96 順調な探索、潜む悪意
さらに迷宮を進むこと数時間、遠征軍は15層【常雨の湿地】の入り口へ到達した。
遠征軍は【常雨の湿地】への挑戦を前に最後の休息をとっている。
本当なら火でも焚いてスープでも作りたいところだろう。
だが残念なことに、迷宮でのたき火は難易度が高い。
光と臭いで魔物が群がってくるためだ。
ゆえに“普通は”そのままで食べられる干し肉や野菜の塩漬けなどをかじることになるのだが…。
「うまい!これは良い肉だ」
安全を確保した遠征軍。香り高い肉に舌鼓を打っているのはゴルオンだ。
噛み千切られた肉から肉汁が弾けた。
迷宮の大部屋には、湯気を立てた豪勢な料理が並んでいる。
遠征軍の食事としては破格だ。
無限工房による運搬力を活かした、保存食では味わうことのできない食事である。
調理済みの料理を取り出して食べるだけならば、それほど魔物が寄ってくることもない。
遠征軍は高レベルぞろいだ。15階層とはいえ通常の迷宮、しかも魔物の侵攻方向が限られている場所ならば多少の魔物はなんとでもなる。
遠征軍の兵士たちは交代で、種族に関係なく卓を囲み食事をしている。
彼らの顔は明るい。それは食事が美味いという理由だけではない。
60名近い遠征軍は、ここまで一人も欠員が出ていない。
平均レベルが高いとはいえ、一人も欠員が出なかったという事実はとても大きい。
普通ならば、いくらレベルに余裕があっても数人の離脱者は出るものだ。
種族を超えた協力と、優れたリーダーたちによる的確な指示。
優れた個体戦闘力を持つ者の支えと、コレットが事前に用意した高位のポーションによる回復。
全てがうまく噛み合った結果だと言える。
遠征軍の士気は高い。
コレットは名実ともに優れた遠征軍のリーダーだと認められたのだ。
これはコレットの実績となり、コレットの発言力を高めることになる。
それはトシゾウの目的に沿うことだ。
コレットの身に着けた赤い髪飾りが淡く光る。
トシゾウは、種族を超えて食事を楽しむ遠征軍を満足げに見ていた。
かつての迷宮では、このような光景を至る所で目にしたものだと懐かしむ。
各種族が自慢の装備とアイテムを持ちより、迷宮深層へ挑んできたものだ。
この大部屋には多種多様な武器やアイテムなどの宝が溢れている。
実に奪い甲斐のありそうな光景だ。
トシゾウが復活させたい、かつて見た理想の冒険者の姿が、小さいながらも再現されていた。
これが至る所で、さらに迷宮深層で見られるようになれば、トシゾウの目的は達成されるだろう。
トシゾウは小さな達成感を感じていた。
宝を蒐集するための努力は楽しいものだ。
「コレットは良い指揮官だな。これならば俺が手を出す必要はなさそうだ」
「ありがとうございます。次代の領主として、両親から厳しく教育を受けたおかげですわ。まだ経験は不足していますが、これだけの戦力があれば問題ありません」
「そうか、コレットは役に立つな。目の前に広がる遠征軍はお前の努力の成果でもある。今後のためにもさらなる経験を積んでおけ。…あとは、腹芸も身につけなければな」
「はい。トシゾウ様」
「コレット様、何かおっしゃいましたか?」
近くにいた男がコレットに尋ねた。
その男は、【常雨の湿地】への入り口を封鎖していた兵士の一人だ。
男は遠征軍と合流し、ともに食事をしていた。
コレットの“独り言”が気になったらしい。
「いえ、トシゾウ様と話をしていただけですわ」
「トシゾウ、というと、あの知恵ある魔物の事ですね。遠征軍には加わっていないようですが…?」
「念話が来ていたのですわ。トシゾウ様は、どうやらラ・メイズへお戻りになるようです。あくまでも私たちの力でボスを討伐せよということなのでしょうね」
「かの魔物は、そのような力まで持っているのですか。それにしてもあれだけの力を持ちながら、手助けをしないとは。コレット様は本当にあの魔物の言うことを信用されるおつもりですか?」
「ええ、もちろんですわ。私はトシゾウ様を信じております。対話ができるのならば、それが誰であれ良い関係を築いていくことは可能ですわ。あなたはそう思いませんか?」
「…そうですか。コレット様はお優しいのですね。失礼しました。食事へ戻ります」
「ええ。…明日は【常雨の湿地】へ潜ります。特殊区画は足場が悪く、戦いに必要な最低限の道具しか持って入ることができません。【帰還の結晶石】をはじめ、必要な道具を残していきますので、管理を頼みますわ」
「…はい、お任せください」
去っていく兵士。
コレットは領主として、全ての領兵を把握している。
だが、コレットはその兵士を見たことがなかった。
兵士の背にいくつかの視線が注がれていたのだが、兵士はそれに気づくことはなかった。
つかの間の休息の後、迷宮15層特殊区画、【常雨の湿地】の攻略が始まる。
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