気に食わないお隣さん

@nnamminn

第1話

 薄暗い六畳一間の一室に、タタン、タタンと軽快なタップ音が響く。


 音の源は部屋の中央でせわしなくタップされているアーケードコントローラーだ。お盆サイズの台に八つのボタンとアーケードスティックが配されたその装置は最新のゲーム機に接続され、モニター内のキャラクターを動かしている。


「クソッ」


 そして部屋の主でもあるプレイヤーが、手を止めないまま悪態をついた。


 彼の名前は掛野十三。ひょろ長い長身痩躯に尖ったアゴ、ワカメのような乱れ髪が特徴的な二十二歳の男性である。


「このアマ、対策詰めすぎだろうがっ……!」


 普段から細い目を緊張でさらに細め、冷や汗を流しながらモニターを凝視している。モニター内では二人の筋肉たくましい男性がパンチ、キック、ビームのような何かを繰りだして争っており、掛野の操作する金髪のキャラクターが押され気味だ。


 ゲームのジャンルは2D格闘ゲーム。二人のプレイヤーが個性あるキャラクターを操作し、一対一で勝負する。グラフィックや遊びやすさ、目新しさを重視して進化する昨今のゲームとは違い、九十年代の格ゲーブーム時代から微塵も変わらない公平なゲーム性を売りにするニッチなジャンルである。


 もちろん技術の進歩、流行の変化によってゲームシステムやキャラクターデザインは多少変化しているが、一対一で戦い知識と実力のある方が必ず勝つという格ゲーの本質は変わっていない。


 今やその本質はスポーツの競技性と同一視され、日本でも突出した一人のプロゲーマーを皮切りにプロ格闘ゲーマーが複数生まれている。


 その複数のうちの一人が掛野だった。


 実家からほど近いターミナル駅のイベントスペースで格ゲー大会が開かれるというので記念に参加してみればまさかの優勝、格ゲーブームに商機を見出している企業から声をかけられスポンサーを獲得し、あれよあれよという間にプロへ至った。


 スポンサーの支援もあって日本全国だけでなく海外の大会でも成績を残し、今もっとも勢いのある若手として注目されている。


 したがって彼は世界屈指の腕前を持つプロゲーマーなのだが――


「ぐぬぬ……!」


 モニター内での戦いは一方的だった。掛野の操るキャラはなすすべなく体力ゲージを減らされ、特殊な必殺技を使えるEXゲージも残っていない。逆転の目は一つとしてなかった。


 悔しさに歯噛みしているうちに敵のパンチに引っかかり、体力はゼロに。リザルト画面で敵キャラが勝ち名乗りをあげる。


「くっそう!」


 掛野は頭を抱えた。


 決して負けてはいけない戦いだった。なぜなら、相手はインターネットを介してオンラインで巡り合ったアマチュアにすぎず、プロである自分が負けていい相手ではなかったから――ではない。プロはプロ同士の戦いに備えてキャラクターごとの対策やプレイヤー対策を練るため、アマチュアの間で流行っているキャラクターや戦術には意外にも弱いことが多い。そういったマイナー戦術を巧みに実行するアマチュアを相手にすると、黒星を喫するのは珍しいことではなかった。


 ではなぜ負けてはいけなかったのか。


「……はーい」


 呼び鈴が鳴る。ゆらりと立ち上がって玄関へ向かう掛野。唇を固く引き結び、眉間にしわを寄せている。


「こんにちは、掛野さん」


「こんにちは、イズミさん」


 扉を開けるや否や高い声であいさつされ、機械的に返した。


 玄関先にたたずんでいるのは隣人のイズミ。スリム体型と低身長、童顔のため小中学生程度にも見えるが、近所の大学に通うれっきとした女子大生だ。掛野の目線から四十センチほど下の位置に、ショートボブの黒髪と猫のような吊り目がある。その目は満面の笑みで細まっていた。


 見た目こそかわいらしいイズミだが、掛野にとって今は絶対顔を合わせたくなかった人物である。というのも――


「掛野さん。素人に負けるプロってどう思う?」


「……プロも人間だし、たまにはそういうこともあると思うよ」


 イズミはつい先ほど負かされた相手であると同時に、勝ち煽り、死体蹴り、ブーイングがとても得意なあんちきしょうだからである。


「うんうん、そうだね。あ、これ、昨日作りすぎた煮物。おすそわけに来たんだ」


「わあ、うれしい。とってもおいしそうだなあ」


 掛野は苦虫をかみつぶしたような顔でイズミからタッパーを受け取った。


(この野郎、いつもより手が込んでやがる)


 ニコニコ笑顔のイズミと掛野。ただし掛野のこめかみは苛立ちのためピクピクしている。


 どうやらイズミは、『煮物のおすそ分けに来たついでの世間話』として遠回しに煽る腹積もりらしい。仮に掛野がキレて追い返せば、『親切にもおかずを分けに来た隣人に逆切れしたキレる若者』という汚名を被ることになる。どんな煽りにも耐えしのぶしかない。


「でもさ、仮にだよ? 前まで愛用してたキャラクターを性能が悪いからって理由で捨てて新キャラに乗り換えたプロがいたとして。その人が新キャラ使って捨てたキャラにボロ負けしたらどうかな? しかも素人に。最っ高に笑えない?」


「どうかな、プロの仕事は大会に出て目立つことだからね。大会じゃまず見かけないクッソ低能マイナーキャラなんかにオン対戦で負けたって、誰も気にしないさ」


「あはは、クッソ低能マイナーキャラだって。じゃあそんなキャラに完封されたプロって何なんだろうね? クソ低能マイナーの下だから、ゴミかな?」


「なんだとコラァ! はっ!?」


 ゴミ扱いされたことで掛野は激昂し、瞬時に負けを悟った。一対一の勝負で負けた以上、正義は勝者にのみある。ましてや親切な隣人の建て前まで用意してきたイズミに対し、掛野に反論できる資格はない。声を荒げた時点で敗北を上塗りしたのだ。


 敗北感でいっぱいの掛野はその場で膝をつき、地面をたたいた。


「畜生……! 俺の負けだ!」


「はっはっは、これぞ愉悦、勝利の味! 今日もごちそうになるよ」


 打ちひしがれる掛野を玄関先に残し、イズミは勝手知ったるという風に、悠々と掛野の部屋へ入っていくのだった。


---


 広大なインターネット対戦の世界でたまたま隣室に住む者同士が巡り合った日のことを、二人は覚えていなかった。ただ、アーケードコントローラーを叩くタップ音と、手痛い一撃を食らったときの悲鳴や息をのむ音、プレイ内容に対する悪罵の声が薄いボロアパートの壁を通して聞こえてきたので、もしやと思い煽りに行けばビンゴだった、とうっすら記憶している。煽りに行ったのがどちらが先だったのかはおぼろげだ。


 二人はいつしかプレイ時間を合わせ、意図的にオンライン上でかち合うようになった。勝率は五分五分、かろうじて掛野が勝ち越しているといったところ。掛野としてはマネーマッチで見かけないマイナーキャラに負けても内容が悪くなければ悔しくはないが、相手がイズミのときだけはがむしゃらに勝ちを狙いにいくため、負ければひどく悔しい。高い渡航費を自腹で賄って出場した海外の大会で一回戦負けした以上に悔しい。


 更に精神面だけでなく経済面でも痛い。


「今日はなーに?」


「チャーハンと中華スープと、キャベツの千切りでいいか」


「おっけー。チャーハンは絶対パラパラで頼むよ」


「分かってらい」


 冷蔵庫から二人分の材料を取り出して調理にかかる掛野。その間イズミはちゃぶ台にひじをついてテレビを眺めている。


 負けた方は勝った方に一食ごちそうする。何度か対戦を繰り返すうち知らぬ間にできていた暗黙の了解だ。掛野が勝ったときにはイズミのところへ勝ち煽りに行き、昼食か夕食をいただくことになる。


 スポンサーから定期的に給料が入るとはいえ、渡航費、遠征費は自腹を切ることが多い掛野にとって一食おごるのは割と痛い。しかし実家からの仕送りで細々と暮らしているイズミも一食が重いのは同じなので、お互い文句は言わない。勝った方が得をして負けた方が損をすることについて、二人の意見は完全に一致していた。


(くそったれ、今日だけは何としてでも勝っておきたかったんだが)


 チャーハンを手際よく炒めながら掛野が顔をしかめる。


(あのことについてどう切り出す? ――ダメだ、どう考えても煽り倒される未来しか見えん)


 イズミに対する頼み事をどう切り出したものか。せめて勝っていれば、勝者の優位を盾にして簡単に言い出せたのに。負けた今となっては、散々煽られた上何か恐ろしいものを要求されそうだ。


 しかし頼める相手はもうイズミ以外いない。せめて夕食の味でご機嫌をとろうと、イズミの好みに合わせた薄味でチャーハン、中華スープを仕上げた。


 ちゃぶ台に運んで手を合わせ、小さく「いただきます」を言ってからハシをつける。


「なんか味がおかしくない?」


(何ィ!? やべえ、今機嫌を損ねられるとまずい!)


 チャーハンを口に運ぶなり眉をひそめるイズミ。戦々恐々の掛野は努めて冷静に口を開く。


「調味料が少なかったんでな。お前薄味が好きだからちょうどいいだろ」


「え、なんで僕の好み知ってるの気持ち悪っ」


「ああん!?」


「まあ、実際好きだからいいや。おいしいよ」


「お、おう」


 隙あらば毒を吐くイズミだが、満足げに笑われては掛野も突っかかる気力が失せた。


 その後、食を進めながら横目でイズミをチラチラと見やる。テレビの内容が受けているのか夕食の味付けが好みなのかは知らないが、少なくとも表情は上機嫌だった。ただ、どんなタイミングで切り出しても煽られる未来しか見えず、結局迷うだけ時間の無駄かもしれないとの考えが頭をもたげる。


 イズミが食べ終えるのに合わせて掛野も最後の一口を呑み込むと、ついに迷っているのが馬鹿らしくなった。


「なあ」「あのさ」


 ばっちりと声が重なる。


 しばし無言でにらみ合ってから、もう一度。


「なんだよ」「何かな?」


 また重なった。


 そして痛いほどの沈黙が下りる。両者真顔でにらみ合い微動だにしない。掛野は二度連続でダブルノックアウトを経験した気分である。格ゲーでのダブルノックアウトは六十分の一秒単位で同じタイミング、同じ強さの攻撃がかち合わなければ起きないため、非常に珍しい。


「実は、頼みがある」


「……頼み?」


 珍現象で面食らっているのはイズミも同じはず。そう判断した掛野は先に切り出した。


「今週末、東口のイベントスペースで三対三のチーム戦トーナメントがある。俺も出る予定だったんだが、メンバーの一人が急病でリタイアした。助っ人で俺のチームに入ってくれないか」


 最寄りのターミナル駅で行われるそのイベントは賞金も出ず、公式大会ではまず見ないチーム戦なのでゲーマーとしてはメリットが少ないものの、主催がスポンサー企業で直々に出場を要請されては断ることはできなかった。しかし声をかける予定だったプロゲーマー仲間の二人のうち一人が腱鞘炎を発症し、あと一人実力のあるプレイヤーが必要だったのだ。


 たとえ優勝しても賞金や賞品は出ない。せいぜいネット上の配信サイト利用者かスポンサー企業にアピールできる程度のものだ。「それ、僕の参加するメリットは?」などと聞かれたらもう詰みである。


「なるほど、あのイベントね。いいよ」


「……」


「聞いてる? いいよ、って言ったんだよ」


「……嘘ォ!?」


 どんな罵詈雑言と拒絶の言葉が来るのかと身構えていた掛野だったが、意外にもあっさりと了承された。


 驚きのあまり立ち上がった掛野の下で、イズミはいつになくしおらしい様子だった。しきりに手を組みなおし視線を下に固定している。


「その代わり、僕の頼みも聞いてほしい」


「あ、ああ、そういうことか。何か変なもんでも食ったのかと」


「どういう意味さ」


 イズミのジト目を受けながら胸をなでおろす掛野。イズミは対価もなしに頼みごとを聞くようなお人好しではない。そう見えたとしたら裏で何かを企んでいるか、頭がおかしくなったかだ。


 イズミは一つため息をついて仕切り直しにかかった。


「まったく失礼な男だな。――僕が大学生なのは知ってるだろ?」


「おう」


「女子大生数人揃ってキャイキャイやってると、まあお決まりの話題になるわけだ。やれ彼氏はいるかとか、高校時代の恋愛はどうだったとかね」


「ふむふむ」


「で、僕はある日言われた。『イズミちゃんって恋愛とか全然興味なさそう。男の人と手をつないだこともなさそう。何それ超ウブなんですけどー』と。君なら、僕がどう答えたか分かるよね?」


「――んっ?」


「彼氏くらいいる。毎日お互いの家を行き来し、真剣にヤリ合う仲さ。僕はそう答えた。そして今度その彼氏に会わせてやると啖呵を切った」


「おう……」


「だから今度、僕の友だちに会ってくれない? 僕の彼氏役として」


「アホかキサマ」


 掛野は天を仰いだ。ブリッジに近い角度で身体をのけぞらせ、目前のアホの奇行を嘆く。


 毎日お互いの家を行き来するのは良しとしよう。しかしヤリ合うとはなんだ。勝負していることを言い換えているにしては卑猥な意図が透けて見える。腐っても女なのだからもう少し言葉を選べ。


 この話は嘘ではないだろう。呆れるほどプライドが高く煽りに弱いイズミがそんな言い方をされれば見栄を張るのが当然だし、そうでもなければお互い気に食わない仲の掛野に頼み事をするなどあり得ない。


「あのなぁ、お前――」


 態勢を戻してイズミに向き合った掛野は息を呑む。


 終始涼し気な声音で話していたイズミだったが、それは虚勢だったようだ。俯き加減の顔は耳まで真っ赤に染まり、唇を噛みながらぎゅっと手を組んで、目には涙さえ見える。


 振りとはいえ彼氏になれ、と異性に言っているのだから恥ずかしいのは当たり前だろう。相手が掛野なら悔しさもあるかもしれない。


 憎たらしくうっとうしい普段のイズミとはかけ離れた弱弱しい姿。これほどあからさまな弱味を見せられれば――全力で煽りに行きたくなるじゃないか。


「いやぁ、イズミさんのような美人さんが彼氏の一人もいないなんて驚きですねぇ」


「ぐぬぬ」


「おまけにそんなに顔を赤くしちゃって。本当にウブなんですねぇ。あ、もしかしてコウノトリが赤ちゃんを運んでくるとか思ってるタイプかなー?」


「この、いい加減に……!」


 意を決して顔を上げたイズミの眼前に、掛野は雑誌をつきつけた。


 少々大人向けな内容も含む青年マンガ誌。その内で上から二番目くらいに性的なページを開いている。


「ひゃあ!?」


「ぷくく、どうしましたー? ただ肌色が多いだけの健全マンガでございますよー?」


 両手で顔を抑えて身を伏せるイズミ。掛野はイズミの耳元でねちっこく追い打ちをかける。さっきゲームでも口でも負けた分の報復であった。


「……くたばれっ! しょーりゅーけん!」


「グハァっ!?」


 ついに我慢の限界を迎えたイズミは全力のアッパーカットを放った。小さな拳が掛野のみぞおちに突き刺さる。しかし、前のめりに倒れた掛野の口元には笑みが浮かんでいた。


「ははっ、俺の、勝ちだ!」


「はっ!? く、やるじゃないか」


 そう、煽り合いは先にキレた方が負けなのだ。一度煽られる弱味を見せたなら、正解は相手が飽きるまで耐えるか正面から論破するかの二択のみ。ちゃぶ台返しめいた暴力行為は降伏と同義だ。今夜の煽り合戦は一勝一敗に落ち着いた。


「ゲホッゲホ、と、とりあえず、お互いの頼みを聞くってことで、いい、ゲホッ」


「……それでいいけど。効きすぎだろ。大丈夫?」


 ついでに頼み事の件も解決した。イズミは掛野のチームメンバーに、掛野は一時的にイズミの彼氏を演じる。


「バカヤロー、お前の貧弱パンチなんざ効くわけっ、ゲホっゲホ!」


「あー、分かったから黙ってなよ。ったくもやしゲーマーめ」


 イズミは掛野の呼吸が整うまで背中をさすった。


 その後、お互いの頼みについて打ち合わせを行う。イズミの方は別に日取りを決めているわけでもなかったので、ひとまず日程の決まっているチーム戦トーナメントの方へ先にかかることとなった。といってもエントリーの手続きやチームメンバーへの連絡などすべて掛野が請け負うため、イズミが特別にやることはない。


 この日は木曜日。トーナメントは土曜日の午前から行われる。


 翌日の金曜日、薄い壁越しにネット対戦を、直接顔を合わせていつもより濃密な煽り合戦を一日中行って、二人はトーナメント当日を迎えるのだった。


---


 トーナメント会場であるイベントスペースは、ターミナル駅に隣接するショッピングモールの一階にあった。一階から五階まで吹き抜けになったモールは広々としていて、アクセスが良く品ぞろえもいいことから毎日多くの客でにぎわっている。


 その客の多くが各階層の手すりに寄りかかり、一階で進行するイベントを興味深げに観戦していた。広場となっている一階の一角に巨大なスクリーンが一つと無数のモニター、ゲーム機が設置され、トーナメントが進んでいる。


 トーナメントの様子はカメラを通してネットでライブ配信されており、コメント欄は会場の熱気に負けない盛り上がりを見せていた。


『今きた。カケノチームはどうなった?』

『キヨコちゃんペロペロ』

『ファックカケノ』

『カケノチームなら笑える勢いで勝ち進んでるよ』


 大会参加チームは全部で八チーム。相手の体力を一度ゼロにすると一ラウンド、二ラウンド取って一セット。先鋒、中堅、大将戦の三セットのうち先に二セットとれば一勝。二勝したチームが勝ちとなる。


 そんなルールのもとで一回戦をストレートで突破したカケノチームは、今現在二回戦の中堅戦を行っている。すでに一セット目を勝ち取っているため後一セットで勝利だ。


『さあ最終ラウンド、ここをとれば決勝進出が確定するカケノチーム。カケノが召喚した最強の助っ人の勢いが止まらない!』


 実況解説のあおりを受け、ゲーム画面とは別に中堅戦を戦うプレイヤー――イズミの顔がアップで配信画面に映される。涼しげな横顔とよどみない手つきからは余裕がにじみ出ていて、コメントではその正体への興味と憶測が囁かれている。


『この余裕っぷりからしてどう見てもプロなんだけど』

『プロならスポンサーの名前アピールくらいするだろ、上下ジャージなんて着てこねえよ』

『最強の最弱キャラ使い』

『カケノの彼女? だったらキヨコちゃん立つ瀬ないな』

『男の子か女の子かそれが問題だ』

『僕は男の娘がいいです』


「変態じゃねーか!」


「せ、先輩? 試合見ましょうよ」


 掛野が暇つぶしがてらコメント欄をスマホで流し読みしつつツッコんでいると、横から控えめに袖をひかれた。見ると、いまどき珍しいメガネにおさげの少女が掛野を見上げている。


 掛野と同じ企業ロゴの入ったティーシャツを着ている彼女は、掛野と同じ時期にプロ入りしたプロゲーマー、キヨコだ。本名は山内清子。アマチュアから入ってきたプロゲーマーの中には知名度を考えて、プロになっても昔のニックネームを使い続ける者が多い。キヨコもその一人だ。


 真面目な彼女らしくチームメンバーの試合を見るよう抗議するが、掛野はふてくされたように「ふん」と鼻を鳴らす。


「結果は見えてる。大会上位の常連レベルならともかく、対策を詰めてない並の連中にアイツが負けるなんざありえねーよ」


「だ、だからってですね、素人さんなのに顔出しまでして出てくれてるんですよ。きちんと見なきゃ失礼です」


 キヨコの言うとおり、イズミは全世界にネット配信されている大会に素顔と実名をさらして堂々と出場している。掛野もその心意気には感動していたかもしれない。相手がイズミでさえなければ。


「顔出しするけど大丈夫か、って聞いたさ。あいつはなんて答えたと思う? 『世間に晒して恥じるようなモノは持ってない』だと。あの自信過剰女が……!」


「あ、あはは」


 イズミのどや顔を思い出して歯ぎしりする掛野。実際イズミの見た目は掛野が口出しできないほどに整っているし、格ゲーの実力も現時点では世界トップクラスなので恥になる部分は一つとしてない。


 とはいえ、プロとして初めて大会に出たとき緊張で呂律の回らなかった自分と比べると、掛野としてはイズミの堂々とした態度が悔しかった。その気持ちを紛らわすように、ヤケクソ気味の声援を飛ばす。


「がんばれー、イズミちゃーん!」


 イズミの肩がビクリと跳ねた。手元が狂って難易度の低い基本のコンボを失敗し、その隙に手痛い反撃をもらってしまう。


 しかしそれまで優勢に進めていた勢いのおかげでどうにかラウンドを制し、チームの決勝進出が決まった。


「よう、危なかったな」


「だ、れ、の、せいだと思ってるんだこのワカメヘッド!」


「誰がワカメだこのチビ女ァ!」


 相手選手と握手を交わしたイズミは肩を怒らして掛野へ詰め寄る。


「君にちゃん付けなんてされると鳥肌が立つんだよ! おかげでバカみたいなミスしちゃっただろ!」


「はん、その程度でプレイに影響出る方が悪い。プロはどんな野次にも動じないもんだぞ」


「僕はアマチュアゲーマーだ! そして君の声は数千数万の大ブーイングにも勝る不快音なんだよっ!」


「なんだとコラァ! 人の声援を騒音扱いたあどんな了見だ! おいキヨコ、お前もこの背と器の小さいチビ野郎になんか言ってやれァ!」


「ええと……ふ、二人とも仲がいいんですね」


「どこがだ!」


 声をそろえて反論する二人。


 勝利者インタビューにやってきた司会進行役は、所在なさげに苦笑いを浮かべている。中途半端に差し出されたマイクがむなしい。


「あ、あのう、チームカケノの皆さん。勝利者インタビューよろしいでしょうか……?」


「おっと、すみません。構いませんよ」


 意を決して割って入った司会者の声にこたえ、掛野は営業スマイルを浮かべた。あまりの豹変ぶりにイズミはげんなりした顔でドン引きする。


「えー、二回戦も一回戦と同じく、先鋒にキヨコ選手、中堅に助っ人のイズミ選手というオーダーで見事勝利をおさめました。今のお気持ちは?」


「はい。人数合わせに誘ってみたイズミさんが案外活躍してて困惑しています。彼女ばっかり目立ってるのが気に入らないので、今度は彼女を大将にしたいですね」


「はぁ~? 君さあ――むぐっ!?」


 案の定突っかかってきたイズミだったが、掛野の目くばせを受けたキヨコに口をふさがれて退場していった。今インタビューを中断されると配信の流れが放送事故に近いレベルで乱れる。なお、先ほどの口喧嘩配信ですでに放送事故扱いされているのには気づいていない。


 イズミが思った以上に活躍していて困惑しているのは事実だった。イズミの実力は知っているが、さすがに衆人環視の緊張感で多少は動きが鈍るかと思ったのに、初戦から危なげない動きで実力を発揮した。それに加えキヨコもいつも以上の活躍を見せ、三番手の掛野が出ることなく勝利が決まってしまう。別に出番がないのはいいけれど、イズミだけ目立って自分は目立たないのだけは我慢ならない掛野だった。


 チームの闇を垣間見た司会者は「そうですか」と頬を引くつかせて相槌をうつ。


「えー、たった今連れていかれたイズミ選手ですが、コメントでは彼女について多くの質問が寄せられているようですね。一体どういったご関係なんでしょう?」


 これはチャンスだ。掛野はほくそ笑む。


「弟子です」


「弟子、ですか?」


「はい。たまたま近所で会ったのですが、出会い頭に弟子にしてくれと――」


「君のような師匠がいてたまるか!」


 ドゴォ、と鋭いローキックが掛野のスネに突き刺さる。配信画面外での暴行により、掛野の『自分に有利な関係を吹聴して既成事実にしよう』作戦は水泡に帰した。視界の端で必死に頭を下げているキヨコが目に入る。どうやらイズミは制止を振り切って掛野の口を塞ぎに来たらしい。


 うずくまってフェードアウトした掛野に代わり、イズミがマイクを奪う。


「えーとですね、僕と彼は元々知り合いだったんですが、おととい土下座で頼まれたんですよ。急遽助っ人が必要になりました。イズミ様がいれば優勝は確実です。なんでもするからお力を貸してくださいって具合に」


「ホラ吹き娘がァ! 俺が土下座なんざするか!」


「ホラ吹きはそっちだろ! ていうか君が先に頼んだのは事実じゃん!」


「先も後もあるか! お互い貸し借り無しだってことになっただろーが。マイクよこせ、俺が真実を伝えてやる!」


「いーや、真実は僕だ! それと中堅も絶対僕だもんね!」


「えー、皆さん、次の決勝戦は三十分の休憩をはさんだ後になります! カメラ、カメラ止めて!」


 マイクを奪い合う掛野とイズミ、その横でおろおろしているキヨコ。収拾不可能と判断した司会者は、話の流れをぶった切って最低限の告知をした後、強引にカメラを止めた。


 類を見ないほど加速したコメントの流れにより、しばらく配信サイト全体が重くなったという。


---


 腹部に強い圧迫感を覚え、掛野はうめきながら目を開いた。


 よく知っている自宅アパートの薄汚れた天井。少し顔を動かしてみると、デジタルの目覚まし時計が午前五時を指している。窓から見える空は曙光で橙に染まっており、朝の風があけ放した窓から吹き込んでいた。寝汗と夏の暑気でほてった身体が冷えていく。


 次に圧力を感じる腹の上を見て、「ああ、そうか」と状況を思い出した。


 掛野の腹の上に背中をくっつけエビぞりになって寝息を立てているのは、小憎たらしい毒舌チビ少女、イズミだった。上から見ると掛野とイズミの身体で十字型になっている。イズミの向こう側には電源のついたままのモニターとゲーム機が見える。


 あのインタビューの後、ジャンケンで掛野の出番は大将戦となり、結局キヨコとイズミの二人で優勝が決まってしまった。本当はジャンケンではなく三人で十セット先取の試合をして公平に順番を決めたかったのだが、時間がなかったのだ。


 意外だったのは、ほとんど無双状態に近い大活躍を見せたイズミがそのことを大して自慢しなかったことだ。大会に出場するプレイヤーは、大会で当たる可能性の高いキャラクター対策を詰めていることが多く、オンラインでも大会でも見かけないイズミの最弱キャラに対策を立てているプレイヤーがいなかった。対策がなくとも競り勝てる地力のあるプレイヤーもいなかった。活躍している本人が、活躍の理由をそう分析しているらしい。


「まあコイツはどうでもいい。キヨコのヤツには後で詫び入れとくか」


 独り言ちる掛野はおさげの少女を脳裏に思い浮かべる。


 キヨコは掛野の母校の高校に通う女子高生で、掛野を先輩と慕いしばしば教えを請う。しかし今回の大会での掛野はイズミに対応するので忙しくさほど話せなかった。ほんの少し奇妙奇天烈なところはあってもキヨコは大切な後輩だ。今度埋め合わせの必要があるだろう。


 なんにせよ、プロゲーマーの仕事はとにかく目立ってスポンサー企業の広告となること。その点で言えば、昨夜は手間をかけず優勝の名誉を手に入れただけでなく、いい意味でも悪い意味でも目立ったので大成功といえる。


 とはいえ自分を差し置いてイズミばかりが活躍したのは心底気に入らなかった。そこで優勝チームインタビューもそこそこに自宅へ戻りイズミに勝負を吹っ掛けた。夕食の用意も忘れ、煽り煽られながら勝った負けたを繰り返し、気づけば今の状況だ。


「寝落ちしたのは初めてだ。腕が痛い……」


 六十分の一秒単位の読み合いと複雑なレバー、ボタン操作の必要な格ゲーをプレイするには高い集中力がいる。それを寝落ちするまでプレイし続けたのは初めての経験だった。腕も頭も痛い。


 ただ、こんな状況でも勝ち負けを気にするのが掛野という男である。


 黒く染まった手のひらと甲を確認する。そこに油性マジックで記録された正の字によると、35勝36敗。念のためイズミの手の記録を確認しても一致する。まさかの負け越しであった。


 イズミを起こさないよう、仰向けのまま長い腕を使ってアーケードコントローラーを引き寄せる。ポーズ画面で止まっていた試合を再開し、動かないイズミのキャラを一方的に――


「させるかぁ!」


「何い!?」


 叩きのめそうとしたところで、イズミが飛び起きる。獲物に飛び掛かる猫のようにアーケードコントローラーに組み付いたかと思うと、寝起きとは思えない精度で操作を開始する。


「寝込みを襲おうったってそうはいかない。勝ち越し記録はいただきだ!」


「くそったれ、プロをなめるなァ!」


 腕も頭も目も痛いし、寝起きで頭がはっきりしない。それでも意地を張り合う二人は関係なく、早朝から全力でぶつかりあうのだった。


---

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