61 後への布石と不穏な知らせ

「こっちや」


 ベルが案内した場所は、商業班用に用意した大きなテントだ。


「すごい、いつの間にかお店みたいになってます…」


 シオンが驚いたようにきょろきょろとテント内を見回している。

 白い犬耳がピコピコと動いている。かわいい。


 紐で丸められ壺に突っ込まれている紙束インクの匂い。

 向かい合わせに設置されたソファに、背の低いテーブル。

 どこから運び込んだのか、質素ながらも品の良い調度品が設置されている。


 別の場所では、製作班が持ってきた紙束を受け取った商業班のメンバーが、ソロバンのようなものを弾いてなにやら会話をしていた。

 カリカリとペンを走らせる音、トン、トンと判子を押すような小気味よい音が聞こえる。


 しばらく見ない間に、商会の応接室のような雰囲気になっているな。

 この建物のすぐ近くで戦闘が行われているとはとても思えない。


「どや、ちょっとしたもんやろ」


「あぁ、良い部屋だ。これだけの部屋を予算内で整えたのか?」


「班長ボーナスもちょっと使ったけどな。もちろん商業班のみんなも納得済みやで。これも投資のようなもんやと思えば安いもんや」


 なるほど、投資か。

 ギルドメンバーがギルドのために投資をする。とても良いことだ。


 俺とシオンはテントの一角に案内された。


 3人の人物が俺たちに気付き、ソファから立ち上がった。


「紹介するで。こちら、冒険者ギルドの副ギルドマスター、シオン。そしてこちらが、ウチの主人でもあり、ギルドマスターのトシゾウや」


 ベルがいつもとあまり変わらない調子で俺たちを紹介する。


 ベルにはこれからもギルドの商業部門を任せるつもりでいる。

 ベルがこのタイミングで俺を紹介するということは、相手は将来のお得意様になるのだろう。


 必要ならばベルに合わせた態度を取ることになると考えていたが…。

 どうやら気兼ねなく付き合える相手であるようだ。


 というか、この中の一人には見覚えがある。

 壮年の老紳士、優しげな表情と黒い燕尾服。慇懃な振る舞いと、背中に板を入れているかのような完璧な姿勢。

 こいつなら魔物が押し寄せてきても逃げることくらいは容易いだろう。


 俺が紳士を見ていることに気が付いたのだろう。ベルが真っ先に男性を紹介する。


「トシゾウはん、紹介するで。こちらは、王弟のラザロさんや!」


「知っている。有能な男だ」


「なんやて!?せっかくトシゾウはんの驚く顔が見られると思たのに」


 驚かせるつもりが逆に驚かされたらしいベル。


「ほっほっほ。お久しぶりですな、トシゾウ様。有能と言っていただけるとは、恐縮です。先日はこちらで美味しい揚げ芋をごちそうになり、それ以来冒険者ギルドのファンでございます」


 若干砕けた口調のラザロ。以前に立派な紳士然としていたのは、俺が客の立場だったからかもしれない。


「うむ、ラザロとは不思議と縁があるようだ。ではベル、こちらの二人も紹介してくれ」


「はいな」


 ベルが全員を紹介し、今後についての会議を行う。会議は和やかに進んだ。


 紹介されたうちの一人は人族の姫、もう一人は目端の利く大商人であった。


「先にベルちゃんに目を付けていたのは私なのに。トシゾウは良い拾い物をしたね」


 そんな姫のセリフが印象的だった。

 どうやら、この姫もひと癖ある人間のようだ。


 この者たちはスタンピードの後、冒険者ギルドの発展に役に立ってくれるだろう。


「仮にも姫や大商人を相手にあんな態度で良かったのか?」


 会議が終わった後、客を来客用テントに案内し終えて戻ってきたベルに尋ねる。


「ウチから声をかけたとはいえ、トシゾウはんがおる限り、ぶっちゃけ立場はこちらが上や。失礼になりすぎん程度で十分。へりくだる必要はないで。向こうさんにも魅力的な話やからな。なんなら多少失礼な態度をとっても利益さえ与えられるならウィンウィンニコニコや」


 そういうものか。ウィンウィンニコニコというのは意味がよくわからないが。

 俺は商売には疎い。ベルがそういうのならそうなのだろう。


「ベルは役に立つな。この調子で冒険者ギルドの商業部門を盛り上げてくれ」


「任せといてや。トシゾウはんの威を借るベルちゃんやで。トシゾウはんが望むなら、邪神が相手でも押し売りしたるで!」


 編み込んだ赤髪を揺らし、茶目っ気たっぷりにベルが笑う。


 こうしてスタンピードは緩やかに始まった。


 ガガ、ザリザリ…


「…トシゾウ殿、予測されていない巨大な瘴気が確認されました!至急、主から依頼したいことがあるらしく」


 【迷宮主の紫水晶】から危急の通信が届くまでは、平和なスタンピードだったのである。

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