第四十話:陸奥さんと葉月ちゃん

 治療道具一式を文机の上に置くと、私はまた部屋を出てきょろきょろとあたりを見回した。


 (陸奥さんはどこへ行ったんだろう……)


 廊下を早足で歩きながら、空き部屋をのぞき込む。

 屋敷の中にはいると思うんだけど……。



 突き当たりからぐるりと回って縁側のほうへ出ると、そこで陸奥さんの姿を見つけた。

 中庭のほうを向いて、ぽつんと一人座っている。


「陸奥さん、怪我の手当て終わりました!」


 背後から元気に声をかけて、私は陸奥さんの隣に腰をおろす。


「……そうか、具合は?」


「悪くないみたいです。傷も順調に治っているそうで」


「よかったな。長岡さんはどうした?」


「しばらくお休みするって言ってました。だから一人にしてあげようと思って……」


「あの人はどこでも寝るからな」


 陸奥さんは、こちらに視線を向けずに淡々と返事をする。

 目線の先は下だ。

 あぐらをかいた足元。その上で、葉月ちゃんが丸くなってくつろいでいる。



「わ、葉月ちゃんそんなところに。すごいなぁ陸奥さん」


「何がだ?」


「葉月ちゃんって、大橋さん以外の人にはなかなか懐かないですから」


「……人懐っこいやつだと思うが」


「いえいえ、陸奥さんは特別好かれてるんですよ。どうしてですか?」


 何か理由があるのなら是非教えてほしい。

 私はぐっと陸奥さんに詰め寄って顔を近づけた。


「さぁな……普通に接しているだけだ」


「そんな……何かあるはずですよ! 匂いとかでしょうか?」


 猫ちゃんはそういうの敏感だからなぁ。

 くんくんと、陸奥さんの肩のあたりに鼻をよせて匂いをかいでみる。


「おい、やめろ」


「うーん、匂いは普通ですねぇ」


「……おまえ、誰にでもそういう事をするのはよした方がいいぞ」


 陸奥さんは、げんなりしたようにため息をついてそっぽを向いてしまった。

 たしかに、突然匂いをかいだりするのは失礼だったかも……。


「すみません! でも、誰にでもっていうわけじゃないです! 陸奥さんだからです」


「……何だそれは」


「陸奥さんがすごく葉月ちゃんに好かれているから、どんなところを気に入られたのか知りたくて」


「……」


 理由を聞いて、陸奥さんはふたたび長く嘆息した。

 馬鹿馬鹿しいと思われてしまったかな。


「あ、ごめんなさい……」


「おれが思うに、そうやって構いすぎるのが鬱陶しいと思われているんじゃないか? うるさく話しかけ続けたり、無理に触ろうとしたり」


「私、うるさいですか?」


 ぐさりと心に刺さる。

 気づかなかった……。

 いつもそばに田中先輩がいるからか、自分は静かなほうだとばかり思っていたよ。


「いや、というより、猫の前で騒ぎすぎだ。こいつらは静かなのが好きなんだろう。おれもなんとなく気持ちはわかる」


 陸奥さんは視線を落として葉月ちゃんの小さな背中をぼんやりと眺めている。

 触れるでもなく、声をかけるでもなく。

 葉月ちゃんは、大橋さんに抱かれている時のように甘えたりはしないものの、居心地よさそうに目を閉じて眠っている。


「そっか。葉月ちゃん、静かな人が好きなんですね」


「おそらく、そういうことだろう」


「なるほどぉ……それじゃ私も、あんまり騒ぎすぎないようにしてみます」


「それがいい」


 答えが出て、すっきりした。

 そういえば葉月ちゃんが懐いている人は、落ち着いた人ばかりだ。

 私はあれこれと話しかけすぎて、警戒されていたのかもしれないな。


 せめてこの子の前ではうるさくしないように気をつけよう――。




 それから私たちは縁側で庭と葉月ちゃんを交互に見つめながら、ゆったりと静かな時を過ごした。

 こうやって何をするでもなくぼうっとしていると、眠くなってくるなぁ。


「あの、陸奥さん」


 このまま居眠りしてしまってはいけないと、小声で陸奥さんに語りかける。


「何だ?」


「葉月ちゃんのこと触らないんですか? なでなでしてあげたら、きっと喜びますよ?」


 膝の上でこんなにも気持ちよさそうに眠っているのだ。

 きっと心を許してくれているんだろうし、怒らせることはないはずだ。


「べつに、そうする必要はないだろう」


「うーん……でも、こんなに安心しきってるんですから一撫でくらいは」


 私だったら絶対に撫でる。

 もう、丸くなって眠っている背中を上から眺めているだけで、衝動的に手がのびてしまいそうだ。

 ふわふわでちっちゃくて、可愛いなぁもう。


「おれが猫なら、触れられたくないからな」


「……え?」


 ぽつりと漏らされた思わぬ理由に、目を丸くする。


「眠っているところをべたべた触るようなやつは、嫌われて当然だ」


「う……たしかに、そう言われれば」


 またしても、自分が嫌われる理由をひとつ突きつけられた。

 そっか、相手の気持ちをもっと考えてあげなきゃいけないよね……。

 反省して、がくりとうなだれる。



 ――と、そんな会話を交わしているうちに。


 葉月ちゃんが目をあけ、ぐっと前足を広げて伸びをした。

 『よく寝た!』という清々しい顔をしている。


「……起きたか」


「おはよう、葉月ちゃん」


 二人して寝起きの葉月ちゃんに目を細める。


 すると葉月ちゃんは起き上がって、陸奥さんの胸のあたりによじのぼるようにしながら、鼻をならしはじめた。

 か、可愛いっ……!!


 いっぽう陸奥さんの反応はというと――。

 相変わらず両手を廊下についたまま、黙ってそれを見下ろしている。


「陸奥さん、まだ撫でちゃだめですか? すっごく甘えてますけど」


「……撫でたほうがいいのか?」


 べったりとくっつく葉月ちゃんに少しばかり困惑した様子で、陸奥さんは眉をよせる。


「撫でてあげたら喜びますよ。かまってかまってーって言ってます」


「言葉がわかるのかおまえは。もしかしたら、餌をよこせと言っているんじゃないのか……?」


「違いますよぅ。猫好きな私が断言します! 間違いなく今が撫で時です!」


「……仕方ないな」


 私の力説をしらっとした目付きで聞き流しながら、陸奥さんは葉月ちゃんの背に手をのばした。



 なで、なで。


 カンナで材木を削るような、妙に固くぎこちない動作だ。

 けれどそんなふた撫ででも陸奥さんにとってはずいぶんと気をつかうものだったようで、彼は手を引っ込めて大きくため息をついた。


「にゃあ……」


 それに対して葉月ちゃんは、なんとも言えない声をあげて陸奥さんの膝の上から飛び降りた。

 そしてそのまま庭木の茂みのほうへと歩いていく。

 陸奥さんの精一杯のなでなでがお気に召さなかったのかな。

 びっくりするほどあっさりとフラれてしまった。これはちょっと傷つくかも。



「……陸奥さん、もしかしてこういうの不慣れですか?」


「見ればわかるだろう」


「……すみません」


 去っていった葉月ちゃんが木々の間をくぐり抜けていく音を聞きながら、私たちはふたたび口をつぐんで空を見上げた。


 陸奥さんの表情は、いつもどおりけだるげで眠そうだ。

 けれど、なんだかそのまわりはあたたかい陽だまりのようで、居心地がいい。

 葉月ちゃんが懐くのも分かるな。

 

「……陸奥さんのそばは落ち着きますね」


「なんだ唐突に。おれは猫からも愛想をつかされるような男だぞ」


「あ、気にしてます? さっきのこと」


 照れ隠しなのか、膝の上についた葉月ちゃんの毛を指先で払いながら、彼はうつむいた。


「だから撫でないほうがよかったんだ」


「慣れもあるんじゃないかなって思います。こうやってゆっくり優しく、です」


 そう言って陸奥さんの後頭部についた寝癖らしき部分をそっと撫でてみる。

 自分なりに励ましたかったというのもある。

 勇気を出して手を伸ばしたのに、気持ちが通じなかったなんてことは猫ちゃんとの間では珍しくないことだけど。

 今度葉月ちゃんに会ったときはまた、めげずに触れてみてほしいと思ったから。


「――やめろ、おい。何を考えているんだお前は」


 軽く毛先に触れただけの指をはじくように、陸奥さんはその手で私の手首を払った。

 はっきりとした拒絶。

 陸奥さんの顔にはうっすらと赤みがさしていて、怒っているようにも照れているようにも見える。


「ごめんなさい、あの、ねぐせが……」


「知ってる」


「う、はい。嫌でしたよね。なんだか自然に手がのびちゃって……こういうところが嫌われちゃうって言われたばかりなのに」


 やってしまった。彼はあきれ果てた様子でそっぽを向き、もう目も合わせてくれない。

 私ってどうしてこう、衝動的に動いてしまうんだろう。



「……おまえは変わったやつだな」


「ごめんなさい」


「責めているわけじゃない。ただ、お前と話しているといちいち調子が狂う」


「……私、陸奥さんの気にさわるようなことばかりしちゃって。本当はもっと、坂本さんたちみたいに仲良くしたいって思ってるんですけど」


 そこまで言ってあらためて思ったけれど、さすがに突然匂いをかがれたり髪を撫でられたりしたら、誰だって驚くよね。

 調子が狂うってそういうことなのかな。


「おまえは無駄に相手に接触しすぎる。陸援隊の人たちにも同じようにしているんじゃないだろうな?」


「……してません。においをかいだりしたらきっと皆さん怒りますし」


「おれは怒らないとでも?」


「……そう、ですよね。どうして陸奥さんにはしちゃうんでしょうか。どことなく猫ちゃんっぽいからでしょうか」


「……な……なんだそれは」


 陸奥さんの形のいい眉が、ふたたびゆがむ。

 ただでさえこれ以上ないくらいにあきれ果てているだろう彼に、私は何を言っているんだろう。

 けれど一度猫っぽいと気がついてしまったら、今までの自分の行動にも合点がいく。

 そうか、つまり私は……


「陸奥さんに構いたいのかもしれません」


「……もういい、これ以上は聞かない」


 手のひらで顔を覆って大きくため息をつく陸奥さんは、降参したという具合にもう一方の手で私の言葉をさえぎった。

 そして、さらに吐き出すように一言。


「おまえといると馬鹿になりそうだ」


 う、ひどい……。

 馬鹿なのは自覚しているけど、はっきりとそんなふうに言われてしまうとさすがの私も少し傷つく。

 これ以上なにか話すと余計に陸奥さんを疲れさせてしまいそうで、私は肩を落として膝を抱き、小さくなってうつむいた。

 


「…………」


「…………」


 しょんぼりと縮こまったままの私と、目をつむって一言も言葉を発しない陸奥さん。

 お互いに沈黙して、どのくらいの時が過ぎただろう。

 かける言葉が見つからず、かと言ってその場から離れるのも悪い気がして、私たちはずっと同じ姿勢で固まっていた。

 ぎくしゃくした関係が尾を引くのはいやだから、このあたりで仲直りしておきたいな。


「陸奥さん、ごめんなさい。もう触れたりしませんし、呆れさせるようなことも言わないように気をつけます」


 姿勢を正して正座して、深々と頭を下げる。

 これは心からの謝罪。

 今日は失礼なことばかりしてしまったから。陸奥さんの優しさにすっかり甘えてしまっていた。


「べつに、もういい。ただ、寝癖のことは言うな」


「え……あ、はい」


 あれ? 一番気にさわったのって、もしかして寝癖に触ろうとしたこと?

 というより、寝癖の話題そのもの?


「……もう言わないです。だから仲直りしてくれますか?」


「喧嘩をしていたつもりはない。普段通りにしてくれ」


「はいっ!」


 よかった、思っていたより怒っていなかったみたいだ。

 てっきりもう話もしてくれないかとハラハラしていたから、一安心。

 私が不用意に近づいたり変なことを言ったりするから、気まずい思いをさせてしまっていたんだな。

 特に厳禁なのは寝癖の話……と。忘れないようにしておこう。




「ところで陸奥さん、海援隊ってどんな感じなんですか? 船でお仕事してるって聞きましたけど」


 普段どおりに、と言ってくれた陸奥さんの言葉に甘えて、気になっていた質問をぶつけてみる。

 船というと、高瀬川で釣りをしていた頃によく見かけたけど……仕事用となれば人や荷物を運ぶために使われることがほとんどだよね。


「ああ。もとは海軍操練所で操船を学んでいた仲間たちで結成した組織なんだ。藩や外国商との商談をこなして、その荷を船で運ぶのがおもな仕事だ」


「へぇ……じゃあみなさん、お船を漕ぐのがお上手なんですねぇ」


「漕がない。蒸気船だからな、人の手で動かせる大きさじゃない。動力源が他にあるんだ」


「じょうきせん?」


「石炭を食わせれば海を走ってくれる船、とでも言っておくか。隊の名に海がつくのは、海での活動が主だからだ」


「わぁぁ、なんだかすごいですね! 陸奥さんもそのお船を動かせるんですか?」


 格好いいなぁ。きっと陸奥さんが言う船は、私が見たことのある小さなそれとはまるで違うものなんだろう。

 操船を学んでいたということは、そのあたりに精通した人々の集団なんだな、海援隊って。


「まぁ、一応役割は持っている。船は複数人で動かしていくものだ。一人ですべてをやるわけじゃない」


「なるほど。海援隊のみなさんは、何人くらいいるんですか?」


「陸援隊よりは少ない。水夫や火夫を合わせて五十人前後だな。あまり多いと管理しきれないし、給金も払えないからな」


「へえ、お給金が出るんですね。陸援隊は隊士が多いからきっとお金もたくさん必要でしょうねぇ」


「いや、陸援隊士は基本無給だ」


「え……! そうなんですか!?」


 みなさんしきりに貧乏だ貧乏だと言っていたから、それは分からなくもないけど。


「自ら稼ぐすべがないからそこは仕方ない。ここにいれば安全が保障されて飯も食える。それだけで浪士には十分だろう」


「そうかもしれませんね。あ、でもお給金がほしい人は海援隊士になりたがったりしませんか?」


「うちは操船や、外国語を積極的に学ぼうという人材を受け入れる組織だからな。特に目標もなくフラフラしているようなやつはお断りだ」


「……陸援隊士ってそんなに頼りないですか?」


「いや、すまん。中岡さんも幹部もしっかりした人たちだと思ってる。しかし中にはだらけた奴もいるからな」


 だらけたやつ……。

 そう言われてみれば、庭でちらほら見かけるな。地べたに座り込んで眠りこけているような隊士さん。

 海援隊は、陸援隊よりも即戦力を募集中ということなのかな。船を動かせたり、異国の言葉に詳しいような勉強家を。


「海援隊はお忙しそうですねぇ。陸奥さんも無理せずにちゃんと毎日寝てくださいね」


「ああ、無理はしてない。それなりに睡眠もとってる」


「本当ですか? 長岡さんは全然寝てないって言っていたから多忙な時期なのかと」


「あの人は、やりたい事を見つけるとぶっ続けで働くんだ。他の隊士はわりとのんきなやつらが多いぞ」


「へぇぇ、のんきな隊士さんともお話してみたいなぁ」


 私の知っている海援隊士の三人は、なんだかみんないつも忙しそうにあちこちを回ったり、お部屋にこもって書き物をしていたりするから。

 でも、総勢五十人前後もいるんだったらそれはもちろん、のほほんとした人も、田中先輩みたいに大雑把な感じの人もいるよね。


「今のところ京にはいないが、そのうち機会があれば連れてくる」


「本当ですか!? 楽しみにしてますっ! 陸奥さんも、またいつでもいらしてくださいね」


「ああ。いつになるか分からないが、また来る」


「今度はもっと葉月ちゃんと仲良くなりましょうね」


「……むこうが寄ってきたらな」


「はいっ!」


 たのしみです! と尻尾を振る猫のように目を輝かせる私に、陸奥さんは少しだけ口角を上げて微笑んでくれた。


 海援隊と陸援隊。遠いようで近い、兄弟として生まれたふたつの組織。

 私はまだどちらのことも詳しくは知らないけれど、どちらもしっかりとした目標をもって、一直線に前に進んでいるように見える。

 これから先も間近で彼らのことを見守っていけるように、私ももっと両隊のことを知って、力になれるよう頑張らなきゃいけないな。

 



 一旦話題が収束すると陸奥さんとの間には長い沈黙が生まれるようで、私たちはその後も隣り合わせに座ったまま穏やかな時間を過ごした。

 沈黙が苦にならないどころか心地よく感じられて、さらさらと髪を撫でていく秋の風に思わずまぶたが落ちそうになる。


 ――いい天気だなぁ。


「陸奥さん、少し外を歩きませんか? 田中先輩に会いに行きましょう」


 そう言って私が立ち上がると、陸奥さんは分かりやすく顔をしかめた。


「……今からか?」


「はい。だめですか?」


「いや、そろそろ朝の調練が終わるころだろう」


「あ、だったらちょうどいいじゃないですか。行きましょう!」


 少しはお日さまをあびて体を動かさなきゃ。

 私は、座り込んだまま動かない陸奥さんの袖を軽く引いて外へと誘う。


「……少しだけなら」


「はいっ!」


 陸奥さんはけだるそうに重い腰を上げ、わずかに腰を反らして伸びをする。

 あ、なんだかこんな動きも猫っぽい。

 そんなことを思いながら私は笑顔でうなずいて、ぱたぱたと玄関まで走っていく。


 よし! この際だから、陸援隊のみなさんがどんな一日を過ごしているのか、間近で見てみよう!


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