだろう。
――それでもあの母は宮女の出のはずだから、そこそこ苦労もしていたんでしょうに。
人はぬるま湯の生活に溺れるのは、一瞬だということかもしれない。
そして雨妹は、いつまでもウジウジしている明にカラリとした調子で言う。
「あら、無力な自分に気付けてよかったではないですか。
人なんて、たいていの難事を前にすれば無力に成り下がるものですよ。
そのことを知ってからが、本当の人生の始まり……と、昔知り合った旅のお方が仰っていました」
「無力、そうか、私はそもそも無力な男なのか……」
雨妹の言葉に、明がさらにズーンと落ち込む。
もしや「そんなことはありません」的な慰めを期待していたのかもしれないが、生憎とそんな優しさを発揮してやる義理はない。
前世看護師としては、心に傷を負っている明に寄りそった態度や言動をした方がいいのかもしれないが、生憎と雨妹はまるでオバケ扱いを受けたこれまでのことを根に持っているのである。
「娘っ子、お前さんは明の気分を上げているのか落としているのか、よくわからん奴だな」
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