第14話 ダンスレッスン

「いいえ、私には無理よ。まずは1人にしてちょうだい。それから考えるわ。」


ドルイドは広間の入り口から断固として動こうとしなかった。

メアリはすぐに夫人に頼んで屋敷の広間ここを借りた。タウンハウスで舞踏会が行われる場合は大抵こういった広間が使われるからだ。3人には広すぎる部屋はダンスの練習にもってこいだ。

ここで何をするのかを察した夫人は、どうしてもご一緒したいと願ったが、ドルイドの名誉のためにメアリはそれをこっそりと断っておいた。

ドルイドの硬い表情は相変わらずで、扉の付近から動かない様は怯える子犬のようにも見えた。

レイモンドはその様子を見て、笑いをこらえるのに必死だ。


「君にも弱点があったとはね。

覚えておこう。」

「私は必要性のないものに時間をかけない主義なのよ。」


思わず語気を強めてしまい羞恥で頬を染める。


「しかし今や必要に迫られてしまっているのだから仕方ない。

さぁ諦めて私の手を取るんだ。」


よくもまぁ昨日の今日でそんなことが言えるものだと思う。レイモンドは隙あらばドルイドの血を狙っていて、しかも昨夜それを実行に移そうとして追い払われたのだ。

普通の神経ならその次の日に本人の前になど姿を現せるわけがない。

ドルイドが身動きせずに彼の手を睨んでいると、ピアノから顔をのぞかせたメアリが呆れたように声をかけた。


「私が躍ってもいいけれど、それだと憑りつかれてしまうかもしれないでしょう。

余計に問題をややこしくしそうなんだもの。お願いよ、ドリー。」

「さぁ、ドリー。」


そう言ってレイモンドは再び手を差し出した。

ドルイドはしばらくの逡巡ののち断腸の思いで仕方なく彼の手を取った。

全ては仕事のためなのだと自分に言い聞かせ納得させる。それを見届けたところでメアリは安堵の表情を浮かべ、鍵盤に手を滑らせ始めたのだった。


彼女が鍵盤上で指慣らしをしている間、レイモンドは手の位置やステップをドルイドと確認していく。

レイモンドはドルイドの左手を自分の腕にのせ、自身はその手でドルイドの腰を捉えると、2人はもう片方の手をつないで持ち上げた。


「私のステップに合わせていけばいい。」


ドルイドは無言を貫いたが、彼は彼女の返事など必要としていないようで間髪入れずに彼女をダンスへと引き込んだ。

ドルイドは急に始まったダンスに戸惑い、思わず彼にすがりついてしまう。

しかも足元から目を離すことができないのだ。そうこうしていると頭上から笑いがもれた。


「そんなことをしていては幽霊に逃げられてしまう。」


ドルイドは彼の笑いが気に食わず、挑むように彼を見上げたが面白がる彼の瞳とかち合うと、なんとも気まずく目を反らす羽目になった。

しかしもう決して下は向くまいと心の中で誓ったのだった。

同じステップを重ねていくうちに、ドルイドも冷静になり、自分の能力が使えることに気づいた。

レイモンドの気配に自分を添わせ、ダンスの呼吸を合わせていくのだ。そうすればスムーズに踊れることがわかった。ステップのコツが掴めたところで、いつの間にか2人に合わせてメアリが音楽をのせていた。ドルイドたちの様子を見てスローワルツを選曲したようだ。

モレル氏の話によると、幽霊が現れたのは2度ともワルツの時だという。最終的には舞踏会では必ず演目にあるアップテンポのワルツヴィアニーズワルツまで仕上げる必要があるが、今日はそこまでいけるかどうかはわからない。


「思い出してきたかい?」


レイモンドが優し気に尋ねる。何も話すまいと誓っていたが、結局はひとつ溜息をついて口を開いた。


「あなたが何を考えているかわからないわ。」


ドルイドが見上げてそう言うとレイモンドは驚きの表情を浮かべてから笑みを深くした。


「私の考えていることに興味があるのかい。今までで初めてのことだね。」

「答える気がないならいいわ。」


レイモンドは笑みを絶やさない。

そしてダンスの進行方向に顔を向けながらこう言った。


「全ては君の傍にあるためだ。」


ドルイドは彼の横顔を見つめる。


「そんなに私の血が欲しいの?」


ドルイドの言葉に反応して彼はこちらを見下ろした。こんなに動いていても息を乱さない彼の余裕が憎らしい。


「ああ、欲しいね。」


ドルイドはふいと視線を反らす。

自分で聞いておいて馬鹿らしく思えたからだ。ドルイドは別の質問をぶつけた。


「どうしてあなたがダンスを?」


レイモンドは口角を上げて謎めいた笑みを浮かべながら答えた。


「本当に知りたいなら答えるけどね、ドルイド。血色のいい女性を傍に引き寄せようと思えば、ダンスこそ理にかなっているとは思わないかい。」


結局はこの話に戻るのだ。ドルイドは呆れて彼の手を振り払いダンスを解消しようとしたがレイモンドはそれを許さなかった。

だがドルイドが足を止めたせいで2人は広間の真ん中に立ち尽くすことになってしまった。


「生きるためだ、ドルイド。

私には多くの血が必要なんだよ。」


レイモンドの言葉にはっとする。

彼の言葉はまごう方なき真実だったからだ。

彼の生き方を否定する権利などドルイドにはないのだ。

ここで自分がしでかしたことが恥ずかしくなり、この場を今すぐ立ち去りたい衝動にかられたが、メアリが2人の異変に気づいて演奏の手を止めて声をかけてきた。


「どうしたの?」


ドルイドが何も答えられないでいるとレイモンドがメアリに釈明した。


「大丈夫だ、メアリ嬢。私が誤って彼女の足を踏んでしまったんだ。

私も感が鈍ったらしい。」


レイモンドは何事もなかったようにそう言って微笑んだ。


「あなたの演奏は見事でしたよ。今度はぜひ単独演奏を聞かせて頂けますか。」


もちろんですわ、とメアリも笑みをつくった。

ドルイドはいつこの場を去ろうかとタイミングを計っていたが、その計画はあっさりと潰されてしまった。

レイモンドが再び彼女の手を取って練習を再開させたからだ。だが彼はそれ以降ダンスへのアドバイス以外の言葉を発しなかった。

おかげで気まずい思いはしなくてすんだが、練習が終わる頃に心身ともに疲弊していた。





「あとはドリーの舞踏会の装いを何とかしなければならないわ。舞踏会のドレスは私のものを貸してあげられるけれど、せめて小物はあなたに似合うものを見に行きましょうよ。

新しい扇子を買ってもいいわ。

明日はショッピングよ!」


夕食の場でメアリは興奮気味に告げた。

レイモンドは例のごとく夕食前にここを去っていて、今は給仕を抜けば夫妻とメアリー、ドルイドしかいない。ドルイドはメアリの提案に曖昧な笑みを浮かべていたが、内心では心穏やかではいられなかった。仕事で来ているのにどうやらメアリはそれを忘れているらしい。普段なら彼女の提案など一蹴するところだが夫妻の手前それができなかった。

それどころか夫人はとても乗り気で、馬車を用意しなければね!とはしゃぐ始末である。ドルイドは氏がこのことをどう考えているのか気が気でなかった。この件については彼のビジネスがかかっているのだ。ドルイドはダイニングを去る間際に氏に声をかけた。


「モレル氏、姉が騒ぎ立てて申し訳ありませんわ。当日のことはしっかりと考えていますので、氏はどうぞご自身の仕事に集中なさって下さい。」


モレル氏は首を横に振って、いいのですよ、と優しく言葉を返した。


「妻があんなに元気なのを久しぶりに見ましてね。私どもには息子と娘が1人ずついますが、息子はこの仕事を継がずに自分で商売をはじめると言って出て行ってしまい、娘はスコットランドの方に嫁いでしまったもんですから、寂しい思いをしていたんです。

特にメアリさんの快活さが妻を救ってくれています。そしてあなたがこの会館を救う。

本当にお二人はよいチームですね。

この件が解決してからもどうぞこの屋敷を訪ねてほしい。」


ドルイドは言葉に窮した。

そしてそんな自分に驚いた。

いつもならそんな申し出はすげなく断るのだが、それができなかったのだ。

その理由についてはドルイドの中で以下のような結論に至った。つまりメアリの人間関係を自分が断ち切る権利はないということである。決して自分が関わり続けたいと思っているからではないという考えに行きついた時

ドルイドは安心してお礼を言うことができた。

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