42 宝箱は娼館でスッキリする
「トシゾウ様、ここがラ・メイズで一番の娼館、ユーカクです」
「うむ。実に遊郭だな」
アイシャに案内された娼館は、スラムの外縁部、貴族区画へとつながる内壁の城門にほど近い位置にあった。
地面に刺した棒に布を張っただけのテント、木を組んだだけの掘っ立て小屋。
粗末な建物が並ぶ冒険者区画にあって、その建物は明らかに周囲から逸脱していた。
あれは瓦か。そして提灯に暖簾、それに座敷牢か。
どこかチグハグだが、前世の遊郭に酷似している。
敷地も広い。スラムで見た建物の中では最大のサイズだ。
あれだけの建築物、礎石を運ぶところから始めなければ建てられまい。
「…ユーカク、だったか。この建物はスタンピードの時はどうしているのだ?」
「他の建物と同じように撤去します。皆様よく驚かれます。スタンピードの度に大変な移設金が必要となるのですが、クラリッサ様がこの様式に強いこだわりを持たれているのです」
クラリッサ、前世の遊郭を思わせる建物、なるほど思い出した。
「アイシャ、そのようなものを羽織ってどうしたのじゃ。隣の御仁は…、ぬし、まさかトシゾウではないか?まさか妾に会いに来てくれたのかや!?」
娼館に入る寸前、中から金茶の髪と尾、キツネ耳を持つ少女が飛び出してくる。
「妾もあ、あい、あいたかったのじゃー!」
「久しぶりだなビッチ。お前に用があったわけじゃない。用があるのは娼館の方だ。あと俺に魅了をかけるのを止めろ」
俺は飛び込んできたビッチの顔を手で掴み、斜め後ろへ放り投げる。ビッチは空中で回転し、地面に顔面ダイブした。
「うう、ここまで来ておいてイケズなのじゃ。でもそんな素気ないところも素敵なのじゃ」
「相変わらずだなビッチ。お前がここにいるということは、ここはお前の娼館なのか?」
「トシゾウ、妾には艶淵狐クラリッサという名前があるのじゃ。そっちで呼んでくれぬか?」
「却下だ」
「うう、イケズなのじゃ。いかにも、ここは妾が心血注いで設計した娼館、その名もユーカクなのじゃ。娼婦はユージョで、中でも優れたものはダユーと言うのじゃ。ダユーと同衾するには妾の許可がいるのじゃ。妾は偉いのじゃ!」
「この建物やその呼び方は、誰に教えてもらったのだ?」
「妾が考えたのじゃ!不思議とアイデアが浮かんでくるのじゃ。とても雅なのじゃ」
「あぁ、雅だな。あと俺に幻覚をかけるのを止めろ」
この世界の生物には、極まれにわずかな日本の記憶、知識の欠片を持ったものがいる。
もっとも、自分の持つ知識が前世のものだとは考えていないようだが。
これまで知り合った中ではビッチと、サイトゥーンという名の冒険者だけだ。
ビッチは遊郭、サイトゥーンは武具の知識を持っているようだった。
迷宮の外ならそういった存在がありふれているのかもしれないと思ったが、ラ・メイズに日本文化の影はない。
だいぶ薄れてはいるものの、前世の記憶をはっきりと認識している俺は特殊なのだろう。
「どうせトシゾウに妾の術は効かぬではないか。それで、妾に会いに来たのではないのなら、ここへ何しに来たのじゃ?アイシャと知り合いだったのかや?」
「うむ、迷宮主から頼まれごとをしてな。ビッチと同じだ。スラムには娼婦と奴隷商に用があって来たのだが…」
俺は自分の用事と、その途中でボルネオファミリーに襲われていたアイシャを助けたことを説明する。
「なるほどのう。ボルネオファミリーは娼館も運営しておる、商売敵なのじゃ。どうやら一度お話をする必要がありそうじゃな。妾の魔法でちょちょいのちょいなのじゃ。それよりもトシゾウ、ユーカクで一番のユージョは、この妾なのじゃが…」
「却下だ」
「イケズじゃのう。そういうことならばダユーを付けるのじゃ。アイシャ、案内を任せるのじゃ」
「かしこまりました、クラリッサ様。さぁ、こちらですトシゾウ様」
アイシャに手を引かれユーカクの中に入る。
入口と同じく、遊郭の風情ある内装、座敷牢に並ぶ露出の多い和服を着こなす若い遊女たち。
無意識のうちに目が泳ぎ、身体がふわふわする。
これからの行為を予期して、人族の本能が精神を侵食していくのを感じる。
ここにビッチがいたら、魅了か幻覚にかかっていたかもしれない。
「トシゾウ様は初めてですか?あんなにお強いのに、緊張していらっしゃるのですね」
「うむ、何にでも初めてはあるものだ」
「うふふ、少し、カワイイです」
握っていた手を引き寄せて、耳元でアイシャが囁く。ふぅ、と温かい息が耳を撫でる。クラクラする。
アイシャの顔がすぐ近くにある。二重のはっきりした、少し目尻が垂れた優し気な瞳。その下にある泣きボクロ。ゆるくウェーブのかかったロングヘアが頬をくすぐる。ぷっくりとした唇が今にも触れ合いそうだ。密着した大きな胸から伝わる体温、柔らかな感触。何をしても許してくれそうな包容力。
個室に入る。手はつないだままだ。アイシャは後ろ手で器用に襖を閉じる。カチリと、鍵をかけるような音がする。
「ふふ、二人きりですね。ここには誰も来ません。もう、お分かりですよね」
アイシャの両手が俺の頬を優しくはさむ。そのまま豊かな胸元に誘われる。動きたくても動けない。なだらかな曲線、柔らかそうだ。男たちに追われていたからか、僅かに汗ばんでいる。上気した肌が艶めかしい。良い匂いがする。…。
「私、これでもダユーなんです。会ったその日に、なんて。トシゾウ様が初めてなんですからね?」
んっ…
……。
ビッチ、世話になったな。また来る。
「ト、トシゾウ、次こそは妾と…」
「却下だ」
「イ、イケズなのじゃぁぁあ!」
堂々の常連宣言をして去っていくトシゾウ。
ビッチ、もとい艶淵狐クラリッサはハンカチを噛みしめて見送る。
「よ、よし、それでは仕事に戻るのじゃ。早速トシゾウが致していた布団を…」
トシゾウが見えなくなった瞬間180度方向転換し走り出そうとするクラリッサ。
「布団なら係の女性がもう取り替えましたよ?」
残念ながらクラリッサの野望は潰えた。
「うっ、そ、そうか。それでアイシャよ。その、どうじゃった?トシゾウはどうじゃった?」
すかさずトシゾウの情報を蒐集しようとするクラリッサ。
「ユージョはお客様の個人情報をもらしてはいけないとクラリッサ様に教えられましたので」
またもクラリッサの野望は潰えた。…かに思えた。
「でも…」
「でも、なんじゃ!?はよう先を言うのじゃ!」
「…すごかったですわ。最初はカワイかったのに、途中からあんなにも雄々しく…」
思い出して目を蕩けさせるアイシャ。
「う、うう、羨ましいのじゃー!!」
地団駄を踏むクラリッサ。
聞いても後悔することがわかっているのに聞かずにはいられない。そんなこともあるのである。
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