俺にとっては現実だ ~黒ウサギ七転八倒の惑星開発の日常~
金暮 銀
第一章 一日目・上司様がやってきた(一)
青空の下、荒野に風がビュウビュウと吹き抜ける。そこに人間の子供ほどもある、一羽の青い目をした大きな黒兎が立っていた。
そう、黒兎は、まさに見事なまでに背筋を伸ばして、二足歩行で立っていた。黒兎には二本の足で立つ他にも、他の兎とは違う点があった。
服を着ていたのだ。服装は遙か大昔に流行したコントの親爺のように、長袖の白シャツに、白の股引を穿き、さらに茶色の腹巻に頭に、捻り鉢巻を締めていた。
黒兎の名は正宗。年齢は三十歳。
正宗はこの宇宙にある宇宙開発公社の惑星開発事業部に勤めていた。
宇宙開発公社で行われる惑星開発の方法は、別の宇宙から知的生命体の精神を呼び出して、彼もしくは彼女に惑星を〝創造者〟として作ってもらう、というものだった。
正宗は今、やって来るはずの創造者を待っていた。
「いったい、いつまで待たせるんだ」
正宗は腹巻に手を突っ込んで、金色の目覚まし時計を取り出して確認した。創造者の到着時刻は予定から四十五分以上も遅れていた。
待ち人の創造者はいっこうに来ない。そのうち、正宗は次第に苛立ってきた。正宗は苛々を解消するために、片足で足踏みを始めた。
「遅い、遅い、遅い、遅い、遅い」
だが、正宗が立っている灰色の平坦な荒野には、陽の光が降り注ぎ、ただ風が殺伐な音を立てて、ビュウビュウと吹き抜けるばかりだった。
正宗の苛々がピークに達したころ、やっと目の前に、忽然と灰色のエレベーターのドアが出現した。
「やっと来やがったな。さて、今度の創造者の奴は、どんな面をしてるんだ」
灰色のドアがゆっくりとスライドして開いた。
中には、栗色の髪をした、ピンクのチエック柄のパジャマを着た人間の少女が一人、ビックリ箱を開けてしまったような、きょとんとした顔で立っていた。
創造者の少女は見た目の年のころは十二~三歳。丸顔で鼻は小さく、目はクリッと大きく、正宗の〝お仲間〟の小動物のような可愛らしさを感じさせた。
少女の背は人間としては低い。それでも背の高さは、正宗より二十センチほどは高かった。
創造者の少女は正宗の姿を見ると、ぎょっと驚いて、エレベーター・パネルに半身を隠した。
そんな少女のオドオドした姿を見て、溜まっていた苛々を吐き出しながら、正宗は大きな声で叫んだ。
「遅い。遅すぎる!」
正宗が苛立って叫ぶと、少女は目を少し潤ませて『閉』ボタンを人差し指で押した。
「待てーい!」
正宗はラッシュアワーの駆け込み乗車のように、素早く飛びついて扉に手を掛けた。だが、扉の閉まる力が予想外に強く、一度ぎゅうっと扉に挟まれてしまった。
「グッハ。痛ったー」
創造者の少女は、正宗の咄嗟の行動に怯えたように、反射的に左手を口の辺りに持ってきた。
しかし、少女のか細い右手は『閉』ボタンをリズミカルに連打していた。
正宗は歯を食いしばり、エレベーターの圧力に負けないように、必死に腕に力を込めた。そのままエレベーターの扉を両手で押して、どうにか完全に開け切った。
正宗は創造者の少女を睨みつけ、再び叫んだ。
「帰るな」
「だってー」
少女は正宗の勢いに怯んだ。でも、やはり右手のボタンの連打は止まらない。
いや、いささか本気になったらしい。少女の『閉』ボタンを押す連打は、人差し指と中指を使うゲームの達人級の途方もなく目まぐるしい指捌きに移行した。
普通、エレベーターの『閉』ボタンの機能は一回押してしまえば、その後いくら連打しても変わらない。
ところが正宗が押さえているエレベーターの扉は、少しずつではあるが、ボタンを少女に押される度に、正宗をプレス機のごとく挟みこもうとする圧力を、着実に増していた。
正宗は心の中で毒づいた。
(この少女は確かに、脳裏で思い描いたことが全て現実になる創造者の力を持っている。とはいえ、こんなエレベーター扉はないだろうが!)
正宗は扉を押さえる腕に限界いっぱいまで力を込めつつ、無理にもスマイルを作るように心がけて、少女に頼んだ。
「お嬢たん。ボタンを押すのを、どうか止めてください」
「えーえっつ」
創造者の少女は、驚きの表情になった。それでも右手の、達人級のボタン連打は止まらなかった。
扉の力はさらに増し、遂には扉が壁に向かって、ぐいぐい正宗の体を押し返し始めた。
いよいよ窮した正宗は心に残る熱い怒りを有りったけ顔に集めて、低い声で凄んだ。
「てめえ、今すぐ止めないと、後ですんごいことするぞ」
「そんなー」
創造者の少女は恥じらうように頬を赤く染め、エレベーターのコントロール・パネルに向き合った。しかも、恥じらいをぶつけるかのように、より力強くボタンを連打した。
エレベーターの扉は安全装置設置義務がないかのように、正宗の体を圧殺すべく、壁側に押し続けた。エレベーター扉は今や、低く不気味な異音すら上げ始めた。
それは、もはや単なるエレベーターの扉ではなかった。エレベーターの扉は、あたかも古代遺跡に設置されている侵入者抹殺用の呪いの仕掛けであるかのように、正宗の体を押し潰さんと、正宗の背中を壁にジワリジワリと押し付けていった。
「グーエー。はらわたが、わたが出るー。何もしませんから。早く〝開く〟を押してー」
「え」
創造者の少女は小さく呟くと、苦しむ正宗を改めてまじまじと見た。それからようやく、そっと『開』ボタンに触れた。
エレベーター扉がブーンという音を立てると、ゆっくりと開いていった。
「助かった……」
少女が乗ってきたエレベーターは少女自身に与えられた〝創造者の力〟で作られている。つまり、エレベーターは何でもあり。地中から現れるなんて朝飯前。
正宗がこれ以上、何かしようものなら、エレベーターは殺人トラップにも処刑マシーンにもなるので、仕返しは自殺志願者でもないかぎり、厳禁である。
それでも、正宗はささやかな抗議として自分を圧死させようとしたリコール物のエレベーターの、閉じた扉を蹴飛ばし、心の中で叫んた。
「この、腐れエレベーターがー。俺様に、なんてことしやがる」
その小さすぎる抗議も許されはしなかった。正宗がエレベーターを蹴ると、なぜかエレベーターの床が二つに割れて開き、短い茶色い袴を穿いた和装の男が、凄いスピードで飛び出してきた。
和装の男の丸刈りの頭が綺麗に正宗の顎にヘッディングで入り、正宗の体は五センチほど宙に浮いた。
軽い脳震盪を起こした正宗は、数歩フラフラと後ろによろめき、顎を押さえながら毒づいた。
「なぜ、下から? それより、何で男が?」
本来ならば有り得ないところから出てきた男は、扇子を広げると、独得の節回しで、
「ひーがーしー、黒ー兎ー。にーしー、創ー造ー山」
そう、それは、まさに相撲で言うところの〝呼び上げ〟だった。突如、現れた男の格好は、正式名称が裁着袴(たっつけばかま)。職業は相撲の『呼び出し』だった。
呼び出しの声の余韻が、風に紛れて荒野に消えた。呼び出しの男は扇子を下げ、自分が出現したエレベーターの開いた床に飛び込んだ。床は何事もなかったかのように、ぴたりと閉じた。
エレベーターの床に開いた扉の痕跡が、最初から存在しなかったかのように、すーっと消えていく。
わけのわからない『呼び出し』の登場に怯んだ正宗は、視線を少女に戻した。
「いったい何をしたんだ」
すると、少女が人差し指がエレベーターのパネルの上にあった『呼び出し』のボタンを押しているのが見えた。
(おいおい『呼び出し』ボタンって、そういう意味じゃないだろう!)
この惑星では、創造者である少女が思い描くと、確かに全てが現実の出来事になる。といっても、こんなの有りか。
(全く、何て女なんだ。いや、本当に少女なのか。相撲ファンなのか)
様々な心の叫びを抱えつつ、正宗は数歩さっと後ずさった。
他の宇宙から、眠っている時に精神だけでやってくる創造者は、正宗の世界で実体化した時に、本来いた世界とは違う姿をしている事例が多々ある。
つまり、少女がいる宇宙では、少女の正体は、もしかすると四十過ぎのオッサンで、ドSなSFマニアでロリコン・オタクだった、という状況も有り得なくはない。
正宗は凶器ともいえるエレベーターから距離を確保した。正宗はクレームやら突っ込みやらを創造者の少女に言いたかった。
「俺が悪いのか。あんたに制裁を加えられ、ちょっとエレベーターを蹴っただっけでしょう。それすら許されんのですかー。俺の価値はあんたの足元のエレベーター以下ですか。それに、相撲の呼び出しって、何ですかー。ここは貴女の土俵だと言いたいのですか。神聖なんですか。俺は汚れですかー」
だが、これ以上のトラブルは、自分のためにならないのは明白だ。
正宗は言いたい文句を、ぐっと腹に収めた。今までの出来事がなかったかのように、どうにか懸命に営業スマイルを浮かべる。もちろん、不意打ちに対する警戒を怠らずに。
「初めまして、お嬢さん。私は、この世界で貴女の行う惑星の創造を手助けする、正宗と申します」
創造者の少女は、殺人兵器とも言えるエレベーターのコンソール・パネルから左手を離さずに、フワフワ髪の頭を下げて挨拶した。
「初めまして、正宗さん。私は、二宮七穂(にのみやななほ)です」
やれやれ、ようやくこれで話が進む。
「それで、二宮さん。貴女がここに来た理由ですが、ルクレールという、貴女と同じくらい歳格好の少女から聞いたと思いますが。もう一度、簡単に説明しますね」
七穂は軽くお辞儀した。社会科見学でやってきた、興味のない博物館で、学芸員におざなりの挨拶をするような感じで。
「お願いします」
「ここは貴女が眠っている間に訪れることができる世界。まあ、夢の世界とお考えください」
七穂は神妙な面持ちで頷いた。
「はい、確かにそうですね。脳波レベルで眠っているはずなのに、脳は活発に活動している。うーん、別の宇宙って本当にあるんですね」
正宗は七穂の言葉に構わず、慣れたマニュアル口調で、スラスラと口上を続けた。
「この別世界で貴女には、星の創造を六日間で行ってもらいます。難しいことは何もありません。貴女がああしたい、こうしたいとプランを言っていただければ、そのようになります」
七穂は、にこやかな表情で、明るく頷いた。
「そういえば、確かに『星の創造者をやって欲しい』と、ルクレールちゃんから頼まれました」
「なお、複雑で難しい案件につきましては、業者の発注、予算管理、官庁への書類作成等の事務手続きなど、全部こちらで行いますので、ご安心ください。では、よろしくお願いします」
七穂がエレベーターの中で、小学生が質問するように、そーっと小さな手を上げた。
「あの、一度、家に帰って着替えて来てもいいですか。この格好だと、汚れると思うんです」
「心配はありません。あなたにとって、しょせん、ここは夢の世界。ここでどんなに汚れようと、起きれば関係ありません。というか、望まない限り、汚れません」
七穂は自分のパジャマ姿の格好を見ながら、
「でも、この格好は、ちょっと」
「こちらの世界では、貴女が望んだことは、まあ大体は実現します。服装を変えたいのなら、自分でこうなりたいと思えば、望んだ服装に変わりますよ」
七穂が望んだことは、基本的に思い通りになる。それが、この世界に呼ばれた創造者に与えられる力なのだ。
つまり、ここに来る手段としてリコール物のエレベーターを出したのも、正宗の顎に呼び出しの頭でジャンピング・ヘッドパットの一撃を入れたのも、全て七穂の潜在的な願望なのである。
七穂は可愛い外見とは裏腹に、根が攻撃的な性格か、あるいは独裁者の一族かもしれない。どちらにしろ、要注意である。
正宗は心の中で戒めた。
「綺麗なバラには棘がある。仏の顔に鬼が住むという諺もあるしな。小さな可愛らしい娘でも、心の中は、できたての星のように熱いマグマでドロドロかもしれん」
七穂は手を胸の前でギュッと握ると、姿が揺らぎ、ピンクのパジャマから黒いゴム長、ニッカポッカのズボン、白シャツ、黄色の安全ヘルメット姿に変わった。
「おいおい、工事現場のコントかよ!」
正宗は心の中で突っ込んだ。
だが、本人は変身した後の、コントにも見える衣装が気に入ったのか、自らの姿を見て大満足のようであった。正宗のスタイルに合わせたつもりかもしれない。
「あ、本当だ。いい感じになったー」
そうなのか? いい感じなのか? こんな願望もあるのかよ。
正宗は営業スマイルのまま、ショップの店員のように褒め言葉を述べた。
「二宮さん。とてもよくお似合いですよ。それでは、まずこの星を、どう創造しましょう?」
七穂がエレベーターから降りると、エレベーターは地面に沈むように消えた。正宗は凶器が消えたので、少し安心した。
正宗は七穂に聞こえないように呟いた。
「やっと消えたよ」
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