第24話 皇子と女官

「一体なんですか?」


雨妹(ユイメイ)は水筒を石の上に置いて、立彬(リビン)の方へ近寄る。

 すると、頭をグイっと引き寄せられた。


「あだっ!」


「妙ないざこざに巻き込まれてはおるまいな?」


そう小声で言いながら目線で指すのは、あの皇子だ。


「たまたま遭遇しただけですけど、あれって皇子殿下でしょう?」


雨妹の主張に、立彬が深く息を吐く。


「そう、皇太后派の昭儀(ショウギ)、胡(フー)様の皇子殿下だ」


説明を聞いた雨妹はしばし考える。

 胡昭儀の名は初耳だが、皇太后とはあのインフルエンザ騒動を悪化させた張本人ではなかったか。

 ついでに言えば尼の噂話だと、雨妹の母を後宮から追い出した人でもあるらしい。

 当時に妃嬪(ヒヒン)同士で揉めたとしても、彼女らに後宮追放なんてことができるはずがなく。

 決定したのは後宮の支配者である皇太后以外にあり得ないのだ。

 雨妹としては微妙な気持ちを抱く相手ではあるが、最大派閥の主であることに変わりなく。

 その派閥の皇子なら、好待遇を受けているものではなかろうか。


 ――なのにこの痩せようって、おかしいよね?


 恵まれているはずの子供が、痩せている原因とはなんだろうか?

 雨妹が思考を巡らせていると。


「……殿下、友仁(ユレン)殿下!」


回廊の向こうから、甲高い女の声がした。


「……あ」


その声が聞こえた途端に、皇子がオロオロとした態度で慌て始める。

 「友仁殿下」というのは、恐らく彼のことなのだろう。

 もしや妙な場所を通って来たのは、あの声から逃げてきたせいか。


 ――なんか、可哀想なくらいにオドオドしてるんだけど。


 雨妹は気持ちとしては放っておけず、どこかに隠してあげたくなる。

 けれど皇子が一体どういう理由で逃げたのかわからないため、迂闊なことはできない。


「これ、どうすればいいんですか?」


「どうもしない。全く、面倒にならなければいいが」


雨妹が尋ねると、立彬(リビン)は眉間に皺を寄せる。

 あまり関わり合いになりたくない、という本心が透けて見えた。


 ――まあ、無理ないか。


 宮女の噂話によると、太子は皇太后と仲が良くない。

 というより、険悪らしい。

 皇太后の姪の子ではない太子なので、可愛いどころかいつか自分を追い出す敵のはずなので、それはそうだろうと思う。

 そんな皇太后派の皇子が逃げ隠れしている場所に、太子の宦官が居合わせれば、いらぬ疑いをかけられるかもしれない。

 その太子付きの宦官と一緒にいる雨妹も、同様にいらぬ疑いを向けられる可能性があるわけで。


「えーと、じゃあ私は……」


雨妹はどうしようかと一瞬考え、立彬の影に隠れるように移動する。

 隠れる壁代わりにされた立彬は、嫌そうな顔をしていたが。


「殿下、そんなところに!」


そんな中を早歩きでやって来たのは、派手な見た目の女官だった。

 上等な服を来て、宝飾品で煌びやかに飾っているところを見ると、位が高いのか実家が裕福なのか、あるいは両方だろうか。

 そして皇子を見つけたならば、当然雨妹たちの姿も視界に入るわけで。


「お前は……」


その女官は立彬を睨みつける。太子付きの宦官をお前呼ばわりとは、よほど気位が高いらしい。

 その視界に入らないように、雨妹は立淋の背後にぴったりと隠れる。


 ――私は影、私は空気!


 心の中でそう唱える雨妹を余所に、彼女は立彬に関わっている間も惜しいとばかりに前を通り過ぎ、ズカズカと皇子に詰め寄る。


「友仁殿下、逃げ出すとは何事ですか!」


威圧的に怒鳴られ、皇子が小さく震える。


「……だって」


「このままではどうなるか、わかっていますよね?」


皇子がなにかを言おうとしたのに、彼女が被せるように尋ねる。


「……」


なにも言えなくなった皇子の腕を、彼女は無造作に掴む。

 その勢いに皇子がよろめくが、気にした様子は見られず。


「行きますよ!」


そう告げて皇子の腕を掴んだまま大股に歩くため、引っ張られる方は小走りになって必死に付いて行くしかない。

 けれど彼女は立彬の側で立ち止まると、もう一度睨んできた。


「余計なことを言うと、どうなるかわかっているでしょうね?」


「……」


釘を刺す彼女に、しかし立彬は無言で会釈するのみだ。

 この態度に忌々しそうな顔をすると、皇子を引きずってズカズカと歩き去って行く。

 そして、姿が完全に見えなくなった後。


「行ったぞ」


立彬が背後の雨妹に声をかけた。


「ぷはぁ~」


懸命に空気に徹していた雨妹は、大きく深呼吸する。

 文句は立彬だけに言われていたので、どうやら隠れることに成功したらしい。

 この男が体格のいい宦官で助かった。


「なんか、色々な意味で凄そうな人でしたね」


あの女官について述べる雨妹に、立彬は眉間を指でグリグリと揉んでいる。


「あの女のせいで聞きそびれていたが、どうして皇子と一緒にいた?」


「だから、たまたま遭遇したんですよ。

 掃除が終わってあそこの石に座っておやつを食べようとしていたら、茂みから皇子がヒョッコリ出て来たんです」


雨妹の説明に、立淋は頭痛を堪えるような仕草をする。


「今度は皇子に遭遇するとは、実は面倒が好きなのか?」


そんなことを言われても、雨妹だって困るのだが。


「人聞きが悪いですね。偶然ですよ、偶然」


おやつを食べようとしていたら茂みから皇子が出て来るなんて、誰が想像できただろう。これは不可抗力だ。

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