第六章 惑星開発日まだ五日目・誰か俺に援軍を(一)
三日後に「人員補充は人事に相談してくれ、話はしておいた」と短いメールが猪瀬係長から返ってきた。
正宗はメールを見て予想はしていたが、思わず笑ってしまった。
「これは、見捨てられたな」
人事に相談してくれ = 俺は何もしない。
話はしておいた = 俺の仕事は終わりだ。――という意味だ。
正宗は猪瀬係長の上の村上課長に相談することは考えなかった。
村上課長の評判はすこぶる悪い。課長は話すとすぐに、役に立たない正論を振り上げる。もちろん部下の仕事に対しては有効な手立ては打たない。
打てないのかもしれない。課長は、ひとしきりいい気分で説教して、最後に「言いたいことは検討してやるから、とりあえず文書化しろ」と命じる。
ちなみに、こうして作られた文書は鶏舎に入れられるブロイラーと同じく、二度と陽の目を見ることはない。
ブロイラーは食えるが、書類は喰えないことこの上ない。
「人事か。下っ端チーフが電話しても「うんうん」と話を聞いて、それで終わりだろう。いや、噂じゃロクなところじゃないらしいから、逆ギレされて終わりかもな。部下のことで一度前に相談しにいったときにもいい記憶ないしな」
人事課の評判は、惑星開発事業部内ではすこぶる悪い。真偽のほどはわからなかった。だが、想像はつく。
誰しも思い通りの場所で活き活きと能力を発揮できることなぞ全然ない。その不満が人事に向いているのだろう。
「まあ、これ以上ひどく悪くなるわけでもないし、一応は電話してみるか」
正宗は宝くじの当選を確認するぐらいの気持ちで、電話を掛けた。
「惑星開発課第八方面係の正宗ですが、猪瀬係長から話が行っていると思います。増員の件でお話したいのですが」
電話の向こうから人当たりのいい女性の声が返ってくる。
「人事部人事課第一係の春日です。お話は係長から聞いております。増員ですが、いつからがよろしいですか」
正宗は耳を疑った。
(え! 嘘だろ。そんなに簡単に増員してくれるの?)
一枚だけ買った宝クジに大当たりの予感がした。
「ほ、本当に増員可能なんですか?」
「はい」
正宗は大いに疑った。
「年度の途中なんですよ。それでも、人事異動があるんですか」
相手の春日は優しく答える。
「正宗さんは、とかく頑張っていらっしゃるようですし、勤務管理の観点からも働きすぎなので、こちらとしても、気にかけておりました」
人事、非常にいい奴じゃん。噂なんて当てにならないもんだ。まさに地獄に仏だよ。こんなことなら、モーッと早くに相談すればよかったよ。あと一人いれば、効率が全く違うよ。
正宗は舞い上がった。
「いやー、助かります」
「それと、今回の件は特別措置なので、くれぐれも他言無用でお願いします。どこも人が足りなくて困っているんで。バレると横槍が入って、話が御破算になるかもしれないので」
正宗は少し舞い上がった。
「あ、はいはい、ちゃんと黙っておきます。それと、できるだけ早くにお願いします」
「わかりました。で、確認しますが、第八方面係としてはOKなのですね」
「それは、もちろん」
「では、一週間後に異動がありますので」
正宗はウキウキし、まだ見ぬ新人に期待した。
一週間後か。忙しくても、歓迎会はしてやらんとな。幹事は俺だ。
正宗が喜んでいると、春日が電話を切ろうとした。急いで、正宗は引き止めた。まだ、聞きたいことがある、そんなに急いで切ろうとしなくてもいいだろう。
「あ、それで、待ってください。誰が来るんですか? 今後の仕事の分担や、向こうの引継ぎ時期なんかもあるでしょうし、異動してくる前に顔合わせしたいんですけど」
「それならご心配なく。大丈夫ですから」
正宗はそこで春日の口調に引っかかりを感じた。
大丈夫なわけない。俺がよくても、急な異動でやってくる新人君に悪いだろう。
しかし、春日の口調は新人のことを気にしていない感じではない。これは、何か裏があるのでは?
「名前ぐらいは教えてくださいよ」
「緊急の人事なので、発表は当日になります」
正宗の危険感知センサーが作動した。おかしい。内示がない。それも、受け入れ先の俺のところにだ。加えて、一週間という期間も短すぎる。なによりも、春日の態度が変だ。
正宗は警戒している素振りを出さず、軽い口調を装って尋ねた。
「いや、でも、名前ぐらい教えてくださいよー」
春日は柔和な口調で述べる。
「当日まで内緒ですよ」
優しい口調が気に掛かる。明らかに変だ。
正宗は真剣な口調に変えて突っ込みを入れた。
「言えないわけでも?」
「いえいえ、そんなことありませんよ、ミスケさんてという方ですよ」
ミスケ? 聞いた覚えがない名だ。やはり、新人か? ミスケ、ミスケ、ミスケ、……。
正宗の疲労した頭に電撃が走った。どうやら、追い込まれた正宗の危険感知センサーは、異常なまでの残業という危機状況で研ぎ澄まされていたようだった。全てが頭の中で繋がり、恐ろしい結論が出た。
正宗は平静を装いながら確認した。
「春日さん。それは、ミスケではなく、観介と読みませんか」
春日は数秒ほど押し黙ってから、
「あ、すいません、そうとも読めますね。いやだわ、手違いでした。観介さんです」
手違い。嘘に決まっている。人事の職員が名前を読み間違えるわけない。
それに、ミスケを観介と読むことはあっても、観介をミスケと読み間違えるわけがない。こいつは、悪意を持ってあの観介を俺に押しつける気だ。
「観介って、総務課総務係ですよね」
「そうですね」
春日の言葉の端には、寸前でカモを引っ掛けそこなった悪徳業者のような心境が滲んでいた。
冗談じゃねえぞ。地獄に仏じゃねえだろ。仏の面した悪魔だ。悪魔が俺に貧乏クジの一等をネジ込もうとしている。
正宗は、キッパリ断った。
「要りません」
「いえ、でも、もう決まったことですし」
「撤回してください。課内では私が話をつけます」
正宗は春日からの電話を切ると、すぐに部屋を飛び出し、村上課長の部屋に駆けていった。
廊下を疾走する正宗の姿に他の職員が何事かと振り返っていた。だが、人事の暴挙を目のあたりにして、正宗は黙ってはいられなかった。
正宗は課長室の入口にある入退室プレートを確認した。すると、課長しか部屋にいない事実がわかった。
正宗は扉を勢いよく開けて、シュプレヒコールのように叫んだ。
「課長。人事異動を今すぐ中止してください」
正宗の大きな声が部屋に響いた。正宗の声は、日ごろやっているストレス解消運動の成果で、自分でも驚くほど大きな声が出た。
黒猫の村上課長は正宗の声に驚き、金色の目を大きく見開いた。
「何だね、正宗君? いきなり、失礼だろ?」
正宗は部下の苦しみを露ほども気にしていない課長の言葉に、猛烈に腹が立った。正宗は怒りを抑えることなく叫んだ。
「観介を俺の所にネジ込むって、どういうことですかー」
村上課長も正宗の精神状態が常軌を逸しているところがあると気が付いたのか、顔色が変わった。
「落ち着きたまえ、正宗君、組織とは――」
正宗は村上課長のいつもの正論節の始まりを遮り、大声で叫んだ。
「組織が俺のことを考えているのかー。ああん? いねえだろう。組合がないのをいいことに、やりたい放題だろうがよー」
村上課長は真っ黒な顔をしかめた。
「私を誰だと思っているのだね、私は――」
「わかっているよ。課長様だよ。俺に無理な仕事を押しつけ、厄介者の観介までも押しつけようとしている、横暴課長様だろー」
正宗は犯罪者の取り調べ時に威嚇する刑事のように、両手で村上課長の机の上を叩いた。バンという大きな音が部屋に響いた。
村上課長は正宗の異常な態度に怖れを抱いたように一瞬ビクッとした。それでも冷静を装うようにして、声を掛ける。
「まあ、座りたまえ」
正宗は座っている課長を見下ろし、詰め寄った。
「結論を御願いします。観介の異動を辞めてくれますよね? YES or NO?」
「君の意見は、わかったが――」
正宗は村上課長に顔を近づけ低い声でゆっくり、もう一度、尋ねた。
「YES or NO?」
「いっ、YES……」
こうして、観介の異動は寸前で阻止された。正宗が後日、冷静になって振りかえれば、村上課長への対応はやりすぎだと思った。
あの時は、過労による心神耗弱状態だったと思う。もし、村上課長が即断しなければ、おかしくなった職員による職場での暴力事件となったかもしれない。それほどまでに正宗は追い詰められていた。
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