第二十三話:縁


「……何かいろいろ、深いハナシでもした感じだな」


 大橋さんが去ったあとにおとずれた、わずかな沈黙をやぶって。

 私の顔をまじまじと見つめながら、田中さんが意味ありげに口角をあげた。


「はぁ……まぁその、いろいろです」


「ハシさん久々にいい顔してたぜ、なんか吹っ切れたみてぇなよぉ」


「久々に?」


「いずみ屋が燃えたあの夜以降、ずっと深刻な顔してたからなァ」


「そうだったんですか……」


 胸が苦しくなる。

 私が思っていたよりもずっと、大橋さんの苦悩は大きかったのかもしれない。


「やっぱ、いずみ屋の女将さんと顔見知りだったってのがでかいんだろうな。オレらの中で、女将さんと直接会ったことがあんのはハシさんだけだしよ」


「そうかもしれませんね」


「……女将さんもだが、オレらはおめぇのことも心配してたんだぜ」


「あ、あのときは本当に、ご迷惑をおかけしてしまって……すみませんでした」


 そう言って深く頭を下げる。

 刺された後の記憶はないけれど、負傷した私を田中さんたちがどんな気持ちで診療所まで運んだのか。

 想像すると、胸が痛む。


「迷惑? んなこた誰も思ってねぇよ。ただ、あん時そばにいながら守れなかったことは、未だに後悔してる。中岡さんやハシさんもきっとそうだぜ」


「そんなことないですよ、三人がついててくれたおかげで……」


 傷を負ってもうろうとした意識の中で、三人の声が聞こえていた。

 刃物を取り落とした谷口屋さんを制止する声。私の安否を気遣う声――。

 そして、緊張と混乱に満ちた現場から私を診療所まで運んでくれたのは他の誰でもないこの人たちだ。

 最後までそばにいて助けになってくれた。


「実際オレらは何もしてやれなかったからな。店が燃えて、女将は行方不明で、おめぇは刺されて――全部矢生たちを止められなかったオレらの責任だ」


「そんなことないです! 田中さんたちだって、水瀬たちにだまされた被害者じゃないですか!」


「騙されたは騙されたが、被害者ぶるつもりはねぇぜ。オレらが甘かっただけだ、集団を管理できてなかったのがいけねぇ」


「そんな……」


『甘かっただけ』――。

 同じようなことを雨京さんも言っていたな。

 これは防げた事態だって。


「だからなおさら罪悪感がつきまとう。これ以上おめぇを傷つけるわけにはいかねぇから、オレらは連れてくのに反対したんだ」


「そんなふうに考えてくれてたんですか……ごめんなさい、何も知らずにわがまま言ってしまって」


「いや、構わねぇよ。むしろ思ってること全部話してもらえてよかったぜ。おめぇは意外と根性あんなぁ」


 眉を寄せて少しいじわるな顔で笑いながら、田中さんは私のおでこを指ではじいた。

 加減したのかしていないのか、バチンとものすごい音が響く。


「いたぁっ!」


「隙だらけだなオイ! ついてくるからにはそれなりに気ィ張っててもらわねぇと。おめぇ、何か身を守るもん持ってきたか?」


「も、持ってきてますよ一応……」


 ズキズキと痛む額を手で押さえながら、涙目で田中さんを見上げる。

 ひどいなぁ。

 おでこ、赤くなってるだろうな。


「おう、見せてみ。おめぇのことだからたぶん、箒とか漬け物石とかだろ?」


「ちゃんとした武器ですよ! 今出しますから待っててくださいっ!!」


 私は頬をふくらませながら風呂敷の包みを解いて、中から例の短刀を取り出す。



「これです!」


 鞘の中央をにぎって、田中さんの前に差し出す。

 刀のことはよく分からないけれど、見た目だけで言えばすごく価値がありそうな品だ。

 お手入れは全くしていないから、切れ味の方は自信がないけれど……。


「こっ……!!!!」


 短刀を見るなり、田中さんは目を見開いて一歩踏み出し、妙な体勢で固まった。

 あまりに立派だから驚いているのかな。


「これ、押し入れの奥にあったんですよ。たぶん父が遺してくれたもので――」


 と、若干鼻を高くした私の説明が終わるより先に、田中さんは短刀を握る私の手の上に自分の手を重ねた。

 そして、ぐっと痛いほどに力をこめる。


「ちょっと見せろ」


「な、なんですか……! さっきから乱暴ですよぉ」


 戸惑いながら上げた抗議の声は聞き入れられることなく、田中さんはそのまま短刀を奪い取った。

 そして血走った目で、まじまじとそれを見つめる。

 こまかな細工や飾り紐、さらに鞘から抜いて刀身まで。

 まるで鑑定でもしているかのような目付きだ。


「押し入れの中にあったって……?」


 ふと顔を上げて、田中さんがこちらに言葉を投げた。

 目がすわって額には青筋が立っている。


「そうですけど……」


 一体なんなんだろう。

 田中さんが怒った顔をすると自然に萎縮してしまう。

 今にも噛みつきそうなぎらついた感じが、それはもうおっかないのだ。



「こいつは、オレの短刀だ」


「……え!?」


 思わぬ一言に、間の抜けた声が漏れる。

 そんなはずは……


「こいつを包んでた紫の絹は? まさか、むき出しで置いてあったわけじゃねぇよな」


「紫の……! はい、確かに包んでありました」


 風呂敷の中に、くるんであった布も入っている。

 私は慌ててそれを取り出して田中さんに見せた。


「――おお、やっぱオレのだわ。コレ見ろ」


 そう言って田中さんは絹の端のほうを指す。

 同系色の糸で、何か縫ってある。


「これは……?」


 解読しようとあちこち角度を変えながら目を細める。

 ぽつりと、字のような記号のような何かが見える。

 漢字かな? 読み方が分からない。


「田中の田だ!」


「た……ですか、ごめんなさい私、かなしか読めなくて」


「私物にはほとんどこの刺繍を入れてる。ふんどしにもだ! 見たいなら脱いでもいいぜ?」


「見たくありません!」


 大きくかぶりを振る私を見て田中さんは何かを思い出したように懐をあさり、手拭いを取り出した。


「んじゃ、こいつにも同じ字が入ってっから確認しろ」


「はい」


 差し出されたものを手にとり、光に透かしてみる。

 すると確かに刺繍が見える。

 先ほどの絹と同じ字が縫い付けられているようだ。



「本当だ……それじゃ、短刀が田中さんのものだって言うのは」


「おう、マジだよ。なんなら中岡さんやハシさんに証言してもらってもいいぜ」


「いえ、そこまでしていただかなくても十分です。お返ししますね、それ」


 大事そうに短刀を握りしめている田中さんに向かって頭を下げる。

 父の形見だと勝手に思い込んでいた自分が、急に恥ずかしくなってきた。

 まさか水瀬たちが、二階にまで盗品を隠していたなんて……。



「いや、正直もう返ってこねぇんじゃねぇかと思ってたから嬉しいぜ! おめぇが持っててくれてよかった!」


 うつむく私の肩を強く叩いて、田中さんが言う。

 その少しこそばゆいような満足顔を見て、こちらも頬がゆるんだ。


「なんだか、写真を拾った時のことを思い出しますね」


「おお、実はオレもあん時のことが浮かんだ! おめぇはいつも、なくしたモン届けてくれるよな」


「不思議ですね、田中さんのものばっかり」


 自然と笑みがこぼれる。

 思えば、あの写真を拾ってから私の生活はガラリと変わった。


「縁があんのかもな、オレら」


「そうかもしれません。実は私も、写真の中の三人に実際に会えた時そう思ったんです」


「あーあ、こんな事にならなきゃもっと……」


 田中さんは盛大にため息をつきながら、握りこぶしであぐらをかいた足を叩いた。

 言いたいことはよく分かる。

 私も苦笑まじりにうなずいて同意する。


「ま、言ってもしゃあねぇな。何よりまずは女将さんを助けに行かねぇと」


「はい!」


「……ちなみにおめぇ、この短刀以外に武器は持ってきたか?」


「ないです!」


 きっぱりと即答すると、田中さんはふたたび頭をかかえた。

 仕方ないよ、普通の町娘は武器なんて持っていないんだから!


「いや、短刀も使いこなせなきゃ意味ねぇけどよ、丸腰だけはさすがにやべぇな」


「ですよね。よかったら、なにか貸していただけませんか?」


「そうだなァ、おめぇにも使えそうなモンと言えば……」


 田中さんはしばし考えこんで、ふと何か思い立ったように顔を上げた。


「おしっ! 今から持ってくる! 廊下に出て待ってろ!!」


 勢いよく立ち上がり、短刀と手拭いを懐に突っ込むと、田中さんは障子をあけて部屋から出ていった。



(廊下で待てって……?)


 どういうことだろう。

 私は風呂敷を包み直して部屋のすみに移動させ、立ち上がった。

 開けっ放しの障子のそばまで歩をすすめて廊下を覗きこむ。

 少し先にある向かいの部屋の障子が開いている。

 あそこが田中さんの部屋かな。



「おう、お待たせ!」


 しばらく待つと、開いた障子の奥から田中さんが顔を見せた。

 そのまま後ろ手で障子をしめて、こちらに歩いてくる。


「何か見つかりましたか?」


 見たところ手ぶらのようなので、私は若干肩を落としながら田中さんを見上げる。


「あったぜ! コレだ」


「これは……?」


 田中さんが懐から取り出したのは、黒く小さな塊だった。

 表面はつるりとして光沢があり、硬そうな材質でできている。

 鉄とか鉛とか、そういったものを固めて作ったような、初めて目にする異質のものだ。

 おまけに手のひらほどの大きさで、使い方がまるで読めない。


「これで身を守れるんですか?」


 半信半疑で首をかしげながら触れようと手をのばすと、田中さんはそれを回避するようにふたたび懐にしまいこんだ。


「変なとこ触るとマズイことになっから、まだダメだ」


「そんな……それじゃ使えないじゃないですか」


「だから、今から教える。外行くぞ!」


 大橋さんの部屋の障子を閉めて、田中さんはずかずかと玄関に向かって歩き出した。


「あの、それって簡単に使えるようになるんでしょうか?」


 先を行く田中さんの背中を追いながら、尋ねる。

 見たところ普通に斬る叩くで戦う武器とは違うもののようだ。

 私なんかに使いこなせるのかな?


「日暮れまでにはなんとか使えるようになってもらう」


「日暮れまで……」


 せいぜいあと二刻ほどしかない。

 不安だ。

 だけど、精一杯やってみるしかないか――。



 玄関先に立つと、いくらか雨あしは弱まっていた。

 雨垂れの音が連続してあたりに響き、ひやりとした空気が身を包む。

 田中さんは壁際に立てかけてあった傘をとり、手招きをした。


「傘これしか残ってねぇから、おめぇも入れ」


「はい」


「傷口は左だよな?」


「そうです」


「よっしゃ、行こうぜ」


 脇腹の傷が濡れないように私を右側に立たせると、田中さんはゆっくりと歩き出した。

 傘は私の真上で雨水をはじいてくれている。

 田中さんが腕をのばして私を優先的に雨から守ってくれているのだ。


「田中さん、肩濡れてます」


「いいんだよ、こんくらい。それよりオレの指導は厳しいから覚悟しとけよ」


「は、はい! 頑張りますっ!」


 とにかく、やるしかない。

 足手まといにならないように、最低限自分の身くらいは守れるようにならないと。

 私は強くこぶしを握り、田中さんを見上げた。


「おっしゃあ、いくぜ! 特訓だ!!!」



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