第29話 橋の向こうへ
マイラが目覚めたのは朝だった。
太陽の光が彼女に力を与えたのだ。
彼女の目覚めに最初に気づいたのは、夫人だった。
夫妻は一睡もせずに彼女の傍についていて、夫人が娘の目覚めに気づくと窓の外を眺めていた夫を呼んだ。
氏が慌ててベッドに駆け寄るのを、ドルイドはただ静かに見守っていた。
マイラの魂を戻した後、ドルイドは夫妻以外は皆部屋から下がらせた。
もちろんドルイドは有事の際のために部屋に残ったが、ただひっそりと部屋の隅にいただけだった。
2人は目覚めた娘を泣きぬれた顔で迎えた。
ドルイドからはモーリス氏の影に隠れて見えないが、マイラはきっと体の自由が聞かずベッドに横たわったままで、2人がどうして泣いているのかもわからずに戸惑っているだろう。
だがドルイドは心配はしていなかった。
彼らには決して見えない隣人が彼女の傍で微笑んでいるからだ。
そうして彼はドルイドの方を見た。
ドルイドは口の形だけでそっと告げた。
もう大丈夫よ。
彼は優しくもあり、悲し気でもある笑みを浮かべ、そして溶けるように消えた。
この世のものではない身でありながら、彼はようやく課せられた任を解かれたのだ。
ドルイドはしばらく彼が去った方向を見ていたが、夫人に声をかけられたところで
意識をこちらに戻した。
困惑する娘を諭し、その体に異常がないかを確認する必要がある。
ドルイドはついに立ち上がりベッドに歩み寄った。
マイラは霊体であった時のことを何も覚えていなかった。
それはドルイドが予想していたことではあった。
ドルイドは彼女の体に異常がないことを判断するとすぐにアリスを呼んだ。
アリスは飛んできてマイラの顔を覗き込み、その瞳が開かれていることを確認すると彼女の手を
アリスは思う存分涙を流すとマイラのために温かいスープを持ってくると言って
出て行った。
半身を起こしてもらっていたマイラはその一連の様子を見て驚いていた。
両親の突然の謝罪、アリスの動揺ぶり、そして見知らぬ女の存在。
全てがマイラにとって訳のわからないことだらけだっただろう。
ドルイドは口元にゆっくりとスープを運ぶマイラに、今までに起こったこと全てを説明した。
我々が誰であるか、彼女自身の身に何が起こっていたか、包み隠さず話したのだ。
マイラは一切口をはさむことなく静かにドルイドの話を聞いていた。
だがフィリップの死が真実事故であったことも、両親の改心ですらも何も彼女の心を動かしたようには見えなかった。
彼女は最後にただ一言「あの人にはもう会えないのね。」と呟いただけだった。
ドルイドとメアリはトニーの操る馬車に乗り、帰路についていた。
「これで本当によかったのかしら。」
メアリは釈然としないらしく不満げに告げる。
「彼女は目覚めたけれど、まだあの世をさ迷っているように儚げだったし、サウスウェル子爵との婚約も破棄されてしまったわ。
私はもちろんあんな結婚は反対だったけれど。
でも間違いなく上流階級への仲間入りはできなくなったのよね。」
メアリは彼女が元気に両親と和解する姿を望んでいたのだ。
だがそうならなかったからこそ、自分のしたことが正しかったのか不安になっているのだろう。
ドルイドはメアリの言葉に答える気はなかったが、訴えるようにメアリが見つめてくれるので仕方なしに口を開いた。
「
一夜で何もかもが変わってしまったんですもの。
受け入れるのは難しいことよ。
それに体だって回復していないんですもの。
それどころじゃないでしょうね。」
「なんだか他人事ね。」
メアリはあっと手を口元に当てる。
失言だと感じたようだ。
ドルイドは目の端でメアリをちらと見て、すぐに視線を戻した。
「実際ここからは私の領分ではないわ。
あとは親の問題よ。
他人ができることなんてしれているわ。」
ドルイドは本気でそう思っていた。
これからマイラに寄り添って生きるのはドルイドではない。
夫妻が彼女と向き合わないことには、彼女の根底にある歪みは正されない。
ドルイドができるのは、正しい道を提示するだけでそこを歩くかどうかは彼ら次第なのだ。
「とにかく回復には時間がかかるでしょうね。」
「どれくらいかしら。」
ドルイドは沈黙した。
ドルイドが彼女の容態を確かめ真実を告げた後、夫妻にはすぐにここを去ることを告げた。
依頼は果たしたのだから長居する必要は無かった。
夫妻はドルイドとメアリに感謝の言葉を伝えたが、しかしその表情にはまだ不安が見て取れた。
ドルイドは、これから彼女が回復するかはあなた方次第だと告げた。
同じ
だが人間はそんなにすぐに変われるものではない。
それはマイラにも言えるし、この夫妻にも言えることだった。
「ぜひ、またいらして下さい。
今度はお客様として招待いたしますわ。」
ドルイドは顔色一つ変えずに告げた。
「いいえ、二度とこちらを訪れることはありませんわ。
私たちはこの件を通してのみ結ばれた縁です。
再び魔女の力が必要とされない限り、相まみえることはないでしょう。
そしてそのようなことが二度と起こらないことを祈りますわ。」
夫妻の顔に少し困惑の色が浮かんだ。
橋を取り去っておかないと、夫妻はまたドルイドに頼ろうとするだろう。
玄関ホールで馬車を待っていると、アリスが階段からかけ降りて来た。
その表情は慌てたからか上気して、そして明るく輝いていた。
「ドルイド様、メアリ様、お嬢様を目覚めさせて頂いて本当にありがとうございました。
お嬢様が回復したら、私からお手紙を書かせて頂いてもよろしいでしょうか。
それにお嬢様は今はあのような状態ですが、元気になれば絶対にお礼を伝えたいとおっしゃると思うのです。」
その朗らかな笑顔は真心に満ち溢れていた。
メアリはドルイドがどのような返事をするのか固唾をのんで見守っていたが、ドルイドが告げた言葉を聞いて驚きで目を丸くしたのだった。
ドルイドは物思いから覚めて、メアリの質問を思い出した。
メアリが尋ねているのは、体の回復にかかる時間ではない。
心の回復の時間を尋ねているのだ。
「さぁ5年か、10年か…。」
そんなに、とメアリは愕然とする。
だが誰に聞かれるでもなく、呟くようにドルイドは続けた。
「でもあの子が傍にいるなら、もう少し早いかもしれないわね。」
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