第23話 紅茶占い

エレクトラは自室に籠り、ハイディーの背中を撫でていた。この子をこうして抱いていると気持ちが落ち着く。

今日は金曜日なのだが、予想していた通りドリーは屋敷に残っていた。先週のことを受けて、私を見張る必要があると感じたのだろう。そう思うと苛立ちが募り、気を紛らわせてくれる存在が必要だった。

カーライルもいない今、ハイディーがエレクトラの心を慰めてくれる存在だった。

もちろんメアリーやエイミとの時間も楽しかったが、あの夜見てしまったことやレイモンドとのことがあってから、どうも色褪いろあせてしまった。そうした心のありようを見ていると自分はどうしてしまったんだろうと不安になる。なんだか全ての景色が灰色になったような気がするのだ。

自分の心の変化が不安だった。

心の奥にインクのような黒い染みが広がっていくような気がする。

エレクトラは温かさを求めてハイディーを抱きしめたのだった。






メアリーは塞ぎがちなエレクトラのために、一計を案じて、ユニークなお茶会をひらくことにした。


「タセオグラフィー?」

紅茶占いティーカップリーディングのことよ。」

「興味がありますわ!」


エイミが興味津々で乗り出すように声をあげた。エレクトラは関心なさげな顔をしているが、目はそうは言っていない。メアリは我が意を得たりと心の中でほくそ笑んだ。


「様々な方法があるけれど、今日は私が祖母から習った方法でやってみましょう。

専用のカップもあるのだけれど、この家にはないから普通のティーカップを使うわね。

ここで学べば、自分でもできるようになるわ。」


本当ですか!とエイミは楽し気に興奮し、エレクトラは眉をぴくりと動かしただけだった。


「さて、さっそくはじめてみましょう。

まずはどんな占いをしたいかだけど…。

紅茶占いひとつをとっても、見れるものは様々なのよ。近い未来を占うものや、遠い未来を占うもの、過去に起こったことと今や未来との因果関係を占うものもあるわ。

今日はどれにしましょう。」

「近い未来を!」

「近い未来ね。」


2人が同時に答えたので、ではそのように、とメアリは微笑んだ。

しかし予想外に、ここからが大変だった。

紅茶占いの最初の段階として、まずは心をクリアにすることが大事なのだが、これが2人には難しかったのだ。

深く考えなければいいのに、2人とも生真面目にいろいろ考えてしまうと嘆くものだから、占いをなかなか始められなかったのだ。メアリはおかげで心をクリアにする瞑想法まで伝授することになった。


「では本当に始めるわよ。」


メアリはくたくたになりながら、次の段階にようやく足を踏み入れた。

それぞれが大匙1杯分の茶葉をカップに入れると、暖炉から沸騰したお湯を持ってきて注がせる。

茶葉をちょうどよく蒸らすと、今度は少し飲み残すように指示してお茶を飲んでもらった。

次にティーカップの茶葉を素早く揺らし、布巾を置いたソーサーの上に裏返すと、利き手の人差し指で3回カップの底をタップし、次に人差し指と中指の二本を力を送るようなイメージで添える。

その後、利き手でカップを3回回転させて、持ち手を自身の身体に向けさせる。

最後に、もとのようにカップを表に返せば儀式は終了だ。


見たいものによって回す方向や回数なども違うのだが、それを説明していては日が暮れてしまいそうなので今日はやめておくことにした。


「では茶葉を見て、何が見えるかを教えてちょうだい。」


メアリの指示を受けて、エレクトラもエイミもカップの底にかじりつき、見えない未来を読み取ろう必死になっていたが、その姿がなんとも微笑ましかった。


「何が見えるかなんてわからないわ。」


すぐに根をあげるエレクトラと違い、エイミは必死で答えを探そうとする。


「これはどうですか?

これは三日月に見えますわ。

こっちは…なんだか梯子はしごにも見えますわ。」

「そうねぇ、私に見せてちょうだい。」


メアリはくすくす笑いながらエイミからカップを預かった。


「これは三日月にも見えるけれど小舟じゃないかしら…。

そうね、確かに梯子にも見えるけれど…なんだかアルファベットにも見えなくはないわね。」

「いったいそれらは何を意味していますの?

素敵な男性との出会いはありますか?」

「素敵な男性ではないけれど、舟は友人の訪れを意味するわね。」

「まぁそれは良い意味ですわね?

文字の方はどうですの?」


エイミは友人には興味はないようだ。メアリは笑いを堪えながら乙女の質問に答えた。


「文字が頭文字になる男性との出会いを意味することがあるわ。」

「それは本当ですか!」


そう言ってエイミはメアリからカップを取り返すと、どんなアルファベットが見えてくるのかカップをくるくると回しながら確認しはじめた。エレクトラもさりげなく自分のカップを覗き込む。


「Hに見えますわ!この村でHと言ったら誰かしら…?

Hなんていたかしら…。あ!」


エイミは何かを思い出したらしく、みるみる青ざめていく。両手で顔を掴んで悲壮な面持ちで叫んだ。


「ホレイショー・リー!

嘘よ!そんなの嘘だわ!あんなのろまのグズなんかと一緒にならないわよ!

ああメアリー様!嘘だと言って下さい!

これが本当なら私は一生、結婚なんかしません。」

「落ち着いて、エイミ。

まだ村人と決まったわけじゃないでしょう。

それにホレイショー・リーは働き者の好青年よ。」

「いいえ、私は彼とは相いれませんわ。

メアリー様、他に素敵な男性との出会いを予期させるような形はありませんの?」


おそらく一縷いちるの望みをかけて、その形を探すのだろう。メアリーはいくつか例を述べることにした。


「そうね…。そういったものはたくさんあるけれど天使やベル、指輪もそうね。ただし指輪はカップの淵にあれば結婚が近いことを意味するけれど、カップの底にあると反対の意味になるの。つまり近い未来では結婚は無いというわけ。」


2人は再び、カップの中に輪っかがないかを慌てて確認しはじめた。

だが2人とも指輪の形はおろかベルや天使も見つからないようだった。


「メアリー様!これはどうでしょう?

これは輿こしに見えますわ!

私、本の挿絵で見たことがありますわ。

淑女たちがそれに乗って舞踏会に行くのですわ。何か素敵な意味はございませんの?」

「あら、輿は不運や失敗を意味するのよ。

しかもカップの淵にあるわね。

これは今すぐに何かよくないことが起こるわね…。」


メアリーが脅すように低い声で言うと、エイミは真っ青な顔になった。そしていったいこれから何が起こるのかと、思い当たることを片端から声に出して確認をはじめたものだから、エレクトラもメアリーもなんとか笑いを抑えて見守るしかなかった。だがエイミが5つ目の可能性を口にしたところで、あっと声をあげて立ち上がったので、2人は驚いて体をのけぞらした。


「私ったらオーブンに夕食のパイを入れっぱなしですわ!

どうしましょう!母に怒られてしまいます!

焦げているかもしれません!!」


そう叫んでエイミは居間を飛び出していった。

彼女の背中を見送ってから、残されたメアリーとエレクトラは顔を突き合わせた。次の瞬間には、2人とも堪えていた笑いを解き放っていた。


「今日の夕食は覚悟しておかないといけないわね!」

「でも彼女の不幸がこれで済むなら、我慢してあげないこともないわ。」


2人はエイミが他に口にしていた不幸をも引き合いに出して再び笑い転げた。不在のエイミには申し訳ないが、今はそれが必要だったのだ。

しばらくして笑いの波がおさまると、ついにカップの鑑定はエレクトラの番に移ったのだった。


「ではエレクトラ嬢、次はあなたの番ですよ。」


そう言うとエレクトラの顔に緊張が走ったが、何とか口を開いた。


「私は…動物が見えるわ。」


言葉を濁すエレクトラにメアリーは微笑んで尋ねた。


「どんな動物ですの?」

「…わからないわ…犬かしら?

私、動物には詳しくないの…。」


消え入るような声で答えるとエレクトラはカップをぎゅっと握り込んだ。


「では私が見てみましょう。」


エレクトラは怯えたように不安げな視線を向けたが、メアリは励ますように微笑んでカップを受け取った。


「…そうですねぇ。確かにこれは犬に見えなくもないですわ。」

「どういう意味があるの?」

「犬にはたくさんの意味がありますわ。

金銭トラブル、予期せぬ不運。」


この言葉にエレクトラは慌てた。


「お、狼にも見えるかもしれないわ…!」

「狼は冷酷な友人にご注意。

警告ですわね。」


エレクトラはさらに真っ青になったので、メアリーは励ますように笑った。


「大丈夫ですわ。何に見えるかなんて曖昧なものですもの。エレクトラ嬢が動物だという部分は私にはこう見えますわ。

つまりね、花瓶ですわ。

ほら、ここを見て下さいな、花が活けてある花瓶に見えませんか?」


エレクトラは泣きそうになりながら、頷いた。


「花瓶は健康の象徴。あなた様の身体はきっとよくなりますわ。

しかも花は幸福の到来を意味しますのよ。」


ここで少しエレクトラは元気を取り戻したようだった。メアリはそっと彼女の手を取って微笑んだ。


「私が時々をやりますのわね、魔女だからとかそういうのじゃないんですよ。自分の心を見つめるためにやるんです。

カップの底を見ていると、今の自分の心の有り様が見えてくるんですわ。

エレクトラ嬢はずっと怯えているように見えますわ。その不安を取り除くためなら、私でよければ力になりますわ。」


ここではっとしたようにエレクトラは顔を上げたが、すぐに顔を伏せて不安げに自分の手を握り込んだ。


「…私…その…。

最近すごく変なの…。

なんだか気持ちが落ち着かなくて…

みんなに迷惑をかけているのはわかってるのよ…でも自分を抑えられないの…。」


そう言って俯くエレクトラをメアリは優しく諭した。


「それは仕方ありませんわ…。

手術も控えていますし、ディギンズ氏もいらっしゃらないのだもの。」


エレクトラは救いを求めるように顔を上げたが、すぐに苦い笑みを浮かべた。


「…人のことを言えないわね。

あれだけ、ドリーみたいにならないわ、って言ってたのに…。今は陰気なのは私の方。どうして辛い時も笑っていられるなんて思ったのかしら。

こうしてメアリーにも心配かけて…。」

「辛い時は辛いとおっしゃって構わないんですよ。」

「…話してもどうにもならないことはあるわ。」

「話すだけでも楽になることはありますわ。」


エレクトラはここでしばらく沈黙していたが、おもむろに口を開いた。


「…メアリーは私のことが好き?

ドリーのことを悪く言っても、私のことを好きでいてくれる?」

「エレクトラ嬢はドリーが嫌いなんですの?」

「…嫌いじゃないけれど…、イライラするのよ。

自分に無いものを持っていて…。

だけど、ちっとも幸せそうじゃないわ。

魔法を使いこなせて…健康な体を持っていて…それに…。」


エレクトラはここで言い淀んだ。


「…とにかく見ていて腹が立つの。

でもメアリーはドリーのお姉さんだから、こんな私を嫌いになるわよね?

やっぱり家族を悪く言う人は嫌いよね?」


そう言ってエレクトラは縋るような目でメアリーを見つめてくるものだから、メアリーは優しく微笑んで彼女の手にのせていた手に力を込めた。


「ドリーにも問題があるんだと思いますわ。

私は姉妹だからよくわかりますわ。

だからエレクトラ嬢を嫌いになんてなりませんわ。

もちろん私はドリーのことを大切に思っていますけれど、だからと言ってエレクトラ嬢を憎んだりしませんわ。

エレクトラ嬢が来て下さってから、本当にこの屋敷が明るくなったんですよ。私は本当に感謝しているんです。」


エレクトラは勇気づけられたように笑みをつくった。


「ありがとう、メアリー。

私も決してドリーが嫌いなわけじゃないのよ。

だけど、今は何だか…受け入れたくないの…。」

「…私にも身に覚えがありますわ。そういう時は、時間が解決してくれるんですよ。」

「ありがとう、メアリー。

家族のことなのに、ちゃんと聞いてくれてありがとう。」


メアリーはただ励ますように笑みをつくるしかできなかった。


エイミもキッチンから戻ってくる気配も無いので、今日のお茶会はここでお開きとなった。最後にエレクトラはもう一度自分のカップを覗きながら、メアリーに質問をした。


「時にメアリー、猫は何を意味するの?」

「猫ですか?

えっと確か…女性の象徴、直観、転機の訪れ…でしたかしら。」


それを聞いて、エレクトラは興味深げに頷くと、最後にもう一度お礼を言って部屋を出て行った。

その背を見送るとメアリーは自身のカップを覗き込んだ。


「蝋燭…。」


蝋燭とは大きな試練を意味する。メアリーは大きな溜息をひとつついたのだった。

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