7-6
演奏も終わって、満足顔の人たちが次々とホールから出てきていた。先ほどまで賑わっていたコンサート会場も、次第に閑散とし始める。帰路につく人々を横目にみながら、私は大きく伸びをした。
「ナユタ、返ってこなかったね」
隣に座っていたフェイが呟いた。頬杖をついている。いつからそんな姿をしていたのだろう。
「あとで菟田野に聞かなくちゃね。勝手に飛び出して行っちゃうんだから、もう」
仕事で急に、と菟田野は行っていたけれど、あの慌てようは抜群に怪しかった。嘘の下手な人なのだ。
それに仕事ならフェイを連れて行くはずだ。そこをナユタということは、おそらく竜水くんに関することなのだろう。
竜水くん、会ったことはない。でもその人がナユタを育ててくれた。ナユタに感情を芽生えさせてくれた。そう聞いている。実際どんな人なのかわからなくても、それだけで感謝したいと思う。
ナユタは成長したと私だって思う。だから、少し、動揺した。まるで本当に娘のようで、でもエリとは全然違う。
エリはもういない。
そして今はナユタが生きている。
それは変わりようのない事実で、良いとか悪いとか、決めつけるわけにはいかない。受け入れるしかない。そのうえで、どう捕らえるか考えること。
そんなことを、私はナユタから教わったのだ。
「ねえ、ハンナさん」
頬杖をやめたフェイが、背筋を伸ばした。背もたれにはかからずに。
「私、感情は未熟らしいけれど、基本的な感情はあるんだよね。だから、はっきりと今感じるんだ。このままナユタがいなくなっちゃうと、きっと寂しいなって」
フェイの唇がきゅっと締まって、それから言葉が続けられた。
「でもそれって変だよね。だって、ずっと一緒になんていられるわけないもの。だから寂しさなんていちいち感じていたら大変になるに決まってる。でも、寂しさを止めることはできない。寂しさを感じることになるとわかっていながら、楽しむこともやめられない。感情ってもどかしいね。感じることは簡単だけど、止めることは出来ないんだ。心の内側で偉そうにしているようで、実はとっても不器用なんだ」
流れるように続けられるその言葉は、フェイの普段の話し方と随分違う気がした。でも、それは錯覚かも知れない。私はフェイの何を知っている? たとえ相手がヒューマノイドでも、全部を知ることなんて到底できやしないのだ。
「感情はややこしい。でも、それがあればやっぱり人らしい。私はまだまだ人っぽくない。機能として備わっていないって菟田野さんは言うし、仕事についていくためには仕方ないことなのかもしれない。でも……やっぱり憧れちゃうな。感情に、それをもった人間と、人間らしいヒューマノイドに」
フェイがひとつ溜息をついた。
見えない吐息の広がる様が何故か目に見えたような気がした。
低く垂れ墜ちていく、フェイの重苦しい溜息。
「私ね、コンサートの始めに菟田野を探したって言ったけれど、あれ、嘘なんだ。ナユタとハンナを二人きりにさせたかったんだよね」
フェイの苦笑いが、次第に大きく強く引き延ばされた。無理にでも翳りを消そうとしているみたいに。
「私、ナユタのこと応援したいみたいなんだ。よくわからないけれど、あの子の方がハンナと一緒にいるべきだと思う。だってあの子の方がずっと、人間らしく悩んでいて、悔しがっていたもの。だから報われるべきなんだ。私なんかより」
言い終わるのを待たずして、私はフェイの頭に手を伸ばした。
「ふぇ?」
フェイは私を振り向いた。
赤い短めの髪の毛が掌のなかで絡みつく。
「大丈夫よ、フェイ。あなたの十分、生きている。未完成でも、心はある。感情もちょっとだけある。もっと細やかでなきゃいけない、なんてことないから、安心して」
撫でると、フェイの頭が少し揺れた。
フェイは私を見つめている。
目元が潤み始めると、フェイは慌てて目に手を当てた。
「ちょ、ちょっとトイレ。わ、私先に外に出てるから!」
そういって、フェイはそそくさと席を立つ。嘘が下手な子。いったい誰に似たのだろう。
微笑んでいた私の懐で、携帯電話が震えていた。
報せを受け取って、私はすぐにフェイを探した。どうしても一緒にわかちあいたかった。
ナユタと離れても、何度かは会おう。家族ではなくても、友達とか、そういう形で。
私はそう心に決めた。
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