第二十五話:おにぎり

 屋敷に戻ると、それぞれが部屋に引っ込んで体を休めているようだった。

 出発の時間まで特にこれといってやるべきことはない。

 好きに時間をつぶしていいそうだ。


 坂本さんは、長岡さんと合流してゆっくり過ごすらしい。

 中岡さんは、まだ少しやることがあるとのこと。

 私は中岡さんの手伝いをすることにした。

 ここに来てからあまり話せていないし、いい機会だ。



「中岡さんも武器のお手入れとかですか?」


 足早に廊下を進んでいく彼の背後を、小走りで追いかけながら尋ねる。


「いや、食うものをな……」


 腕を組んで、何やら考えこむようなしぐさを見せる中岡さん。


「あ、夕餉の準備ですか? ここって女中さんとかは?」


「今のところはいないな」


「そうですか、だったら私におまかせください!」


 胸を張って、その中心を拳でトンとたたく。


 言われてみれば、この屋敷には女の人の気配が感じられない。

 というより、なんとなく女には踏み込みづらい雰囲気がある。

 どこか空気が尖っていて熱気を帯びているような……。

 はっきりと言ってしまえば、男くさい場所だ。

 町の剣術道場のそばを通ったときに感じる気持ちと似ている。

 目に見えない明らかな隔たりがあって、自分とはまるで縁のない別世界のように見えてしまうのだ。

 女人禁制というわけではないにしろ、男の人だけで作られた空間は私からみるとやはり異質なものだ。


 何はともあれ、こうしてここに滞在させてもらっているのだから、少しくらいはお手伝いをしなきゃいけない。

 はじめて役に立てそうなお仕事が転がりこんできたことだし、いい機会だ。

 よしっ、全力で働くぞ!


「いずみ屋はたしか、料理茶屋だったな。天野も料理はできるのか?」


「簡単なものなら。かすみさんといっしょにご飯を作っていましたし」


「おお、それは期待できるな」



 そうこう話をしているうちに、土間へとたどりついた。

 厨(くりや)は、あまり使われた形跡がなくさっぱりときれいな状態だった。

 かまど周りに釜は見当たらず、大きめの鍋がひとつ置かれているのみ。

 ――女中さんがいない男所帯。

 この道具の少なさから考えても、ここで料理が作られることはほとんどないんだろう。


「いつも、ごはんはどうしてるんですか?」


 おそるおそる問うてみると、中岡さんは土間を上がった先にある部屋からきれいな箱を数段重ねて運んできた。


「うちでは毎食これだ」


 白木の箱。

 持ち上げてみると、ずっしりと重みがある。


「お弁当ですか! いいですね!」


「藩邸からできたてが届くんだ。まぁ、たいしたものじゃないんだが……」


「そんなことないですよ! ずっしり詰まってるじゃないですか! 開けてみてもいいですか?」


「……ああ」


 だいぶ間をおいて、中岡さんはうなずいた。

 そんなにもったいぶらなくってもいいのに。


「それじゃ、失礼して」


 私は、わくわくしながら弁当箱のふたをあける。


「……」


 まっしろ。

 中は、一面真っ白だった。

 白飯がこれでもかとしきつめられ、申し訳程度にちょこんと漬物が添えられている。


「あの、おかずは……?」


「そんな贅沢なものは無い」


「ええっ!?」


「うちは貧乏だからな」


 私の反応に対する、あまりにも慣れた返し。

 ひたすら淡々とした受け答え。

 たぶん同じようなやりとりを、隊の人と何度もしてきたんだろう。


「……もしかして、毎日これなんですか?」


「ああ、そうだ。皆それぞれできる範囲でおかずを調達しながら、日々しのいでいるようだぞ」


「なんというか、たくましいですね……」


 田中さんが魚のつかみどりを極めつつあるのも、そういった事情からなのかも……。


「ただ、今夜は少し足りないな。天野を含め三人分の弁当と……おかずもない」


「野菜とか少しでも残り物があれば、何か作りますけど」


「それも全くないんだ。資金を盗まれて以来、特にやりくりが厳しくてな」


 水瀬たちのせいで、食にまで影響が……!

 ここに来てからというもの、あの三人に対する怒りが際限なく膨れ上がっていく。


「お味噌はありますか?」


「昨日使いきった」


「食材はもう、ほんとになんにもないですか?」


 そう尋ねると中岡さんは長々と考えこんで、そばにある戸棚をあさり出した。


「これだけだな」


 そう言って取り出したのは、鰹節と塩壺と徳利。

 徳利の中身はしょうゆのようだ。


「おしょうゆは残り少ないみたいですねぇ」


「そうだな、ほとんどない」


「鰹節があるじゃないですか!」


「しかし、これだけの材料では何も作れんだろ?」


 中岡さんは腕を組んで眉間にしわをよせる。

 たしかに、これだけを使って料理をするのは難しいけど――……


「それじゃ、おにぎりを作りませんか? 鰹節を削って具にして、塩で握る!」


「なるほど。白飯だけはたんとあるし、いいかもしれないな」


「はい! たくさん作れば、坂本さんたちにも配れそうですし!」


「よし、そうしよう。俺は弁当箱を運んで来るから、天野は鰹節を削ってくれ」


「はいっ!!」


 渡された小刀で鰹節を削っていく。

 おにぎりに入れることを考えて、できるだけ細かく。

 たまにかすみさんから頼まれてやっていた作業だから慣れたものだ。


 みるみるうちに、こんもりとした削り節の山ができた。

 今後のためにも貴重な食材を使いすぎるのはよくないと考えて、ほどほどのところで手をとめる。


「中岡さん、できました! おしょうゆを少したらしてもいいですか?」


「ああ、好きに使ってくれ」


「はぁい!」


 削り節に、ほんの気持ち程度醤油をたらしてなじませる。

 うん、これだけでも十分おいしそう!

 香ばしくて食欲がわいてくる。



「こっちも準備ができたぞ、上がってきてくれ」


 土間から上がって作業をしていた中岡さんが、こちらに顔を出して手招きをする。

 私は、深めのお皿に入った削り節を手にして部屋へと上がった。


 部屋の中にはたくさんの弁当箱が積み上げられており、中央には立派な大皿と水桶、そして塩をのせた小皿がおかれている。


「お弁当、すごい数ですね!」


「今夜同行する隊士たちのぶんも作っておこうと思ってな」


「ということは、全部で……」


「十六ある。すべて握るのは大変かもしれんが、二人でやればそう時間もかからんだろう」


 中岡さんはすっかり気合いが入ったようすで、たすきをかけて待機している。

 つられて私も、袖をまくりあげた。


「一箱ぶんの白飯で二、三個作っていけたら、じゅうぶんな数できそうですね」


「三つは厳しいんじゃないか? 試しにひとつ握ってみよう」


「はいっ」


 お互いかるく水に手を浸し、手のひらに塩をなじませて弁当箱から白米をすくいあげて握る。

 具は、ほんのすこしだけ中心に埋め込んだ。

 仕上がったのは、両手でつつんで少し余裕ができるくらいの大きさのおにぎり。

 お互いのおにぎりを皿の上に乗せて、二人で見比べる。


「やけに小さいな」


「中岡さんのは大きいですねぇ」


 私は一箱でみっつ作れるようにと考えて握ったけれど、中岡さんの大きさだと二つが精一杯だろう。


「天野は小柄だから手も小さいんだろうな。しかしまぁ、無理に大きくにぎろうとしなくてもいいぞ」


「はい。それじゃ、お互いこのままでいきましょうか」


「そうしよう」


 納得してうなずき合うと、すぐさま二つめに取りかかった。

 黙々と、弁当箱から白飯をこそいで握っていく。

 大小のおにぎりが少しずつ大皿の上を埋めていく様子は、なんともいえない気持ちのよさがある。

 ついさっきまでのピリピリとした焦燥感が自然にやわらいでいく。


 思えばあの事件以来、ごはんを作ったりだとか洗濯をしたりだとか、ごく普通の日常を感じられる家事全般から離れていた。

 すべてやえさんに任せきりだったから、ずっとお客さん扱いでかえって気が休まらなかったように思う。

 やっぱり何もしないより、動いていたほうがずっと気持ちが落ち着くな。




「これを食ったら、いよいよ出発だな」


 手際よく空になった弁当箱を積み上げながら、ふいに中岡さんが口をひらいた。


「そ、そうですね!」


 もしかして緊張感が途切れてだらしない表情になっているのがバレたかなと、あわてて姿勢をただす。


「ピストールの練習を見に行ってよかった。あれだけ撃てるのであれば心配も減る」


「はい! 足手まといにならないように、自分の身は守ります」


「無茶はするなよ」


「もちろん、みなさんを心配させるようなことはしません。田中さんや坂本さんにくっついてます」


「その二人と一緒なら安心だな」


 中岡さんはふっと、少しだけ表情を緩ませて口角をあげる。


 私も、そう思う。

 坂本さんはピストールの扱いに長けているし、田中さんだって慣れた手つきで長銃を使いこなしていた。

 愛用していた銃が手元にあれば一番よかったんだろうけど……。



「それにしても、水瀬たちはひどいですよね。節操なく奪い盗って……中岡さんは何かとられたものありませんか?」


「私物は何も。俺の部屋には、たいしたものは置いていないからな」


 そう言われて、中岡さんの部屋のがらんとした様子を思い出す。

 物が少なくて、まるで一時的に借りている宿の一室のようだった。

 大橋さんの部屋は、しっかりここに根をはって生活の場を築いているという人の温かみが感じられたけれど、中岡さんの部屋は……。


「中岡さん、もしかしてここに毎日帰ってくるわけじゃないんですか?」


「ん?……ああ、そうだな。少し前までは別に定宿をとって、ここと行き来していた」


 やっぱり、そういうことか。

 私は納得してこくこくとうなずきながら、仕上がったおにぎりを大皿の上に乗せた。

 もう皿は半分以上おにぎりで埋まっている。


「少し前までは……ですか?」


「ああ、今は宿を引き払ってここに常駐している」


 常駐。

 そういえば、香川さんが言っていたな。『隊長は先日から部屋にこもってる』って。


 ――こもってる?

 どうしてだろう。

 見たところ体調が悪いわけでもなく元気そうだ。


「あの……ひょっとして、何かありましたか?」


 おそるおそる私が尋ねると、中岡さんは手を水に浸してそっとゆすぎながら一呼吸おいた。


「何か、とは?」


「だからその……お宿にいられなくなるようなこととか」


 浪士さんがあまり長く居座り続けることを良しとせず、追い出したりする宿もある。

 もしくは、そこに留まっていられるだけの資金がない場合。

 それはもう問答無用で閉め出しをくらうだろう。



「……これは、お前に言うべきか迷ったんだが」


「何ですか?」


 中岡さんは深く息を吐いて私を見据えた。

 こちらも、ぐっと息をのみ背筋をのばす。


「俺の宿は、水瀬たちに襲撃されたんだ」


「え……!?」


 その一言に、血の気がひいた。

 絶句して、手のひらの上の白飯をとりおとす。

 それはぼとりと、弁当箱の中に着地した。


「お前に助けられた晩のことだ」


「そんな! どうして!?」


「あとをつけられていたんだろうな。宿に乗り込まれはしたが、間一髪のところで脱出できた」


「それで、そのあといずみ屋に?」


「いや、違う。ここに戻ろうとした……無理だったがな」


 中岡さんは、そっとかぶりを振る。

 すっかり手を止めてしまった私を一瞥しながらも咎め立てする様子はなく、もくもくと白飯を握っている。


「途中で見つかってしまったんですか?」


「奴らは、俺の宿からここに至るまでの道のあちこちに、仲間を配置していた」


「仲間って……三人以外のですか!?」


「ああ。ここへ向かう道中、二度はち合わせて襲われた。面識のない男たちだった」


「そんな……」


 仲間は三人だけとは限らない――そう思ってはいたけれど。

 実際に聞かされると、ぞっとする。


「いろいろと思案しながら引き返しているうちに、水瀬と仲間たちに見つかってな。逃げ回っているところをお前に助けられた」


「そうだったんですか……」


「やつらは恐らく、俺の宿はもちろん、よく通る道やひいきにしている商家まで把握している」


「……そこまでして、一体なにを」


 気味が悪い。

 じわじわと、逃げ場をなくして追い詰めていくやり方が。

 いずみ屋のときも、そうだった。




「奴らの狙いは、俺の命だ」


 重々しく口をひらいた中岡さんの一言に、どくんと体の中心が脈打つ。


「命……!? どうして!? そうまでされる理由が何かあるんですか!? やつらと揉めていたとか!」


「揉めるどころか、話す機会もほとんどなかった。恨まれるようなことをした覚えはない」


「そんな……じゃあどうして……」


 物を盗むのは少なからず利益につながるから、特別な理由づけなんてする必要はないけれど。

 でも、人の命を奪うというのはよほどのことだ。

 実行して何か得られるものがあるとも考えにくい。


「知らぬところで恨みをかっていたり、反感を持たれてしまっていることはあるからな」


「それはたしかに……ある、かもしれませんけど……」


 頭の中に、ふと谷口屋さんの顔がよぎる。

 朝夕笑顔で挨拶した相手だった。

 隣人として、うまくやっていけていると思っていた。

 それでも、きっかけがあれば不満は噴き出して、結果刃傷沙汰に発展することもある――。


 だけど、そうして殺意をぶつけられる対象になったとして、原因がまったく分からないなんてことはあり得るのかな。

 もとは仲間だった人たちじゃないか。



「まぁ、そのあたりは考えて答えが出るものでもないから気にしないでくれ。俺がここにこもりきりだったのは、まだ周辺に矢生の仲間がうろついているかもしれないからだ」


「ひとまず坂本さんたちとここへ向かう道中では、あやしい人は見かけませんでしたよ?」


「だったらいいが……いつどこで出くわすか予測がつかんからな。天野も、ここを出るときは気をつけてくれ」


「はいっ!」


 うなずいて拳をにぎると、ぬめりとした感触が手のひらに広がった。

 そうだ、おにぎりをつくっていたんだ。

 すぐさま水桶で両手を洗う。

 長いこと怠けてしまったと反省して、弁当箱の中に取り落としたご飯をふたたび手のひらにのせる。


「あの時託した文も、無事に届けてくれて助かった」


「少しでもお役に立てたなら嬉しいです」


「おかげでここに帰って来れたからな」


「ということは、田中さんたちに迎えを頼んだとかですか?」


「ああ。酢屋で一晩明かしたあとは藩邸にかくまってもらっていてな。文にはおもにそのことを書いていたんだ」


 なるほど。

 藩邸っていうのはたしか、藩の人が他藩で活動するときの拠点にするお屋敷だっけ。

 中岡さんの隊は藩に属して動いているらしいから、いざとなったら助けてくれるのかな。



「あ、でもよく考えたら、酢屋に寄る時間があったんですから、坂本さんたちにも相談できたはずですよね? なぜわざわざ私に文を?」


 実際はそうせずに、多くを語らずに酢屋を出たと聞いた。


「相手の得体が知れない以上、龍馬たちをむやみに巻き込んで危険にさらしたくないと考えたからだ」


「なるほど……」


「天野の場合は写真の受け渡しをするだけだと聞いて、それならば比較的安全だろうと使いを頼んだんだが……今考えると少なからず危険にさらす可能性はあったな。すまん」


「いいえ! 中岡さんたちと関わったことで危険にさらされたことは一度もありません!」


 ぶんぶんと、大きく首を横に降って私は声を張り上げた。

 中岡さんたちは私の恩人だ。

 この人たちがいなかったら、今ここにこうして立っていることもなかった。

 助けてくれて、相談にのってくれて。

 感謝の気持ちしかない。


「……そうか、だったらいいが。今後何かあればいつでも相談してくれ」


「はい! でもまずは、今夜ですね」


「ああ。必ず女将を助け出そうな」


「はいっ!!」


 二人でうなずき合い、同時に新しい弁当箱へと手をのばす。

 箱の上で二人の手が重なった。

 最後の一箱だ。


「あ……これで終わりみたいですね。あとは私が握りましょうか?」


「いや、二人で一つずつ作ろう。その方が早く終わる」


「わかりました」


 ふたたび視線を手元に落として、少し大きめのおにぎりを優しく握る。

 完成したものをお皿にのせると、こんもりとした山が出来上がった。

 私がにぎったおにぎりは、さんかく。

 中岡さんがにぎったのは、まんまる。

 なんだか丸いほうが食べごたえがありそうだな。

 私もまるくにぎってみたらよかったかも。



「よし、運ぼう」


「あ、私がやります」


「重いぞ。落とすと危ないから俺が運ぼう。お前は皆に声をかけてきてくれ」


「はい、わかりました!」


 私は空になった弁当箱をきれいに重ねなおして、洗い物をまとめて桶の水に浸す。

 中岡さんは、大皿をかかえて廊下へと出ていった。

 重いのか、肩のあたりを浮かせたり首を回してゴキゴキと音をならしたりしながら……。大丈夫かな?

 とりあえず、手早く洗い物をすませて皆に声をかけにいこう!




 無事に全員がそろって大部屋の中央で向かい合うころには、もうすっかり陽は落ちてあたりは真っ暗になっていた。

 初対面の隊士さんたち十二名は、お腹をすかせてさっきから大合唱している。


「メーシ! メーシ! メーシ!!」


「すみません中岡さん、夕餉のことまで気が回らず。少ないですがみなさん、私の菓子もお腹の足しにしてください」


 大橋さんは、お団子やお饅頭が山と積まれたお皿を輪の中央にそっと置いた。

 すごい量だ。

 甘味好きだとは聞いていたけれど、手元にこんなに買い置きがあるなんて相当なものだ。


「メシ!! メシ!! メシ!!」


 食べるものが増えたことで、隊士さんたちの勢いは最高潮だ。


「うるせぇぞ、おめぇら! 静かにしてろ! ……中岡さん、そろそろいいんじゃないすか?」


 空腹のあまり今にもおにぎりに飛び付きそうな隊士さんたちに田中さんが一喝すると、場は一瞬で静まり返った。

 私の右隣にすわる坂本さんが、「おおっ」と感心するように一声あげる。

 たしかにすごい。よく教育されている。


 すっかり静けさを取り戻し、かすかに虫の声が響く大部屋の上座で中岡さんがコホンと咳ばらいをした。

 ちなみに中岡さんが座っているのは私の左隣。

 私は今、中岡さんと坂本さんの間に座っている。



「さて、夕餉の前に今夜同行する仲間を紹介しておこう。天野、一言挨拶を」


「あ、はいっ!」


 中岡さんに背中を押されて立ち上がる。

 たくさんの視線がいっせいにこちらに集中した。

 き、緊張するなぁ……。


「えと、私、天野美湖といいます。今夜行く場所に私の大切な人が捕えられていて……それで、助けにいくためにみなさんに同行させていただきます。どうか、よろしくお願いしますっ!」


 ぎこちないながらも、なんとか自己紹介を終えて、深く頭を下げる。


「天野ちゃん! こっちこそよろしく!!」

「おれたちがついてるぜ!」

「あんな裏切り者ども、ボッコボコにしてやろうや!」

「てゆーか可愛い! 美湖ちゃんマジ可愛い!!」


 一斉に、それはもう豪雨のような勢いで、隊士さんたちの言葉が降りそそぐ。

 それぞれが大声でしゃべるから、耳がビリビリする……!


「お静かに」


 大橋さんが手のひらを突き出して制止の号令をかけると、またしても彼らはぴたりと口をつぐんだ。

 今度は長岡さんが、その見事なやりとりに「すっごー」と感嘆する。




「さて、それでは改めて作戦について確認を――」


 と、何やら懐から見取り図のようなものを取りだそうとした中岡さんの言葉を遮って、坂本さんが身を乗り出した。


「ここにきて長話は勘弁じゃ! のう皆!! 作戦はじゅうぶん頭に入っちゅうな!?」


「おおおおーーーーッッッッ!!」


 隊士さんたちは、いっせいに猛り、腕を天に突き出す。


「さすがにオレも腹ぺこっす。まずはメシにしません?」


 田中さんがお腹をさすりながら肩をすくめると、中岡さんは仕方がないといった表情で小さくため息をついて、口をひらいた。



「……では皆、少ないが食って力をつけてくれ。ちなみに握り飯の半分は、天野がにぎったものだ」


「うおおおおおーーーーッッッ!!!」


 中岡さんの言葉を皮切りに、中央の大皿には人の波が押し寄せた。

 皆、もう限界だったんだろう。


「メシじゃぁぁぁ!!」

「天野ちゃんが握ったやつどれだよ!?」

「ちいせぇ方だろ! 俺もーらい!!」

「うめぇぇ! おなごの握り飯うめえぇぇ!!」



 ……すごい。

 皿の回りに人だかりができていて、とても近づけるような状態じゃない。


「坂本さんたち、これも食ってください」


 座ったままで顔を見合わせていた坂本さんと長岡さんのそばまでやってきた田中さんが、二人の前にお皿を置く。

 その上には、煮物や和え物や、火を通した何かのお肉が乗っていた。


「わ、おかずだ!」


 私が身を乗り出すと、田中さんは得意げに笑ってこちらを見る。


「隊のやつらから少しずつ分けてもらってきた。天野も食え!」


「はいっ! ありがとうございますっ!!」


 すごいな。

 厨はすっからかんだったけれど、あるところにはあるんだ、おかず。

 田中さんはあちこちを回って、全員に少しずつおかずが行き渡るようにしてくれている。

 大橋さんも甘味を提供してくれたことだし、今夜の夕餉はたぶん、彼らが今できる最大限のおもてなしだ。


 感謝して食べなきゃいけないな。



「嬢ちゃん、そろそろ大皿に近づけそうじゃ」


「おにぎり取りに行こっか」


 坂本さんと長岡さんに肩を叩かれて、私も腰を上げる。

 あらかじめ各々の手元に配られていた小皿を手にとって、いざ中央の大皿のもとへ。


「嬢ちゃんが握ったんは、どれかのう?」


 残り少なくなった皿の上のおにぎりを見渡しながら、坂本さんがつぶやく。


「私がにぎったのは、もう残ってないみたいですねぇ」


 早々と食べつくされてしまったようだ。

 残っているのは、中岡さんが握ったものばかり。

 私は、しっかりと握りこまれたまんまるのおにぎりをふたつ小皿に載せて席へともどった。



「中岡さん、どうぞ」


 座ったままちびちびとおかずをつまんでいた中岡さんに、小皿の上のおにぎりを差し出す。


「ああ、ありがとう。天野の握り飯は大人気だったな」


 おにぎりを手にとり、ふっと中岡さんは口元をゆるめる。


「いえそんな……! でも私は中岡さんが作ったほうを食べたかったから、残っててよかったです」


「いや……まぁ、味は保証しないがな」


 なんだか少し照れたようにつぶやいて、中岡さんはおにぎりをひとくち頬張った。



「慎太! おまんが握ったんはカッチカチじゃな!!」


「いや、食べさせてもらってる身で言うのはアレだけど、もうちょっと優しく握ったほうがよかったかもね」


 おにぎりをかじりながら席に戻ってきた坂本さんと長岡さんが、続けざまに不満を口にする。

 和やかな雰囲気で言葉を交わしていた私たちの笑顔は、瞬時に凍りついた。



「いや、ほんと隊長さんの握り飯は硬いよ。弾丸じゃあるまいし」


 さらに追い討ちをかけるように香川さんがキツイ感想を述べると、それがきっかけで、あちこちから同意の声が上がる。


 中岡さんは無言だ。

 もくもくと手にしたおにぎりにかじりついている。

 これはまずいと、私もおにぎりを頬張る。

 たしかに固い。ぎゅっと力をこめて握りこんだんだろう。

 でも、食べられないことはない。


「おいしいですよ! 男の人がにぎるおにぎりは、これくらいでいいと思います!」


 そうだ! くずれやすい軟弱な握りかたをするよりよっぽど男らしくていいじゃないか!

 誰かいっしょに擁護しましょうと、あたりを見回す。

 目があった隊士さんの一人が、あわてて首を振った。


「固いか? うちではこのくらいが普通だったぞ」


 おにぎりをたいらげて湯飲みに手をのばしながら、中岡さんが口をひらいた。


「すごいね、中岡家……」


 誰もが返答に苦慮する中、長岡さんがぽつりとつぶやく。


「おんしの家では皆こじゃんと固う握るがか?」


 坂本さんが少し興味をもったように身を乗り出して尋ねると、中岡さんは素直にうなずいた。


「皆というか、姉だな」


「例の勇ましい姉上様か! 怪力やったんじゃなぁ」


「お前のところの姉御ほどじゃないぞ」


「はっはっは! ところがどっこい、うちの姉ちゃんの握り飯はふんわり型じゃ! 勝ったのう!!」


「何の勝ち負けだ。俺はガッチリ型が好きなんだよ」


 坂本さんと中岡さん。

 私をはさんで二人がわいわいとやりとりをはじめた。

 普段の落ち着いた大人っぽさはまるでなく、子供のような言葉の応酬だ。

 なんだかおもしろいから、しばらく黙って聞いていようかな。



「なんだよ、固ぇ固ぇっつうから食ってみたら、普通じゃねぇか」


 中岡さんの隣にどかりと座っておにぎりをかじりながら、田中さんが声をあげた。

 私はそれを助け船と受け取って、同調しながら中岡さんを立てる。


「田中さん! そうですよね、おいしいですよね!」


「おう! 固さで言やぁウチのおいちゃんの握り飯のほうが百倍固かったぜ! もはや鉄!!」


「お、おいちゃん……?」


 このおにぎりの百倍も固く握れば、それはもう食べ物じゃない。

 ほんとうに鉄や岩石だ。


「那須さんは怪力でしたからねぇ」


 お茶をすすりながら、しみじみと大橋さんが目をとじる。


「俺も以前飯食ったことがあるぞ。ガッチリ型も極めるとここまで行くものかと感心したな」


「はは、懐かしいのう! この場におってくれたらどれほど心強いか……」


 中岡さんと坂本さんも、話題にのって愉快そうに笑みをもらした。

 那須さんという人は、共通の知り合いなのかな。

 田中さんの口ぶりでは身内のようだったけど……。

 それにしても何だか、昔話に興じる一同には不思議な一体感がある。



「あの……もしかしてみなさん、昔からのお付き合いなんですか?」


 お互いの家のことまでよく知っているような親しげなやりとりから、なんとなくそう感じた。


「そうですね、同郷です」


「オレと中岡さん、ハシさん、坂本さん、長岡さんは同じ土佐の出なんだ」


 田中さんがそう説明してくれると、皆それぞれうんうんとうなずいた。


「そうだったんですか! だから仲良しなんですねぇ」


 何でもずけずけと言えちゃうような親しい間柄をただの仕事仲間として片付けるのは少なからず疑問だったけれど、謎が解けた。

 同郷で、昔からお互いを知っているというのはそれだけで強い絆になる。

 私もゆきちゃんと再会したあと、会わなかった時間の長さなんて気にならないほどにすんなりと元の関係に戻れたから、なんとなくわかる。



「まぁ、気のおけない仲ではあるな」


「おお! そうじゃとも! 見ての通り、絆は固い! 嬢ちゃん、今夜は力をあわせて乗りきっていこう!」


「はいっ!」


 坂本さんの呼びかけに大きく返事をすると、集団のあちこちから気合いを入れるような咆哮が飛んでくる。

 隊士さんたちもお腹が満たされて、間近に迫る戦いへと意識が向いてきたみたいだ。



「中岡さん、なんだかんだで慣れたら固いおにぎりもおいしかったよ。ごちそうさま」


 長岡さんはそう言って中岡さんに笑顔を見せると、そのまま立ち上がって袴のすそを手ではらう。


「あれ? どこかに行くんですか?」


「うん。出る前にちょっと、これの練習をしとこうと思って」


 長岡さんは、懐からちらりと光るものをのぞかせた。

 ピストールだ。


「わ! 長岡さんも持ってたんですね!」


「そ。だけどほとんど使ってないからさ。龍さん、練習付き合ってよ」


「おう! もはや謙吉は嬢ちゃんにも負けちゅうぞ」


「うそっ!? 美湖ちゃんすごっ……!」


 二人はいつものように軽い調子で言葉を交わしながら部屋を出ていく。

 この人たちはなんだか一緒にいるのが自然で、兄弟みたいな雰囲気だな。



「さぁて、オレももうちょい武器の手入れしとくかなァ」


「俺も、もう少し作戦を煮詰めよう」


「では私も付き合います」


「んじゃあ俺は、もうしばらく寝るわ」


 そうして隊長と幹部三人が次々に席を立つと、場はいっそう騒がしくなった。


『天野は時間までゆっくりしていてくれ。この部屋にいてもいいし、空き部屋で休んでくれてもかまわない』


 最後に中岡さんはそう言い残してくれたけれど、なんだか立ち去りにくいなぁ。

 ぽつんと座って大福を頬張っていると、遠巻きにこちらを見ていた集団がズザザと勢いよく畳を擦りながらこちらへ接近してきた。


「ところで天野ちゃん! いくつよ!?」

「いずみ屋焼失しちまって、行くあてがねぇって聞いたけど!?」

「ここの女中にならない!?」


 まるで待ち構えていたかのように飛んでくる、矢のような質問。


「おれ、ヤマダ! ヨロシク!」

「西山です! 今夜は同じ隊だから僕から離れないでネ!!」

「太田ス、おにぎりうまかったス」


 そして質問に答える間もなく飛び交う自己紹介。


「あの、みなさんいっぺんにしゃべらないでくださいっ……!」


 私はそんな、さばききれない一問一答に必死で答えながら、出発までの時間をひたすらあわただしく過ごすことになるのだった――。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る