剣の刃が欠ける頃

夏木裕佑

序 章「鍛鉄の儀」

第一話

 戦争は忘れない。自分達を生み出したのが何者であり、平和が如何に醜いかを。

 誰かがそう言った。彼か、彼女か、はたまた娯楽に興じる人々のために生み出された人工知能がものの数秒で書き上げた小説の一節か。言葉の羅列が文章となり、意味を為すが、言葉を紡ぐのは人間ばかりではない点が、現代において知性の定義を難しいものとしている。

 しかし、戦争という概念そのものに対して向き合わなければならないのは人間であることに違いはない。善悪や道義を問う以前に、戦争とは現象であるからこそ、その本質を議論して恣意的な世界認識に落とし込むのはナンセンスだ。

 地球上のどこかで初めて争いが発生した時から、我々の生活は二極化された。即ち、戦争と平和である。どちらの立場からでも、「戦争をしていない時が平和、平和でない時が戦争」と説明できるほどに明確な言葉ていぎで、我々は長閑のどかで生命の危機のない環境と、その人たちが呼吸をするのと同じように命をすりつぶしていく想像を絶する地獄とを、たった一言で表現するようになってしまった。そして得てして、言語化されるまでもない単語が大きな概念を意味する時、人間はそれが何であるかを真に理解することはない。

 二十一世紀に入ってから、国家間の対立は相変わらずの日常茶飯事であったものの、実際に大規模な軍事力を行使した国家間紛争は鳴りを潜めていた。単に、「割に合わない」と皆が気付いた故であり、高価で高性能な兵器と選び抜かれた人材は、よりクリティカルで局所的な戦場へと投入される。軍は増加するテロや少数人数による非正規任務に専ら従事するようになり、情報戦、サイバー戦争などがもたらした奇妙な平和と戦争の共存したのっぴきならない緊張状態が、地球上のあらゆる場所で蔓延することになった。こうして、文明発祥以来二極化を遂げた社会状況はその境界線が曖昧なものになり、二つの色が混じり合えばひとつに溶け合ってしまうが如く、現在は平和なのか、それとも戦争をしているのかという議論がしばしば交わされることとなった。

 奇妙な時代が過ぎ去っていく中で、飼い殺しと呼ぶには生温すぎる扱いに、戦争という概念そのものが怒り狂ったのだろうか。そう思えるほどに重大な出来事が人類社会を揺るがす。

 二〇三二年五月、所属不明の黒い無人兵器群の存在が南極大陸にて確認される。同年八月、同じく南極大陸に建設されていた日本国管轄のあずさ基地が、謎の黒い無人兵器群の襲来を受けて壊滅した。通信が途絶し、生存者はゼロ。周辺に展開している諸外国の調査チームでさえその状況を把握できなかった。国際化され非武装地帯となった南極大陸における軍事力の行使は国連議会を紛糾させ、世界を震撼させる。その熱が冷めやらぬ間に黒い塗装を施された兵器群の存在が認められ、人類は地球上の如何なる国家にも帰属しない武力組織が人類に対して攻撃を敢行したのだと知る。原因究明のために派遣されたいくつかの調査チームも行方をくらませ、敵が何者であるかはさておき、南極大陸で人類に敵対的な活動を行う文明が存在した。

 国連安保理はこの無人兵器群に対抗するべく、南極大陸を取り巻く海域を封鎖。さらに昭和基地を大規模に拡張、要塞化し、南極大陸における人類の主導権奪回を目的とする多国籍軍、およそ三万を進駐させ反撃の橋頭保とした。平和目的のために建設された南極観測基地は、その規模を肥大化させ、世界で初めての南極における軍事施設となった。

 かくして軍事参謀委員会隷下の無人偵察機が、無数に蠢く無人兵器の群れが白いキャンバスにぶちまけた黒インクのように広がっているのを観測し、事態は急転直下、緊張の度合いを一気に引き上げた。既にこの時点で、昭和基地以外の目ぼしい人類が建設した施設は悉く襲撃を受けて壊滅しており、敵勢力による昭和基地攻撃は時間の問題と思われていた。

 奇妙に設けられた準備期間を経て、南極に足を下ろした兵士たちは、突如として出現した黒い波が昭和基地を攻撃する様を目撃する。程なくして戦闘へ発展。装甲を纏った異形たちと小銃を手にした人類との、最初の戦いだ。

 この南極大陸における史上初の戦闘となった昭和基地防衛戦で、人類は敗北。その後の南極戦争と呼ばれる正体不明の無人兵器群との戦いで、数億を数える人類が死滅した。

 一年足らずの、しかしこれまでのどのような戦争ともかけ離れた激しさを伴う戦いにより、人類の生存圏はアフリカ大陸中央部、東南アジア諸島の北方へと後退を余儀なくされた。生存圏の大幅な縮小は世界経済に癒えない傷跡を残し、多くの失業者が街にあふれた。敵に奪われ、オーストラリア大陸、ニュージーランド、北アフリカなどの国々はすべからく滅亡し、人間の社会という巨大な機構ですら手を出せない、まったくの自然へと回帰されていったのである。

 希望の見えない戦いはさらに続くかと思われたが、しかし唐突に、無人兵器群は北進を停止。奇妙な停戦期間が訪れる。

 それから十五年。いつ始まるともしれない戦争再開を憂慮しながらも、戦々恐々とした平穏の続く世界の片隅、あるいは中心で、ひとつの変化が巻き起ころうとしていた。





 衝撃と動揺。脊髄から脳を揺るがす衝撃が襲い掛かる。

 コックピットブロックごと巨人の手で殴られたような揺れが収まるまでは、耐えるしかない。きつく食い込んだベルトが鎖骨と骨盤を圧迫し、食いしばった歯の隙間から苦悶の呻きが漏れた。ようやく思考が回る余裕が出たところで、ああ、今の一瞬で攻撃を受けていたならば死んでいた、ともう一人の自分が皮肉を込めて酷評するのを聞く。

 操縦席の中は適度な気温が保たれるように調整されている筈だが、人間の緊張はそれ以上に発熱を肉体に促す。NBC防護能力の付与された機内は空気の流れが悪く、取ってつけたようなベンチレーターはあってないようなものだ。籠った熱気に息が詰まりそうで、加速度で蕩けそうな脳をなんとか覚醒させようと大きく息を吸い込む。

 操縦桿を握る掌が汗でべたつく。グローブをはめているとはいえ、不快だ。せめて体中を流れる汗だけでも拭いたいところであるが、そのいとますらも与えられることはない。それはわかっているのだが、事は物理的、肉体的な限界にも関わる。わかっているのにできないという事実が、殊更に胸に堪えた。多大なストレスに頭が痛む。

 座席の肘掛から斜め上方内側へ向けて伸ばされた操縦桿のボタンと、自分の脳内で想像する機体のイメージの相違に翻弄されながら、あらゆる情報が錯綜する上下左右、そして正面のディスプレイに目を走らせて情報を取り込んだ。衝撃から二秒でこれだけ読めているのは自己新記録ではないか、と弛緩した途端に鼓膜を破らん勢いの怒声が背中から浴びせかけられる。

日計ひばかり訓練生、トーションバーの癖を読めと言ったはずだぞ」

 返事をする間も無く操縦桿スティックを操作し、オートドライバーをオン。それだけの動作だというのに、傾いたコックピットの中ではとても難しい。中枢コンピュータから命令を受けた自動姿勢制御システムAPCSが、仰向けになったPGTASの各部関節動力の出力を上げた。一口にそう言っても、全身に埋め込まれた数十の駆動系に対して別の命令を飛ばし、同時に統一された動作として完成度を高めなければならない。システムのサポートがあるとはいえ骨が折れるし、訓練機には気の利いた最新バージョンへのアップデートなど施されてはいなかった。

(ぼくの身体だって言うことを聞かないってのに、どうしてこんなデカブツが素直に動くってんだ?)

 油圧と電動、二つの駆動方式を併せ持つこの関節には多大な負荷がかかっている。しかし機体は何事も無かったかのように立ち上がり、真っ直ぐに背筋を伸ばして直立。世界水準で見ても優秀な機種だと聞いているが、こうして訓練で触れる度に確信を強めるばかりである。未だ未熟な訓練生が操縦桿を握り、いくら泥にまみれてもしっかりと動き続けるのだから、兵器としてこれ以上を求めるなど贅沢に過ぎるというものだ。

 型式番号、PG=21MD。機体名は蒼天。制式配備機の退役した最初期ロットの機体を再利用した訓練用塗装が、初夏の陽射しによく映えた。白と赤色、そして青のラインが施された頭頂高十六メートルの巨人。技術革新により軽量さと高防御力を備えたモジュラー式の複合装甲は封入されたままなので、実弾を使用していないことを除けばほとんど実戦機と変わらない。故障しても交換部品の生産はまだ続けられているし、整備班にしても扱い慣れた機体だから維持もしやすい。訓練に使用するには理想的な条件を備えた機体だ。

 スタンドアロン状態に復帰すると、なんとか一息つけた。背中のウェイトスタビライザーが伸縮して重心の偏りを修正。二本のアームが奇妙な舞踊を見せ、それがようやく収まるころにも、傾いた後部座席に座っている鉢塚はちづか二等陸曹の叱責は止まらなかった。

 馬鹿、鈍間、頓馬、恥さらし。あらゆる馬事雑言が叩きつけられ、操縦桿を握る訓練生——日計ひばかり洋一よういちは歯を食いしばった。両手で操縦桿を懸命に操作して、転倒した機体各所の損傷を確認すべく、情報を股の間から生えた多目的ディスプレイMPDに表示させる。

 額から流れた汗が口の端から塩辛い味を運ぶ。瞬きをすれば睫毛に水滴が弾かれ、痛みと共に視界がぼやけた。疲弊した脳が情報を求め、本能的に瞬きを繰り返し世界を見ようとする。

 自重百トンの巨大兵器が、徒手空拳のまま広々とした土地の真中に立つ様は圧巻だった。

 十六メートルの高みに据え付けられている逆三角形型に配置された三つ目のカメラアイから取り込まれる外部映像は、自身の操作するこの機械があらゆる物体とは一線を画するスケールであることを実感させる。正しく巨人の視点だ。前左右と上下に据え付けられた高精細ディスプレイが、気持ちのいい晴れ空に照らされる港町と街並みの前に立つ漣にきらめく海面を映す。横浜港は大さん橋へ向かう客船やタグボートの航跡までも見分けられそうだ。高所からの映像は、学校の屋上に無断で入った経験を想起させ、束の間の懐かしさに口元が綻ぶ。機体に搭乗し始めの頃は、この光景に足がすくむ思いがしたものだが、今では当たり前の、自然な世界の見え方となっていた。

 全ては、この人型を模した機械が人間に与えたものだ。

 蒼天の姿は人を模してはいるものの、様相は全く異なると言っても過言ではなかった。

 先ず何よりも、その極端に肩幅を抑えられた機影が目につく。

 戦車やその他の装甲兵器と比べるべくもない巨大な正面投影面積を持ち、これは高精度の射撃管制装置による遠距離砲撃が行われる現代陸戦では極めて不利な要素となり得る。リスクを最大に減じるため、蒼天の肩幅は狭く、頭頂高を維持したまま被弾確率を極力下げる形状となっていた。

 次に目を引くのは大型のトーションバーがはめこまれた、腰の前まで伸びた長い膝部だ。容積を減じるのであればコイルスプリング式など複数の懸架方式が考えられたが、大重量に対して少しでも吸収率を高めるため、異様に長いトーションバーを膝から伸ばして装備させている。腰の前まで延長されているこのトーションバーは先端部で固定されており、ある程度の増加装甲としての役割も期待して装備されている。

 脚部と股関節から続いて細い腰部の上に載っているのは、コックピットと内燃機関の収まる角ばった前後に細長い胸部だ。さらにその上にはアクティヴ・フェイズド・アレイアンテナAESAが機体中心軸から三百六十度をカバーする四面に張り付けられた頭部が据えられている。

 武装を把持した際ににトップヘヴィー気味になる重心の補正と姿勢の維持に、背面の二段関節式ウェイトスタビライザーが背中から伸長して重心変動を補正。起立した際に負荷をかけた各関節駆動系各所の油圧系統から圧力弁が開いて甲高い音が響き渡り、モニター越しにこの様子を見学している他の訓練生の耳を塞がせた。顔を顰めているのは、何もこの騒音ばかりが原因ではない。転倒したらどのようにして教練担当陸曹から叱りつけられるかを身をもって知っているからだ。

 蒼天の機体状態がニュートライズされると同時に、取り付けられているセンサー類が自動メンテナンスシークエンスを実行して全体を走査、数秒とかからぬ内に全系統異常なしを伝えてきた。初期型の機体を訓練用として用いているのだが、相変わらずどこも異常はない。世界に先駆ける日本の高いPGTAS開発技術の賜物であり、整備委員たちが想像を絶する汗を流した結果だ。

 しかしいくら優秀な機体といっても限度がある。乗っている人間としては、人型をしていながら人間のようにしなやかで柔軟な仕草ができないのは歯痒い。ましてやまだ訓練途中である不甲斐なさを噛み締める。

 蒼天の人型を模式的に表した簡略図、各部の色が緑色に輝く。腰部関節、肩、肘、首、マニピュレータ……関節部から各部光ファイバーケーブル、オールコーションライト・グリーン。全系統異常なし。口で点呼しながら再び桿を押し倒して走行訓練に戻る。

 背後から、あれほど怒声を上げた後であるというのにまったく乱れることのない鉢塚二曹の呼吸が感じられた。

 同じ衝撃と揺れを感じているはずだが、普段と何ら変わらない様子とは恐れ入る。コックピットの動揺を極力抑えるように走行しているものの、それでも多少の揺れは残るのだ。自然、呼吸は乱れ、無駄に体力も消耗されていく。

 額の汗が流れると同時に、背後では鉢塚がよく通る声で言った。

「頭で考えて動かそうと思うな。思考を挟めば反応速度が落ちる。座学で学んだ基本操作方法を反射で実行しろ」

「はい、二曹」

「もう一度だ。さあいけ」

 また転びそうな気がする。凹凸のつけられた訓練用のコースを睨み、意を決して日計は蒼天を前に進ませた。





「日計くん、また怒られているのねぇ」

 同じ訓練用蒼天ではあるが、単座型のPG=21Mのコックピットブロックにおさまっている鷺澤さぎさわ朱里あかりが呟いた。

 直立姿勢の鷺澤機と他の二機が一列横隊で並び、目の前で高速走行の実地訓練を再開した日計機の様子を眺めていた。

 暇つぶしに戦術データリンクシステムから流れ込む各種通信状況の確認を行いながら、鷺澤はため息をつく。今日のシフトではない他の訓練生は、演習場の脇にある涼しい室内でこの様子を画面で眺めているだろう。

 今日のように、教練担当陸曹の中でも古株で最も恐れられている鉢塚二等陸曹が直接、訓練生に対して指導を行うのは珍しくない。しかし不定期で、数に限りのある訓練機をローテーションで回している訓練生にとっては一種の博打だ。さらに言えば、昨日の天気が大雨だったせいで現在の演習場はどこもかしこも最悪の路面状況で、大きな水たまりがいくつも茶色い斑模様を描いている始末だ。

 そういうわけで、日計、鷺澤をはじめとする四人は、同期からは憐まれているのだが、鷺澤はまだ自分が幸運であると理解している。複座型の機体に鉢塚と共に乗り込む一人が最も不運なのだ。

 しかしまあ、よくやるもんだわね、と鷺澤はいつも通りの驚きを込めて操縦桿を撫でた。

 初期ロットの最も古い部類に入る機体とはいえ、この訓練用蒼天はよく整備されている。訓練用ということは練度の低いドライバーが扱うということであり、実戦とは一味違った負荷がかかってくる。同時に、訓練機の費用を抑えるための退役機転用である。この蒼天も製造されて何年を経たものかは定かではないが、擦り減った操縦桿、人間の汗のにおいが染み着いた生々しい空気感のコックピット、新品と中古品が入り混じったケーブルを見ればどれだけ擦り切れた機体かは一目瞭然だ。

 航空機にしろ装甲車輛にしろ、訓練機というものは存在する。金のかかる装備を剥ぎ取った廉価版だが、PGTASに訓練機はない。この先進的かつ、有り得ないほどに巨大で精緻な兵器は、訓練用如何を問わず製造に膨大な費用がかかるのだ、そのため、訓練機用の小規模な製造ラインを組むこともできず、ましてや訓練生全員が毎日手で触れていられるほどの機数を揃えることは不可能だ。そのため、多くの訓練生は教科書を片手に冷房の効いた部屋に押し込められ、他の訓練担当教官からかいつまんだ説明と、ケースバイケースの問題解決法を学んでいく。そしてスクリーンに映される犠牲者の醜態を見て、自分達が同じ憂き目に遭わないよう、学ぶしかなかった。

 今日のシフトは日計洋一、鷺澤朱里を含めた四人。鉢塚二曹は例外なく複座型の後部座席に収まり、緊急事態ともなればドライバーの操縦系統に介入して操縦することもできる。緊急事態とはつまり訓練生が「国家的損失につながり得る馬鹿げた行為」をすることであり、まあ、要するに貴重な訓練機を破損させるような操作ミスを意味する。使い古しの訓練機とはいえ一機百億に迫る値段は操縦桿を握る手を鈍らせ余分な慎重さにつなげるにじゅうぶんだ。

 ドライバーモードがオートになっているのを確認しながら、鷺澤は操縦桿から手を離してヘッドギアを外す。汗でへばりつく前髪を掻き上げ、それを新たにかぶりなおした。

 今は空虚重量のために身軽な機体ではあるが、接地モードやシステムの調整が少しでも上手くいかなければ、容易に転倒する。ヴェトロニクスに記憶されたシステムの最適化を言葉に表現するならば一意専心だ。要するに他の分野への補正では全くと言っていいほどに危険な操縦感覚になる。世界最高である日本独自のAPCSやサスペンションでも、ドライバーの習熟した操縦無しでは転倒は避けられないのが常識だし、訓練生は初めて操縦桿を握った時からこのことを体で覚え込まされる。構造上、いかなる衝撃にもエアバッグが作動してドライバーは無傷でいられるが、慣性が補正されるはずはない。瞬間的な加速度は戦闘機のそれに匹敵すると言われている。心身ともに疲労度が募るばかりだ。ましてや、戦闘中の転倒はそれ即ち死を意味するし、過酷であることには何ら変わりなかった。そもそもが重量のある機体を非力な人間が操作するのに無理があると思えなくもない。

 PGTASが十六メートルの頭頂高を有するに至った理由は極めて単純だ。既存の戦闘車輛よりも口径の大きな砲煩兵器を、超遠距離から目標へ向けて投射するために高い視点を備える必要があったのだ。地平線を隠れ蓑にした機動砲撃戦と呼べばいいか。そのための巨体であり、重量である。

 最新の射撃統制システムFCSに直結されたPHARによる目標位置情報と頭部に光るメインカメラ、さらに風速や温度、コリオリ力までをも計算に入れた環境センサーによって極めて高い命中精度で砲弾を撃ちだすことが可能だ。さらに二足歩行による戦術機動性や河川渡渉能力の高さと、最新の軽量複合装甲による主力戦車にも劣らぬ前面装甲強度を実現した。抑えきれない重量増加は両足の軸に平行してサスペンションを通し、コイルスプリング式のダンパーと膝部のトーションバーで衝撃を受け止める方式を採用したことにより、地形追従性能と接地圧分散に効果を上げている。巨大な膝部は他に、脆弱な股関節の保護と、脚部重心をより可動部に近付けるのに一役買っていた。

 人類最強の兵器と言っても過言ではないこの巨人を、自分自身が操っていることに未だ夢現の彼女だった。

<おれに比べれば、まだ及第点だろ。あいつの十倍は二曹に叱られてる。というか、あいつの操縦適性は同期の中でもトップクラスだ>

 隣りの機体に乗り込んでいる久世くせ訓練生が感心したように言う。日計と同室の男性訓練生だ。同い年である。はずれを引かずに弛緩している彼を、鷺澤は鼻で笑った。

 無線通信とはいえ秘匿性の高いレーザー通信を使用しているため、鉢塚二曹には聞こえてはいないものの、訓練中の私語は憚られる。無線周波数が違うからといって、他にもいる教官に傍受されていない確証はない。それに、集中力が削がれれば教官たちは必ず見抜く。

「久世はできが悪いからね」

<ひでぇな、鷺澤。お前だって怒られることあるだろ>

「あなたたちよりかは優等生よ」

 さらりと言う彼女はといえばここ、みなとみらい駐屯地に所属している第二PG教育隊の中で、最も高い成績を収めている成績優秀者だ。少なくとも二週間前の鉢塚二曹の言葉によれば、そうだ。今はたぶん、日計のほうが上手だろう。見ていればわかる。彼の操縦技量は訓練生の中で最も伸びているのだ。

 鷺澤はといえば、幼い頃から機械に触れて育った素養がある。祖父は他界するまで町工場を経営しており、資材搬入のために買い揃えていた私有地内の重機には慣れ親しんだ。フォークリフトやトラクターなど、私有地で自分の体を木端微塵に粉砕するパワーさえ持っているそれらを扱うのは、好きだった。今もこうしてPGTASの操縦に関わっていられるのはとても幸運なことなのだと、少しばかり飛躍した考えに微かに頬を緩める。

 こんな女を好く物好きはいるのだろうか。同室の女子訓練生からはそう言われる毎日である。彼女らはいい男を見つければ、すぐに身を固める気でいるらしい。今の日本では自衛官として武力の一部となるか、子を産んで人口増加に貢献するかが重要だとみなされる。いや、大々的に言われることは無いが、そのほうが肩身の狭い思いをしなくて済むのは間違いない。

 それが楽なんだ、と皆は言う。

 しかし楽な生き方など、どこにあるだろうか? どんな人生でも、苦しいこと、悲しいことはたくさんあるだろう。問題は自分で納得して生きていけるかどうかではないのか。であれば、適当な相手を見つけて共に生きていく誠実な誓いを立てるのは意義があると言えるのだろうか。

 そんな彼女自身の意志とは関係なく、鷺澤朱里はこの駐屯地で広く注目を集めている。それほど、彼女の容姿は整っていた。

 セミロングの黒髪はそのままヘッドギアから伸び、整った目鼻立ちは少し冷たい彼女の態度と相乗効果で美しく見える。芯の強さを覗わせる両眼で、蒼天のディスプレイが表示する周囲の状況に気を配る姿に見とれる異性は多い。さばさばとした裏表のない性格から同性からの評価も高い。

 彼女はふとディスプレイの一面に目をやる。大きな黒瞳には薄暗闇で光るディスプレイの明かりを反射し、画面のあちこちを見ようと忙しなく視線を動かした。

 駐屯地が所有する敷地の境界を示す大きな鉄条網の据え付けられたフェンス、その向こう側に列を成している小学生の集団が見える。何事かを説明するワイシャツ姿の女性自衛官も。首を捻ってボタンを押せば、HMDに連結接続されたシステムが彼女の首の向きを感知。蒼天の首も同じ視線方向へ誘導される。HUD表示も追従し、前左右に上下を囲むメインディスプレイの映像は固定されるものの、ズームなどの機能が各部で調整される。

 拡大された女性自衛官は両手を振って駐屯地の説明をしているらしい。半袖ワイシャツの下に見える、同性の鷺澤から見ても大きな胸がエキゾチックな曲線を描いている。長い髪の毛もその印象を助長して、なぜ自衛官になったのだろうと思わせるほどに端正な横顔がちらりと見えた。夏の陽射しに当てられて、汗で下着が透けている。小学生の情操教育には悪いだろう。

<次、鷺澤! 聞こえてるのか貴様!>

「はい! すみません、二曹!」

 鼓膜を破りそうな無線通信に飛び上がる。後れを取りもどそうと急いで操縦桿を倒した。鉢塚は成績優秀者だからといって容赦はしない。むしろ、より高いレベルを要求してくる。失敗にはその対価を十倍にして償わせるのが彼のやり方だ。例え内閣総理大臣相手であっても、その姿勢は変わることはないだろう。

 だがそれも私事、彼女が焦る理由は別にあった。彼女が怒鳴られると、日計洋一に迷惑がかかる。彼は真後ろに鉢塚を乗せているのだ。

 彼へ借りを作るのはごめんだと、彼女でも知らない部分が叫んでいた。





 そんな鷺澤朱里の気遣いを無に帰すように、日計洋一は機体を射撃訓練場へと進ませていた。

 後部座席で鉢塚が叱責する対象が自分から彼女へ逸れたことに心から安堵している彼だった。

 一方で、これから取り組む射撃訓練に集中しなければならない。多くの訓練生が及び腰になるほど難しい教科であり、息つく暇もない。数瞬とはいえ弛緩する時間は貴重だ。

 みなとみらい駐屯地の演習場は、自衛軍が各地に持つ同様の演習場と比して非常に面積が小さい。バブルの折、高級マンションや多数の商業施設を併設した新区画の建設案が持ち上がったが頓挫した区画である。以来、疎らな新地を埋めるためだけにショッピングモールや映画館が建設されたものの、南極戦争の勃発に伴う深刻な経済不況と少子高齢化により広大な敷地が残された。これを利用して建設されたのがみなとみらい駐屯地であり、今、蒼天訓練型が踏みしめている埋立地の由来である。

 広いとは言っても実戦状況を再現するにはかなり無理のある敷地面積のため、同駐屯地には各種訓練を実施するための工夫が凝らされていた。

 横浜港の外洋から隔てられた海面には、天候観測用に入って気経済水域に敷設されている観測ブイに似た物体が浮かんでいる。明るいオレンジ色で塗装された円錐の上には固定標的が並び、いくつかが並んで漂っていた。

 蒼天のFCSが戦術データリンクと呼ばれる各波長の電磁波通信と確実で素早い通信を可能とするレーザー通信とを併用した情報ネットワークを経由し、仮想データサーバへと情報をリクエスト。仮想空間へ保存されている各種情報を参照すると目標それぞれの相対距離は八百メートル、千三百メートル、千八百メートルだ。陸上戦闘、特にPGTASにとっては至近と言って差し支えない距離である。海面上は東側から秒速十五メートルの風が吹いており、容赦ない夏の太陽はセンサー類を曇らせる。ちりも積もれば山となった環境要因が、人間では感知できない微妙なずれを生じさせて精密照準に致命的な影響をもたらすだろう。単純に一度ずれただけでも、射撃が遠距離ならば数十メートル離れた場所へ弾が飛んでいくシビアな世界だ。これが実際には一ミルというさらに微小な角度基準が用いられた場合にも同様となる。

 高い精度が要求されるのみならず、砲撃は敵より早く、一発でも多く撃ち込むことが要求された。単純な威力だけでなく弾薬投射量を火力の目安としており、それは現代の戦術思想の中でも特に重視されている。

 主力戦車、航空母艦と並んで現代のRMAを支える巨大人型兵器。それがPGTASだ。

 未だ戦車が陸上戦闘における走攻守を兼ね備えた唯一の兵器であった時代、砲を目標へ指向する射撃統制システムFCSによる砲口安定機能により陸上戦闘は一変した。

 装甲車輛は近代戦争のように立ち止まって撃つ運用を捨て、時速五十キロで疾走しながら敵へと弾を叩き込む機動戦運用へと脱皮を果たした。機甲師団はいわゆる騎兵隊的運用を容易にし、イラク戦争や湾岸戦争では市街戦を別として、平野部における陸上戦闘の様相はそれまでの戦場よりもかなり流動的な要素を強くした。

 対抗戦術として編み出されたのが、市街地や山岳などの肉薄戦闘を行いやすい険しい地形でのゲリラ戦である。特に携行対戦車火器技術の発達により、歩兵の対戦車火力が非常に高まったことでこの戦術は有効性を示してきた。戦車という兵器が持つ機動力を減じ、車体上面など装甲が薄い弱点部位への奇襲が歩兵の主たる戦術となった。ソヴィエト連邦によるアフガニスタン侵攻やイラン・イラク戦争ではこうした非対称戦闘が数多く実施され、第四次中東戦争のゴラン高原の戦い、イラン・イラク戦争における米軍とイラン軍戦車隊による大規模な機甲戦闘はいつしか姿を消した。

 だが今、人類が戦っている敵に対して、同じ人間に対する戦術は有効とは言い難い。撃破すべき敵の数の多さから、戦術思想は半ば第二次世界大戦時に逆行しつつある。要するに狙い済ました一撃を見舞うのではなく、火力と兵力で敵を圧倒し撃滅するという戦法だ。

 また、敵機は軍を束縛する経済という鎖から自由であるため、個々の兵器の性能は人類よりも高水準だった。時には一体に十発前後を撃ち込む必要があるなど、人類は質と量ともに劣勢な状態での戦闘を強いられる。これを覆す、あるいは拮抗するには火力を以て相対し、戦術により劣勢を覆す必要があった。

 自身よりも高度な技術と物量を保持した優秀な軍隊が敵となった時、人間は愚かな同士討ちの中で互いに向け合っていた銃口を、ようやく共通の敵へ向けることになったのは皮肉なものだった。

 理由は至極単純である。目先の勝利を取るか、人類絶滅を許容するか。欠片でも理性を持つ者であれば考えることすらも馬鹿馬鹿しい二択を迫られた。

 黒い軍隊、人々は無数の無人兵器の大群を指さしてそう呼ぶ。最初に国連の報道官が口走った呼称がそのまま定着したらしく、誰にとっても納得のいく名称であるために広まった。悪魔や怪物の名前を付ける者も大勢いたが、宗教的観念から黙示録の最終戦争までを連想して民衆がパニックに陥るのを防ぐため、敢えて固有名詞でなくこのような単純な名前になったのだとも言われている。

 十六年前に南極大陸から現れた無人兵器群は溢れるように世界地図を黒く染めた。国連軍が敷いた重厚な防衛線を幾度も突破し、オーストラリア大陸、東南アジア諸島、続いてアフリカ大陸南部を蹂躙した。それぞれの戦場で、陸海空全ての兵力において敵は人類を凌駕しており、為す術もなく人類は南半球における活動領域を南アメリカ大陸を除き放棄させられるに至る。

 押し寄せる軍勢の前に、人類が誇った兵器と精鋭を以て鳴る優秀な兵士達の数々は完膚なきまでに叩きのめされたのが十六年前。歴史学者の一説によれば、正確な数こそ測れてはいないものの軍人だけで百万、民間人を含めると五千万を超える死者を出した。尚、行方不明者はここには含まれていない。電撃的な侵攻の前に逃げ遅れた人々の数は想像を絶し、総人口は二割を損失したと言われる。実に二十億人に迫る人命は、言うまでもなく史上最大の死傷者数だ。

 二割の損失。なんと簡素な響きだろう。乾いた言葉はレトリックでしかない。その本質が意味する数字の重さを想像して、日計の背筋に寒いものが走る。

 これらの数字は各地に残存している黒い軍隊を駆逐して、主導権イニシアチブを奪回したとしても明らかとはならない。黒い軍隊は人間の死体をあらゆる方法で、地球環境にとって無害な形で処理する。榴弾に引き裂かれ、機関砲で霧となった群衆の肉片を重機が搔き集めてコンテナへ詰めていく映像がネット上にアップされることもあった。凄惨な光景は様々なメディアが恐竜的成長を遂げた現代社会を駆け巡り、互いの争いではなく突如現れた「人類共通の敵」に対する多大な恐怖を人心に植え付けた。

 ひとつの大陸に収まりきらない、南半球全土へ及んだ壮絶な戦いはしかし、東南アジアでのある事件を境に開戦時と同様な唐突さで休戦状態へと移行する。足を止めた黒い兵器群に慄きながら、この十五年間、世界は来るべき再戦の日を憂えて準備をしてきたというわけだ。

 結果として、南極戦争開戦時より安保理から圧力を受けて軍事援助を行っていた日本国は、遂に戦後から最高法規として君臨していた日本国憲法、その第九条を改正した。敵は意思疎通が不可能な未知のものだ。和平交渉など行う余地はない。国防とは即ち生存をかけた戦いであることは火を見るより明らかで、かつてない世論の後押しにより政府は半ば強引とも思えるほど強気の政治改革を行った。

 日本の再軍備を当時の世界情勢は歓迎したと言われている。「自衛隊」は「自衛軍」へと名称を変え、組織再編と軍備増強の一途を辿った。それは東南アジア方面における先進国としてかねてより構築していた東南アジア諸国との軍事同盟が崩壊しつつある今、たとえ一国であっても屈さないという覚悟の表れでもあったし、仮に北米やユーラシア大陸へ戦火が拡大した場合に極東の島国を救うだけの兵力は国連には存在しなかったのである。身を守るためにはひたすらに軍備を固めるしか手が無かった。

 既に改憲から十年以上を経た自衛軍は旧来からの中途半端な実戦経験を積んだ見せかけの軍隊ではなく、最新鋭の装備を携えた強力な軍組織へと変貌している。未だに自衛隊時代の性質を受け継いでいるとはいっても、整備された指揮系統と改良を重ねた兵器、何よりも全兵員が志願兵で構成されているという事実が自衛軍を強兵たらしめており、高校や大学に進学するのが当たり前という教養の高さも、現代国家正規軍として必要な専門性を習得するのを容易にした。

 ただ一つ諸外国にとり誤算であったのが、日本が外交政策で強硬姿勢を取るようになったことだった。日本国はPGTASを始めとする先進装備の研究開発で最先端を走っている。核兵器こそ保有してはいないが、特にPGTAS技術の独自開発に成功した最初の国家であり、現代に至るまで実用化しているのはドイツ連邦共和国とアメリカ合衆国を置いて他になく、両国と比して頭一つ抜けた技術力を保持しており、核抑止力を抜きにすれば国家正規軍として指折りの実力を備える自衛軍の存在は、非常に強い外交発言力を発揮するのだった。

 当然ながら新しい兵器概念の創出は新規兵器の開発競争を生み、黒い軍隊の存在がさらに潮流に拍車をかけた。

 訓練用とはいえ実物の一四〇ミリ滑腔砲を、立てかけられた武装ラックから蒼天に把握させながら日計は思う。殺さなければ殺される。日本は太平洋に面した島国だ。黒い軍隊は東南アジアに、いる。あるのは海原だけで、敵とこちらとを隔てるものは何もない。日本列島はユーラシア大陸が太平洋方面で保持している最後の砦であり、仮に日本が降伏することがあれば敵に大陸侵攻の足掛かりを与えることになるため、人類社会全体にとって重要な戦略拠点だ。攻撃対象にならないはずが無いのだ。

 現代の国防という言葉の定義は、自国領土における主権を守るという意味合いだけを持つことはない。人類という種族である以上は情け容赦ない戦場へ身を投ずる必要がある。つまり、現代の兵士は、故郷の土の上で死ぬことを許されない。これまでの多くの戦争がそうであったのと同じように、遠く離れた僻地で、何のために戦っているのかと自問しながら生き残らなければならない。

 無数に動めく黒い装甲兵器群は、虎視眈々と人間の領土を侵さんと息を潜めている。専守防衛の戦略ドクトリンに従った水際要撃はもちろん、本土戦に備えた駐屯地やインフラの整備を含めた戦争準備が日本各地で急がれた。みなとみらい駐屯地の建設はこの一環で、日本各地で同様に自衛軍の基地設備が整備、あるいは公共インフラの投資も踏まえて整備が進んでいった。

 操縦桿を撫で、お前も日本が取り組んだ軍備増強の一端を担っているわけだ、と逞しいエンジン音を響かせている機体へと胸中で言葉を投げかけた。

 この巨大な人の化身は防衛省防衛装備庁で提唱され、研究開発された多目的人型戦術兵器システムだ。Person type General perpose Tactical Arms Systemと呼称されている彼らは、兵科呼称としてPGTASピージタスと銘打たれた。軍隊らしく頭文字をとった名の付け方。

 人型兵器の開発を開始した防衛装備庁ではあったが、それは前途多難、実際に手を付ける前から無理難題が山積みになっていた禁忌のプロジェクトでもあった。何しろ求められたのは、最低でも主力戦車MBTに匹敵する装甲防護力と戦術機動力、そして戦車砲以上の火力である。高いロボット工学技術を持つ日本とはいえ、現代兵器としての能力と信頼性を両立させるこの野心的なプロジェクトは、あまりにも冒険的、妄想の産物とさえ呼ばれていた。

 戦闘車輛とは比べるべくもない過大な重量を二つの脚部で受け止め、尚且つ前後左右への機動を行いながら強力な砲熕兵器を発砲できなければならない。搭載武装の強力な反動を抑え込む関節駆動系衝撃分散システムが機能要件として最重要のものとされ、それらを統括してPGドライバーと呼ばれる操縦者の入力系統の整備、M2Mコミュニケーションシステムを構築する車載機器ヴェトロニクスの開発……乗り越えなければならない問題は山積しており、かつ時間が無かった。

 ある程度の必要機能要件がまとまった時点で、既に主力戦車を新規開発する数十倍の工数と予算が計上されており、財務省を始めとする関係各省の度肝を抜いたのは日計の記憶にもある。当時はまだ生きながらえていた新聞の一面に大見出しが載ったものだった。さらには完成した巨大な兵器を安定した量産体制に移行させるための民間における技術者の養成を含め、兵器としての生産・運用基盤の構築が必要とされた。こちらも関連企業が並みの規模や技術力では請負すらできないもので、数ある中から選定された重工業系企業であっても、基礎技術の養成には正に血の滲む努力があったであろう。

 忘れられがちではあるが、兵器の性能には生産性や信頼性という指標が盛り込まれてこその性能評価が為される。さらには乗る人間の質によっても性能は左右されるし、操縦者の練度向上のために策定された訓練プログラムをも含めて提供されるべきだ。その逆もまた然りで、優秀な人間が存在するだけでも兵器システムとしては成立しない。戦争は人機一体の経済活動であり、機械と人間、どちらか一方では戦うこともままならない。

 新しい兵器システムを運用するということは、新たな職業を生み出すに等しい。そのための、ここ、みなとみらい駐屯地である。各地の自衛軍駐屯地では、盛んにPGTAS訓練が行われている。黒い軍隊がまた襲来する前に、一機でも多く、戦場へ送り込む準備をする場所。

 射撃地点への移動を完了すると、後部座席で鉢塚が静かな声で言った。

「よし、既定の手順に従って射撃準備」

「了解」

 操縦といっても、人型の機械を人間と同じ柔軟性を持たせて行動させるのは夢物語だ。半自動化されたコマンドを入力してマニピュレーターを動かす。

 蒼天が空いた左腕を腰部後方のラックへ回して、訓練用弾薬が充填された箱型弾倉を掴んで引き寄せ、一四〇ミリ滑腔砲の機関部上方に開いた挿入口へと装填。機体から供給される電源を用いて薬室へと初弾が送り込まれるのと同時に、メインディスプレイに重なるようにして表示されているHUDの残弾数が増加したことを確認。頭部カメラアイから取り込む外部映像の中で、蒼天が細長い腕を持ち上げて射撃姿勢を取ったことを目視確認、マスターアームをオンへ。後は引き金さえ引けば弾が出る。

「二曹、射撃準備完了しました」

「よろしい。では始めよう。目標、九〇〇二。照準でき次第、発砲」

「目標九〇〇二、了解。射撃開始」

 命中する確信が無いままに引き金を引くのは、多大な精神力を要する。日計は鉢塚の指示通りに一発、右人差し指のトリガーを引いて発砲。強烈な衝撃が、操縦桿を通じて肩にまで伝わってくる。空砲であるとはいえ砲声は海原まで轟き、砲口から巨大な火炎の舌が伸びた。

 海の上まで贅沢に使われている射撃演習は実弾を発射する訳ではない。中枢システム内に構築された訓練用プログラムによって、駐屯地周辺の環境センサーの情報を収集して仮想空間マトリクス上に発射後の弾道が再現される。彼の放った砲弾の命中判定は訓練用の戦術データリンクシステムに接続した鷺澤機からも確認できた。

 が、そうするまでもなく命中したかどうかは、通信回線を満たす怒鳴り声で知れる。

「命中せず、だ。それくらいはわかっているな?」

「はい、二曹!」

「日計訓練生、貴様の撃ち漏らした敵機が僚機を撃破した」鉢塚二等陸曹は、一転して恐ろしいほど冷たい声色で言う。「そう思えばお前はもう外さない、そうだろう。遺族を増やすな」

「はい、二曹」

 ちくしょう、そんなことを言われれば余計に緊張する。乾いた唇を舐めてばらばらになった集中力をかき集めた。

「よし、次弾装填は完了している。用意ができ次第、第二射を放て。目標は先と同一」

「了解」

 ちくしょう、返事をするだけ精一杯だ。

 他の訓練生が固唾を飲んで見守る中、日計は先ほどと同じ目標へ向け、慎重に砲口を指向する。

 FCSによるジャイロ安定により精密な照準ができる触れ込みだが、思うように目標コンテナに照準点が重ならない。何故なら、鉢塚二等陸曹のによって目標追従機能がキルされ、マニュアルで発砲しなければならないためだ。また、横浜港にほど近いみなとみらいでは埋立地ということもあり、通常の感覚で撃てば強い海風でまず命中は見込めない。つまりは、砲身を好きな方向へ向けることができるが、その弾が命中する保証はどこにもないということで、果たしてこのような操作習熟に意味があるのかという怒りに満ちた疑念を押し殺して言うことをきかない照準を掌握しようと躍起になった。

 訓練が楽になればなるほど、実戦が楽になるはず。そう言い聞かせ、操縦桿を握りなおす。実戦といいつつ、本物の戦闘に身を投じる覚悟できていないままに。

 砲弾は空中を飛んでいる間に重力と風圧による力、そして地球の自転などあらゆる物理的影響を受ける。ライフル砲であればライフリングによって弾体を回転させることで弾道の延伸性を底上げできるが、蒼天が手にしている一四〇ミリ滑腔砲スムーズボアは原理的にライフル砲とは弾道安定方法が異なる兵装だ。回転によるジャイロ効果で弾道を安定させるライフル砲弾と異なり、滑腔砲は矢尻型の砲弾を撃ちだす非回転弾頭が採用されていて、砲弾の安定は尾部の安定翼によって行われる。砲口初速ではこちらが勝るがやはりライフル砲弾と比して延伸性で一歩譲るため、大容量、高速演算のコンピュータを砲と共に装備することで複雑な弾道計算を実施、命中精度を確保するのが通常の射撃だった。

 実際には蒼天のFCSは世界的に見ても最高水準の精度を誇るため、風が強く水面に揺られている標的といえど、二〇〇〇メートル先であっても命中率は九十八パーセントを超える。しかし日計機ではその機能が不活性化されており、感覚だけを頼りに砲弾を標的へと導かねばならない。

 命中させるには、とにかく情報を読みとって感覚的に砲口を指向するしかなかった。細かな弾道計算式は座学で学習こそしていても暗記するほど頭に馴染ませてはいないし、具体的な数値を全て一瞬で、即応できるほどリアルタイムに計算式へ取り込む芸当は人間業ではない。直感が全てであり、それしかなかった。

 メインディスプレイ上に表示できる限りの環境情報を表示する。蒼天の胸部から突き出ている環境センサーからのみではなく、僚機、演習場各地に散りばめられたセンサーが得た情報を戦術データリンクで吸い上げる。膨大な量のデータがネットワーク上から取り出されてはディスプレイ描画処理の許す限りの範囲で数値化、表示された。

 HOTAS概念の取り入れられたコックピットからは両手の操縦桿から手を離すことなく、各ディスプレイに表示される内容を選択することができる。戦闘以外の細かい捜査は画面下に格納されているキーボードで行うのだが、今は必要ないし、戦闘中を想定したこの瞬間に操縦桿から手を離せば鉢塚二曹に殺されるだろう。

 マスターアームは既にオン、オートドライバーはオフへ。

 コックピット内に響くのは複合タービンのエンジン音と中枢システムの稼働音だけ。風はなく気温ですら外部とは異なる。

 頭の中にもうひとつの世界を作る。視界を埋め尽くす数字の羅列はそのために必要な情報だ。思い描いた世界をこの数字を組み込むことで肉付けしていけば、標的までの弾道に対して加わる力の方向、強さが手に取るように把握できた。

 驚くほどに軽いトリガーを引く。

 どこか心地のいい振動が遠くから伝わってきた。



 日計洋一は今年で二十歳を迎える。既に自衛官として登録されている彼が、若くして戦いの道へ進んだのには理由があった。

 黒い軍隊との間に勃発した南極戦争。その惨禍は戦場の実際より、経済的側面から見たほうが大きいことは、今の人間社会の現状から見て察するに余りある。

 工業系企業などが他国へと進出し、自国経済と一口に言っても海を渡った先の土地の重要性が増して止まない現代。自然、南極戦争によるオーストラリア大陸、ニュージーランド、アフリカ大陸南方、東南アジア諸国の壊滅は痛烈な打撃となった。

 特にこれらの国々が支えていた食料自給は深刻な問題となる。国連は先ず、軍備の増強へ向けた経済基盤の構築へと動き出さねばならなかった。アメリカ、ロシア、欧州連合に中国、イスラエル、そして日本。それぞれの地域で主導的立ち位置を占めている経済大国、共同体は例外なく財政危機に陥り、日本の国債も悲願の減額に転じて間もなく、再びの増額となった。

 どの国も困窮していた。貧困と先行きの見えない暗雲が、社会の真上に梅雨前線のように立ち込めていた。

 各大企業も疲弊し、若者たちは暗澹たる思いに囚われている。黒い軍隊が唐突に侵攻を停止してから十五年。普通の就職よりも自衛軍へと入隊する方が安直で、安定した就職となっていた。何しろ、働いている企業が倒産すればそれまでだが、自衛軍は黒い軍隊ある限り倒れることは無い。少なくとも経済的には。敵に殲滅されて事実上の消滅となる可能性は大いにあるだろうが、戦いになるまでは安泰だ。さらには、自衛軍内部での教練には語学などの基礎教養も多く含まれているから、大学の代わりに入隊する若者も数知れなかった。

 皮肉なものだ、と日計洋一は昼食の鮭定食を忙しく頬張った。

 最も命の危険が大きい職場が安定した仕事場だなんて。そう思いこそすれ、まだ失業していない父と母の勧めと、それに喚起された自分の意志でここに来た彼だった。

 こうした自身の経緯を振り返る時、最後まで反対していた妹の歩美のことが気がかりで、彼の心には翳りが差すのだった。泣きじゃくる妹の顔が、今でも忘れられない。

 本人立っての願い、両親の勧めで自衛軍へ入隊する若者は増える一方である。それは政府が国を挙げて行っている、「人類の敵に立ち向かうのは、あなただ!」というスローガンや、ましてや本当に親の言いつけ通りに入隊しようとする輩は、実は少ない。実利的なものを求めている訳でもあるが、根底にあるものは、実は別の何かなのではないかと、日計洋一はかねてから感じていた。

 誰もが、物心ついた時から存在する人類の天敵に対抗するための兵士として、自らそうなるのを望んでいるのだろう。自身の動機にも首を傾げてはいても、しかしそうなのだと信じたがっている自分がいる。そもそも経済的に困窮しているからといって自衛軍へ入隊させようとする両親のどこかが狂っているのだ、と思えなくもない。

 戦争を知らない世代の前に突きつけられた危機は、ここまで来てもやはり実感できる脅威とはなり得ない。それは愚かなのだろうか、それとも幸福なのだろうか。無知であることは間違いないし、そうであることは、多くの場合、悲惨な結果へとつながってしまうものでもある。

「日計くん、今日はご機嫌ななめ?」

 二千人が詰める大食堂。真中ほどの席で箸を止めて右の席を見やると、ひとつ隣りの女子班に所属している鷺澤朱里だった。

 セミロングの髪は今日も美しい。同室の久世や藤巻が彼女の噂をしているのを何度も聞いていた。自分自身も話に参加したりしていたが、本気で彼女へ憧憬を覚えたことは無かった。ただ単に他人でしかない、というのもある。まだ実際に戦場にも出ていないから、命のやり取りを経験して芽生える友情、なんてことも無い。

 言うなれば、彼女は他人だった。

 華奢でほっそりとした体つきに似合わず、鷺澤はぱくぱくと白米を口元に運んでいる。女子にしてはよく食べる娘だなと思えば、箸を休めること無く彼女はちらりと視線だけを投げてきた。

 日計は自分のほぼ終わりかけた食事を片付けてから答えた。頻りに目配せしてくる目の前の久世と藤巻は無視する。

「藪から棒に、どうしてそう思うんだ?」

「そんな仏頂面で食事する男の子なんて、つまらない、と思って。顔に書いてあるとでもいえばいいのかしら」

「余計なお世話。君の方こそどうなんだ。無表情と言うには厳しいものがあるぞ、その顔」

 フフン、と余裕の笑みを浮かべ、彼女は胸元に下がるポニーテールにまとめた髪の毛を爪弾いた。

 若者、特に女性の隊員を広く募集するため、自衛軍は丸刈りにする伝統を既に捨てている。特に普通科でも機甲科でもないPG科ではその風潮が濃い。それが理由で志願してきた、という女性自衛官は多い。しかし彼女の場合はきっと別の理由だろう。それほど軽率な理由で入隊をする人間とは、あまり深い仲でもないのに信じることはできなかった。

「女の子にそれを聞くなんて、やるわね日計くん。少しは気を使った方がいいわよ?」

「というと?」

「にぶちんなんだから。あれよ、あれ」

「え? ああ、あの日か。その、なんだ、すまない。配慮が足りなかったよ」

「どうも。で、それを知ったあなたはどんな配慮をしてくれるの?」

 腕を組んで考え込んでいると、彼女も食事を済ませ、箸を置き、身体を少し寄せた。何かを要求されているのはなんとか理解できるものの、具体的に自分へと何を求められているのかわからず、ただ沈黙が二人の間に満ちる。

 しびれを切らしたのか、彼女の方が早く口を開いた。

「今週の土曜、非番じゃない? ワーポ行きたいな、わたし」

 なんてこった。日計は辛うじて、口から言葉が飛び出しそうになるのを堪えた。

 背筋に寒いものを感じた。周辺の男性訓練生からの憎悪がひしひしと伝わってくる。

 素早く久世と藤巻に目をやると、二人は談笑している風を装いながらも親指を立ててくれた。それが下向きだったのが、少し気にならないでもない。反対に、隣のテーブルにいる鷺澤と同じ部屋の女性訓練生からは「いきなさいよ」と催促する視線が五月蝿かった。首を回して確認するまでもなく、周囲の訓練生のほとんどが彼女と自分に注目しており、男女で抱く見解が相違しているのが、やけに滑稽だった。

 まったく、若者ときたら。自分自身を棚に上げて、胸の内で毒づく。殊、恋愛となると、どうして自分自身よりも他人の方が盛り上がるのだろうか。心底不思議に思いながら、長閑な会話に満たされる広い食堂の喧騒を押し出す様に答える。

「いいよ、行こう」

 とうとう言ってしまった。

「やった。それじゃ、細かい打ち合わせは今夜の自由時間に――」

「鉢塚だ」

 久世の声に鷺澤は言葉を切り、迷惑そうに彼を見る。別に久世が悪い訳ではないと思うのだが、今の彼女には何を言っても無駄だろう。人の恋路を邪魔しては文句は言えないのだ。それは自分の道ではないのだが――今のところは。

 鉢塚は常に、一部の隙も無い迷彩戦闘服姿で訓練生の前に姿を現す。訓練生たちはと言えば、支給された制服を着て普段は生活しているが、その日の訓練内容によって服装を変える。食事の際には必ず制服の着用が義務付けられており、訓練の度に着替えを、鉢塚は徹底して訓練生に教え込んでいる。彼曰く、「戦場でのろのろと着替えているようでは生き残る可能性は億が一にも無い」のだそうで、確かに的を射てはいるのだろうが、日計をはじめとする訓練生は文句たらたらだった。

 もちろん、ジャー戦――自衛隊内で、下をジャージ、上を戦闘服で気楽に着こなすこと――などは以ての外だ。一度、自室内でこれをしていた部屋仲間が、廊下で終わりの見えない腕立て伏せをさせられていた。上半身裸の状態で、である。半ば右向け右というやつだ。

 有体に言ってしまえば、鉢塚だけが戦場に身を置き、他の訓練生は何も知らない初心な子供でしかなかった。まだ戦いの理不尽をその身に受けてはいない者達。これからその只中へと突っ込んで行く若者達。

 既に食堂に居並ぶ周辺の訓練生の視線は入口に立っている鉢塚二等陸曹へ集中していた。彼は誰かを探す素振りも見せずにこちらへと近づいてくる。そうして食堂の中央に立った時、彼の口が開いた。

「日計洋一訓練生!」鉢塚は雷鳴の如く怒鳴った。

「はい!」できる限り大声で返事をし、立ち上がる。鉢塚の視線が一対のライフル砲の様に彼を射貫いた。

「南原一等陸佐がお呼びだ。ついてこい。鷺澤」

「は、はい」彼女も慌てて立ち上がり、気を付けの姿勢になる。

「日計のトレーを片付けてやれ。行くぞ、日計。遅れるな」

「はい、二曹!」

 歩き出そうとしたその時、鷺澤朱里の手が軽く右手に触れるのを感じた。彼女の気遣いに感謝しつつ、静まり返った食堂から出ていく鉢塚の背中を足早に追う。

 廊下に出るや否や直角に右に折れて歩いていく。記憶によれば、この先は管理棟の筈である。駐屯地司令部があったり、最高指揮官である南原世雄一佐のオフィスや実際に勤務している左官、士官クラスの自衛官が詰めているのだ。そんな中に訓練生と二等陸曹が連れ立って入っていくなど悪夢以外の何物でもないのだが、まさかここで背を向けて逃げ出す訳にもいかず、ただ黙々と歩調を速める鉢塚に付いていく。

(南原一佐だって……?)

 手汗がべっとりと掌を濡らした。

 自分はまだ何も知らない鉄屑だ。まだ軟らかい、使い物にならない脇差とでもいえばいいのだろうか。熱い内に叩けとはいうものの、そもそも冷めている気がしないでもない。

 自分達は、鉢塚二等陸曹にとっての何なのだろうと考えたことはある。彼の言う通りに愚鈍な阿呆でしかないのか、それとも、同じ戦場に身を置く兵士として認識されているのか。この司令棟に踏み込んでから、そんなことばかりに頭を使ってしまう。

「日計」

 少し歩調を緩めて、鉢塚は言った。通りすがった一等陸尉へ向けて敬礼を済ませた後だった。

「はい、二曹」型どおりに返事をする。

「お前、なんでこんな所へ来た?」

 いきなり予想だにしていなかった質問に窮し、これは何かの試験なのだろうかと考えを巡らせていると、鉢塚はそんな彼を鼻で笑った。

「試している訳ではない。わたしの質問に答えろ、日計訓練生。命令だ」

「はい」と返事はするものの、言葉が続かない。何とか絞り出す。「両親の勧めと、自分の意志です」

「親が言ったからか、ええ?」

「いえ。今の時代、どこも就職は厳しいものです。自分は働く意欲はありましたが、どんな職業に就くかはまったく決めておりませんでした。というより、どんな職業がいいか、どう生きていきたいのか、そうした目的意識がまったくなかったように、今では思えます。両親の勧めは、ひとつの選択肢として提示されたにすぎません」

「では、最終的にお前が自衛官を選んだのは、何故だ。このご時世、最も危険極まりない職業なのは判り切っているだろう。仮想敵なんて曖昧な言葉が消滅するほどの現実的な脅威がある時代だ。お前の意志というものを聞かせてみろ」

 やはり自分は試験されているのだろうかと思わないでもないが、先ほどの鉢塚の言葉に考え直す。

 彼は口は悪い――控えめな表現であることは認める――が、訓練生に対して嘘を言ったことは無い。全て事実であり、だからこそ、自分達が役立たずの能無しなのだと自覚させられるのだ。彼へと陰口は叩くが、その潔癖な人格そのものを批難することは、訓練生の誰にもできていなかった。今もそれは変わらない。自分が何故ここにいるのか。その問いは、改めて自分へと問いかけてみると、まともな答えが返ってこないのに気付く。やはり彼は嘘をついていなかったのだ。

「それは……意義があるからです」心許ない声ではあるが、可能な限り自分が納得する言葉を紡ごうと努める。「黒い軍隊と戦うことは、他の何かに比べれば確固たる意義があるからです、二曹」

「社会に貢献するという意味では、どこかの企業に就職したとしても変わらんぞ。経済の困窮している昨今、汗水垂らして働いて、それが社会の糧にならないはずは無い。焼石に水というがな、石を冷ますには一滴も馬鹿にできんのだ。そのうえで家族を養い、幸せに暮らしていけるのなら、それ以上のことはないのではないか。それこそが常識的な意義だろう」

「ですが、自衛官の方がより直接的です。普通の経済活動をこなしているだけでは、実感できない何かがあります。何かを守るという実感も湧きません」

 ほんの少しの間を置いて、鉢塚は言った。

「お前の考えは間違いではない。だが、結果として経済活動といえば、戦争でさえそうなんだよ、日計。戦争は消費一方の経済活動だ。銃を撃っても、弾は返ってこないだろう? 弾丸には金がかかっている。金を捨てているようなものなんだ。そうすれば、お前の意見なんてものは若気の至りで済んでしまう」

 角を曲がって、今度は三等陸佐に敬礼。また歩き出しても、彼の言葉は尚も続いた。

「問題なのは、そうした未熟な考えが今までは許されてきたが、これからはそうもいかないということだ。今も続く停戦で人々は麻痺しているが、黒い軍隊は確かな脅威として存在している。彼奴等を前に余計な議論は不要だ。お前がどんな理由で戦場に赴こうが、敵の銃弾は主義主張では止められん。正真正銘、お前の実力が唯一にして最大の武器なんだ。日計、悪いことは言わん。この訓練期間中にお前が戦地に立つ意味を確認しておけ」

 有無を言わさぬ勢いで言い終えた後、鉢塚二等陸曹は黙ったまま廊下を曲がる。

 自らの認識の甘さを思い知らされ、日計は今更ながらに戦々恐々としてきた自分を恥ずかしく思った。

 結局のところ、自分はまだ戦争というものがどういうものなのかを実感できていない、理解もしていなかったのだと、彼の言葉で思い知らされた。目の前で巨大な人型が大砲を携えて動く様を見ても、自分は何ひとつわかっていなかった。尻を通じて、百トンの鉄塊が大地を揺るがしたとしても、この魂には何も届いてはいなかった。そして、実際に自分へ向けて送り出される砲弾を見ない限り、自分は戦争というものを知ることができない。

 これは覚悟の問題だ。その時になって後悔しないよう、覚悟をしておくこと。それが、鉢塚という男が部下へ向けて送った誠意だった。

 日計洋一は、改めて自分の耳にした噂の信憑性を考え込むことになった。訓練生の間でまことしやかに囁かれている噂だ。今までは彼らの鬱憤晴らしに話題に挙げられる二曹も可哀想だとしか思っていなかったが、長い廊下を歩く間に日計洋一は考えずにはいられない。

 その内容というのは、鉢塚二等陸曹は南極へと派遣された旧自衛隊の生き残りである、というものだ。

 あり得ない話ではない。彼の年齢は四十に届くか届かないかというところだから、十五年前は第一線の自衛官であったとしてもなんら疑う点は無い。むしろその方が自然なのだが、南極戦争序盤のあの戦いを教科書で学んだ日計洋一ら、ひとつ下の世代には疑うだけの根拠があった。

 当時、日本は南極大陸にいくつかの環境調査基地を保有していた。国連の管轄で、あらゆる国の影響が排除された酷寒の地はまだ未開の部分が数多くあり、それらの解明、発見のために調査団が常駐していた。これは多くの人々が常識とするもので、新たに説明に付け加えるものは何もない。

 だが、そうした穏便な調査活動、国連管理とされた不可侵領土の象徴であった南極で、事態は勃発する。

 二〇三二年八月十二日、日本のあずさ基地が謎の無人兵器群の襲撃を受け、翌日十三日に国際連合安全保障理事会の緊急招集。

 そして八月三十一日。黒い無人兵器群が、これあると予期して軍隊を駐屯させていた昭和基地を襲撃。後に言う、「昭和基地防衛戦」である。

 黒い軍隊と人類の初めての戦闘は、無人の黒い兵器群へ人間相手の悠長な戦術を取っていた国連軍の決定的敗北、と、同室の久世が評したことがある。正にその通りで、無人兵器特有の統率された高機動力に抗しきれず、戦闘自体は短く終わった。敗退して撤退行動に入った地上軍を沖にいた海軍が救助しにかかったが、これも黒い軍隊の海上兵器群の物量に敗れた。

 それ故に、昭和基地防衛線での生存者はゼロ、となっている。艦艇から海に飛び込んだとしても、氷点下近い水温の荒波に揉まれては生きてはいられない。鉢塚二等陸曹が生き残っていたとしたら、それら教科書の表記を全て否定する、史上空前規模の会戦における唯一の生き証人となる訳だが、こればかりは軍の機密のヴェールに覆われているものなので真偽の程は定かではない。

 だが、もし噂が本当だったら? 日計洋一は考える。鉢塚二曹が自分に「戦う意味を考えろ」などと言うのは、何か大事な、彼自身でも口に出しては言えない思いを、自分に伝えようとしているからではないのか――

 と、彼の歩みが止まる。反射的に顔を上げると、目の前には駐屯地司令とプレートの貼られた一枚の扉があった。

「入るぞ、日計」

 宣告したのは、せめて心構えをさせようという計らいか。こちらは心の準備もままならない。

 世界とはいつも唐突に、不運を投げかけてくるのだから。



 南原世雄一佐は好々爺に見えてしたたかな男だった。

 新設されたみなとみらい駐屯地の司令という立場から、平凡であることはあり得ない。特に戦時中には軍人の質が問われる。ただ書類仕事をこなしていればそれで済む役職ではないことだけは確かだ。

 戦力の常備、整備、育成に運用。殊、みなとみらい駐屯地は東部方面隊の中でも最大規模を誇る駐屯地であるから、横須賀にある海軍基地とはもちろん、各種方面との連絡を円滑に行うための人脈や政治的手腕も重要なものとなってくるだろう。

 自分は、と日計洋一が自問するまでもなく、南原は穏やかに見えて鋭い視線を彼に射込んだ。見るだけで自分の立場を思い出させる威厳。

「日計洋一訓練生。楽にしていいぞ」

「はい、一佐」とは言うものの、隣で電柱が如く背筋を伸ばして立っている鉢塚二曹よりも早く、休めの姿勢になることは不可能だ。口だけで答え、斜め上方に固定した視線の中で南原が苦笑いするのを目端で捉える。それでも鉢塚は姿勢を崩さない。

 ここは駐屯地司令執務室。駐屯地には数千人規模の陸上自衛軍が駐屯しており、普通科、機甲科、PG科の三つと、攻撃ヘリコプターなどを有する航空科、施設科など、ありとあらゆる軍事構成部隊が所属している。

 大平洋に面し、尚且つ日本国にとって要衝である横浜港への黒い軍隊による急襲を要撃するために、高度経済成長期から放置されていたみなとみらい一帯の埋立地、及び陸地を大胆に用いた駐屯地が建設された。まだ新築のにおいさえしそうな、単純な調度で統一されたオフィスは居心地が悪い。わざとそういう風に作られているのだろう。将官との茶飲み話など、一介の兵士がするものではないし、ここに長居すればするほど、駐屯地の運営、つまりは司令官である一佐の業務に支障が出る。

 日本国内でも有数の装備を誇るここでは、日々様々な案件が発生する。人事異動、訓練、予備役自衛官の召集から新人自衛官への適性教育……それらに許可と助言を与えるのが南原一佐の仕事で、そうしなければ駐屯地機能が停止してしまう。だから一兵卒に面倒などは、鉢塚のような先任下士官が見る。直属の最高指揮官である南原の前に訓練生が呼び出されるのは、あまり良い兆候とは言えない。

 両掌にかいた汗を拭くのも憚られる緊張感。

「君については、鉢塚二等陸曹から度々聞いている」南原は世間話とでもいう風に、「優秀だな。先日の実弾射撃演習では一四〇ミリ滑腔砲をマニュアル操作で命中させたらしいではないか」

「はい、一佐」

 どういう訳か、この司令は鉢塚からそういった細かい出来事まで根掘り葉掘り聞いているらしい。いや、この自分に対してのみ、だろう。部下の末端までをも把握しているとは考えづらい。別段、何も規則を違反した覚えも無いから焦燥感ばかりが募る。

「君は、どうやって命中させた? 記憶にある限りでいい、説明してくれ」

 質問の意図がつかめないままに、ほとんど自動で喋りだす。

「はい、一佐。自分はまず、蒼天の環境センサ類の観測数値を中枢コンピュータへ指示し、HUDに表示させました。マニュアル操作である以上、FCSによる砲口制御はできませんから、それらの情報を読み取って感覚的に発砲するしかないと判断しました」

 滑腔砲弾は通常のライフル砲弾と違い回転しない。矢尻型の弾体は精密な機械制御によってのみ、安定した命中率を叩きだす。一連の処理を司っているのが射撃統合システムだ。これなくして正確な射撃などできよう筈もない。

「数値から環境情報を読み取るのは適切な判断だ。だが、コックピットの中で数値だけを頼りに砲撃をするのは、不可能だと思わなかったのかね。感覚的な解決策だが、それを実行しきれると?」

「有体に言えば、ままよ、と思いました。人間が機械の機能を再現するなど、原始的なものを除けば不可能ですし、できるとも考えてはおりません」

「しかし、君は撃った。そして成功させた。驚異的な結果だけが残った訳だな」

「はい、一佐。偶然まぐれでした。自分でも驚きましたし、同室の訓練生にも有り得ないと言われました。自分もまったく同意見です」

 言いつつ、それこそが自分が召喚された理由なのだと、日計は悟った。

 南原はひとつ頷くと机上に肘を着き、組んだ両指の上に顎を乗せた。瞬きすることもない瞳が青年を捉える。日計を凝視したまま、南原は鉢塚に問うた。

「二曹、君はどう思う? 彼の話を、という意味だ」

「自分としては、日計訓練生が違反を犯しているとは考えておりません。彼は優秀な男です。保証いたします、一佐」

 鉢塚二曹の口から訓練生、とりわけ自分を褒める言葉を初めて聞いた事に驚く暇も無いまま、南原は言った。

「日計訓練生、君をここに呼んだのは――あるいは君も察しがついている事と思うが――先の射撃が優秀過ぎたからだ。君が言ったとおり、滑腔砲弾をマニュアルで発砲し、さらには一・五キロ離れた目標に命中させるPGドライバーなど、日本国内で掻き集めても両手で数えられるほどしかいない。我が国はPGTAS技術についてかなり先進しているし、国連加盟国の中でも頭一つ分は飛び抜けた練度を保持してはいるから、世界規模で見ても百人を少し超えるくらいだろう」

 静かな弾劾にからからに喉が渇く。痛いほどの渇きを抑えつけて、この虚偽の嫌疑を晴らすべく口を開いた。

「お言葉ですが、一佐。あれは訓練でしたし、ぼく自身も”できる”と思ってやった事ではありません。確かに最善は尽くしましたが、それは何物にも縛られたものではないと断言できます」

「訓練だから問題なのだ」南原は日計の反論を切って捨てた。「知っての通り、君の乗っていたPG=21MDは駐屯地のコンピュータ群に接続され、リアルタイムかつ精密な情報を元に、仮想空間上で命中判定を出している。つまり、情報工学的知識があれば改変も不可能ではない。言ってしまうとだな、日計訓練生。、鉢塚二曹の目を盗んで演習プログラムにハッキングし、自分を優秀な人間に見せようとする輩がいる。今までは例外なく判明し、処分してきた」

「待ってください。ぼくは何も――」

「わかっている」

 宥める様に、南原は両手を広げた。それだけで何も言えなくなるあたり、すっかり自分にも軍人根性が染みついてしまっているらしい。

「どうやら君は信用に足るようだ。鉢塚二曹が言うのだから間違いない。彼の目はどんな監視システムよりも厳重だから」

「恐縮です」と、鉢塚。

 南原は苦笑いと共に頷いた。

「わたしはもう君を疑ってはいない。話していて、わたしも確信を得た。君は誠実な男だ、日計洋一。自分に対して真摯な姿勢を持っている。それでいて優秀だ。そんな人材を手放す気はないし、その理由もない」

「あ……ありがとう、ございます」

 突然の事態の推移に驚き、恐怖こそしたが、とにかく安心して肩の力を抜く。南原も人の良い笑みを浮かべた。

 そして気が緩むと、余計な言葉が口から漏れ出てくる。

「一佐、毎年いると仰いましたが、なぜそんな人間が出るのでしょうか? そもそも、入隊する隊員がそんな技能を持っている事は、稀有だと思われるのですが」

「疑問に思うのも無理はないが、至極当然の推移ではあるんだ」

 南原は立ち上がって、壁際にあるサーバーから冷水をふたつの紙コップに注ぐと、デスクを回って日計洋一へ差し出した。少し迷った末に受け取り、一気に飲み干す。鉢塚も同じようにして、南原はまたデスクを反対側から回って椅子に座りなおす。

「先ほども言った通り、我が国はPGTAS技術において先進している。現段階でPGTASの独自開発に成功しているのは、ドイツ、アメリカ、そして日本だけだ。中国とロシアも開発はしている様だが、実用化はまだ何年も先になるだろうし、あれほどの規模の常備軍を保持している国ならば戦車を改良した方が実は効率がいい。EUの国際共同開発もいつ実を結ぶものやらわからない情勢だ」

 すっかりリラックスして部下と話す調子になった南原へ向け、日計は相槌を打った。

「存じております。ドイツはEUと決別しての独自開発、アメリカは単独での開発に成功したと。ロシアと中国は大規模機甲師団があるから別としても、EU、とりわけイギリスとフランスの技術提携は難航していると聞き及んでおります」

「そうだ。PGTASの開発は、一朝一夕に結実するものではない。人型機械とは厄介なものでな。実は軍事的な運用において利点があまりない。鈍間で、ただのでかい的だ。それを克服するためには莫大なコストと人材、そして時間を投じる必要があった。だから盗みに来るのだ。事実として、絞りあげた今までの違反者は例外なく第三国の諜報機関とつながりを持っていた。あくまで、どこ、とは言えんがね。政治的摩擦は軍人が巻き起こすものではない」

 黒い軍隊が出現した事により、国連加盟国は今までにないほどの団結を示す必要に迫られた。人類の敵に対抗するために協力しない事は、それ即ち利敵行為であるとみなされる。当時は黒い軍隊の第一次侵攻の真っ最中であり、ユーラシア大陸侵攻は現実味を帯びた問題として挙げられていた。南米だけは無事だったが、決して気の抜ける状況でないことは変わりない。たとえ黒い塗装を施された装甲兵器が影も形もなくても、だ。

 しかし、事態は矛盾した方向へ進み始めた。国際情勢が外敵により初めての逼迫した状況に置かれても尚、国々は自分達の中で誰が一番かを決める大戦略を放棄できなかったということだ。

 当然といえば当然である。アメリカやロシア、ヨーロッパ諸国といった先進国からしてみれば、黒い軍隊はまだ、遠かった。そして戦いを行う限りは、国として戦争に勝つ事を前提として行動しなければならない。そのためには多くの場合、他国よりも進歩した技術が必要となる。PGTASもその類だ。

 戦後のため、あるいは今のために、どの国もPGTAS技術を喉から手が出るほど欲しがっている。

 南原世雄が言っているのはそういう事だ。毎年、大勢が入隊してくるPG科の訓練生をふるいにかけて、国益に仇為す人員を洗い出すのも彼の仕事のひとつであるのだろう。

 自分はその網の目をすり抜けられた訳だ。潔白な身の上に心から安堵しながら、日計は小さく頷いて相槌を返した。

 南原も自然な仕草で口の端を吊り上げた。

「実を言うと君の演習成績はだな。十年を遡っても比肩する者がいないほど優れたものだ。特に二週間ほど前から真価を発揮し始めたように見える」

 唐突に南原はいった。視線を机上に落とし、そこに広げられているであろう何かを読んでいる。日計の位置からは窺い知ることはできない。

「鷺澤朱里も優秀なようだが、君とは根本的に異なる。彼女は利口だが、腕利きではない。この意味がわかるか?」

「何かを考えることはできても、それを実践するかどうかの違い、ということでしょうか」

「そうだ。いいか、日計訓練生。人間は考えて何かを実行したところで、その深慮に基づく行為が為すことはできん。現実と理想が乖離し続けるのは一重にそのためだ」

「しかし、考えなければ、勝てません」

「人生の歯痒いところは正にその点にこそある。我々は考え続けなければならない。不足した時間、場所、状況の中で、瞬時に判断を求められる場面があるだろう。その時、的確な選択祖を選び取ることができるかが、腕の見せ所だ」

「――自分には、まだそんなことができる自信がありません、一佐。訓練でどうにかなるものなのでしょうか」

 不安に堪え切れずに疑問を投げかけると、南原は毅然と胸を張って、断言した。

「知らん。だが、少なくとも訓練でできないことは実戦でできない。己を研ぎ澄ませ、日計訓練生。わたしからの助言は以上だ」

 退出していい、と、南原は部屋の中に誰もいないかのように書類を捲り始めた。

 首の皮一枚繋がったどころか、さらにもう一枚重ねてもらったような気分で、日計洋一は敬礼し、鉢塚二曹と共に部屋を出た。

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